飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

ブレストとエバリューション

2013年09月29日 06時10分18秒 | 教育論
事務の能率化。
定時退庁など、職場の改善は以前から課題となっている。
しかし、現実的には遅々として進まない。
それは様々な要因によるが、物事に対する考え方というものも大きな障害となっている。

多くの会議が設定され行われている。
この会議の趣旨を理解することも大事な改善である。

会議の趣旨が企画会議のような場合は多くのアイディアを出すという点はブレストが最適である。
しかし、組織の方向性や行事の内容を決定する会議においては、エバリューションの流れが必要となってくる。

ときには、前半をブレストで広げて、拡散的思考をしていおいて、後半はエバリューションによって集約的思考を促すという展開もあるだろう。

こうした趣旨の共有は組織の会議にとっては必要不可欠だ。

saitani

常識を疑う

2013年09月16日 12時44分44秒 | 教育論
世の中には常識と言われているものがある。
人間社会の中で、守っていれば誰からも避難されることのないルールのことだ。
しかし、常識とはイコール正しいとういうことではない。

その人間が属する多数派、ある条件のもとで決めた一時的なルールと考えることも出来る。

とくにクリエイティブな活動をするときは邪魔になることが多い。
独創的な考えを否定することが多いからだ。

一度、常識を疑ってみることも新しい思考に結びつけるときは必要だ。

こんな詩がある。

騙されるな ビートたけし

人は何か一つくらい誇れるものを持っている
何でもいい、それを見つけなさい
勉強がダメだったら、運動がある
両方ダメだったら、君には優しさがある
夢をもて、目的をもて、やれば出来る

こんな言葉に騙されるな、何も無くてもいいんだ
人は生まれて死ぬ
これでだけでたいしたもんだ

saitani

400号に寄せて

2013年09月16日 12時36分29秒 | 教師論
「飛耳長目」の記事も今回で400号となった。
日々の自分の記録ノート的な気持ちで続けてきたブログである。
とくに大きな目標があるわけでもなく、思い出したときに自分のために書いてきた。

この「飛耳長目」はブログ版である。
ブログ版は、2005年4月16日から始まった。
あれから8年の月日が流れようとしている。

しかし、初期の頃にはhtml形式のHP版があった。
この開設が2000年8月27日。
そこから考えれば、すでに13年目を迎える。

時には1年近く更新しなかった時期もあったように思う。

今一度、「飛耳長目」の意味を考えてみる。

以下、HP版第1号に書いた説明から。

幕末の志士、吉田松陰が開いた「松下村塾」には「飛耳長目(ひじちょうもく)」と表紙に書いた帳面が置いてありました。
塾生たちは自由にそれを読むことができました。
「飛耳長目」には、国内の動きや外国との条約交渉経過などあらゆる情報が日々書き加えらえました。
江戸から帰ってきた藩士からの話し、諸国をまわってきた商人その他、松陰のもとに集まる情報を書きつづったものでした。
いわば塾内新聞のような媒体でした。

「耳を飛ばし目を長くして、できるだけ多くの情報を入手し、将来への見通し、行動計画を立てなければならない」と松陰は塾生たちに情報の必要性をときました。 

このホームページも、ささやかながら有益な情報源の一つとしてお役にたてたら幸いです。
そんな願いを込めて開設致しました。

以上、引用終わり。

これからも、気楽に綴っていけたらと思う。

saitani

箴言

2013年09月16日 12時27分39秒 | 教育論
悪口を言うと十倍利子がついて帰ってきます。
払えないので言いません。

大したことじゃない!
大したことじゃない!
大したことじゃない!
三度唱えれば大抵のことはそうなります

大切な涙は嬉しい時にとっておきましょう

諦めは弱さと人生の敗北です

マサコ・ムトー

知者は惑わず

2013年09月16日 12時18分23秒 | 教育論
台風18号が日本列島を縦断している。
関西地方は大きな被害が出ている。
自然の脅威を改めて感じる。

論語の有名な言葉に次のようなものがある。
だれでも一度は聞いたことのある言葉だ。

「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」
論語 孔子

この言葉の意味は、次のようである。

知者は知識を多く持っている人をさす。
知識が有ることはそれは素晴らしいことだが、それが実践や行動に結びつかないのでは意味がない。
これは吉田松陰も言っている。
大切なことは、学びを世のため人のために活かすことができるかどうかである。
その時に忘れてはいけないのが、思いやりである。
自分が正しいと思ったことは勇気を持って行う。
しかし、そこに思いやりの心がなければひとりよがりになり、人々の理解は得られない。

