イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

祭典か再点火 ~「・・気の聖火」 

2021-03-31 21:41:54 | 四季折々

 先月=2月の初旬に、例のオリパラ組織委員長女性蔑視?発言で辞任やむなきの件があったとき、「まぁみんな心の狭いことよ、ご老人の寝言ぐらいマイルドに諫めてスルーできないとは」「欧米から“遅れてる”と圧かけられたらたちまち浮足立つ、黒船来襲の昔から全然強くなってないのなニッポン」と、少なからず思うところがあったので、この次ここで書こう書こうと思っているうちに、例年通り「2月は逃げる」の喩えにならって@(アット)言う間に(・・・・)逃げ切られ、気がつけば3月にまでさくさく去られる勢いです。

 いやもうまったくもって、冬から春へのこの、およそ2か月半ぐらいの期間は毎年々々光陰矢の如し。一年の間のこの時期だけで三つか四つ余分にトシとったような気がするもんですが、正気に戻ると別に一度も誕生日が来ていない(当たり前だ)。

 正気に戻ってホッとしたようなアレレ?なようなのは、なんだかんだで東京五輪の聖火リレーが予定通りスタートしている、ということでしょうか。東日本大震災からまる十年の節目を控えた矢先に、デジャヴ級の震度6強が来て、「10年経ってるけどコレまだ余震です」と脱力の分析も出ましたが、あれは「復興五輪ですよ、忘れないでね」との、大地からのメッセージだったのかもしれません。

 オレらそんなこと知ったこっちゃないからね~とばかり、その東北、震災被災地を今度は軸足の一方にして、新型コロナも一段とクソ元気です。

 どうやらこのゴリパラ・・じゃなくオリパラは、「日本が、世界中、天にも地にもどこにも親身の味方が居ない状況、どこの国の誰も“日本を、カネ算段抜きに本気で助けてあげよう”と思ってくれない状況で、どれくらい耐え抜けるか」を試す、壮大なガマン大会というか人体実験、もとい“国体”実験になる模様。

 ここまで来ると、もう、ある意味“自分への怖い物見たさ”ですね。5人以上の会食ダメ、20時以降のアルコールダメ、花見も歓送迎会もダメ、マスクなし会話もダメ、それでも海外から選手だけで一万数千人来るオリンピックは「やる」という超絶ねじくれた瘦せ我慢。

 当地にはまだ届いていませんが、便りに聞くところでは今年は桜の咲きっぷり満開っぷりもさばさば気前良く、散りっぷりも以下同文の勢いだそうで。桜咲け咲け、散れ散れ桜。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穴録からデジ足る社会へ ~紙のみぞ知る~

2020-11-30 22:52:46 | 四季折々

 明日からいよいよ12月、12月と言えば年賀状の準備・・と思ったら、引き出しの奥から、令和2年お年玉年賀はがきが数枚、出てきました。もちろん未使用。

 後から思い出した先や、遅れて来た人への返信用に、足りなくならない程度に余裕を持って準備するので、三~四枚は余るのがつねではあるのですが、師走の声が迫るまで押し詰まってから、余ってたやつがあったことに気がつくというのがなんとも。

 本当に今年は、雪が融けて、四国九州辺りの桜開花だよりが聞こえて来た頃から、あらゆるものを先送り先送りにして過ごしてしまった一年だったなぁと痛感します。

 気がつけば、最寄りの郵便局に出かけて、窓口で未使用はがきを切手と交換してもらう程度でも、なんとなく「いま行ったら密かも?」と気が進まなかったですね。先送りしているうちに、どんどん引き出しの奥へ奥へと行っちゃったんですな。

 前の記事で、「日本のデジタル社会化が遅れたのは、メンドくさい細かい手間を惜しまずきちんとする事が好きで得意な人、得意ではなくてもやればこなせる人が多すぎるからだ」というようなことを書こうと思って、マラドーナさんの訃報に押されて棚上げにしてしまいましたが、この“年賀状書きと整理”こそ、日本人が如何にアナログ作業を苦にしないかのシンボルだと思う。

 さすがにケータイで育った世代はもうあけおめメール交換とか、そーしゃるねっとわーくしすてむ利用が多数派でしょうが、一か月以上前から専用の官製はがきを買って、自前のプリンタで印刷したり業者さんに発注したりしてデザインを競い、実際に年が明ける二週間以上も前に、自分にも先方にも無事に正月が来る事を疑わずに郵便に投函するなんて、悠長で手仕事感あふれる作業が、いまだに全国レベルで普通に行われていることからしても、日本人の“アナログ親和性”がわかる。

