飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

山本五十六の言葉

2014年08月26日 14時18分01秒 | 人生論
終戦記念日も近かったせいか山本五十六のテレビ番組を放映していた。
興味のある人物だったため、つい見入ってしまった。

教育の世界に身をおく立場として、この言葉はあまりに有名である。

「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。」

この言葉は子供の教育をするときに重要な指導者の立場としてしばしば引用される。
まさに、指導の根幹となることを平易な言葉で見事に表現している。

さらに、この言葉は次のように続く。

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」
上意下達、有無をいわさず目上の者には従うことが絶対だった価値観の時代に、大変めずらしい考え方だ。
山本五十六がどういう環境の中でこの価値観を形作っていったのかは非常に興味深い。

山本五十六は一般には次のようなことで知られている。

1884年04月04日 - 1943年04月18日
大日本帝国海軍の軍人。
26、27代連合艦隊司令長官。
位階勲等は元帥海軍大将・正三位・大勲位・功一級。
日独伊三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対していたといわれる。

山本五十六が故郷である長岡の地で講演した際に残した言葉も彼の考え方を端的に表していている。

「私は諸君に対し、銃をとって第一線に立てとは決して申しません。
 あなた方に希望するところは、学問を飽くまで静かな平らかな心を持って勉強し、将来発展の基礎を造って頂きたいと熱望する次第であります。
 どこまでも気を広く持ち、高遠なる所に目標をおいて、日本のため進んでください。」

文字から受ける情報量は限られており、その時の意図を全て正確に計り知ることは不可能であるあるが、学問の重要性を伝えようとしていることは分かる。

さらにもうひとつの言葉。

「いまの若い者は」などと、口はばたきことを申すまじ

実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。
なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。

今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、
道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。

その若者が、こうして年を取ったまでだ。
だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。
何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。」

saitani

BIKE RECORD 1

2014年08月20日 12時57分25秒 | 趣味
趣味ではじめたBIKE。
4月から初めて、5ヶ月が過ぎようとしている。
ロードレーサーに乗る前は、MTBだった。

週末しか乗らないので天候が悪ければ何週間もRIDEないというのも珍しくない。
本格的に乗っている方には申し訳ないが、FUNRIDEが目的のため、見た目も普通である。

これまでを振り返ってみると、次のようになる。

2月 123km
3月 185km
4月 198km
5月 395km
6月 169km
7月 239km
8月 245km

合計 1553km

一日の最高走行距離は 95km.
100kmは超えたいと思っている。

saitani


孟子 勇気の出る言葉

2014年08月20日 12時12分08秒 | 人生論
孟子の言葉より。

「天の将(まさ)に大任を是の人に降(くだ)さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓(が)せしめ、其の身行(おこない)を空乏せしめ、其の為さんとする所を払乱せしむ。
心を動かし、性を忍ばせ、その能はざる所を曾益(増益)せしむる所以(ゆえん)なり。」

意味は次のようになる。

「天が重大な任務をある人に与えようとするときには、必ずまずその人の精神を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、その肉体を飢え苦しませ、その行動を失敗ばかりさせ、そのしようとする意図と食い違うようにさせるものだ。
これは天がその人の心を発憤させ、性格を辛抱強くさせ、こうして今までにできなかったこともできるようにするためである。」

saitani

知識・見識・胆識

2014年08月20日 11時04分00秒 | 人生論
インフォメーションという言葉をよく聞く。
これは当然、情報をさす。アメリカでは、このインフォメーション、情報を整理整頓したものをナレッジ、知識という。
知識がやがてインテリジェンス、知性に進化し、やがてウィズダム、英知及び見識へと変化していく。
しかし、これ以上の言葉が英語にはないという。

これでも日本では、見識ではまだ不十分だということで胆識がなければならないと説く。
この胆識、通常のPCの変換では出てこない言葉である。
ということは一般には使われていない言葉である。

胆識とは、困難や障害を克服して物事を断行する実行力、度胸をもった見識ある態度をさす。
では、現在の学校教育ではこのような困難を乗り越えて身につく、胆識を育てる教育をしているだろうか。
そもそも子どもたちに困難や試練を与えることを避ける傾向がある。
それは現在の学校教育が、少なからず保護者のニーズに応えることを期待されていることも要因の一つである。
本来の学校教育は、公教育である点を考慮しながら、学校独自の、また、各教師の指導方針や教育哲学に基づく活動があった。
そこには、骨太の教育が展開されていた。
しかし、知識や見識は学んでも、実学である行動を伴うような胆識を身につけさせるような教育は行われていない。

中国の古典に論語、孫子、韓非子がある。
ある方の言葉に、次のようなものがある。

論語は性善説、韓非子は性悪説と単純に決めるつけることはできないが、人間に処する道においては両極にある。
そして、それを埋めるのが孫子ではないか。

その方は、ピーター・ドラッカーも若い人に勧めている。

ものを決するときの優先順位。
第一に、過去ではなく未来を選ぶ。
第二に、問題ではなく、機会に焦点を合わせる。
第三に、横並びではなく、独自性をもつ。
第四に、無難で容易なものではなく、変革をもたらすものを選ぶ。

そして、ドラッカー、この四つを選ぶのは知識や見識や分析力ではなく、リーダーの勇気であると説いている。
この勇気こそが胆識である。

saitani

ここを離れない リーダーの理念

2014年08月20日 10時54分22秒 | 教育論

人種差別と戦い続けた「南アフリカの父」ネルソン・マンデラ。

彼は、黒人と白人が共存する「虹の国」の実現を抱き続けていた。
そして、その実現に向けた思考は柔軟で、その場、その機会に最善の方法や手段を選択している。
投獄前には、暴力も辞さなかったマンデラが、釈放後は徹底して暴力を排除した姿勢がその象徴である。


また、彼は指導者として陰謀が大嫌いだった。
会議では自分の意見を言わずに黙っていて、裏で他人の悪口を言いふらすような者には、相手が白人であっても黒人であっても激怒した。

「自由で平等な南アフリカという理想のために、私は死ぬ覚悟ができる」
これは死刑判決がでるかもしれない裁判での言葉である。
弁護士は、そんなことを言ったら本当に死刑になってしまうと助言をしたそうだが、マンデラはそれでもかわないと拒否した。
自分が死刑になれば、仲間が立ち上がってくれるだろう。
自分が死ぬことでアパルトヘイトの終焉をはやめることができれば、本望だと。

幕末の思想家、吉田松陰に通じることがある。
彼もまた、自分の死に際して、同じ意義見出していた。

ネルソン・マンデラにあった指導者としての理念は何か。

それは「ここを離れない」という一事。
どんなことがあってもここから離れない。
自分の国から逃げないという気持ち。
自分の国を見限らない。
ここに踏みとどまる。

そういった理念ではなかっただろうか。
saitani