イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

マーケですわ

2010-11-15 14:11:22 | 朝ドラマ

『てっぱん』の先週=第7週(8日~13日)は、NHK朝ドラにつきもののイヤな面“庶民的人情、親ごころのコロモにくるんだ土足のお節介”風味が強くて個人的にはちょっと勘弁してもらいたい週でした。何もジェシカさん(ともさかりえさん)に“自分の夢を追う前に、弱ってきた田舎の親に再会して対話しとかんで本当にええの?”を問うのに、こっそりお姉さん(美味でございます久保田磨希さん)から聴取したレシピで“のっぺ”作って夕食にサプライズする様な、手の込んだ真似しなくても。

郷土の味、幼時になじんだお母さんの手づくりの味には、懐かしさや郷愁は確かにあるけれど、同じくらいやりきれない思い出や、貧しさ、みじめさやコンプレックスの辛い記憶、悔しい恥ずかしいトラウマもあるはずです。“食”は人が生存して行くのに無くてはならない、それ無しでは生きることがかなわない、のっぴきならないアイテムであるからこそ、楽にも苦にも変わり得る、幸いも不幸も両方連れて来得る両刃の剣でもあるのです。

「食べ物には苦労して育てて(=食べさせて)くれた親の愛情がこもっとる、忘れたらあかんで」「皆でひとつ食卓を囲むと美味しいね、幸せだね」という価値観をえらく称揚するお話であることは確かで、それはそれで貫いていただいて結構だとは思いますが、あんまり人物の“そこだけは”というデリケートな琴線をずかずか踏み荒らすのはどうなのかな。

「のっぺ見るのもイヤや」と、ヘタな大阪弁使いながら郷里・新潟に背を向け続けていたジェシカさん、「毎日、5時が門限で、開店前に家族全員揃って夕食を食べる決まりやった」実家。門限のために学校帰りの寄り道もできない、友達と遊びに行くこともならない息苦しさ鬱陶しさより何より、駆け落ち同然に一緒になったというご両親が、自分たち姉妹(ジェシカさん、美味でございますお姉さんのほかにもう1人いるらしい)を食べさせて行くために小さな小料理屋を開き大車輪で働いていた、その“必死さ”が何より子供心に辛かったのだろうと思うのです。

“親が自分のために必死である”ということほど子供心にトラウマの烙印を捺すものはない。ジェシカさんよりもう少し裕福な層でも、たとえば学習塾、お受験、お稽古事、身につける洋服や履き物や学用品、夏休み年末年始の旅行など、「お母さんお父さんが自分のために目を血走らせて一喜一憂している、お祖母ちゃん(=お姑さん)や親戚ご近所と張り合っている」と思うと、子供の心は感謝や満足感よりずっと手前で、暗く重くずしんと沈むものなのです。その重さ暗さを突き抜けて「お父さんお母さん、ありがとう、お疲れ様」「あんなことこんなこと、してもらって、買ってもらって、食べさせてもらって懐かしい、幸せだった楽しかった」に着地するためには、子供が自立して、親の力を借りずに何かしらの地位や稼ぎに到達しなければならない。そこまで行き着けない、いくら夢を持っても、努力しても、親が子の自分に必死で提供してくれた生活レベルに自力で這い上がるのが難しい世の中になってしまったから、ジェシカさんたちは「のっぺ見るのもイヤや」な気分に低回しているのです。

初音さん(富司純子さん)は、「自分も千春(木南晴夏さん)を育てるためお好み焼き屋で稼ぐに必死で、結果、あの子に、毎日ひとりで夕食を食べさすような淋しい思いをさせてしまった→トランペットにはまり家出、異郷で出産、音信普通のまま早世」という後悔があるから、「お店と家族揃っての夕食とを両立させることにこだわって、えろう頑張ってきたらしいジェシカのご両親と、ジェシカと、ここはぜひ歩み寄らせな」との、一種の使命感を持ってののっぺ制作だったのでしょうが、ジェシカさんにしてみれば、一応リスペクトしていないでもない、凛とした大家さんとは言え、積極的に相談に乗ってもらっていたわけではない他人に「そ、そこだけはっ!」という弱い琴線、隠してきた心の軟らかい部分に、「ほらほら、どないや、辛抱でけるんか、考え直さんでええんか」とばかりずかずか踏み込まれたら「…ワーストワンやわ、泣きそうや」となってしまうに決まっている。

