飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

「よい教師」とは?

2006年08月30日 22時55分27秒 | 教師論
自分自身に問う。
自分はよい教師か。
そうだと思うなら、どれくらいよい教師なのか。
その区別は教育に対する意識によって変わってくる。

バスケットボールに例えてみる。
もし、一日の多くの時間をコートの中で過ごし、バスケットに熱中しているとすれば間違いなくその選手はプレイヤーだ。
しかし、本物のバスケットの世界では、「バスケットを好きな人」と「バスケットプレイヤー」は明確に区別される。
バスケットが好きなことはプレイヤーとして当たり前のことだ。
教師が「なぜ教師になったのか?」と問われたときに「子どもが好きだから。」と答える場面をみると私は違和感を覚える。
そんなことは口に出すほどのことではないし、当たり前の事だからだ。

子どもが好きだからという理由だけならば、真剣に教育をしようとしている人間も趣味で子どもたちとかかわりをもっている人間も同じである。
しかし、バスケットプレイヤーがほとんどの時間をコート上で過ごしているごとく、教師ならば多くの時間を教育に費やすべきだと考える。
とても機械的な基準かもしれないがこれも真実なのである。

いつもプロ教師として自分を意識し、つねに自分自身に問いかける。
そのことにより自己の意識は高まり、行動へとつながっていく。

(saitani)

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夏の終わりに

2006年08月29日 23時54分52秒 | 授業論
振り返ってみるとこのブログも今回で205号となり、やっと200号を突破した。
昨年の4月から書き始めて約1年と半年で200号。
アウトプットがなければインプットもないと思い、その時々疑問に思ったことや課題として追求していたこと、感動したことなどを書きつづってきた。
ある人に言わせるとインプットがなくても100号あたりまではいけるという。
そう以前学級通信を書いていた頃も30号までは一気に書こうと心に決めてとにかく記録を残した。
そして次の目標が100号だった。

やがて学級通信は300号をこえるようになった。
書いていることは本当に意味のない駄文ばかりで恥ずかしかったが、これもありのままの自分の考え、ありのままの学級の姿と思い書いた。
学級での日々は毎日が感動的だった。
一日として退屈な日はなかった。
子どもたちと真剣に授業に取り組み、頭をみがき心をみがいた。
自分の成長なくして子どもたちの成長はないと心に刻み、本を読み、研究会に出かけ、研究授業をした。
それでも満足できる授業は一度もなかった。

批判をされたときもあったがそれでも前へと進んだ。

こんな話がある。
「ハチドリのひとしずく」という短いお話し。

アマゾンの森が燃えていました。
森に住む動物たちは、われ先にと逃げていきました。

けれども、クリキンディという名のハチドリだけは、いったりきたり。
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは、
火の上に落としていきます。

それを見た大きな動物たちは、
「そんなことをしていったい何になる」
とクリキンディを笑います。
クリキンディはこう答えました。

「私は、私にできることをしているだけ」

自分も遅々たる歩みであってもベストを尽くすことは忘れずにいたいと思った。
それがこれまで何度も経験した子どもたちとの別れのときにした約束だからだ。

夏は終わり、9月。
明日から学校に子どもたちが戻ってくる。
今日、教室へ行き、窓を一杯にあけて外の空気を入れた。
カーテンをゆらし、教室を通り過ぎていく風は秋のにおいがした。
旧い掲示物をはがし、黒板を水拭きした。
最後に子どもたちの机をひとつひとつ丁寧に水拭きをした。

また、子どもたちのとの授業が始まる。
今年の夏は本当に短かった。
しかし、充実した夏だった。
久しぶりに訪れた八ヶ岳は雲一つない快晴だった。
明野のひまわり畑のむこうには南アルプスがきれに見えた。

講座にも出かけ、本も読み、研究もまとめた。
多くの学びもあった。
これからも教師修行を積み重ねていく。

(saitani)





