飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

構造的板書の必要性

2022年09月30日 17時57分32秒 | 授業論
板書について、最近は構造的板書が必要だと言われる。
そこにこだわる指導者もいる。
本当に、当たり前の思われていることに意味があるのだろうか。

1 授業の開始には必ず挨拶をする。
2 めあての板書は必ず書く。
3 板書は構造的にする。
4 一度書いた板書は決して消してはいけない。
5 1時間の流れがわかるように板書は残す。

私も若い頃はよく言われた。
その科学的な根拠や子供の事実を検証することなく、そのとおりにしていた時期もある。
それは、そのようにしていれば何も批判されないからだ。
しかし、それが意味のあることだとは思っていなかった。

自己判断ができなかったのである。
志が低かったのである。

冒頭に目当てを書く行為は、最初に課題の答えを教える行為と何が違うのか。
めあてとは、黒板に書いておくほど形式的なものでいよいのか。
しかも、目当てとは子供ではなく、教師がわきまえておくべきことではないのか。

島小学校で創造的な教育を展開した斎藤喜博は、形式的な指導を批判した。
構造的板書についても、このように述べている。

授業が終わっても、それを見ればどんなことをその時間に教わったか、また教えたかがひと目でわかる。
大変丁寧で真面目な授業であり板書である。
しかし、私はそういう授業や板書には賛成できない。
板書は、授業展開に役立つような必然性をもったものでなければならない。
必然性のないものをむやみにやるべきではない。
板書はそういうものではなく、授業展開のなかでの発問とか確認とかの意味をもってやるべきものである。
斎藤喜博全集6「授業の展開」

saitani

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社会的見方・考え方

2022年09月26日 12時04分21秒 | 授業論
社会科のキーワードの一つに「社会科的な見方・考え方」というのがある。
研究において、言葉の定義は基本中の基本だ。
言葉の定義できていなければ共通の土俵で研究を深めることはできない。

ではこの社会的な見方とは何か。
それは言い換えると「課題解決の視点や方法」ということになる。
この視点や方法。
1 位置・空間
2 時間経過
3 比較・分類・統合
4 地域や生活との関連

では、このような見方を授業の中で子どもたちにどう問うのか。

1 何が多いですか?(分布)
2 どこのことですか。(位置)
3 どちら向きですか。(空間)
4 何月頃ですか。(時間経過)
5 自分で知っていること、自分の地域と比べてごらん。(比較・分類・地域や生活との関連)
6 ~の工夫を写真から見つけてごらん。(統合)

類型化した後、それを学習課題とする。

saitani

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成功者

2022年09月24日 08時51分46秒 | 人生論
小さな会社だった京都セラミックを世界的な一流企業へと発展させ、第二電電(現・KDDI)の創業や日本航空の債権までやってのけた、日本を代表する名経営者、稲盛和夫。
かれの生い立ちの一部を知ると、やはり成功する人はそれなりに困難を乗り越え、挫折を経験していることに気づく。
また、その逆境をプラスにかえて、前進を続けてきた。

同級生の言葉。

彼は仲間の告げ口のせいでいたずらの濡れ衣を着せられ、周囲から誤解を受けるしばしばあった。
加えて正義感の強い彼は、6年生の時に裕福な子供を依怙贔屓する担任に強く反発したことから、教師たちの心証を著しく害していた。
鹿児島一中の合否は平素の成績と内申書でほぼ決まるため、稲盛君には大変気の毒な結果となってしまったのだと思われる。

私は鹿児島一中に在学中、国民学校高等科へ通う稲盛君とすれ違うことがしばしばあった。
私が「元気か?」と声をかけても彼は返事をせず、悔しさを露わにして私をじっと睨みつけるのだった。
その激しい表情に、彼がうちに秘めていた強烈な芯の強さを私は発見した。
挫折によって引き出されたその激しさ、強さに突き動かされ、彼はその後、規格外の成功を実現したのではないか。
あの時の稲盛君の面構えは今も忘れられない。

saitani

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ツールド東北2022

2022年09月19日 10時28分28秒 | 趣味
令和4年9月18日、日曜日、ツールド東北に参加した。
念願だった夢が叶い、感慨もひとしおだ。
新型コロナの影響でここ3年間は全面開催は中止となり、3年ぶりの開催となる。
参加ライダーも心待ちにしていたことと思うが、地元の方たちもこの日をまっていらしたことと思う。
参加ライダーの数を制限するため、参加は抽選となって、結構厳しいことは知っていたが、先輩ライダーとペアで申し込んだ応募はラッキーにも当選することができて、本番を迎えた。

