飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

算数科における三つの学習

2005年09月28日 20時48分42秒 | 算数科
様々な授業展開がある。
例えば、討論を中心として練り合いの中で一般化を図ったり、まとめを行ったりする展開。
どんなに討論が盛り上がっても、単元テストを行うと平均点が9割にみたない。
これは反対に、子どもたちの活発な意見交流はないものの、きちんと教師主導で原理を全員にりかいさせることのできる授業。
しかも、テストは平均が9割を超える。
この原因はどこにあるのだろう。
ひとつ考えられることは、分かることと出来ることとは違うと言うことである。

分かる原理理解とできる形式理解とをきちんとつないであげる授業展開が一番望ましいのではないか。
その点で、バランス感覚は必要なのだと考える。

ではどのような学習形態を考えたらよいのだろう。
考えられるのは次の三つである。

①つくる算数
三角形の面積の求め方などを討論によって発見的につかませていく学習。
原理や概念などを深く理解させるときの学習
②きたえる算数
算数科の技能習熟や定着をはかるための学習・ドリル的な学習
③生かす算数
学習したことを生活場面に生かし、算数が生活に生きていることを味わわせる学習。
ないしは学習したことを発展させていく学習。

しかし、学校教育の現状においては③生かす学習までをきちんと扱うことは難しい。
基礎基本を定着させ、数学的な思考力を育てるだけでも困難な状況の中では時数確保の点でも単元計画の中で十分に扱うことはできない。

SCENE105(saitani)

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多角形の内角の和

2005年09月23日 21時51分58秒 | 算数科
5年生の算数の授業である。
三角形の内角の和は180度であることを様々な方法で理解する。
まず、一番の基本は三角形の三つの内角を分度器で測り、足す方法。
これは一番簡単なのだが、微妙に数値がずれる。
次は、三角形の三つの角を切り取り、一つにして180度であることを確かめる方法。
三つ目は、切り取った三角形を折り返し、三つの角を一カ所に集める方法。
折り方にちょっと工夫が必要。

基本的な方法同じだが、次に四角形の内角の和が360度あることを検証する。
このとき実測したり、集めたりする以外に、既習事項の三角形の内角の和が180度あることをつかい、補助線をひいて三角形二つ分であることを確認する。

応用として5角形、6角形などの内角も何度になるのかを調べる。
教科書には、補助線をひき、三角形何個分になるかを調べて内角の和を出す方法が紹介されているが、この補助線の弾き方が子どもによって実に様々で、驚かされた。
三角形や四角形などの内角をつかい多様に考えていた。
時数も限られているので、
「もうこのへんでいいよね。」
というと、
「とことん全部の考えをだすと言いましたよね。」
と実に積極的な発言、子どもたちの意欲には感心した。

SCENE104(saitani)

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守愚

2005年09月21日 23時09分00秒 | 授業論
どの子も才能をもち、将来伸びる可能性を秘めている。
教師なら誰しもそう考えるだろう。(と私は思っている。)
しかし、なかなか結果を出せずにいる子が多い。
その理由は何かと考えてみる。

一つめに考えられるのは、方法が間違っていると言うこと。
これは多くは指導者である教師の責任だろう。
二つめは、努力の方向性を間違えていること。
その子のよい点や直すべき点を正確に把握することなしに、時間を費やす。
それでは、進歩はない。
三つめは、学習への取り組み方が間違っているということ。
目標達成と現在には時間的は隔たりがある。
その限られた時間の中でどのような努力をするかによって、結果も変わってくる。
もちろん能率よく、短時間で行うことも必要だろう。
しかし、今は一見無駄や愚かだと思えても目標達成という長期的な視野で考えると必要なこともたくさんある。
だから、愚かだと言われてもその一日一日に全力を尽くすことこそ正しい道なのである。

維新三傑の一人の木戸孝允(たかよし)の作った漢詩に次のようなものがある。
少年時代の小五郎は、ボーっとしていて、無口で目立たない子どもだったようある。
しかし、この平凡な少年は、ある人物との出会いによって、人生が180度変わる。
その人物とは吉田松陰である。