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自己改善をはかる

2006年08月27日 23時44分21秒 | 授業論
本物のバスケットプレイヤーになるためにいつも心に留めておくこと。

1 自分はバスケットができて幸せだと思っているか。
2 もっと上手な選手になりたいと思っているか。
3 チームにライバルはいるか。
4 チームでナンバー1の選手になりたいと思っているか。
5 その地区で、そのポジションに関しては自分はナンバー1だと思っているか。
6 自分のチームは、一番強いか。
7 自分のバスケットプレイヤーとしての目標は何か。
8 何歳までプレーしたいか。

よりよいプレイヤーなりたければ、ここに示されている意識を忘れてはいけない。
そして、立場を教師置き換えたとき、教師として大事なこともまた同じであると思う。

(saitani)

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読書の意味

2006年08月17日 23時52分26秒 | 国語科
とにかく時間があると本屋に入る。
買い物で時間があると本屋へ。
待ち合わせで15分あれば本屋へ。
本屋にいって手ぶらででてくることはまずないので経済的な負担は大きい。
しかし、これも成長への前払いみたいなものと割り切ってあまり気にしない。

こんな言葉がある。
成功するための最善の投資の一つは、本を読んで心を豊かにすることである。

以前からよくみるコーナーはビジネス書のコーナーである。
そこには自分を前向きにさせてくれる自己啓発や伝記、スキル本が多くある。
成功の法則的な本もたくさん出ている。
成功者の主張はほとんが同じあることに気付く。
ということはこれは真実に近いとも言える。

文章表現も前向きである。
ポジティブに思考することの大切さを訴えている。
ネガティブな思考の人に囲まれていたり、悲観的な考えをもった人と話したりしていると自分まで強く影響を受ける。
だから、仲間は重要なのである。

心を前向きにするためにも読書は意味がある。

(saitani)

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行動することの大切さ

2006年08月15日 00時23分50秒 | 授業論
行動することの大切さをどう子どもたちに伝えるか。
どんなに素晴らしい考えをもっていても、口に出し、相手に伝えなければ意味はない。
行動することにより、環境が変わり、生き方が変わる。

こんな言葉がある。

行動が必ずしも幸福をもたらすとは限らないが、
行動のないところに幸福はない。

ベンジャミン・ディズレーリ 19世紀英国の名宰相

(saitani)

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プロの言葉

2006年08月14日 23時49分12秒 | 教師論
夏休みに入り、積んでおくだけの本にも目を通すようにしている。
授業が再開されれば、また日々の実践の準備に時間を使うようになる。
本を読むと言っても私の場合、買った本を1ページ1ページ読むようなことはほとんどない。
買った本をすべて読むなんて時間はどう考えても生み出すことは不可能である。

では、どうするかというと斜めに読むと言う感じで読み進めていく。
こちらが必要としている情報は、活字の方から自分の目に飛び込んでくる。
その部分だけはじっくりと読む。
本というものは課題意識をもって読まなければ、内容は頭の中に入ってこない。
また、「この本で役にたったのは数ページだけ」と不満を言う人がいるが、本に対する認識がどうも違っているように思う。
本を買って、その1ページでも自分にとって有益な情報があれがそれで十分である。
もう少し極論すれば、ほんの1行でも役に立てばそれでいいと私は思っている。

冒頭の10ページほどを読んでつまらない本はたとえ高い本でも読まない。
経験から言うと、何年か先にまた読む機会もある。(必要に迫られて)

今日読んだ本の言葉。

何かの問題や課題に直面したとき、人間がとる行動は「何とか解決できる」と考えて頑張るか、「これは解決できないな」とあきらめてしまうかの二つしかない。
そして、そのどちらを選ぶかで、仕事ができる人か、出来ない人かは決まるんです。

努力は逆風になって初めて実を結ぶのであり、自分というものも活きるのである。

大人になっても「私はこう思う」というだけで、その根拠を相手にきちんと説明できない人がほとんどです。

(saitani)