“食”も、“家族”も、明で朗で幸な側面ばかりではない。踏み込まれて露呈して、否応なく向き合わざるを得ない局面は、人それぞれいつか来る、一生来ないですむわけにもいかないのでしょうが、他人の善意の(しかも、その他人自身の、過去反省ついでというニュアンスもある)お節介で向き合わされる、それを“人情”“親ごころ”“いい機会になった”的な地合いでプラスに描くのはいかにもいただけませんでした。

まあ、その反動と言うか埋め合わせと言うか、ジェシカさんとの協働であかり(瀧本美織さん)が開店準備まで漕ぎつけたお好み焼き屋、中岡お父さん(松尾諭さん)は「子供(=民男くん)の教育上、酒を出す店は…」、画家の笹井さん(神戸浩さん)は「夜遅くまで賑やかなのはちょっと」、駅伝選手の滝沢くん(長田成哉さん)は「煙草臭いのは勘弁してほしいわ」と、下宿人さんたちはここへ来て歓迎しない模様です。

出発点、意図するところ、描出される雰囲気が、どんなに善で、明で、幸であっても、それによって迷惑したり、いたたまれない思いをする人物がいる。NHK朝ドラが基本的に“人が人に介入することで紡ぎ出され広がりを持って行く物語”である以上、この“ずかずか土足称揚感”をどう処理し、トゲや毒気を抜いて行くかは必修科目のようなものです。いままでは“善なキャラたちのその場その場のおもしろさ、可笑しさ”に乗っていけばまあまあ観られた『てっぱん』ですが、よくよく噛み砕くと、善な人々もそれぞれに背負っている物語は重く、笑過してそれきり片付けられるものではない様子。キャラ紹介説明が一巡して、“異なる立場からのお節介”が物語の推進力とならざるを得なくなってきた、ここからが正念場と言えるでしょう。

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特命戦隊ヒマナンジャー

2010-11-13 20:35:40 | 夜ドラマ

『相棒 season 9と言えば、神戸くん(及川光博さん)、参入3シーズン目とあって、衣装が結構ヴァリエーションに富んで来ましたよね。season 7の最終話“特命”で初お目見えの頃は「おミズの黒服っぽいだけ」だった印象ですが、最近は特にインナーのシャツに凝っている。

全体として、ライトにホワイトにならないよう、あくまでダークに、かつ堅物公務員ぽくなく、優等生的清潔感はないものの不潔でもないという、狭ーいエリアの中に着地させていますよね。シルエットはあくまでスリムでスレンダー、硬派か軟派かで言えばはっきり軟派。でも派手派手ではないという。非常に微妙な線に落ち着けて、それ一本で押し通しています。

肩幅の細い、軟弱系ラインで決めてみると、ミュージシャン、アーティスト活動も含めスタイリッシュなイメージだった及川さんも、細身ながらに意外と頭デカの昭和なプロポーションの持ち主だったことがわかったりして。

『相棒』のような、言ってみればキャラもののドラマで、毎度毎度登場のたびに着ているモノに気を取られて仕方がなくならないように、“そのキャラ固有で独特だけれど、一本調子”な衣装のラインを決めるのって、結構、大変だろうと思うのです。

右京さん(水谷豊さん)にしても、あの年代で、身長小ぶりでちんまりオールバックのおじさまでとことん英国調の上下で決めている人って、リアルにそこらへんで出くわしたら「なにこの人!」と相当なインパクトでしょうが、劇中で毎度毎度だと、「これが右京さんスタイル」という空気のような安心感があるから、話の筋を追う邪魔にはなりません。

前任相棒の亀山くん(寺脇康文さん)も、シーンごとに違うエンブレム付きのフライトジャケ、しかも神戸くんよりかなり長身の好ガタイでしたから、普通に考えれば相当異様な私服刑事です。でも、「それが亀ちゃんスタイル」と思うから、エンブレムの違いに毎シーン引っかかることもなく、たまにスーツにタイで登場したりすると、状況や心得の尋常でなさを窺わせる効果があった。