修学旅行前のこどものような心境で、忘れ物がないか何度もチェックした。
石巻までは片道540kmもあり、これまでも運転履歴でもこんな長い距離を走ったことはなかった。
しかし、高速道路がどこも整備されているのでそれほどの疲労感はなかった。
三連休の初日ということもあり予定よりもだいぶ遅れて、15:30頃メイン会場であるセイホクパーク石巻に到着。
会場は本番に向けての準備はすべて整い、ゲートの下に立つと高揚感を覚えた。
明日は、ここを1500人のライダーたちがそれぞれの思いをもってスタートする。

日もくれかけてきたので夕食に向かう。
石巻の名物はたくさんあるが、その中でもはらこ飯というのがある。
これを食べたいと思い、車で20分くらいのところにある湖月亭に向かう。
開店してすぐということもあり、一番乗りだった。
ここのはらこ飯は、釜飯方式でとてもおいしかった。
鮭の身の上にいくらがのったものだか、よく出汁もきいていて美味しかった。

夕食がすんだあと、宿に向かう。
石巻市街のホテルは、随分と前から予約で一杯でとれなかったため、車で30分くらい離れている登米市ないにホテルをとった。
明日に備えて、早めに就寝。

朝5時にホテルを出て、セイホクパーク石巻に向かう。
健康観察、ロードバイクのチェックを受けてゲートに並ぶ。
7時30分スタート、内陸を抜けて女川の港に出る。
素晴らしい海岸線が続く。
できている建物はほとんど新しい、
空き地も多い。
沿道では、地域の方々声を限りに応援の声をかけてください。
本当にありがたい。
4つあるエイドで出された、女川汁、めかぶうに、シーフードカレー、焼きホタテどれも本当に美味しかった。
運営のあたる方々の笑顔も力になる。
「おかえりなさい」と一人ひとりに声をかけてくださる。
誘導も本当に丁寧だ。
温かい気持ちになった。
折返しの神割崎までのアップダウンには悩まされて、帰りの向かい風には足を削られた。
しかし、多くの見ず知らずの仲間達と一緒に走るこういったイベントも本当に心温まる。
参加者の会話から聞こえてきた。
「いつも坂を登るのは苦しいことばかりだけど、みんなと登るとなぜが楽しい」
これもグループライドの楽しみだ。

多くの元気と活力をもらったツールド東北2022。
来年も是非参加したいと強く思った。
また、来年来ると心に誓って石巻を後にした。

saitani


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制限の必要性

2022年09月14日 15時48分59秒 | 仕事術
働き方改革が進み、会議への認識も大きく変化してきている。
会議のあり方は、参加者の意識と司会者の能力に大きく左右される。
司会が上手であれば、何が課題で今話し合うべきことは明確になる。
したがって、効率よく短時間で終了する。

こんなことをしている学校は少ないと思うが、何点かよくないことをあげてみる。

1 会議全体の時間を管理しない。
開始時刻になっても会議を始めなかったり、遅れてくる人を待ったりする。
時間通りに初めて、時間通りに終わるという強い意志がない。

2 発言者の内容を復唱する。
形式的なことにとらわれすぎて、前任者がやっていたことを意味も考えずに繰り返す。
そんなに教師の記憶力は劣っているのだろうか。

3 今話し合っている問題点が分からない。
話している内容は単なる報告なのか、討議する内容なのかを峻別していない。
報告なら検討の余地はない。
討議事項なら、その根拠の妥当性を検討する必要がある。
事前に検討事項かどうかの確認をする必要がある。

4 時間になったら途中でも終了する。
授業と同じでチャイムで始めて、チャイムで終わるのが大原則である。
ましてや様々な事情をかかえて働いている人も多い。
1分たりとも遅れることができない人もいる。

5 不必要な説明や解説をする。
他人の意見を要約するのは至難の業だ。
それをしようとする。
多くの場合は、余計に論点がずれて訳がわからなくなる。


saitani


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構造的板書の意味

2022年09月08日 16時03分39秒 | 授業論
板書に関する指導を受けるとよく「構造的板書」になるようにしなさいと言われる。
この構造的板書とは何か。
次のように言われる。