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板書の仕方

2006年08月14日 02時45分24秒 | 授業論
授業を行うとき一番使用される教具はなんと言っても黒板とチョークだろう。
黒板とチョークがあって、子どもたちがいれば授業はできる。
ただし、よりよい授業を行うとなるとまた違う要素も必要になってくるが。

この板書、最近あまりうるさく言われなくなったような気がする。
教育には不易と流行があるが、発問研究や板書仕方などはいつの時代も授業の基本中の基本であることは間違いない。

では、板書において気をつけることは何か。
大きく分けて四つ。
1 授業の前には、板書計画を確定しておくこと。
  どの時点でどのようなことをどの場所に書くのか。また、チョークの色は何なのか。
2 主発問や活動のねらい等はきちんと板書すること。
3 子どもたちがノートをとることによって学習の手助けとなる内容を板書すること。後でみても役に立たないような内容なら討論に集中させた方がよい。
4 子どもたちが討論の場面などで活用する方法も視野に入れること。
  このことにより情報の確認、共有、焦点化が図れるように。

あと板書について思いつくことを書く。

・1,2年生については既習漢字中心に板書するが、3年生以上ならば未習の漢字であっても熟語やことわざ等で必要なときにはふりがなをつけて積極的に使用すべきと考える。
・行頭が句や文節の途中にならないようにする。行末は特にそろえる必要なない。
・窓側の板書には光の反射を考慮する。
・できれば1時間で1板書にする。
・ナンバリングやラベリングを手法を積極的に使い、箇条書きになるべくして簡略化する。
・重要語句や重要フレーズには色チョークを使う。
・漢字の間違いやすい部分は色チョークで。
・色だけでなく、文字の大小でも変化をつける。
・画数が多い漢字や間違えやすい漢字は大きめに書いて強調する。
・黒板に子どもたちが板書するときは縦書きで、行頭に印をつけて列がそろうようにする。


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読みやすい文章1

2006年08月13日 00時00分01秒 | 国語科
職業柄、文章を書いたり、他の人が書いた文章を読むことが多い。
しかし、いつまでたっても文章表現は上達しないし、進歩もみられないのが現実である。
すらすら読みやすい文章とはどうしたら書けるのだろう。
書店に行っても、「文章の書き方」をテーマにしたノウハウ本は数限りなくある。
どれも同じようなことが書かれているが、なかなか上達法はみえてこない。

本を読んでいて、読みにくいなあと感じる文章にも二種類ある。
一つは、難解な語句や専門用語が並んでいて理解できないもの。
もう一つは、内容は簡単なのだが、書き方が悪いため理解できないもの。
日々目にする文章の中では、後者が圧倒的に多い。

読みやすい文章には共通点があるという。
その共通点は大きく分けて八つ。

その1。
一文が短い文章。
日記や自分自身のメモのような文章は「短い文」を意識しなくてもいいのかもしれない。
しかし、読み手も意識した文章、とくに論文や研究レポートは「とにかく短く、短く」と心がけるべきだ。
目標とする字数は一文平均50字以内。

その2。
逆茂木型の文がない文章。
中心となるパラグラフに余計な修飾語が複数ついてきて、幹となる言葉がどれかわからない。
これはひとつの要因として日本語が修飾語や修飾句を名詞の前に置くと規則性をもっていることが考えられる。
意味不明な文をさけるには主題となる文を先ず先に述べることと、先に述べた一文一義のルールを意識することで改善されていく。

その3。
根拠を先行させる文章形態と結論を先行させる文章形態では、後者を優先している文章。
これは論理の進め方の帰納法と演繹法にも通じる問題である。
文章の書くときのみならず、討論などの話し合いでもまず自分も立場や主張を明確にした上で、理由や根拠を示す方が効率よく内容は展開していく。

続く。

(saitani)




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湖面の風

2006年08月10日 00時35分05秒 | 授業論
夏、真っ盛りである。
学校は夏休みに入っているが、これまで休日はまったくなかった。
平日は勤務、出張。
休日はミニバスの練習、試合、合宿と毎週続いていた。
これはこれで充実した日々だったのでとくに疲れは感じなかった。

