飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

ノート指導

2022年02月21日 11時22分13秒 | 授業論
「ノートを見ればその学力がわかる」
教師ならばこの言葉の真偽をうがうことはないかもしれない。
しかし、常識を疑うという点は、本当にノード指導は必要かという原点に立ち返る必要があるかもしれない。
タブレット端末が支給されている現在、ノートの取り方も変化する必要があるのではないか。
また、板書自体も必要なのかという点も検討に余地はある。

ノートの役割を考えてみる。
それは思考を整理して、それを自分や相手に伝える練習をするための基本の道具。
その基本の道具の作成の基本なんだろう。
だいたい学力が伸び悩んでいる子どもの共通点はノートがきちんととられていない点にある。

1 字の大きさがそろっていない
 
学年はじめには同じノートを全員に配る。
いきなり小学校でノートは自由でいいですという勇気のある担任はいないだろう。
しかも、大学ノートではなくマス目方眼のノートを多くの教師は選択する。
それは字の大きさをそろえさせるためだ。
整数や分数の括線、加減乗除の記号が横一列に表記するにはマス目方眼が最適なのだ。
あと算数の場合消しゴムを使わず、×をつけさせて書き直しさせることを基本とするが、もし使わせるのはら綺麗に消すことを指導する。

2 バランスが悪い

式の三大要素の式・計算・答えのスペースを分けて、余白を大きくとる。
ノートがもったいないとせせこましく書く子がいたり、家庭でもそのように指導されている子がいて、時々困ることがある。
ノートの本来の意味を取り違えているのだ。


saitnai



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信念を曲げない

2022年02月21日 09時51分10秒 | 人生論
海軍兵学校「五省」
1 至誠に悖る(もとる)なかりしか
2 言行に恥づるなかりしか
3 気力に欠くるなかりしか
4 努力に憾み(うらみ)なかりしか
5 不精に亘る(わたる)なかりしか

結局最後に頼れるのは自分自身。
ですから、日々自分の心を手入れし続けるしかありません。
なかなか至らないことも多くありましたが、幸せなことに修業時代に夢見たことが実現できています。
それを「手放してたまるか」と今も必死に前進し続けています。

saitnai

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読書の意義

2022年02月21日 08時27分03秒 | 教育論
読書離れが危惧されるようになって久しい。
昨年度より、小学校の全児童に一人一台タブレットが支給されて、家庭での使用も推奨されている。
当然、人間に与えられた時間は一日24時間しかないのでタブレットに費やす時間が多くなれば、その他のことに時間をさくことは少なくなる。
子どもたちが読書を嫌いになったり、興味がなくなったりすることはない。
しかし、読書をする絶対時間がすくなっていることは事実だ。
これからは意識して読書をする時間を確保しないとどんどん活字から離れていく。

授業の隙間時間などに読書をよくさせる。
でも、最近は「タブレットでキーボード練習してもいいですか?」なんて要望も多くなった。
こんなときに安易に「どちらでもいいです。」と安易に答えてよいものか最近迷う。

IT界の巨匠と言えば、まず思い浮かぶのはビルゲイツ。
マイクロソフトの創設者である。
友人によれば彼は「1時間で150ページを読み、90%頭に定着させる」という。
常に10~15冊の本を鞄にビルゲイツは入れているという。
これは意外だ。
かれならKindleあたりを活用して、鞄の中はタブレット一つというイメージが強い。

1990年代からは、欠かさず毎年1週間、フッド・カナルにある別荘にこもり、本や論文の世界に浸っている。
彼は読書を次のように定義している。
「新しい知識をすでに知っていることに結びつける作業」
メモはPCを使用せず、本の余白に集中的に書き込んでいく。

また、本を開く時にその本が自分の時間を費やすに値するかどうかを判断する。
価値があると判断したときには必ず最後まで読み通す。
一度読書を始めたら、最低1時間は本から離れない。

この辺は自分も実行している。
たとえ高価な本であっても、今の自分には必要ないと判断したら途中からは読まない。
お金がもったいないからと頑張って読む人もいると思うが、その方がよっぽど時間がもったいない。

あのスティーブジョブズも読書を重視していたことは意外な共通点である。

saitani

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覚悟がすべてだ

2022年02月16日 17時57分36秒 | 人生論
Readiness is all.
日本語に訳すと「覚悟がすべてだ」

生きていれば困難や壁に突き当たる。
そこで迷い苦しむのが人の常だ。
それは当然のことであり、弱いからそうなるわけではない。

しかし、その苦境から一刻も脱出したいと願う。
心の整理をつければ少しは心が軽くなるのではないかと考える。

そんな時に心に響くのが「覚悟がすべて」。
人間、覚悟が定まっていない時に迷い、苦しむ。
どうにでもなれ、逃げるのはやめて正面突破、もう諦めて流れに身を任せる。
どんな形であれ、覚悟決めれば心は平穏を取り戻す。

