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日本語と西欧語   金谷武洋  講談社学術文庫

2019年05月31日 15時41分42秒 | 雷日記
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

著者の金谷さん、モントリオールの大学で日本語を教えていたそうで、外国語の中で暮らしながら日本語を教えるというからこその「日本語 vs 西欧語」の比較です。 言語が人間の嗜好や行動に影響を与えるというのは50% 共感できますが、残りの50% は、社会的な影響ではないかと思います。 バイリンガルの日本女子が、日本語を話している時には優しいお姉さんであるのが英語になると途端に攻撃的になるというのは、英語社会の中では日本人は少しバイアスをかけていないと互角になれない、、そういう影響もあるのですが、純粋に言語学的に言っても主語が明確で他動詞の多い構文である英語は、「自分が」「自分が」と積極性が前に出る言語なのです。  それに比べ自動詞の多い日本語では、「誰が」という行為の主体者が前に出てこないことが利点であるとの解説に電車の車掌さんの案内を紹介しています。

電車では、「ドアが閉まります」とのアナウンスが多いのは、「ドアが」勝手に締まる様な印象で、ドアを閉める車掌さんと乗客が電車という同じ空間の中で分断されずに済む。これを(自分が)「ドアを閉めます」というと、社内で乗客とドアを閉める車掌さんとの分断が生じるとの説明なのですが、朝の満員電車の場合では、「ドアを閉めます」も聞かれます。これは、ほぼ、最後通告で、グズグズしている乗客に対し、(もう待たないよ)「ドアを閉めるよ」と車内を取り仕切る「自分」がいることを暗に示しているように聞こえます。

英語が、「神の視点」であるのに日本語が「虫の視点」というのも面白い見方です。確かに、英語で表現する時のコツとして私が理解したのは、自分を離れて「客観的に」描写するすることです。 それが、人を離れた「神の視点」であるのに、日本語での発想は、自分の中の「虫」という発想なのはうなずけます。

今回、たまたま読んだ、この金谷さんの話が面白く、「日本語に主語はいらない」と「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」という2冊もこの週末に読むのが楽しみです。 言語学を生活の中の表現で解説するのは、分かりやすく、単なる文法の比較よりも何気なく、意識もしないで使用している日本語について考えてみるのは、小学生に英語を教えるというアホナ行為よりも必要なことです。

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