 “アナログを嫌わないし、アナログで皆なんとかやり切れてしまう”日本人だったから、逆にデジタル化が世界比で周回遅れになったんだと思う。日本人の大半がもっとズボラで面倒くさがりで、細かい手作業がイヤでイヤでしょうがなく、すみずみきちんとする事に気分良さをひとっつも感じない性分だったら、もっと早くにデジタルに飛びついて、紙の伝票やら稟議書やらは博物館行きになっていたでしょう。もちろんハンコ屋さんは全員商売替えです。

 もう11月の半ばから、ぽつぽつ黒囲みの喪中欠礼状はがきも届いています。12月に入ったら年賀状を書き始めてしまう人が多いだろうからその手を止めさせなくてもいいようにと、この時期に送るのが欠礼挨拶の常識。こういうタイムテーブルの敷き方も日本人ですよね。

 未使用年賀はがきと言えば、昔はよくFMラジオの番組へのリクエストを書いたりして使ってましたね。20年くらい前は、雑誌の読者プレゼントへの応募とかにも。今は無きTV Bros.の巻末の『こんな私でよかったら』なんか、一時は結構打率が良かったものです。いまもプレゼントコーナーのある雑誌や放送番組はあるのでしょうが、はがきではさすがに受け付けなくなってるのだろうな。郵便配達、今度は土曜日も休みになるらしいですしね。

 あと、12月と言えば、今年もあるのだろうか、“今年の感じ”・・じゃなくて“漢字”。清水寺の、えーっと何主さんだっけ?・・そうだ、貫主さん。あのホーキの様な筆のスタンバイはもう万端かしら。

 やっぱり今年は『禍』で決まりか。今年初めてこの字を覚えた、今年がこういう年でなかったらいまだに覚えてなかった人も多かったでしょうしね。

 いや、残り一か月で、急転直下というか直“上”というか、『婚』”にしてもらってもいいですけど眞子さま・・って良くないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Do you remember セプテンバー ~大地と風と日と~

2020-10-01 18:53:51 | 四季折々

 またまたあれよあれよという間にカレンダーが一枚めくれてしまいました。

 9月は30日しかない“小”の月にもかかわらず、今年はしぶとい残暑から急に肌寒くなって、またちょっとぶり返したと思ったら、もう秋のお彼岸で日の高さが低くなっているので枯れ木も山の賑わいみたいなヘンな暑さ・・と高低差が、古い遊園地のジェットコースターみたいだったので、相対的に一か月が長く感じました。部屋の中に長袖、半袖、上物が入り乱れて仕舞うにしまえなくなっている向きも多かろうと思います。

 街を歩く人たちも、もう一重のロングコートを着ている人もいれば、相変わらずの半袖ポロにトレーナーひっかけている人もいる。いま時期ぐらい服装の“シーズン幅”がまちまちな時季もないでしょう。いつもの年ならインバウンドの皆さんが長めの夏休み?で、観光スポットでも商業施設でもないそこらを闊歩しているはずですが、欧米系白人の皆さんはヘタしたら10月半ばくらいまで半袖で、ブロンドのふさふさ腕毛を剥き出しで歩いていることが多かったのに対して、アジア系のお顔立ちの人たちはなぜか1か月半くらい“冬先取り”で、ウールのニットキャップにライトダウンまで着込んでいる人も見かけたものです。いまいち、渡航前の旅行者向け情報がタイムリーでないのでしょう。それともあれかな、欧米の肉食民族は体温が高いのかな。

 彼らエトランジェに比べると、やっぱりネイティヴの日本人は経験の積み重ねが違いますから、季節気候対応がこまやかで、ちょっとした気温や湿度の変動を、着るもの履きモノ、持ち物、小物アクセ等を調節して快適にしたり、安全にしたり、オシャレにしたりするセンスが研ぎ澄まされているなぁと実感します。

 9月ちゅうの個人的大変化と言えばまず、別に菅義偉新総理にあやかろうとしたわけじゃありませんが、シルバーウィークの後半から早朝散歩に覚醒しました。ジャンジャジャーン。(音楽は大友良英さん(『いだてん』)で)。

