飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

本棚がアイディアを導く

2024年01月04日 14時02分26秒 | 仕事術
博報堂ケトル氏

アイディアは異分子と異分子の接点から生まれるもの。
おの飛距離は長いほど面白くなる。
だから、マルクスから天才バカボン、恋愛小説まで、関係のない本が混在している状態がいいんですよね。
本ってタイトルだけ見てもインスピレーションが湧くし、会議が行き詰まったときの雑談のきっけかにもなる。


1人が作った本棚って完璧だけれど、誰も欲しくない本棚でもあるんですね。
本屋をやっていて気づいたのは、ガウディ建築のように完成しない組み換えが、その面白さだということ。
同じ本でも置かれる場所で違う印象を受け取れるから、誰かが読んで勝手にぐちゃぐちゃになるのがいい。
なすがままの本棚が会話の発火点になる。



森田真生氏

興味の発端があると「反射的に見境なく」関連本を買い、目に留まる場所においておく。
そして、哲学史や数学史等、ある程度体系立てて歴史を俯瞰する項目は人物の生年順に並べる。
順番に並べ、目に留まるということが重要なのだ。
すると、自身の好きな違う分野の科学者が同時代に生きていたことに気づいたり、本棚(頭)の中で化学反応が起きる。


ここは収納ではなく、本当に考えるための場所なので、どこになんの本があるかというのはめちゃくちゃ大事です。
本を執筆する時は棚の本を並び替えながら作業をしているので、最終的に本棚が頭の中になる。
蔵書を考えながら並べ替えていくことが、そのまま頭の中を整理することに繋がっているのだ。
本の読み方の興味深い。
森田さんは「これがないと本が読めない」と研究室のあちこちに置いてある蛍光黄色のマーカーペンを見せながら、本の読み方について教えてくれた。
「線を引くのは言葉を身体に刷り込む作業。
 最初にざっと読む時に線を引いて、次はマーカー部分を中心に読み返しながら要点をパソコンに打ち込んでいく。
 その後、トークライブで人に伝える。
 線を引く、書く、覚えたことを分かち合うというサイクルでかなり一冊の内容が身体化されます」
と同時に「何かを完全に知ることはできない」とも指摘する。


「世の中にある本の冊数からしたら、ここにあるのは氷山の一角ですらない。
 でも、生き物ってみんなそうで、小さく限られた体で感じて動きながら推論する。
 するとその生き物なりの世界を浮かび上がらせていくしかない。
 だから神の視点に立った完璧な事実なんてものはどこにも存在しない。
 何かを知ると同時に未知が広がっていく、逆に、これしか読めていない、ということが今の自分の世界を作っていのだと思います。」
本を読むことは、小さく限られた自分の世界を少しずつ、しかし、確実に様々な方向へと広げていく行為なのだ。


saitani





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理想の本棚1

2024年01月03日 05時02分49秒 | 仕事術
美術家 横尾忠則氏

「置く場所がないからおいているだけでね、読むためにおいているわけじゃないんです」

「料金をはらって所有することっでその本のイメージを買ったのです。
 買うという行為を通さなければ、読書の入り口に到達したことにはならないのです。
 本を手にとって装幀を眺めたり、カバーを取り外したり、時には匂いを嗅いだり、重量を感じたり、目次とあとがきと巻末の広告くらいは読みます。
 そして本棚に立て、他の本との関係性を楽しんだり、その位置を変えてみたりしながらその本を肉体化することで本に愛情を傾けています」
             「言葉を忘れるより」

graf代表 服部滋樹氏

「本って2種類ありますよね。
 いざなわれる本と蓄える本。
 例えば小説は、文章から色や形、空間や人柄を想像する。
 そのことでイマジネーションが刺激され、頭の中からもっと広い外の成果へといざなわれていくもの。
 専門書であっても、その分野の魅力に触れたり、興味や関心、理解の入り口になったりする本は、いざわれる本と言えるんじゃないかな。
 一方で、写真集や作品集、その存在を自分の一部として持っていたいと思う本が、蓄える本。
 線引は個人的な感覚でしかないし、どちらも大事だけど、やっぱり蓄える本選ぶときのほうが、時間をかけて吟味しているかもしれません」

「基本的に、並びは出会った順です。
 本ってセンディピィティ的な、思いもよらない偶然で出会ったりするじゃないですか。
 その時の自分の現在地というか、心の状態や思考が重なって引き寄せている。
 そうやって出会った本を持ち帰ってすぐに、著者名や内容で整理するというのは、ちょっと違うと思うんですよね」


「本棚は、1人の人間の人格が、並んでいる本とともに、生きてきた時間とともに形成されたきた証しでもある。
 そうであるがゆえに、出会った順、思考を巡らせた順、という個人史としての時系列が軸になる。
 なぜこの本? と思うような瞬発的にほしかった本でも、その時代、その瞬間の僕を表しているから、簡単には除けない。」