「七言絶句」
偶成 木戸孝允

才子恃才愚守愚
少年才子不如愚
請看他日業成後
才子不才愚不愚

【訳文】
 才気のあるものは己の才気を頼りにして、着実な努力をしようとしないが、
 愚かで鈍いものは、自分の愚かを知り懸命に努力する。
 少年時代の利口者は、愚かで鈍い者に及ばないことがある。
 その証拠に、後日の成功の後を見るがよい。
 少年時代の才子はもはや才子でなく、その当時の愚かで鈍い者が、
 もはや愚かでなくなっていることを。


「己の愚かを知る」ということは、進歩するための条件であり、重要なことである。
しかし、そのことに気づくことはそう簡単なことではない。
その意味で、「愚かを知る」ことは、子どもたちだけでなく、教師自身も重要ことだと思う。
自分の愚かを知り懸命に努力する、これが本当の「愚直」の意味だと考える。

SCENE103(saitani)

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客観的に見ると言うこと

2005年09月20日 22時17分18秒 | 授業論
指導しているミニバスでビデオを子どもたちと見て、反省することがある。
とくに負けた試合は学ぶべきことが多い。
そして、この反省会をしていて気がつくことだが、以前は
「ああ、シュートおとしちゃった。」
「ディフェンスがだめだ。」
としか言わなかった子どもたちが、
「あのプレーの前にの自分のポジションが悪い。」
「空いているスペースに走り込んでいないからボールがもらえない。」
というように何がよくて何が悪いかをきちんと理解できるようになった。
もちろん理解することと、できることとは別問題だが、まず理解することが第一歩である。

客観的に自分のプレーを見ることができるようになってきた。
その相手にやられるプレーの前にはいくつかのミスが重なっていることも理解する。
それと同時に一つにミスが起こっても、だれかがきちんとヘルプすれば防げるプレーもあることを理解する。

プレーが上達すると言うことは、客観的にものを見られるかどうかと言うことでもある。

「彼を知りて己を知れば、百戦して殆うからず。
 彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。
 彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし。」孫子

SCENE102(saitani)

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運動会を終えて

2005年09月18日 00時47分23秒 | 学級経営
晴天に恵まれて運動会は終了した。
雲一つない快晴のもと、運動会が実施できたことは幸せな事だと思う。
さらに、今年は夏休み以降、雨もふらずほとんど練習も計画通りにできた。
そのこともよかった。

運動会を終えて、それぞれのクラスにドラマがあり、感動があったことと思う。
前回の運動会の本質に加えて、運動会への取り組みを明日の学級経営に生かす方法を考えてみようと思う。

練習に十分取り組むことができた学級には、何の力があり、取り組むことのできなかった学級は何が不足していたのだろう。
様々な要因があり、一概には言えないことはわかっているが、今回は狭く限定して考えてみる。

その一つとして、「今を大切にする」という習慣が欠けていたことが要因ではないかと思う。
ごく当たり前のことだが、時間には今と過去と未来がある。
この三つのうち、一番大切な視点はどれだろう。
それは、その人の思考パターンを決める要因でもある。
過去ばかりを振り返り後悔したり、昔の栄光におぼれたりする人がいる。
逆に、未来ばかりをみて、マイナス思考による不安と想像の中で生きようとする人もいる。
しかし、
一番大切なのは「今」ではないだろうか。
今を大切にしなかったから、計画や約束が実行できなかったのではないだろうか。
練習をしようと決めたのなら、明日の朝ではなく、今できることを5分でも10分でもするのである。
その小さな積み重ねが未来へとつながるのである。
今をみつめるという考え方は、きわめてプラスの感情への変わりやすい。
なぜなら、今は自分の努力で変えることができる時間だからである。
練習できなかったという過去は変えられないし、練習しようという未来もまだ不確定なできごとである。
変えられるのは今だけなのである。

