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非認知的能力

2019年05月09日 09時00分00秒 | 雷日記
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

先日、[小学一年生]の見本誌を頂いたのですが、その付録として保護者向けの小冊子「はぐくむ」(小1ママ&パパのための情報マガジン)が付いていて、そこに「非認知能力」とありまして、「非認知能力って何だ?」と思って調べてみるとどうやら「非認知的能力」のことで、数が分る、字を書ける、図形の組合せなどが分る、といったような測れる力を「認知的能力」と呼ぶ一方で、IQなどでは測れない、例えば、目標に向かって頑張る力、他人との関わりをうまくできる力、感情をコントロールする力などを「非認知的能力」と呼び、最近の幼児教育では、この能力を発達させることが重要であると認識されているとのことです。

幼児教育など門外漢の私の感想は、何を今さら当たり前の事に偉そうな名前を付けて「認知的能力」「非認知的能力」など言葉遊びをしているのだろうと思いましたが、全ての学問というのはそういうものです。当たり前に思っていることにも、名前を付けて「分類」する。分類は全ての基礎なのですが、幼児教育の専門家からそのような講釈を聴く前から、人間の能力は学力などでは測りきれないことは誰でも知っていることです。 人は測定した値を信じ込みますが、測定というのは測定器の性能以上の事は測定しきれないのです。学力試験も試験問題の範囲内での話であり、学校の成績が悪くても、社会で大成する人は珍しくもなく、反対に、学校で優秀であった方が社会で素晴らしいい活躍をするとも限らない。。 そんなことは誰でも知っていることです。その測れる学力を離れて、それ以外の能力の重要性に気付くのは遅ればせながら大切なことです。

企業においても、評価される側の人間は一方的に上司からなされる評価について不満であっても受け入れざるを得ない場合が多いのですが、営業の売り上げなど数字で示されるもの以外は、多分に評価する側が有利なのですが、評価も両方向性で、どう評価するか? という事が評価する側への評価でもあるのです。 サラリーマンたるもの、納得のいかない評価など気にする必要もないのです(ただし、数字で示される客観的なものについては、潔く認めねなりませんが)。 相手はその器の範囲内で自分を評価しているに過ぎないのです。 大きく言えば、小さな器で大きな器の容量は測定できませんし、細かなところで言えば、相手が持つ「分解能」以下の細かな精度も測定できないのです。 全ての人が持つ「物差し」は、みな同じではないのです。

評価については、アホな上司には自分の事など分からないと思って気に留める必要はないのです。先ほどの専門用語で言えば、上司の評定は彼の「認知的能力」の範囲内で、評価される自分の「非認知的能力」など上司に理解できるハズもないと思って自己研鑽に励めばよいのです。 私は、そのように思っていますし、我が子の能力については共に生活して分かっていますから、学校の成績にもほとんど注意したことはありません。 学校での成績など取るに足りないもので、そのようなことに一喜一憂するだけ時間の無駄なのです。 などと言っているので、愚息は大学入学後、好きなことばかりして留年しましたが、それはそれでいいのです。 好きなことに専念する情熱こそが大事なのです。 私自身も「人様による自分の評価」など気にしません。 自分の評価については、長年付き合ってきた自分を客観視する「もう一人の自分」に尋ねるのが一番です。 私の場合、「すべき時に必要な努力をしていない」という事で5段階の2.5というところですね。

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