飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

同じようで異なる道

2008年05月04日 23時31分24秒 | 教育論
学校生活において友達は重要な存在だ。
よい友人は自分の人生を豊かに、そして輝くものにしてくれる。
友と語り合い、共通の目標に向かって努力する、そんな経験の中で人は成長し、生きる意味を見つけていく。

小学校生活における友達は、学校における楽しさの半分以上を占めるといってもいいだろう。
友達がいるから学校へ行く、という子も少なくない。
中学校へ行くとさらにその割合は大きくなる。
物事の判断基準は、親や教師がどう思うかよりも、友達がどう思うかが重要になってくる。
だから、この時期にどんな友達をもつかによってその子の生き方は大きく変わる。
自分を磨き、高めてくれる人間関係を築ければ一生の財産となるが、その反対で興味本位でものごとをしたりする友達に影響を受けるとちょっと難しくなる。

友達は大切だが、自分を自分で束縛するような友達関係は本当によいのだろうかと疑問に思うことがある。
やはり自分というものを確固たるものとして意識する必要がある。
同じ目標にむかっていたり、価値観を同じにしたりしていてもそれぞれが同じ道を歩くことはありえない。
それぞれが違う道を歩きながら寄り添っているにすぎない。
やがてはまたその道は離れ、違った人生を歩き出す。
それが人の生き方のような気がする。

あるコミックの中にこんな言葉がある。

一緒に歩いている時は、みんな同じ道を歩いているように感じます。

だけど、本当は違う。
みんなそれぞれ違う自分だけの道を歩いているんです。
その道は、始まりも違えば終わりも違う。
決して同じではない自分だけの道。

でも私は、その道を立ち止まることなく歩き続けてきたから、みんなに出会うことができました。

saitani