これからの学級の中で、今すべき事をするという意識をもつことが大事である。
どんな瞬間にも誰にもやるべき事は存在する。

「今を大事にする」という態度でこれからの生活を送っていけば、学級は大きく成長し、別れの時には4月とは違うみんながそこには座っているはずだ。
そんなことを子どもたちに話す。

SCENE100(saitani)

※4月16日から書き始めたこのblogもようやく100号になった。
 この100という数字は、当面の目標でもあった。
 ここでこのblogも一区切りつけたいと思う。



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聞く力

2005年09月17日 00時03分40秒 | 授業論
ステップ1「聞き方の基本」
○話し手に体を向ける
○話し手の目を見る
○うなずきながら聞く
○最後まで聞き取る
○わかるまで聞く

ステップ2
似ている点・違う点を聞き取る
○どこが同じか
○どこが違うのか
○違うと考える理由は?

ステップ3
考えの根拠を聞き取る
○考えの理由に目をつける

ステップ4
「わかろう」として聞く
○考えの「良さ」を 聞き取る
○聞いた後で考えた意見をもつ
○自分の考えとつなげてみる

SCENE100(saitani)

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運動会の本質

2005年09月16日 21時56分36秒 | 授業論
9月の下旬は、多くの学校で運動会を実施する時期である。
自分が子どもの頃は、もう少し遅い10月頃だったような記憶がある。
練習も炎天下で行ったという記憶よりも、秋風が吹き、アキアカネが飛ぶ中で練習した。

いよいよ多くの学校が明日、運動会を迎えることと思う。
短期間ではあるが、どのクラスも全力で練習に取り組んできたことだろう。
4月からこの運動会に向けてどのように子どもたちの心を耕し、鍛えていくか、そんなことを考えて学級経営を行ってきた方もいるだろう。
学級経営は布石の連続であり、それが完結する場面は1年後、いやもっと先になるかもしれない。
そう考えてみると、この運動会はこれまでの教師の学級経営の浸透が子どもたちの行動に反映される中間地点とも言える。

朝の練習、休み時間の練習。
どこの学校でも見られる風景である。
しかし、運動会だけを頑張っても意味はない。
「自主的に子どもたちが練習しない。」
という教師がいる。
それは当然である。
それまで自主性を育ててこなかったのだから。
子どもたちの行動はすべて教師の指導の反映である。

これまでの自分の方針がどのように子どもたちに浸透し、200日の子どもたちとの時間の中でこの運動会がどのような意味をもち、さらには別れの日にどんな形でつながっていくのかを考える必要がある。
明確なビジョンをもたない指導者の集団は、当然子どもたちも明確な目的意識をもたない。
当たり前のことである。
子どもたちに汗を流して努力することを期待するのなら、教師自らが汗を流し、努力しなければならない。
教育の基本は複雑にみえて、簡潔である。

運動会はひとつの山ではあるが、それは長い学級経営のひとこまでもある。
そう考えると、勝ち負けは大事なことではあるが、大きな本質ではない。
大事なことは学級が変わる、子どもたちが変わるということである。
成長すると言うことは、何かが変わるということ。

運動会を終えた後、どんなふうに学級が変わっているかである。
もし、何も変わらなければ残念ではあるが意味がなかったということになる。
そして、それは子どものせいではなく、教師の指導力になさが原因である。

意味のない勝ちもあり、意味のある負けもあると言うこと。
教師は指導者は、あらゆる場面を想定して先を予測する必要がある。
クラスが勝ったとき、負けたとき両方の場面を考え、子どもたちに運動会の意義をどう語るかを考えておくことも大事である。
ありきたりの言葉ではなく。
それまでの子どもたちの事実をふまえて。

スラムダンクの中に象徴的なシーンがある。
念願のインターハイに出場した湘北高校が強豪で名門の山王工業と対戦し、大接戦を演じる。
ゲーム中にゴリこと赤木キャプテンが思わず「このチームは最高だ!」と涙する。
この涙の意味は何なのか。