「そもそも、僕が本を好きになったのは、祖父母や母の本棚を見て育ったからなんですよね。
 母の本棚に花森安吾の本が並んでいたから、暮らしやデザインへの眼差しに関心をもったんだと思うし、母の本棚から、母の思想を引き受けた感じがある。
 その全体感は、言葉以上、思い出以上に、自分の中に残っている気がします。」


「僕が今思っているのは、知識と知性の間にあるのは、体験なんじゃないか、と。
 体験が、デコボコの知識をシームレスにつなぎ、知性を形作る。
 ある本にかかれていたことを、身をもって体験した時に、関連性がないように思えていたもう一冊の本とつながり、より深くわかる。
 つまり本は、知性の拠り所となる”体験を促す装置”でもある。
 だから、デコボコでもいいから、どんどん本と出会うべきだし、隣り合わうデコボコの距離が一見、遠く感じるくらいの本同士のほうが、つながり甲斐があって面白い。
 そのつながりや広がりが、つまり人生のおもしろさなんじゃないかと思っているくらいです。」


  saitani


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SNS時代のコツ

2023年12月21日 09時02分39秒 | 仕事術
SNSの機能を利用したコミュニケーション全盛の時代。
SNSなしでは、成り立たなくなった現代、その中をうまく生きていく術も身につける必要がある。
SNSで連絡が来たら反応する方法は3つある。
一番多いのは、返信するということ。
通常であれはこれでいい。

しかし新しい道具は、便利な反面、使いこなせないと疲れたり、心を病んだりする。
残りの2つのSNSの機能は、スルーと削除。
この最も大事な機能を忘れている人が多い。
スルーと削除の機能を有効に活用しないととても疲れることになる。
あと、スルーしたり、削除したりすることに罪悪感を絶対にもたないこと。
これはSNS時代のコツである。


時間に遅れそうになると人は余裕がなくなる。
周りのへの配慮がなくなったり、人に何を譲ると言うことをしなくなったりする。
しかし、ここであえて先を人に譲る。
そうすると運は自分に向いてくる。
いいことをしてもほとんどの場合は感謝されない。
それでも運は自分にたまっている。


SNSで変なコメントをもらったりする。
また、変な連絡がきたりする。
そんなときには、即刻削除する。
自分を傷つけるようなコメントは反応せずスルーする。
優しい真面目ないい人ほどコメントを気にしてしまう。
だから、スルーする、削除することを後ろめたを感じる必要はまったくない。

saitani


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とにかく反応しない

2023年12月08日 05時10分04秒 | 仕事術
人間は感情の動物と言われている。
嬉しいことがあれば喜び、悲しいことがあれば悲しむ。
叱られれば落ち込み、叱責されたり理不尽ないいがかりをつけられたりすれば怒りが沸き起こってくる。
当たり前の感情だ。
しかし、この怒りという感情はやっかいなことを引き起こすことがある。
人間関係に軋轢を生んだり、自分への評価を下げてしまうことがある。
まして、社会人としては相手に対して悪い感情をもたれると何かとやりにくくなるのは必然である。
プライベートであれば、どうでもいい人となら喧嘩になっても、それ以降付き合いをやめてしまうという選択肢がある。
むしろ、その喧嘩をきっかけとして距離をおくことが得策とも言える。

どんなに人間的に優れていても、どんなに人間的な修行を積んだとしても怒りや不満といった感情は誰でも沸き起こってくる。
では、必ず沸き起こるこの怒りをどうすればいいのか。
有名な言葉にアンガーマネジメント言う考え方がある。
これは諸説あるが、怒りが生まれてから理性が働くまでに6秒かかるという考え方だ。

医学博士の柿木隆介氏は次のように述べている。

怒りなどのさまざまな感情をコントロールする機能や理性的な判断、論理的な思考やコミュニケーションといったことを行うのが、大脳新皮質のなかにある「前頭葉」と呼ばれる場所。前頭葉が本格的に働き始めるまでにかかる時間は3〜5秒程度考えられます。「イラッ」「ムカッ」としたときは、まずは6秒待ちましょう。」

つまり、怒っているときは、人間の頭が悪くなる瞬間であり、冷静になって思考力を回復する、つまり、頭をよくする時間に6秒必要となる。
昔から短気は損気と言われる所以はこのことだ。
何かを言いたくなったときほど、逆に口を閉じる。
とにかく反応しないということが大事。
何を言うかよりも、何を言わないかのほうがはるかに大事だし、難しい。

