飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

寝食を忘れる

2021年11月21日 16時12分47秒 | 教師論
「寝食を忘れる」最近あまり聞かれくなった言葉である。
働き方改革真っ只中のときに、時代に逆行している言葉かもしれない。
本来、学校教育の範疇になものを地域や家庭に移行することは必要だ。
学校の中で当間だと考えられていたことを外部委託することも早急に行う必要がある。
それには、経済的な保証と人的な補填が不可欠なのも事実である。
学校運営の合理化を図り、スリム化する。
そのことには大賛成である。

しかし、一つ疑問に感じることがある。
それは、自分などんな先生になりたいのかという志である。
教室にいる子どもたち全員に向上的変容をもたらし、どの子にも生きていく力と自信をもたせたい。
できないことをできるようにさせてあげたい。
みんなが支え合い、差別のない、楽しい学級を作りたい。
そう考えたとき教師自信が謙虚に学び、日々わずかでも前進しなければと思う。
力ない自分は誰に言われたわけではないが、時間を忘れて本を読み、教材研究をし、休日には身銭をきって研究会に行った。
そうしなければ自分が望むような授業はできなかったし、子どもたちの間にたつことも恐ろしかった。
それでも、うまく行った授業は一度たりともないが。

人から強制されたことではないし、人に強制したこともない。
でも、不思議とその時間は楽しかったし、つらいと思ったことはない。
もちろん、分掌事務や理不尽な保護者対応、職場の人間関係などではストレスを感じたことはあるし、無駄だと思うこともあった。
しかし、こと教師修業に関しては、寝食を忘れてやってた。

働き方改革を進めていく中、定時退庁だけが目的となることに危惧する。
自分の夢をなし遂げるには、特に若い頃には寝る時間も惜しんで一つのことに打ち込み、その総数が1万時間を超えることが必要だとも言われる。
自分はどんな教師になりたいのか今一度考え、ベクトルの方向を明確にすることも考えるべきだ。

野村克也さんの言葉。

若いころの一時期、自分が好きな対象に溺れるほどに熱中するのは、絶対必要なこと。
その中で、勘であれ何であれ、一流の基礎が養われる。


ビワイチ6 後半

2021年11月17日 12時33分05秒 | 趣味
マキノメタセコイヤ並木を後にして、再び湖周道路にもどる。
琵琶湖西岸は、のどかな風景が続き、静かな場所だがステージクス髙島あたりは自動販売機もない道が続く。
道幅も広く、交通量も少ないので走りやすいのはいいのだが単調なのがこたえる。
仲間とトレインで進む。
やがて、本線に合流し湖岸に鳥居が見える。
白鬚神社だ。
前までは、湖岸が階段状になっていてしたまで降りられたが、おそらく安全上の問題からロープがはられ、入れないようになっていた。
観光客も多く、琵琶湖の有名な名所となっている。
通常は道幅が狭く、大渋滞する場所なので車の横をすり抜けるように通ることが通常だが、今回は紅葉の季節のわりには渋滞はそれほどでもなくよかった。
いつも休憩していたコンビニがなくなっており、心折れそうになった。
このあたりは本線をはずれ一本中の旧道的な道を通る。
湖西線の高架の下を縫うように走るルートになっている。
途中でおいしそうなおはぎ屋さんがあるので是非食べたかったが残念ながら売り切れで次回の楽しみとなった。
この湖西は、静かで、水もとてもきれいだ。
別荘的なきれいな家も多く、うらやましい限りである。
なにより、海のように荒れることもなく、塩害もないので、環境がすばらしい。
自分もこんなところにセカンドハウスがほしい。

琵琶湖大橋に近づくと再びコースは本線にもどる。
ここに一軒のあんパン屋さんがある。
いつも立ち寄るお店だ。
あんパン専門店だがとてもおいしい。
ここで補給食をとり、琵琶湖大橋に向かう。
琵琶湖大橋の中央付近には展望台があり、多くの人たちが写真をとっていた。
ここからも湖が一望できる。
真ビワイチでも走る湖南も見渡せる。

琵琶湖大橋を渡り、湖東に出て、今度は一路北上する。
少し進むと、サイクリストの聖地碑と最近完成したモニュメントがある。
ここで仲間と記念撮影をした。
大きく真っ白なモニュメントは湖の風景とマッチしてとてもきれいだった。

あとは立ち寄り場所もなく、ゴールの彦根を目指した。
この時期の日没は午後4時半頃で午後5時には真っ暗になる。
できれば暗くなるまでにゴールしたかったが間に合いそうもない。
午後5時以降のⅠ時間半は暗闇の中を四人で走ることとなった。
安全のためずっと歩道を走行したが、よく整備された歩道のなので特に問題もない。

午後6時30分、ゴールである彦根に到着。
気持ちのよい達成感と爽快感があった。
単独ビワイチにはない、仲間とはしるビワイチはまた違った楽しさがあった。
今シーズンはまもなく、湖北は雪の季節となり、道路も閉鎖される場所もある。
来シーズン春には、また訪れたいと思う。
みんなで締めの近江ちゃんぽんを食べて、楽しい思い出をくれた琵琶湖を後にした。

saitani


教師の創造性

2021年11月17日 10時11分16秒 | 授業論
教師の創造性とはなんだろう。
最近は個性的な教師が少なくなった。
一人の教師が自分の得意な教科をもち、その道においてはプロと言われるような個性をもった教師が。
少し前なら国語ならこの先生、社会科ならこの先生という名人級の方がどの学校にも一人はいたものだ。
しかし、今はほとんど見られない。
教師が本を読まなくなったと言われて久しい。
自分の見てきた現場でも、本屋が頻繁に出入りして、そのあとにはどの先生の机の上にも多くの書籍がのっていた。
若い頃は、そんな机の上の本をみて、こっそり同じ本を読んだり、時には先輩教師にどんな本を読めばいいのかを聞いたりもした。
そんな個々の先生方のブックレビューの話をする光景も職員室ではあまりみられなくなった。