言ってみれば、スーパー戦隊の“○○レンジャージャケ”と同じですね。ユニホではない、レッドはレッドなり、ブルーはブルーなりの個性はある。でも、エピソードやシーンが変わるたび、衣装のお洒落さユニークさに気を取られて、似合う似合わない、カッコいいカッコよくないと、話の筋がおろそかになるほどの主張はない。

つまり、“見慣れた一定レベルのカッコよさ”が保証されている。

で、たまにいつものラインから外れる“らしくない格好”をすると、それが一般市民的にありふれたなりであればあるほど、“コスプレ効果”があり、「こんななりをするということは、コレよほど追い詰められているか、異常な事態だ」と印象付けることができる。

『相棒』ファンって、結構“戦隊ファン率”が高いのではないかなと月河が思う所以です。『炎神戦隊ゴーオンジャー』にも、特命係(っぽいの)出てきましたし。

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晩鐘繰り合わせて

2010-11-11 20:11:43 | 夜ドラマ

『相棒season 93回(実質第2話)“最後のアトリエ”(10日放送)、冒頭、銀座の目抜き通りをとぼとぼ歩き高級紳士服店に入るくたびれた風采の老人。お若い頃から独特の画風で画家としてもご活躍の米倉斉加年さんが、“夭折の伝説的天才画家の、ただひとりの友人”という役でのゲスト出演でしたから、「“有吉比登治”は、実は米倉さん扮する(対照的な=凡庸で平坦な人生で晩年になった)無名の画塾講師・榊の、ひとり二役だった!」というオチかなと思ったら、そうではなかった。

パトリシア・ハイスミスの作品の中でも、月河が一、二を争うくらい好きな『贋作』(原題Ripley under ground)に似そうで似ない、劇中何度か「おっ!」と思わせるくらい近づいては、また遠ざかる、惑星のような味わいのエピソードでした。

若干一本調子でさしたる意外性もなく解決してしまいましたが、この平均ペースっぷりの中だからこそ仕込まれた皮肉も効いた。昨年のseason 8から脚本参加の太田愛さん、『ミス・グリーンの秘密』に続く高齢者もの…というより“人生の晩鐘もの”の佳作と言っていいと思います。“年を経た秘密もの”として『願い』とも通底するところがある。

結局、どんなに芸術的に美的に優れていても、一枚の“絵画”単体では、専門家の専門的評価はともかく、多くの一般大衆の関心を惹き魅了することはできない。人は、絵画が背後に背負った、作者なり作者の家族なり、友人恋人なりの、なまなましく温かくどろどろした“人間”の物語にこそ心ときめくのです。

今般の俳優水嶋ヒロさんの、賞金2000万円小説大賞騒動(騒動ってこたぁないか)なども連想してしまった。「どんな名前でどういう形で出そうが、とにかく読みさえすれば、鑑賞さえすれば、誰にでも価値(or無価値)がわかるよ」とは言い切れないから、“作品”ちゅうものは厄介です。

『美しい罠』のピュア青年、『仮面ライダーディケイド』では龍騎=シンジだった水谷百輔さんが驚くほど夭折の天才にはまっていて驚きました。回顧展のポスター、伝記ノベライズ本の表紙で、こんなにでかでかと顔アップに描いてもらえてラッキーでしたね。んでまた、でかでかに耐えるお顔立ちを持っておられるのがラッキー。「戦後間もなく22歳で病没した」世代にしては、回想シーンの眉が細く整い過ぎのような気もしましたが。

それより何より録画再生してびっくり、というより大ウケだったのは、劇中の小説有吉比登治伝『筆折れ、命果つるまで』の著者が“北之口秀一”season 5『ツキナシ』のナルシスト作家(川崎麻世さん)です。冤罪の殺人容疑にマスコミの前で義憤パフォーマンスしてましたが、実は札つきの人妻盗撮常習犯。罪状の軽重より社会的体面がカッコ悪過ぎて、作家生命断たれたかと思いましたが、あれから4年、しぶとく生き残っていましたな。たまきさん(益戸育江さん)は初版本を買うほどの北之口ファンでもあったはずですが、右京さん(水谷豊さん)ともどもその件ノータッチ。