SAITANI


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事に対する三つの秘訣

2023年11月29日 09時02分47秒 | 仕事術
森信三氏は、仕事に対する三つの秘訣があると言っている。
一つ目は、「即今着手」思い切って、とにかく手をつける。
二つ目は、「一気呵成」一度着手した仕事は二等分線を越えるまでは一気呵成にやってのけること。
三つ目は、「拙速主義」仕上げはまず80点級のつもりで、全体期限を遅らせないこと。

そして、さらにこう語る。
人間はおっくうがる心を刻々に切り捨てねばならぬ。
そして年をとるほどそれが凄まじくなるねばなるまい。

年配者でも、はつらつとして元気がいい人たちは、みんなおっくるがる気持ちがないという。
自分の見習いたい心がけだ。

saitani

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電話対応

2023年11月11日 09時53分58秒 | 仕事術
職員室にいて以前から気になることがある。
自分も若い頃、先輩教師に注意されて、それ以来気にして実行していることだが。
それは、教師が電話での対応や面談のときに「うん。」と相づちをうつこと。
特に毎日学校にかかってくる電話対応が気になる。

様々な学校に勤務して、多くの先生方の電話対応を聞いてきて、半分以上の先生方は「うん。」と相づちをうっていた。
そうなると、自分の感性の方が常識外れなのかと考えてしますこともある。
学校外の生活の中で、一般的に社会人と言われる方々と当然ながら接する機会が多くある。
スーパーマーケットの店員、コンビニのレジ、大型商業施設の各店舗、レストラン、カフェ等。
そこで相手が、私の問いかけに対して「うん」と返事をすることはまずない。
となると、やはり、相手に「うん」と相づちをうつことは非常識なのだろう。

教師は様々な人に対応する。
教師と保護者、教師同士、教員と教育委員会、教員と出入りの業者等。
この関係は社会における大人の関係にあることは間違いない。
私は、教師がよく言われる、世間知らずとか、非常識だという意見には否定的だ。
むしろ、教師ほど様々な能力を必要とする職業はないし、これだけの高学歴集団も他にはないと思っている。
しかし、この「うん」だけは非常識だと感じてしまう。

ついやってしまいがちなNG対応がある。
①「もしもし」
家族や仲の良い知り合いに使う言葉。
電話にでたら「はい。〇〇学校です。」と言う。

②あいづちの「うんうん」
相手は友達ではない。
「はい」に直す。
親しみは大切だが、それは別なところでつくっていくべき。

③上から目線
「~してあげました。~にしましょう。」
「これはわかりますよね。」
など偉そうにされるとどんなに正しいことでも素直に受け入れられないもの。

④過度な下手
「大変申し訳ございません。私の不行き届きで~」
下手に出過ぎると過度な要求をされてしまうことにつながることもある。
謝罪すべき事は誠意をもって伝える。

⑤電話後にすぐに離席
留守電や不在着信を残したときは可能なら10~15分程度は待つ。
すぐに折り返したのに不在では、あまり良い気はしない。
離席する場合は、事務室や関係の教員に折り返し電話がある可能性を伝えておく。

⑥同僚に「先生」をつける
「先生」は敬称。
同僚に敬称は不要。
「佐藤は席を外しております。」
これは失礼ではない。
たとえ年上でも。

⑦あいまいな返答
「大丈夫だと思います」
など曖昧な返答に気をつける。
けがの連絡の時は特に注意が必要。
勝手に判断をしない。

⑧長い保留
1分を過ぎそうであればかけ直す。
長くなればなるほど相手はイライラし、電話代もかかる。

saitani



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3つの仕事の秘訣

2023年10月19日 11時28分20秒 | 仕事術
森信三の言葉。

森信三は、仕事には3つの秘訣があるという。
一つ目は、思い切ってすぐ手をつける「即今着手」。
二つ目は、仕事の半分を過ぎるまで「一気呵成」にやりとげること。
三つ目は、80点の出来でいいから、期限を守るという「拙速主義」。

上位者にたてつくことを以て快とする程度の人間は、とうてい「大器」には成れない。
上位者にたてつくことが自分の正義であり、気持ちいいと思っている人間は、どこに対してもたてをつく。
いつも不機嫌で、たてをつく以外の方法を知らないからだ。
笑顔で春風のようにまわりに接し、上機嫌でありながら、なお、自分の意見が通っていくような人には限りない魅力がある。

心は見えない。
だからこそ、実践、行動という形に落とし込んだ「見えるもの」が必要だ。
どんなに偉そうなことを言っても、行動が伴わなければ、絵に描いた餅となる。
人は、その人の行動をよく見ている。


