飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

正義とは何か

2008年06月23日 23時59分35秒 | 教育論
教室の中では正義が通らなければならない。
正義なき教室は弱者つらい思いをする。
人間は勇気をもたなければならない。

しかし、正義や勇気は徳目にすぎない。
正義や勇気が悪いという人はいないだろう。
実際の生活の中には正義や勇気そのものは存在しない。
徳目に分類される行為が存在するだけである。
したがって、子どもたちに正義、正義と何度繰り返しても変容は起こらない。

それではどうすればいいのか。
何が、どういう行為が正義なのかを教える必要がある。

ある本に次のようにかかれている。

友達がいじめられているのを助けたことがある。

先生が見ていなくてもしっかり掃除をしている。

人の悪口を言わない。

弱い子や気の合わない子をいじめたり仲間はずれにしたりしない。

ゲームで負けたときに文句を言わず、負けを素直に認める。

みんなが悪いことを言ったり、やったりしていても惑わされずに正しいことを言って注意する。

ひそひそ話をしたり、陰口を言ったりしない。

校歌をいつも大きな声で歌っている。

これらのことを子どもたちにとう。
そうすることにより、正義と勇気が行動となって理解されるようになる。

saitani

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福沢諭吉の言葉

2008年06月22日 10時23分31秒 | 教師論
福沢諭吉の言葉に次のようなことがある。

「道徳の教育は、耳より入らず、目より入るものなり」

今日は常に見られる存在である。
子どもたち、保護者、地域、マスコミ等、ありとあらゆる角度から見られている。
勤務校の過程数が400とすれば、こちらが知らなくても400人以上の方からみられていることになる。

教室での言動は大きな意味をもつ。
教師の立ち居振る舞いがそののまま影響を受けやすい子どもたちの非言語の指針となる。
服装、言葉遣い、机の上の整理整頓、身だしなみ、マナー、心遣いすべてそうである。

どんなに口先で、「教師は見てくれではない、情熱だ」と言っても子どもたちは認めてはくれない。

今一度、教師自身、そして、教師が作り出す環境を考え、真摯に受け止める必要がある。

saitani

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