 ぼつぼつ朝は特に涼しくなったし、当地では特に、「涼しくなったと思ったら真っ逆さまに暖房必須」がつねですから、コートだ靴だと重装備しなくても乾いた地面を気軽に歩ける季節のうちに、車通りも人通りも始動前の時間の空気を吸い、空の色を見、風景を眺めてみよう、日常の中の非日常をたまには味わってみようと思ったのがきっかけ。やっぱり今年は当地らしくない夏終盤の暑さが、じんわりねっちり応えていて、季節の移ろいに貴重感や一期一会感が湧いてきたのかもしれません。

 薄手のパーカーに、9月の経済活性化(衝動買いとも言う)戦利品のひとつ=我らがはぴだんぶいのプリントトレーナーを重ねてフードを引っ張り出し、いざスタート。9月下旬の当地の日の出は5時20分から30分ぐらいですから、その10分後くらいに川の堤防通りを南進するタイミングで出ると、晴れた日はぱぁっと、曇りの日はそれなりに、燃える朝日が街並みの上に顔を出し、市街の西の山の斜面がそれを受けてくっきり立体的に見えます。まだ紅葉が進むには早いけれど、初夏から夏の滴る緑の山ではなく確実に“秋の顔”になっている。

 徒歩圏内でいちばん南端にある橋を真ん中まで渡って張り出しバルコニーからいま来た方向を見ると、川の水面にも朝日が映って部分的に砂金を流したよう。この橋はかなり幹線道路に近いのですが、この時間ならまだ車も疎らです。

 渡り切って山側の堤防通りに入り方向転換すれば今度は昇りゆく朝日を対岸に眺めながら北進。幸い、始めて3日ぐらい風の弱い、川沿いを歩くのに好適な朝が続いたのでわかったのですが、ちょっと薄曇りめぐらいのほうが、朝日の清浄さ、滾々たる生命力みたいなものを味わえますね。雲ひとつない快晴だと、それはそれで凛として気分がいいけど眩し過ぎて目を細めないといけないし、時間の進みが速いような気がして、うわわもう仕事の時間、社会の時間に突入しちゃう!?と気が焦ったりも。

 雲越しのほうがなんとなく「見守っているよ(^ω^)」という感じで尊いです。

 河川敷の石段にちょこっと降りて、ポケットラジオでNHKラジオ第一の“今日は何の日”を聴き、ラジオ体操に合わせて関節を動かしたりしつつ自宅に戻るコースへ。新聞の『首相動静』によれば、菅新総理の官邸敷地内お散歩はこの時間帯なんでしょうね。菅さんが起床いちばん、新聞全紙に目を通している時間に、月河はひと回りしてくるスタイルなわけ。

 秋分の日を通過してこれからますます日の出は遅くなるので、日の出に合わせてのスタートだと帰路が車の増えてくる時間に突入するようになったらちょっと億劫だなと思うのですが、その頃にはかなーり服装が“寒冷地”仕様じゃないと早朝の冷え込みに耐えられなくなっているはずなので、そのへんで今年はオフ入りかな。でも覚醒したばかりなのでできるだけ長く続けたい気も。日の出直前から、日の出後30分ぐらいまでは本当に、山も空も川も“黄金の時間”だったんだな・・と気がついた9月でした。

 そんなこんなでいま、人生でいまだかつて例をみなかったパーカーブームが訪れています。重ね着した上からガバッと着られるゆったりめで、耳や頬が温ったまるまでフードかぶっていられるやつ、ミルクボーイじゃないけど「こんなんなんぼあってもいいですからね~」。着る前からテンション上がる様なパッとした色柄の、今度探してこよう。ぼつぼつジップトップの首もとにもパイルのネックウォーマーが入り用になってくるしな。

・・運動系の中で、いちばんカネがかからない“種目”と思われる散歩ですが、なんだかんだで消費意欲をツンツンされてます。菅新総理、結構やってくれるじゃないですか・・・って、思い立ったのは月河の自助、つうか自発だからね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令に始まり和に始まり ~三が日のあと土日もある幸福~