朝の挨拶は人より先に!!……これを一生続けることは、人として最低の義務というべし。

同僚より、五分前に出勤する心構え……それが10年も積み重ねられたとき、いつしか大きなひらきとなる。

実行の伴なわない限り、いかなる名論卓説も画いた餅にひとしい。


心は見えないから、まず見える躰(からだ)の方から押さえてかからねばならぬ。
 それ故、心を正そうとしたら、まず、躰を正し物を整えることから始めねばならぬ。
 くつをそろえること1つが、いかに重大な意味をもつか分からぬような人間は、論ずるに足りない。


saitani



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラッガーのフィードバック分析

2023年02月01日 09時55分30秒 | 仕事術
ドラッガーはプロフェッショナルの条件として、事前に期待を書き留めて明確にしておくこと。
このくらいでいいかと事後に期待値を調整するような曖昧さを排除した。
このことをドラッガーはフィードバック分析と呼んで、活動の成果と自らの成長に焦点を当てる方法として続けたという。

その効果とは。

①分析によってあきらかになった強みに集中し、伸ばすこと。
②伸ばすべき技能、新たに獲得すべき知識を得ること。
③専門以外の知識を軽視してはいけないこと
④成果を上げる上で邪魔になっている悪癖を改めること
⑤成果をあげることを妨げている人への接し方を改めること
⑥苦手なものは行わないこと、また人に任せること
⑦並の分野での能力の向上に無駄な時間をつかなわないこと

フィードバック分析は、自分の仕事ぶりを通して自分のことを知り、強みや得意分野に集中し、そうでないものを省くことの大切さを教えてくれる。
このことにより、自己成長を続けることできる。

saitnai

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほうれんそう(報告・連絡・相談)のその先

2023年01月23日 12時54分44秒 | 仕事術
ほうれんそう(報告 連絡 相談)の重要性は社会人なら常識だろう。
知らない人はいないと思う。
しかし、雇用形態が変わったり、若者の仕事に対する意識が変化している現代においては、その先があるという。
そこまで配慮しなければいけない時代になった。
そして、ここまでしないとパワハラと言われたり、指導力不足と言われたりする。

「おひたし」(怒らない・否定しない・助ける・指示する)
せっかくのほうれんそうをただ単にばっさり両断しては報連相の意味がなくなる。
まず、きちんと聴き、それに対応することが大事。

「こまつなl(困ったら 使える人に 投げる)
自分一人で困った時は、自分で何とかしよう抱え込まず、力がある人にパスすることも大事。

頑張りすぎているときは「きくな」(気にせず 苦しいときは言う なるべく無理をしない)
日本の伝統文化として、気合いや根性で物事を解決しようとする。
根性で解決でき事も世の中にたくさんある。
そんなときには「きくな」を忘れないように。

「ちんげんさい」(沈黙する 限界まで言わない 最後まで我慢)
どんなときにも絶対にさけるべきは、ちんげんさい。
問題が起きたときには、早期対応が基本となる。
そのときに自分を追い詰め、状況を悪化させることは避けたい。

saitani



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

補欠一覧

2022年10月21日 18時44分30秒 | 仕事術
学校というところは、経験と勘で動いている。
その場しのぎの場当たり的な対応で日々なんとか乗り切っている。

先生方は、当然仕事人としてだけで生活しているわけではない。
家庭の用事もあるだろう、体調を崩すことだってある。
学校をお休みしたり、年休をとったりすることは日常的なことで当たり前のことだ。
しかし、教室は子どもたちがいる。
何もしないということはありえない。
そこで補欠の教員を配置することになる。
地域によって呼び名は変わる。
補教という方がいっぱんてきなのだろうか。

要するに学級に担任が不在となったときだれがその学級にいくのかということだ。
多くの学校は、お休みがわかった時点で教務主任や主幹教諭が補欠表をもって、ひとりひとりの先生方に、空き時間を確認して行ってもらえるかどうかを確認してまわる。
実に、非効率的なことだ。

学校は時間割で動いている。
毎時間の教師の動きは決まっている。
したがって、月曜日の1時間目には、誰が、補欠可能かは、決まってくる。
それを1週間分、表にしておけばいいい。

もし、補欠が複数いる時間帯には、第1補欠、第2補欠、第3補欠というように決めておく。
補欠は、お互い様の助け合いで成り立っている。
空きに時間には、ノートを見たり、教材研究をしたりしたい気持ちはわかる。
しかし、自分がお休みしたときには、それはせずに学級の補欠にいってくれている教員がいるから休めるのである。
自分も教務主任のときにこの補欠の調整は結構苦労をした。
気持ちよく行ってくれる先生とあからさまに嫌な顔をする先生とにはっきりとわかれる。
それでいて、チーム○○と言ったり、教員間の支え合いがないなどと自ら言ったりする。

補欠にいった数はしっかりと記録をして、公表をする。
そして、年度末には不公平がないようにするのである。

親切で思いやりのある先生が忙しくなり、わがままを言う教師が楽をする仕事現場はプロとは言えないだろう。

saitani

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする