飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

人間形成

2022年11月26日 09時27分15秒 | 教育論
栗山英樹氏の言葉。

今の世の中って、仕事し過ぎちゃいけない、「寝ないで仕事しろ」とは言いにくい時代になりました。
でも、僕は仕事でしか学べないことがあると思ってて、寝ないで仕事に没頭するある一時期って大切だと思うんです。
没頭し、やり切らないと見えてこない世界があるんです。

岡田武史氏の言葉。

僕も全く同じことを考えていて、人間が成長する時って、困難や理不尽な出来事を乗り越えた時なんですよ。
ところが今はそれを一切与えちゃいけないという風潮になっている。
これでは人も組織も成長できないとすごく危機感を抱いています。
骨は重力があるおかげで反発して丈夫になっていて、無重力の状態に長くいた宇宙飛行士は帰還後に骨の強度が著しく落ちているそうです。
今の世の中、その重力の役割がどんどん希薄になってきているような気がしてなりません。

教員の仕事にも様々ある。
授業をすること。
生徒指導。
保護者対応。
地域との関わり。
行事の準備や調整。
しかし、その全てが負担になるわけでなない。
授業の教材研究や新しい実践の開発、これはいくら時間をかけても負担と思わなかった。
体は寝不足だったりして、疲れたと思うことはあるが、心や精神が疲れたと思うことはなかった。
むしろ楽しかった。
その部分の負荷は、他のものと一緒にして疎かにしてはならない。
もし、そのようにしたら教師の専門性や教育という行いの本質を見失うことになる。

saitani


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音を大切にする日本語の文化

2022年11月23日 18時14分40秒 | 教育論
日本の教育には伝統と文化がある。
その伝統の部分をおろそかにして表面上のことに気を使いすぎてはいないだろうかと考える。
日本に教育の伝統に一つに素読がある。
古典を意味の理解は二の次として、ひたすら唱えるのである。
そうすることにより、その言葉や音の中にある哲学やリズムを血肉に変えていく。
そういった地道な取り組みにより、教育の素地ができあがり知識や教養が身についている。
この素地を耕す行為が、今の教育にはない。
長い歴史の中で、教育者たちは経験則的に素読の効果やメリットを理解している。
だから、取り組むのである。
これはある意味、教科書や参考者を開いて漢字や文法を教えたり、数式をマスターしたりすること以上に大切なことであり基本的なのだ。
そのことをどれだけの教師が理解しているだろうか。

必ず担任をすると名文暗記詩文集というノートを全員にくばる。
そこに2週間に一つくらいのペースで、名文の一部が印刷されたプリントを配る。
そうすると子どもたちは、黙々と暗記取り組む。
そのあと試験を受けるのである。

子どもたちの国語力を高めるには、音読と読書が不可欠である。
これは基本的なことだが、教育における真理であると思う。
これを習慣化させることも学校教育の最優先の課題である。
生涯学習の観点からも、この習慣が身につけば常に人間は学び続ける存在であるということにもつながっていく。

saitani


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良い授業の基準

2022年11月16日 13時32分02秒 | 授業論
齋藤喜博、大村はま、東井義雄、有田和正、築地久子氏など、戦後を代表する実践家たちの授業実践、実践スタイルは様々ある。
しかし、授業のあり方については共通していたという。
それは次のような考え方だ。

個人が問いをもつ。そして、他者と対話をしたり、資料を用いたりして、はじめにはなかったものの見方や観が方に気がつく。
その上で、個人が新たな問いをもつ。

この考え方に異論をとらえるつもりはない。
なぜなら、自分も子どもを主体とした討論の授業に憧れ、常に目標としてきたからだ。

良い授業かどうかの判断ポイント。

1 表層的な知識を伝えるだけでなく、結果に至るまでの思考プロセスを鍛えるような活動が多い。
2 子どもたちから問いが生まれ、子どもたちに新たな気付きやものの見方が生まれる。
3 子どもたちの問いから、教師自身にも新たな気付きやものの見方が生まれる。

ここで少し気になるなるのは、子どもたちから問いが生まれるということ。
どんな場合にも子どもたちから問いが生まれることはない。
時に教師から問うこともあり得るし、教師と子どもの問いが一致して、結果的に子どもの問いとなる場合もある。
無から有は生まれないように、子どもたちの問いがうまれる前には、教師の何らかの働きかけがあり、伏線があることを忘れてはならない。

