日本でのパッケージ化の気配が一向にないので、Amazonビデオで視聴。
公私を問わず動物たちと関わる、すべての人に観て欲しいドキュメンタリー映画。
単に動物愛護を訴えた映画ではない。
2010年にフロリダの水族館でシャチが女性トレーナーを食い殺した事件の全容を探る。タイトルの「Black Fish」はインディアンによるシャチの呼び名だ。インディアンにとって「Black Fish」は神聖な存在であり、シャチ、ひいては野生に対する敬意の念がタイトルに込められている。
海を泳いでいたシャチが人間たちの手によって捕まえられる。目的は水族館のショーの目玉にするためだ。シャチは家族と群れをなして泳いでいるが、人間は飼育に扱いやすい子どもに狙いを定める。親シャチがいる目の前で子どもを誘拐するわけだ。シャチの高い知能は脳科学的にも証明されていて、群れ単位での独自のコミュニケーション言語があり、複雑な感情を持っていると推定されている。自分の子どもを目の前でさらわれる親の心情と、さらわれた子どもの恐怖を思うと胸が張り裂ける。
事件を起こしたシャチの「ティクリム」も幼少期に人間によって捕らえられた。捕獲後、彼が連れていかれたのは動物たちへの理解を著しく欠いた水族館だ。見ず知らずの大人のシャチたちと同じ水槽に入れられ、ショーのない一日の3分の2を身動きがとれない鉄柵の牢屋に閉じこめられた。他の先輩シャチからの攻撃と、環境によるストレスがティクリムをどんなに苦しめたことだろう。はらわたが煮えくり返り震える。
2010年に起きた事件は、その地獄のような水族館からティクリムが他の水族館に移動した後のことだ。浮上するのは、人間の隠蔽体質と拝金主義。未然に防ぐことができた事件だったかもしれない。事件の関係者でティクリムをよく知る水族館のトレーナーはみんな動物への愛情に溢れている。とりわけ被害にあった女性のトレーナーは、シャチと意志疎通がとれている優秀な人だったらしい。「それなのに、なぜ?」というのが本作の問題提起だ。
「しょせん人間と動物は理解し合えない」と短絡的に解釈するのはおそらく間違いだ。映画はトレーナーとティクリムの間にあった絆を否定していない。問題は、住む世界が違う野生動物を人間の都合で作った環境に引き込んだことである。シャチは生きるためのエサ欲しさに人間に従い、芸を覚える。そのサイクルが信頼関係の前提になっていることを忘れてはならず、自分になついていると勘違いするのは人間の奢りだ。事件はティクリムの衝動で起きたのではない。人間は野生動物たちの命を預かり、その手を借りるのではあれば、彼らを理解するとともに人間と野生の境界を意識し続けなければならない。
水族館のシャチの背ビレが曲がっている理由はよく知られている。背ビレをピンと伸ばして大海原を悠々と泳ぐシャチたちを観ていると感動を覚える。自分はやっぱり海洋生物の水族館ショーは見られないな。。。。
【70点】
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