世間の風は冷たいね。過去恥ネタすら月日が過ぎると話題にしてもらえないという。頑張れ水嶋ヒロ。こんな流れで応援されたくないか。

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尖と閣の神隠し

2010-11-06 16:25:43 | ニュース

「ビデオ流出」、びでおりゅうしゅつ…音声だけ聞いただけで何やらヤラシイものを想像してわくわくしますが、

 “尖閣ビデオ”…これ、ますますエキサイティングですよね“センカクビデオ”

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えんじょ交際

2010-11-03 21:13:48 | 昼ドラマ

週初め、111日と“一並び”の切りのいい日に始まった新昼帯ドラマ『花嫁のれん』、観光地の老舗旅館が舞台、ヒロインはアラフォー元キャリ、女将修業で姑の大女将とバトル…となれば、かつてのこの枠のヒットシリーズ『はるちゃん』のオトナ版といった趣きかな?と予想していました。

個人的には、お仕着せ着た仲居さん番頭さんが厨房や勝手口でがちゃがちゃやり合ったり、襖のかげで立ち聞き合戦、次々やってくるヘンなわけあり客たち、合い間に観光風景みたいな“にぎやか温泉モノ”は心底苦手なので、今作、視聴どうしようかなと迷いながら、とりあえず録画スタートしましたが、早くももやもやして来ました。

このドラマ、“言葉”のセンスがヘンです。金沢地方の方言については、行ったこともないし同地に知り合いもいないのでまったくわかりませんが、そういう問題ではなく、人物が発する言葉が、ところどころ、ひどく神経がかよっていない。

最初にアレ?と違和感を覚えたのは、失踪した夫がもしや…と思い彼の実家である老舗旅館を訪れた奈緒子(羽田美智子さん)に、ひょっとして借金の肩代わりを頼みに来た?と疑った大女将・志乃(野際陽子さん)が「アナタに“お母さん”なんて呼ばれる筋合いはありません」と、古典的に一刀両断した後、いかにも癪に障るといった表情で「…いじくらしい」とつぶやき捨てる場面。

志乃は「東京の大学に出すかわり、卒業したら金沢に帰って家業の旅館を継ぐように」と長男に言い含めていたのに、その長男・宗佑(3話時点で顔が映らないけど津田寛治さん)は約束を破って東京にとどまり、東京のキャリアウーマン奈緒子と結婚してしまった。志乃は速攻宗佑を勘当、奈緒子は“認められない嫁”です。ひとりの女性としての人間性や、息子の妻としての適性など“内容”を問う以前に、まず“手続き”が志乃からすれば違法なわけで、その部分を奈緒子がすっ飛ばして、正規の“内容”に則っているかのような「お母さん」呼びをしたから、「…いじくらしい」というリアクションになったのだと思う。

しかし問題はその後。「“いじくらしい”?」と方言の意味がわからず問いたげ顔の奈緒子に「不快で、鬱陶しいという意味です!」と志乃が何のヒネりもなく説明するのはどうでしょう。志乃さんはこの奈緒子との久々のサシ対面劇の別れ際には「この“かぐらや”の門をくぐって来た人を邪険に帰しては、かぐらやの品格が疑われます」「おもてなしの心は大切に」と宣言して孫娘・瑠璃子(ワクワクするお名前=里久鳴祐果さん)に見送りを言いつけており、“品”や“グレード”“義”“本分”をいたく大切にする、古き良き時代の厳格女将として描き出されており、いくら逆鱗に触れたとは言え客前で反射的にぶっちゃけ方言でリアクション、怪訝がられて、馬鹿正直にまんま翻訳、というのは、そこまでの地合いとは不釣り合いに幼稚で、品のない言動です。

奈緒子を「いじくらしい」と思う、志乃の感情にリアリティはあるが、板長でもある夫や、若死にした長女の夫である婿養子、仲居頭さんらとの夕食など、“身内しかいない”場面でぽろっとこぼすのならともかく、そのいじくらしい認められない嫁本人の面前でこれを発射するのは、どうにも志乃の人物像と噛み合わない。