まれに教師の範疇や予想を超えた子どもたちの問いや解釈が示されることがある。
教師の方が、背筋がゾクゾクしたり、鳥肌がたったりする状況である。
自分も年に数回ある。
子どもたちの限りない可能性や能力を実感しているつもりでも改めて、子どもたちの力はすごいと感心する。
しかし、これもたびたびあってはならないことだ。
それは、教師の教材研究不足や子どもたちの思考予想が不十分であることの裏返しだからだ。

授業は、子どもたちとの闘いである。
その気概をもって、授業することがプロの教師とも言える。

saitani




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教材作成の思想を見抜く

2022年11月15日 12時34分59秒 | 授業論
年度末から、年度初めにかけてどこ漢字をの学校でも行われるのが教材選びである。
複数ある会社の中から、最適と思われる教材を選ぶ。
このお金は保護者から預かった学年会計である。
となると当然、なぜその会社を選択したのかの説明責任が伴う。

まさか、「表紙のイラストがかわいくて子どもにうけがいい」「問題の量が多いから、宿題には便利」などという表面上のことだけで決定していることはないと思う。

教材選びの視点は次の一点である。
「教材を選ぶということは、教材作成の指導を見抜くこと」
例えば、漢字ドリルの選択。
1 各社のドリルの同じ単元のページを開く。
2 筆順を幾つに分けて教えているのかを数える。
 (当然、細分化されているほうが正確に教えられる)
3 漢字を書くときの注意を検討する
  (注意書きの内容が適切である)
 プロの視点で教材を見比べる。
教材の形から教材作成の思想を読み取る力も教師の大事な能力である。

saitani

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授業のどこを見ているのか

2022年11月14日 15時50分29秒 | 授業論
参観授業や研究授業など、多くの授業をみる機会がある。
最近は、働き方改革や事務の効率化のスローガンのもと、研究授業の必要性についての話しもある。
しかし、研究授業の形態や持ち方の問題はあるにせよ、教師の技量アップには必要不可欠なものだ。
では、その学級を訪れたときにどこをどんなふうに力ある先生方はみているのだろうか。

1 授業前
・子どもたちの筆箱の中。その子の人生が見える。
・子どもたちのこれまでにノートのとり方。
・背面黒板をどのようにつかっているか。
・子どもたちのモチベーションを高めるためのフィードバックできる掲示物。
・教室に清々しい空気が満ちているか。

2 授業中(教師を見る)
・アドリブ力。挙手が少なかったとき、どのような手を打つのか。そのときの子どもの変化。
・説明が的確で明確か。長い説明をしていないか。
・発問で子どもたちの知的な思考が促されているか。
・教師の温かな表情があるか。
・子どもたちにとって意味のある板書になっているか。
・授業の流れからするとずれているように思える発言を丁寧に扱っているか。
・教師の立ち位置と所作。
・一人一人の子どもたちの様子を小刻みに把握しているか。
・背中で子どもたちを見ているか。

3 授業中(子どもを見る)
・空白禁止の原則を意識して、何をしていいか分からない状況を一秒たりともつくっていないか。
・授業に集中し、教師の指示通りに活動できているか。
・子どもたちの思考の変化、ああそういうことかというような声が出ているか。
・子どもたちの音読や発言の声に張りがあり、一番遠い子に届くように意識して話しているか。
・教科書をもつ、起立や着席、鉛筆を持つスピード等、素早く行動する意識があるか。
・前の発言を受けて、自分の意見を言うように、意見が絡み合っているか。
・発言時に、教師ではなく、子どもたちに向かって声を発しいるか。
・聞く人は、発言者の方を向いているか。
・友だちの意見を大切にして、反論するときにも配慮を忘れていないか。
・学んだことがわかり、次の学習の布石となるようなノートになっているか。
・子どもたちの能力差が顕著に表れるような展開になっていないか。
・討
・論の内容は大人びているが、表情や反応に幼さがあるか。

4 授業後
・授業時間が短く感じられたか。
・子どもたちが知的に満足した表情をしているか。
・チャイムを例外なく、厳守しているか。
・次の学習への切り替えが速いか。

saitani


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授業づくりの基礎・基本

2022年11月13日 16時07分24秒 | 授業論
良い授業をするにはどんな力が必要だろうか。
いろんな角度から、必要な力が導き出されるだろう。
一つの考え方として、次の三点が必要な力と考えられる。