常に心に止めておきたい言葉である。

saitani

箴言

2013年09月08日 08時47分19秒 | 教師論
◇20世紀最高のオペラ歌手と謳われたマリア・カラスの言葉。

「オペラ歌手にとって一番必要なものはなんですか。」と聞かれこう答えた。
「修練と勇気、あとはゴミ」

修練と勇気あとは何もいらない。

◇輝く存在は、燃える苦しみに耐えねばならない。

saitani

いじめ加害者の心理

2013年09月07日 23時38分43秒 | 教育論
いじめる側の心理状態について。
以下引用する。

「中和の技術」~いじめ正当化のストラテジー~
「中和の技術」とは、マッツァとサイクスによる非行研究の中で明らかにさ れた心的メカニズムです。自分の加害行為を正当な報復であると言い換えるも のです。自責の念を緩和したり、他者からの非難や制裁の矛先を転化したりす る働きがあります。
1「責任の回避」
自分の積極的意志でやったのではなく、仕方がなかったのだ、やらなか ったら自分がやられる、みんなもやっていることなのだ、と考える。
心的メカニズム:やらされた(させられた)と思うことで、良心の呵責 を中和する。
2「危害の否定」
相手にたいした害を与えていない、口で言っただけで暴力はふるってい ない、相手はそれほど傷ついていない、と考える。
心的メカニズム:外傷や目に見える被害がないことを理由に、相手への 危害を否定する。
3「被害の否定」
相手はやられて当然のことをした、みんなと同じようにできない、約束 を破ったからやられるのは仕方ない、と考える。
心的メカニズム:規範や制裁を理由に、相手への危害を正当化する。
4「非難者への非難」
自分だっていじめられた経験がある。非難する人は、状況を知らないか らだ。または、大人も同じようなことをしている、と考える。
心的メカニズム:もっと悪いヤツがいる、自分はまだマシな方だとして 罪を逃れようとする。
5「高度の忠誠心への訴え」
より大切なまたは身近なグループの仲間に対する忠誠のためにやった行 動であり、自分の所属集団のルールからすれば間違っていない、と考える。
心的メカニズム:集団の要請に応えたものとして、責任を回避する。


いじめの四層構造

2013年09月07日 22時54分08秒 | 教育論
いじめは四層構造で構成されているという。

まず、中心となる「被害者」と「加害者」・
しかし、これだけをみても問題に解決には絶対につながらない。

周りではやし立てたり、喜んで見ている「観衆」がいる。
これは、いじめを積極的に是認する存在である。

見て見ぬふりをする「傍観者」 も、いじめを暗黙的に支持する存在である。

いじめを受けている子にとってはり、黙認する一番外側にいる子どもたちは味方 にはならない。

したがって、「観衆」も「傍観者」もいじめを助長する存在であると考えられる。

また、この4つの層は、固定したものではなく入れ替わる。
ここが、最近注目されている点である。

「被害者」が「加害者」に、「観衆」や「傍観者」が「被害者」になることもある。

つまり、 誰もが「被害者」「加害者」になる可能性があるということ。

この不安感が、いじめの陰 湿化を招いたり、いじめを外から見えにくくしている。

いじめが行われたとき、周囲の者がはやし立てたり見て見ぬふりをしたりすることで、 いじめは更に助長され深刻化する。

しかし、周囲の者がいじめは許さないという態度を 示すとき、いじめは抑制される。

つまり、いじめは集団の行動の在り方と大きく関係し ている。

このことを教師も子供もまず自覚して、集団というものを考える必要がある。

saitani

天を怨まず

2013年09月07日 18時47分13秒 | 教育論
孔子は、道を説き、全国を行脚するが、多くの場所で受け入れられることなかった。
そんなときも、勉学に励み、自分を成長させることに力を注いだ。

「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。 われを知るものはそれ天か」

『自分の身がいかに不遇でも、天を恨まず、また人をとがめず、みずから反省して修養に努める。』

日々の暮らしの中で、どうしようもなく苦しい時や辛いときは、ややもすると自分の責任や義務を忘れがちになる。
うまくいかないことの責任を他のせいにしたがる。

それは心の平穏を保つには必要な時もあるだろう。
しかい、一歩引いて自分を客観視して、冷静に考えてみる。

責任転嫁している限り、自分の成長はありえない。
それは自分を変えることで、物事を解決せずに、周りに変わることを期待しているからである。

人との真の和や絆を得るためには、まず自分を見つめることである。

saitani


  まず自分自身はどうなのか?と見つめる事から始めよう。

書き写しの意義

2013年09月03日 18時27分35秒 | 教育論
作家の浅田次郎氏は、「小説家になる為に来る日も来る日も、
過去の名文を書き写した」と言う。

文章を書き写すと、さまざまな表現方法や、
言い回しや語彙も身につき、
作者の細かな意図も分かるようになる。


「学(まな)ぶ」とは、「まねぶ」であり、「真似(まね)ぶ」
と同じ語源だという。

日本の茶道や、武道で言われる、「守破離(しゅはり)」
の言葉にもあるように、習い始めは師匠の教えを守り、
ただひたすら真似る。

それができたら、次はその形を破り、
そしてついにはそこから離れ、自分の一派を立てる。


経営においても、人生の生き方においても、
先人の言葉や教えを守り、
ひたすら真似ることは大事な修行の一つだ。

書き写しは、自らを鍛え人格を高める。

saitani