どうしても作劇上“志乃に、奈緒子に対して「いじくらしい」を発させたい”ならば、奈緒子に聞こえるか聞こえないかの声量で小さく呟いておいて奈緒子「イジク…何ですか?」志乃「いいえ、何でもありません、とにかくワタクシはアナタを宗佑の嫁とは認めていないということです」と誤魔化させておき、かぐらやを出た帰途、公園か橋の上で「やれやれ」と放心状態の奈緒子の耳に通りすがりの女子中学生たちの会話「あの先生、体育の時間いっつもここらへん(←太ももとか)じーっと見よるんよ」「うっわーいじくらしぃー」とか、やんちゃな幼児に手を焼く若いお母さん「ほら、そこで騒いだらいかんよ、大人しいしなさい、いじくらしぃが」か何かが飛び込んできて「……いじくらしいってそんなのかぁ…私が」と初めてわかって溜め息、みたいな流れにしたほうが、“東京で働く女性ライフを謳歌してきた奈緒子”と“地元金沢土着に生きるかぐらや一族の世界”との間に立ちはだかる厚い壁、深い溝をも表現できたと思う。

奈緒子に関してかぐらや=神楽家の面々がたびたび「えんじょもん(=よそ者)」という表現をするのも、“方言の中で特に排他的・白眼視的ニュアンスを持つ単語”を象徴的に多用することで何かをどうにかしようという、台詞作りにのぞむ料簡の底の浅さが透けて見える。

東京に帰り自分の実家で、「宗佑の借金は(妻で保証人でもある)自分の働きで全額返済する」と奈緒子が言うと、妹の良美が「お姉ちゃん、肝っ玉だねー」と嘆息するのも鮮烈な違和感がありました。初回の再生で、聞き間違いか?と思わず巻き戻してしまった。キモッタマ?胆力が強い?…度胸やものを恐れない、驚かないことではなく、おカネを出す問題、出す姿勢を言っているのだから、どう考えてもここは「太っ腹だねー」ではないでしょうか。この場面に先立ち、宗佑の借金先である信金窓口で「最近は離婚するから旦那さんの借金は返せない、返す義務はないと言い張る人も多いのに、奥さんは妻の鑑ですね」と言われ「アラ、妻として当然のことなのに、カガミだなんてウフ♪」とデレる奈緒子のシーンがあるので、“さほど余裕の高収入でもない女の「細腕」で、おだてられて自分に酔ってつい身の丈以上に背負い込んでしまった”という滑稽さを際立たせるためにも「太っ腹」のほうがいいと思うのですけれど。

岡本真夜さんの澄明で軽やかなテーマ曲とともに加賀友禅模様がほころぶOPタイトルに大きく映る通り、今作、羽田美智子さんと野際陽子さんという、ゴールデンタイム主役ないし準主役級女優ふたりの共演とともに、脚本・小松江里子さんの名前も、この枠作品における脚本家名クレジットとしては記憶が無いくらい破格にフィーチャーされています。昨年のNHK大河ドラマ脚本家の新作オリジナルというところも今作の売りにしたいのでしょうが、ドラマの“血液”とも言える台詞、言葉に、どうもクレジットほどの重みや風格が感じられず、粗っぽいところが散見されるのは気がかりです。

まだ3話終了時点ですが、コントっぽいオタオタ演技をある程度楽しんでやっているような羽田さんは快適に見ていることができ、それはとても結構なのですけれども、それ以外の人物たちも、基本は仕事に家族に、あるいはほのかな恋心にと真っ当なベクトルを持つ常識人でさほどのトゲもなく、従って「ココがどう転がるか見逃せない」という引っかかりもありません。

平日帯ドラマは多話数を継続することでこそ、作るほうも視聴する側も醍醐味が味わえるもの。『ゲゲゲの女房』で再確認させてもらったばかりなので、軽々に見切ったりはできませんが、とりあえず録画してはおくものの再生はどんどん後回しになり、結局消去リスト入りしそうな気配も。どこか何かしら濃いところ、丹念さ、一筋縄で行かなさが感じられるところ、早く出てきてほしいものです。

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