1 教材研究力
 教材研究の第一歩は、教科書研究である。
 教科書を教える立場を厳守して、教科書通りに教える。
 これができそうでできない。
 教科書に込められた意図や思考ステップを理解していないからだ。
 算数は、比較的、易から難へと言うセオリーに則って配列されている。
 しかし、思考が跳んでいたり、関連性がきちんと説明されていないものも多い。
 そこを教材研究によってみつけ、補う必要がある。
 国語は基本的には、教材文しか示されていないので、授業の組み立てを考える手立てを知らないと展開を構想することはできない。
 学習の手引きが以前に比べれば、使いやすくなっているものの、これもやはり教材研究をした上で活用しないとうまく展開できないだろう。

2 授業構想力
 深い教材研究をもとに、授業の骨格である発問・指示・説明を考える。
 どの部分で子どもたちに思考をさせるのか。
 討論をさせるのか。
 その前にどのような伏線をはっていくのか。
 子どもたちが理解でき、なおかつ、討論を進める上で新しい発見や自分の理解の不十分さに気がつくような発問を考える必要がある。
 授業構想力とは、発問研究の主体と考えてもいい。
 
3 授業展開力
 授業構想はあくまでも設計図である。
 その設計図をもとに、目の前の子どもたちに問題を投げかけ、展開していく。
 子どもたちの発言の意図を理解するには、深い教師の教材研究が必要だ。
 ときには、補助発問をしたり、ゆさぶりをかけたりする。
 子どもたちの発言のレベルがどの段階にあり、どの発言をもとに思考を広げていくのか、瞬時に判断するのも授業展開力である。
 
以上三点が、授業づくりの基礎基本である。

これ以外にも、教師が力量をあげていくには次の二点が必要だ。

1 授業を分析する力
2 分析を授業にいかす力

日頃、授業をたの先生にみていただく機会はそう多くはない。
本来、実践は常に批判、批評の対象となることが大事だ。
しかし、教師の多くは公開することを拒む。
ましてや、働き方改革の名の下に研究授業はなくそうという意見さえもっともらしく言われている。
専門職として、実践を公開し、批評されないことがありえるのだろうか。
もし、医師が手術の技術を公開しないいったら医学の進歩はありえるのだろうか。
これまで脈々と受け継がれてきた先人の技を次の世代につなげることができるのだろうか。
もちろん、形式主義であったり、本質から外れていたりする研究授業は廃止すべきだし、意味はなり。
しかし、自ら提案性のある実践を公開し、修正し、広めていく活動は継続的に続けていくべきだと強く思う。

その際に、自らの授業を分析し、その分析したポイントを次の授業にいかす力は不可欠なのである。
あれども見えず、学びを生かすことができなければ、成長や進歩はありえない。

saitani

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技術を伝える

2022年11月06日 08時51分40秒 | 教師論
脳神経外科医 佐野公俊氏の言葉。

手を使った脳外科の手術に関しては、おそらく私達のところが最高で、これからは技術がどんどん落ちていって、何も治療してもらえない難民が出てくる可能性があります。
だから、細々とでいいから、しっかり手術のできる次世代の優秀な脳外科医を育てていかないと、大変なことになるんじゃないかと憂いているんです。

コロナ禍になって思うように進んではいませんが、私達が築いてきた手術をなんとしても次の世代に繋いでいく、これからも「努力をする者のみ神の啓示はある」の言葉を胸に、自分の力の限りを尽くしていきたいですね。

脳神経外科医 上山博康氏の言葉。

技術を伝えるのはもちろんですが、何よりも医者としての精神、心を繋ぐ人間を残しておきたいんですね。
やっぱり誰にも治せないなら、その患者さんの死に水を自分がとってやるというくらいの不屈の精神、たとえ刀折れ矢尽きても歯が残っているなら敵(病気)の喉元に食らいついていくほどの気合い、それがないと医者としては駄目ですよ。

教員採用試験の倍率の低下とともに教師の資質能力が問題となっている。
国の根底を担う教育という営みにはやはり優秀な人材が不可欠なのである。
優秀な人材とは、偏差値の高い大学をでたり、学生時代に様々な能力を発揮して日向を歩いてきたきた人を言うのではない。
人間が人間を教育するという、神にも似た行為を仕事とする自覚と責任もった人間かどうかということである。
働き方改革の名のもとに、勤務時間と仕事の効率化だけが先行し、定時退庁することだけが目的となっていることを危惧する。
そこには、教師のしても上達論の考え方もなければ、技術論もない。
本来学校がすべきではない業務は、思い切ってなくし、教師が本来の子供の学力を保証するにふさわしい時間と環境を整えるべきだ。

現代の学校という環境では、斎藤喜博や芦田恵之助、東井義雄といった教師は出てこないだろう。
また、有田和正、野口芳宏氏といった授業の名人も現れない。
私はそう感じている。

saitani

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