ようやく一日だけ休みがとれた。
夏休みに入って初めての休日である。
あまり遠出もできないのでいつもの場所へドライブ。
目的地は山中湖。
昼食は、もう少し足を伸ばして富士吉田へ。
この富士吉田はうどんが名物である。
もともとは古く江戸時代から富士登山を行う人々を相手に多くのうどん屋さんがあったという。
今でも、法事の席などには必ずうどんがでるらしい。
この吉田うどんがとてもおいしい。

私がこの吉田うどんの存在を知ったのは10年ほど前である。
この吉田うどんはほとんどが普通の民家が昼食限定で営業を行っているため、のれんさえ出ていない店がほとんどだ。
したがって店自体を探すのも至難の技である。
おまけに営業時間が短くほとんどの店は午後2時には閉店である。

二軒行きつけの店をまわって満足した後、山中湖に向かう。
この夏の季節は多くの大学生が合宿にやってくる。
自分も大学生の時にバスケットボールの合宿にきたことがある。
いつもその体育館の前を通るとなつかしい思い出よみがえってくる。
練習が終わった後、JOY PATIOでアイスクリームを食べるのが楽しみだった。
店にはあの頃と同じように多くの練習着姿の若者たちが集っていた。

山中湖が一望できる峠へ向かう。
この場所も以前は訪れる人も少なかったのだが、ガイドブックに載るようになってから多くの人がカメラを片手にベストショットをねらう場所になった。
峠を下り、いつも立ち寄る喫茶店へ。
この店はご夫婦で経営しているこぢんまりとした店である。
幹線道路に面していないので、落ち着いた雰囲気が漂う。

湖畔にもどり、周回道路を走る。
秋にはマウンテンバイクを車に積んで、湖畔をサイクリングする。
一部自動車と共用の道もあるが比較的整備されている。
若いころは何度かウインドサーフィンをしたこともある。
あの頃は、ウインドが流行していたので多くのウインドサーファーがみられたが今は数は非常に少ない。
しかし、湖面を渡る風はあの頃と変わらない。

日も暮れかけた夕方、家路を急ぐ。
夕日がちょうど富士山の向こうに沈むのが山中湖の美しい姿でもある。

(saitani)

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ネガティブな考え方

2006年08月08日 23時58分21秒 | 授業論
明るく、笑顔にあふれ、ユーモアのある教師は間違いなく子どもたちに好かれる。
それとは逆に、子どもたちをマイナス思考でとらえる教師もいる。
ある雑誌を読んでいたらその特徴が書かれていた。
そんな先生には同じ傾向があるらしい。

・我が強い。
・指導法に我流が多い。
・教育研究会への参加、貢献がほとんどない。
・行き詰まると海外旅行、温泉に行く。(気分を変えても状況はよくならない)
・品がない言葉遣いをする。
・本人としては少し自信があると見えて、立場の弱い先生を馬鹿にする。
・セミナー等自己啓発にお金をかけない。
・余暇は娯楽中心で読書量も少ない。

自分自身も反省しないと。

少し前にテレビを見ていたら、あのカリスマ体育教師の原田隆史さんが出ていた。
現在は教師をやめ、原田総合教育研究所をつくり講演等で全国を飛び回っている。
そんな原田氏が「座右の銘は?」と聞かれたとき、「100はある。」とこたえた。
そんな中でもとくにあげたのが「仕事を仕事と思うな、人生と思え!」「一寸先は光」の二つだった。
なるほどその通りだと思った。
仕事を仕事だと思っているうちは不平不満がでたり、努力することに疲れたりする。
しかし、人生そのものだと考えればごく自然なこととなる。
また、一寸先は光もきわめてポジティブな思考である。

やはり物事に対する姿勢とプロ意識が重要だとつくづく思う。

(saitani)

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