「構造的板書」とは ...
作品や文章から読みとった意味や概念、またそれらのつながり・関係を、子どもの発言を生かしながら俯瞰できるようにした板書のこと。
構造的板書では、 授業で読み取った事柄を相互に関係付けながら、板書上でわかりやすく示していきます。

網羅的ではないにしろ、必然的に相当量の板書時間を授業中にさくことになる。
この板書がどのくらい生かされるのだろうか。
実査に授業の中で使われるか。
部分的には使用するが、子どもの発言をカテゴライズすることは板書ではなく、ICTを活用する方が効率的だ。
もしくは、A3サイズくらいの簡易ホワイトボードに書かせた方が短時間で類型化できる。
黒板の内容を子どもたちはノートに写す。
このことにどれくらい意味があるのだろうか。
授業終了後、一人一人の子どもが写した板書内容をどれくらい活用しているだろうか。
もちろん自分の考えをまとめたり、整理したりする作戦基地的にはよく使用するし、効果もある。
しかし、写したノートを活用した場面をほとんど知らない。
そのために、多くの労力を子どもたちは使っているのだ。
どうしても必要だと言うなら、黒板を写真に撮って、保全しておけば授業中は討論や自分の考えを整理することに集中できる。

当たり前のように言われること。
1 板書は構造的にしなさい。
2 1時間の学習の流れが分かるようにしなさい。
3 一度書いた板書は決して消してはいけません。

このような指導は本当に正解なのだろうか。
明確な根拠があるのだろうか。
自分ははなはだ疑問に思う。

全部を否定するつもりはないが、板書の必要性も子どもたちに実態に即した明確な根拠が必要だ。
形式主義は排除されるべきだ。

「先生は一生けんめい板書をしているのだが、その間、子どもは何も考えていない。
 ぼんやりと板書の終わるのを待っているだけである。
 板書が全員にひびいていかないからである。(授業の展開)」齋藤喜博

saitani

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考え、議論する道徳

2022年09月07日 14時43分15秒 | 道徳科
「考え、議論する道徳」とは何か。

次のように定義される。

多様な他者と考え、議論する中で、多面的・多角的な見方へと発展し、道徳的諸価値の理解を自分自身との関わりで深めること。

短く言うと①多面的・多角的な見方②リアリティである。

これはこれまのどんな反省のもとに作られてきたのか。
それは次のような課題が現場にあるからだ。

1 道徳の時間が、各教科に比べて軽視されがち
2 読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導
3 発達の段階などを十分に踏まえず、児童生徒に望ましいと思われるわかりきったことを言わせたり書かせたりする授業

要するに、登場人物の心情理解のみの指導や主題やねらいの設定が不十分な単なる生活経験の話しあいではダメだということ。

saitani

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予見可能性と結果回避可能性

2022年09月06日 08時08分49秒 | 教育論
残念なことだが、保育園や学校での事故は年間何回か起きている。
軽度のものは、まだ改善の余地はあるが命に関わる事案も少ない。
けがもそうだが、命にかかわるものは取り返しのつかない事態になる。
どう考えてみても心が苦しくなる。

あとから考えてみれば、なんでその程度のことがわからなかったのか、なぜそこで安全を確認しなかったのかと考えてしまう。
自分も若かったときや一教諭の時代は、危機管理に関する意識は低かった。
「まあ、だいじょうぶだろう」「いままで何もなかったのだから、これからも安全だ」
そんなバイアスに支配されていた。
今考えてみると恐ろしいことだ。

遠足や社会科見学の校外引率時の指導。
体育や理科、家庭科と言ったけがや事故に直結する授業。
とくに体育のプール指導に関しては、現在のシステムで事故が起きないのは運がいいだけと危惧する部分が多々ある。

学校には安全配慮義務というものが課せられている。
当然、直接指導にあっている教員は肝に銘じなければならない。
この安全配慮義務を果たしているかどうかは、「予見可能性」と「結果回避可能性」という2つの基準で判断される。
予見可能性とは、「事故が起きることをあらかじめ予見できたかどうか」ということ。
「結果回避可能性」とは、「事故が起きることを予見できた場合に、その事故の発生を回避できたかどうか」ということを意味する。

たとえば、学校側に「予見可能性」もしくは「結果回避可能性」がなかったと認められる場合には、安全配慮義務違反は問われない。
しかし、「予見可能性」および「結果回避可能性」があったにもかかわらず、学校側が果たすべき義務を怠ったと認められる場合には安全配慮義務違反を問われる。

教員は、常に、学校施設や設備に不備がないか。
危険な行為をしている児童にどのような対応を日頃からしているか。
危険が予想される行為に対して、どのような説明や対応を行ったか。
ヒューマンエラーが起きることを前提に、幾重にもセーフティーネットがはられているか。
正常化バイアスに支配されていないか。
プロアクティブの原則を意識しているか。

この危機管理にかんする認識は、学校管理者である管理職の役割だけでなく、教諭一人一人が心に深く刻んで日々子どもたちの指導に当たるべきである。
取り返しのつかない事態を生じる前に。

saitani



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技術と技能

2022年09月05日 10時45分57秒 | 授業論
技術と技能。
教育の世界はもちろんのこと、上達論が重要なスポーツ、料理、仕事の分野ではよく使われる言葉だ。
しかし、これを明確に区別して使っている人は少ない。
ほとんどは明確に定義づけもできていないし、使い方も混同している。
 
見て、読んで学べるのは技術である。
車の運転の仕方を教本だけを読んでできるようになるか。
否である。
技術を理解した上で、何時間にも及び実地教習を通して、運転技術を使いこなす技能を学ぶのである。
実地教習は必須だ。
技能は現場で経験を積むことによってのみ身につけられる。
経験は意図的、計画的に積む必要がある。
ただ経験を積んでも成長はありえない。
ベテランのクラスが崩壊し、稚拙な授業しかできないことはよくあることだ。
経験だけで能力をはかれるのは、航空機のパイロットの航続時間くらいなものだ。

では、現場で意味のある経験を積むには条件がある。

第一に、高い志をもつこと。
優れた教育哲学に触れ、教えを請うこと。
ライブで。
第二に、目指す目標とのギャップを理解すること。
努力しても努力の方向性を違えてはいけない。
労多くして、実りが少ないということは今の世の中できるだけ避けたい。
自分のどこがどのように不十分なのか、また、間違っているのか、それを明確に意識することが大事。
第三に、その課題を克服する努力をすること。
このあたりは、苦労が多いいが、質量転化の法則もある。
ある程度の期間と量を経なければ結果はでない。
さしあたって三年は必要だろう。

技能は、技術を使いこなす力と多くの技術の中から、最適な方法を峻別する能力もさす。
効果のある薬をもっていても、病名にあわない薬を使っても意味がないのと同じだ。

技能の習得は孤独な作業である。
この孤独な作業に没頭し、力ある先生に教えをこう。
その中からしか、進歩はありえない。
しかし、この技能は習得には時間がかかるが、失うのはあっという間だ。
行ってみれば下りのエスカレーターを上っているような状態。
常に上を目指して、歩みを続けなければいけないが、一旦歩みをとめれば、たちまち元にもどる。

saitani


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不規則発言への対応

2022年09月03日 15時40分20秒 | 授業論
子どもたちの発言は通常、挙手してから指名され、発言をする。
この挙手と指名をうけないままに、思いつくままに発言することを不規則発言という。
タイミングの主体は、自分にあると勘違いしている。
指名の権限は、教師にある。

もちろん授業全体の中では、短時間に子どもたちの動向をつかむために「自由に発言してごらん」という場面は存在する。
また、つぶやきを拾うということも教師はよくする。
つぶやきの中から、次の展開につながるようなことを拾って、考えを深めていくのである。
ただし、これは気をつける必要がある。
つぶやきも不規則発言の一部だと認識する子どももいる。
指導の一貫性を欠く現象として捉えるのである。
つぶやきを拾うときにも、「もう一度立って発表して」と促すことも必要だろう。
難しいことだが、不規則発言を消す方法は、やはりリズムとテンポのある授業展開をすること。
そこには、授業の初めの挨拶や後れてきた子を待つような行為は絶対に不可である。
教室の中でチャイムが鳴ったら、数秒、つかみの15秒で圧倒的に子どもたちを引き込む展開が不可欠。
活動から入ることも有効である。
具体物を用意したり、電子黒板に注目させるような発問をする。間髪を入れずに、明確な指示をだす。
小さなステップで、分かる、できるを連続させる。
黒板に目当てを書いたり、振り返りをしたりする展開からは、このリズムは生まれない。
長い説明。
曖昧な指示。
心ときめかない授業展開。
分からない、できない授業。
このような授業から不規則発言は生まれる。

saitani


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