Saitani

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夕陽はなぜ美しいのか

2022年02月13日 07時12分47秒 | 人生論
まもなく年度末。
別れの季節である。
学校の3月は物悲しいと思う。
毎年のことであるが、なんと言えない静寂がただよう。

アルプスの少女ハイジというお話がある。
この主人公のハイジとおじいさんのやり取りが趣深い。
いろいろと考えさせる。

ハイジがおじいさんに、「夕焼けは、なぜこんなに美しいの?」と聞く。
おじいさんは、
「人間でも自然でも、お別れするときの言葉が、一番美しいんだよ。
太陽が山や牧場におやすみを言うときには、とっておきの一番美しい光を
投げて、お別れのあいさつをするんだよ。」と答える。

別れとというのは悲しく、寂しいものであるが、同時に美しいものであるべきだと思う。

saitani

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「大丈夫」の意味

2022年02月13日 07時01分12秒 | 人生論
漢字は様々な意味をもつ。
漢字という複雑な意味をもつ文字を使いこなす日本人は素晴らしいと思う。
こんな複雑で多くの言語を使いこなすだけでも苦労が多いのにその中で優れた文化や発明をしていく。
教室で時々、漢字文化の授業をする。
とくに年度末になるとメッセージ性の強い授業をすることが多い。
学級を旅立っていく子どもたちに向けた担任からのメッセージだ。

大丈夫という言葉、この言葉も普段何気なく多くの人が使う。
困ったときやピンチになったとき、「大丈夫、大丈夫」と繰り返すと不思議と心が落ち着いてくる。
なんの根拠もなく、状況も好転していないのに心が軽くなるのは言葉の力だと思う。

でも、どうして「大丈夫」という言葉にはそんな力があるのだろうか。
「大丈夫」という文字をよく見てみる。
一つあることに気づく。
それぞれの文字に共通するものがある。
「大」「丈」「夫」 「大」「丈」「夫」 「大」「丈」「夫」
そう、「人」という字である。
「大丈夫」の3文字には、それぞれ「人」という字が入っている。
あなたに何かあったとき、周りの人は必ずあなたを支えてくれる。
何があっても、あなたを支えてくれる人が3人いるってこと。
忘れてはいけない。
どんなときも、あなたの味方は3人いる。
そこに例外はない。
いないと思っているのは、あなたが気づいていないだけ。
あなたを支えてくれている3人に気づく日が、必ず来る。
大丈夫。

saitani

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天意夕日を重んじ、人間晩晴を尊ぶ

2022年02月13日 06時51分25秒 | 人生論
この言葉を渋沢栄一は晩年好んで揮毫したという。
意味は次のようである。
朝日の美しさは言うまでもないが、夕日の美しさも格別である。
太陽は一日中働き、沈む瞬間に一際鮮やかな光を放つ、夕陽があんなに美しいのは、天がそういう生き方を称賛しいるからである。
人間もまた、夕陽のように、晩年になればなるほど晴れ渡り、残照で周囲を照らすような生き方しなさい、ということをこの言葉は教えている。
自分も年とともに佳境に入り、晩熟、晩晴していく人生を目指したい。

saitani

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グラフの使用法

2022年02月09日 15時39分12秒 | 算数科
5年の算数科の学習に「いろいろなグラフ」がある。
それぞれのグラフのメリットとデメリットを比較しながら、その作成方法を学ぶ。
それは将来、プレゼンテーションを行う際に、非常に有効な表現方法を選択する基準となる。

1 円グラフ
 この円グラフは、作り手の期待に反して一番主題が伝わりにくいグラフだ。
また、謝った使い方をされやすいのも円グラフである。
多くの人は、円の中のある割合と別の割合を比較させる目的で円グラフを作成してしまう。
これは間違いで、「全体に占める割合」を伝えるだけに円グラフは使用される。
繰り返すが、円グラフは部分の比較には適さないが、全体に占める割合を直感的に伝えることには優れている。
注意点としては、分割数を最小限にして、6つ以上にはしないこと。

2 帯グラフ(分割棒グラフ)
帯グラフは一直線のバーを分割して割合を示すため、個々の量を相対的につかむのに適している。
バーの中で割が比較的把握しやすいのはバーの端である。
帯グラフでは、強調したい数値を端に配置すると比較的伝わりやすい。