なぜ、個々の教師が個性を発揮して専門性を伸ばすようなことが少なくなったのか。
それは、足並みをそろえるという考えのもと、誰かが突出したり、個性的な授業をすることをよしとしないことにある。
教科の進度はもちろんだが、内容や展開にいたるまで同じにしていかないとクレームがあったりする。
学級が不安定になるとよけいそういったことに焦点がいき、意見がくる。
批判されないために、同じにする。
同じにしていれば批判されない。
そういう風潮が教師の創造性を阻害し、個性を奪っていく。

現状はそうであっても先生方には、個性を発揮して子どもたちの向上的変容をもたらす授業を行ってほしい。
創造性を発揮して、新しい授業方法を開発していってほしいと願う。

saitani

ビワイチ6

2021年11月16日 16時09分55秒 | 趣味
令和3年11月13日(土)琵琶湖をロードバイクで走った。
初回は3人、2回目は二人、3回目と4回目は単独で、5回目は3人で、そして今回である。
今回は、数年前にかすいちを行ったメンバーでチャレンジした。
金曜日に仕事を終えた後、知人宅に集合して出発。
ハイエースをレンタルして1台に4台のロードバイクを積んで琵琶湖を目指した。
金曜日の夜と言うこともあり、高速道路はトラックが非常に多かった。
途中のサービスエリアで夕食をとり、一路彦根を目指した。
夜の12時近くに彦根のビジネスホテルに無事到着。

次の日の天気は晴れ。
琵琶湖特有の強風もなく絶好のライド日和となった。
朝食を済ませ、七時半頃スタート。
ビジネスホテルから湖畔周回道路までいったん出て、北上する。
最初の目的地は長浜にあるつるやパンのまる食パンのお店。
このお店は、木之本にあるつるやパンの分店。
まる食パンに特化したお店。
かわいいフォルムが印象的だが、様々な味がありとてもおいしかった。
お店の雰囲気を白を基調としたとてもおしゃな感じだった。

次に、道の駅あぢかまの里ちかくにある食事処。
今は工事中のためお店はお休みだが、おむすびだけをいただいた。
このお米が絶品だった。
ビワイチ唯一のヒルクライム、賤ヶ岳へと登る。
といっても、斜度はゆるく距離も短いためそれほど苦にはならない。
旧賤ヶ岳トンネルとでると琵琶湖の北端の絶景が待っていた。
いつ見ても、この景色はすばらしい。
この時期は、紅葉の季節でもあるので山々の木々は色づきすばらしい景色を見せてくれる。
気候もやや肌寒くは感じるもののライドには最適な気温。

このあと海津大崎を迂回して西岸に出る。
このロードは、ビワイチの中でも一番好きな道である。
自然に恵まれ、車の通りも少ないため快適に走ることができる。

ビワイチの中でもコースから少し外れるがこの時期一番混むのが、マキノメタセコイヤ並木。
駐車場も満車近かった。
前回の時にはゆったりと動画等も撮影したが、そんな余裕はないので記念撮影だけして、琵琶湖大橋に向かった。

続く

saitani


使命

2021年11月09日 15時35分26秒 | 教育論
道徳の授業をしていると感じることがある。
それは題材の多くが目標レベルにとどまっており、その先にある目的にまで思考が届いていないことが多い。
学年による発達段階もあるので、ステップを踏んで指導していくことも考えられるが、教師の授業構想や教材研究の段階では、目標と目的の違いやなんのために仕事をするのか等は常に意識して授業をする必要がある。

マズローの欲求5段階を知らない教師はいないだろう。
しかし、この五段階は欠乏欲求に属する物で、その先にある成長欲求の前段階にあたる。
生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求。
その上には、さらに自己超越欲求というものが存在する。
言い換えるとこれは、社会や他者への純粋な貢献欲求である。
この段階になると人は無限のやる気を手にするようになる。
人は多くの場合、生きるための経済的な理由で職業を選び働く。
しかし、こんな研究結果もある。
「お金が幸福度を高めるのはある一定までで、それ以上は強いモチベーションにならない」
経済的に満たされても、それは一時的なもので、そのさきのモチベーションを高める要因は自己超越欲求となる。

簡単に言えば、世のため人のために考えるられるようになり、自分の使命感がそこにあると感じるとき、人は志を得るようになる。

saitani

六中観

2021年11月07日 09時29分06秒 | 人生論
安岡正篤師の言葉。
 
忙中閑あり…どんなに忙しい中でも閑はつくれるし、またそういう余裕を持たなければならない。
苦中楽あり…どんな苦しみの中にも楽はみつけられる。
死中活あり…もう駄目だという状況の中にも必ず活路はある。
壺中天あり…どんな境涯の中でも自分独自の別天地を持つ。
意中人あり…尊敬する人、相許す人を持つ。
腹中書あり…頭の知識ではなく、人間の土台をつくる書物を腹に持つ。

松下幸之助の言葉。

悲運と思われるときでも、決して悲観し失望してはいけない。
その日その日を必死に生き抜くことが大事。
そのうちきっと、思いもしない道がひらけてくる。

九十であろうが百であろうが、生きている間はやるべきことをやる。
人間は行き詰まるということは絶対にない。
行き詰まるということは、自分で行き詰まったと思うだけのことである。

saitani