私は担任をはずれて二度目の運動会を迎えた。
担任をはずれると多くのクラスの様子が見えてくる。

私が担任だった頃、運動会を終えたあと、いつも子どもたちに感想を聞いた。
子どもたちは勝っても、負けても「私たちの学級は一番いいクラスだ!」と言ってくれた。
どのクラスよりも早く練習を始め、練習量も一番多いという自信もあった。

だから、運動会を終えた後、勝っても負けても涙を流し、「自分たちの学級は最高だ!」と言えることが本来の目的だと思う。

SCENE99(saitani)

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努力の成果

2005年09月10日 23時56分49秒 | 授業論
努力のイメージは人それぞれ違う。
日々の努力。
血のにじむような努力。
努力を積み重ねる。
それも暗く、困難さをイメージする。
しかし、努力が楽しいと感じることがある
それは、人間には本来未知のことを知ろうとする好奇心があるからだ。
また、自分の能力を伸ばし、出来ないことができるようになる。
このことにも喜びを感じるからだ。

つらい努力をしている人間が、「いつこの苦痛から逃れられるのか」と聞いた。
それに対してこんなふうに答えたという。

ハードルを飛び越えたらもっと高いハードルが存在するだけで、生きている限り楽はできません。
ハードルを飛び越えること自体を喜びとするか、すべてのハードルを避けて生きるかのどちらかです。
今の学習がつらいのなら、やり方を間違えているか、学習に向いていないかのどちらかです。
やり方を間違えているのなら改めればいいし、向いていないのなら別の道を探せばいいのです。

努力はなんのためにするのか。
その答えは難しい。
しかし、これは言える。
成長するためには努力が必要で、努力するとき失敗と挫折はさけられないということ。

勝ち続けることは難しい。
勝者がいれば敗者がいる。
しかも最後まで勝者でいられるのはたった1チームだけである。
そのほかの何十、何百というチームは負けを経験するのである。

だから指導者は、負けをどのように受け止め、どのように未来につなげていくかを明確に示す必要がある。

SCENE98(saitani)



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自力解決のために

2005年09月01日 19時36分24秒 | 授業論
問題解決における自力解決の段階で教師は既習内容を活用して問題の答えを導き出すことを期待している。
しかし、その教師の期待は裏切られることが多い。
その理由を考えてみる。

例えば分数の足し算の場面。
4/7+2/7の計算。
これは、4/7は1/7が4個、2/7は1/7が2個、あわせて1/7が6個。
このように単位分数を基本にして考える。
このあと練習問題をやり、分母はそのまま、分子同士をたせばよいことを理解する。
アルゴリズムそのものとしては、上記のような手順でよいが、「どうして分子同士をたせばよいか」を十分に理解させることは難しい。
ここでのポイントは1/7を単位にすれば既習の整数のたし算と同じように4+2で求められるという考え方である。
さらに既習のどんな考えに結びついているかを考える。

20×3の場合。
20は10が2個、20×3は10が(2×3)個で60と考えられる。
ここで前に出てきた考えと結びつける。
「20は10が2個」という考えは「4/7は1/7が4個」と同じ考えなんだと。

子どもたちに自力解決をさせるためには、「単位の考え」という各学年を貫く系統が必要である。
この系統を身に付けて初めて学習内容を理解し、自力解決が出来るようになる。

SCENE97(saitani)



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基本的な学習習慣を育てる2

2005年09月01日 05時43分27秒 | 授業論
1 話し方の基本
○手の上げ方は、手を耳の後ろに・指をそろえて・素早い反応。
○指されたら返事をする。 
○聞き手の方に体を向ける。
○張った声でゆっくり話す。 
○話し終えてからすわる。

2 発表
○思いつきを発表しよう。 
○わからないことも発表。 
○同じ意見でも自分の言葉で発表する。
○少しの違いも大切にする。

3 語りかけ
○…でしょ 
○…だよね 
○…どう思いますか

4わかりやすく
○つなぎ言葉で順序よく。
○友達につなげる。
○ミニホワイトボードを使って。
○例をあげて(例えば…)。

SCENE96(saitani) 

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