3 折れ線グラフ
折れ線グラフは時間軸に沿った動きを伝えるときに限って使用する。
最高値、最低値、数値の差といった情報を伝える目的で折れ線グラフをつかおうとすることは間違いである。
数値の差は、棒グラフで使うのが原則。
ポイントは、連続性。
折れ線グラフは、動向や傾向、流れなどを確かめるためのグラフである。

4 棒グラフ
棒グラフが数値の差を直感的に伝えるときに使う。
絶対的なルールは二つ。
一つは、必ずゼロを基準値とする。
二つ目は、バーの長さを省略しない。

これくらいは基本として理解し、授業を組み立てたい。

saitani


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体育科 後転

2022年02月09日 08時45分28秒 | 体育科
マット運動を代表とする器械体操。
これを指導するときにポイントとなるのは、いかにスモールステップをふんで指導していくかということ。
指導の段階を意識して、徐々にレベルアップをしていくことが大切である。

体育科における骨格は、発問指示・テクニカルポイント・場の設定である。
この三つを意識して授業を組み立てる。
どう指導したら、できないことができるようになるかということ。

後転の困難にしている一つの要因に「頭越し」がある。
この頭越しでまず子どもたちは苦労をする。
まず、マットを敷き、頭が通過できるほどの間隔をあけて両サイドにマットを積み上げる。
最初は3枚くらい始める。
そして、後転をさせる。
この方法なら、手の押しはなくても段差があるので楽に回転できる。
徐々に、両サイドのマットの枚数を減らしていけば、通常の1枚マットの段階になる。
マットのみの場の設定なので安全性も確保できる。

次の後転の発展性について。
後転が一通りできるようになった子どもにどのような課題を与えるか。
それは、小さな後転から、発展性のある後転を目標にさせる。
体を小さく丸めた後転から、膝を伸ばし順次接触を意識した大きな後転へのつなげる。

この大きな後転を目指すためには、四つのポイントを指導することが必要となる。
できる子は、言われなくても意識していると思うが。
四つのポイントとは。
「順次接触」「回転加速」そして、手の押し・腰角度を開くことを含む「頭越しの技術」である。
それぞれの技術は独立しているのではなく、密接に関係し合っている。
大きな後転を細分化すると次のようになる。
「おしりをかかとの遠くについて上体を倒す順次接触技術」「腰角度を開いて下体を引きつける回転加速技術」「手の押しと腰角度を開く頭越しの技術」の三つの状態。
小さな後転はすべてこの反対となる。

「回転加速」をつける運動。
ポイントはおしりを遠くつくということ。
後転を勢いをつけるには、かかとよりおしりをより遠くへつけることが大事になる。
ただし、はじめのうちは次のことに気をつける。
しゃがんだ姿勢で開始し、地面と平行にお尻を遠くにする。
上体を倒すのはマットにお尻がついた後。

saitani

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正しい意見 間違った意見

2022年02月08日 08時42分54秒 | 人生論
学校という組織では多くの会議が行われる。
そして、話し合いが行われ、方針が決定され、実行される。
もちろんその決定にはある程度個人の裁量が許されている事項もあるが、組織として統一を図る必要があるケースも存在する。
それは保護者や子どもたちが学習を進めていく上で困らないようにしたり、同じ方向性をもって家庭や地域が学校と協力して上でも大事なことである。

しかし、ここで忘れてはいけないことは、世の中には「正解のある問題」と「正解のない問題」の2種類があるということ。
これをいつも正解は一つだと考えいると問題が起きる。
問題以前に、意味のない時間を費やし、人間関係を悪くし、互いに疲弊する。
不毛な討論である。
意見には間違いも正しいもないこと、あるのは「自分の意見」「あの人の意見」「彼の意見」だけである。
意見が人によって違うのはあたりまえ、この基本的だが忘れがちなことを肝に銘じる必要がある。

インターネット社会の現在、瞬時にたくさんの考えや意見を目にする時代となった。
インターネットがなかったときには、テレビや書物で人の意見や考えを知るくらいで、大量の価値観にふれることもできなった。
また、もう一つ、情報発信に関しても、メーリングリストや書籍販売、新聞投稿など位しか、発信の機会はなかった。
現在のようにSNSで個人が全世界にいつでも発信するような時代ではなかった。
それだけに前に述べてような考えを理解することは不可欠なのである。
何か「あなたは間違っている」といわれたら、「ああ、あなたはそういう意見なんですね」といえる柔軟な価値観を大切にしたい。

saitani



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