2020-01-03 16:14:16 | 四季折々

 令和二年の年が明けました。令和になって初のお正月です。

 まずは皆様、おめでとうございます。30代後半~アラフォーぐらいのかたは“平成初”の年越しをご記憶でしょうかね。平成はなんたって1989年の松が明ける頃に、昭和天皇崩御と言う特大の不祝儀でスタート、翌1990年、平成元年から平成2年の年明けは、大発会の日経平均が38,900円ナンボという、いま思えばアホみたいなバブルの熱気ここに極まれる時代でした。

 それに比べると、“令和初”は、ここのところのたたみかけるような、空から地から天災人災の被害に思いをいたしてか、穏やかさをこそ愛でる様な、どちらかというとつつましい明け方になったように思います。

 無事がいちばん。一般参賀のバルコニーに並ばれた皇族方と、東庭に参集した一般人の皆さんの、手に手に振る日の丸の波を見るにつけてもつくづく思います。いろいろ異論はありましょうが、上皇・上皇后両陛下もお出ましになって良かったじゃないですか。上皇后さまは乳がん手術後ご不調が伝えられていましたが、画面で見る限り恢復されたようですね。シワとかは年輪っちゅうか、勲章だし。

 なんにせよおじいちゃんおばあちゃんが、正月に息子たち夫婦、孫たちと一堂に会せる、ご挨拶歓談できるってのは、身分がどうあれ微笑ましいし好ましく、こういう平穏な時間がいつまでも続いてほしいものだなとしみじみします。

 言いたくないけど、小室さんも海の彼方でネットのニュースかなんかで見てるかな。眞子さまが写メールしたかな。してそうだな。

 ・・・別にいいか。不吉な事は忘れよう(不吉なのか)。

 それにしても、「じょうこう」と入力すると“上皇”と一発で出て来るのに、「じょうこうごう」と入力すると最初の変換が“情交合”なのは、どうにかならないものか。なんか、書いてる人間の人品を見透かされているようで非常に不快なんだけどWord。ひょっとして中国製がいっちょ噛んでるのか。華為技術(ファーウェイ)がパーツ供給したりしてないだろうな。ネットの片隅の辺境の、無名弱小泡沫ブログでこんなこと書いてる小日本人がいますぜ、と、かの国にツツヌケになってやしないだろうね。

 「じょうこうごう」→上・皇・后、と何度も手変換して覚えさせよう。習うより慣れろだよWord。日本脳になりたまえ。自由主義の水はあーまいぞ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩春と初夏をジャンプ   

2019-05-29 13:41:49 | 四季折々

 元号が“令和”にあらたまり、もうすぐ一か月。早いものです。

 4月最終週週末からの官製十連休で、病院や商業施設や金融関係がどれだけ混乱するかと思ったら、意外と何事もなく、休めた人は休めた期間なりに遠出したり近出したりして楽しんだようです。日本以外の海外相場大暴落or大暴騰で日本だけ置き去りなんてこともなかったし、今後の働き方改革の流れにおいても、いい成功体験になったのではないでしょうか。

 普通の祝日と振替休日で三連休になるところがたまたま四連休になったりすると、それだけでなんだか逆にオタオタしちゃいますが、なに、休んじまえばどうにかなるものなのだ。十連休だってビクともしなかった(のか?)んだから。公的機関も生産現場も流通も、これからは五日や六日、大手を振って、涼しい顔して平気で休め・・・るところまでは、まだいかないか。月河も2~3時間ずつ合間を縫って人の休みの穴埋めしたりされたりして、ぶっとくブチ抜きで10日なーんにも仕事しないというわけにはさすがにいきませんでした。

 いい年齢になると、のんびりゆったりできる喜びより、休み明けの休みボケが怖いということもあります。

 それにしても御代があらたまったわけだから、何かしらの非日常、天変地異は起きないかとひそかにヒヤヒヤしていたら、当地ではとりあえず、五月とは思えないを通り越して、東南アジア方面からの観光客さんから「涼しい国だと聞いたのに!」「一年で一番快適なシーズンだって言うから来たのに、カネ返せ!」とクレームつきそうなバカみたいな猛暑が三日ほど続きました。が、大雨や突風はなく、それのみで終わりそうです。まだ学校の制服が冬服なんですが。

 先取りで5月に暑くなった分、7月・8月が9月・10月みたいに、暑さを素通りして“秋化”してしまいませんように。

 

                対岸に草丈高し夏立ちぬ

                聖五月名もなき花の散り敷きて

                リラ咲けば灯りなき夜もかほりけり        たびと 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする