そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

東京ホーム&アウェイ

2008-02-18 23:09:47 | Society
小田嶋隆氏のブログ内田樹氏のブログで「自分にとっての『東京』がどの範囲か」ということについて書かれています。
東京の「キタ」の人間である小田嶋氏は、「山手線を新宿と秋葉原を結ぶ総武線で切断した際にできる半円の北側に、赤羽・田端・池袋を結んだ三角形の帽子をかぶせた地域」から「外に出ることができない」といい、「ミナミ」の人間である内田氏は真逆で自身にとっての東京は「山手線を新宿と秋葉原を結ぶ総武線で切断した際にできる半円の南側」に限定されるといいます。

我が身を振り返るとどうかというと…
自分は練馬区で生まれ、幼少時に移り住んだ北区で成人するまで育ちました。
20代半ばで一人暮らしを始めた時に2年足らず浦安市に住みました(職場が近かったので。この時に車を買ったので我が家の車は未だに習志野ナンバー。)が、またすぐに都民復帰。
練馬に4年ほど住んだ後、結婚して杉並へ、そして世田谷へと移ったのです。
直近では23区の最西部を北から南にだんだん動いていってるというか、環七と環八に挟まれたゾーンを同心円状に「反時計回り」に移動しております。
内田氏の説によれば、東京には「時計回り」の方向指示力が働いているということですが、そうだとするとその力には逆らっていることになりますね。

で、自分にとってのプリミティブな「東京」とは、やはり最も長く住んだ北区と生誕地である練馬区、そして近隣の板橋区・豊島区を含めた「池袋文化圏」ということになります(高校も池袋近くだったし)。
ところが、それがここ数年の「反時計回り移動」により南西方向にグッとエリア拡大している。
自分にとっての「ホーム」エリアがだいぶ大きくなってきました。
逆に「アウェイ」なのは城東の下町方面かな。
と言っても上野あたりはかなり馴染みが深いので、隅田川以東(除く葛西周辺)といった感じでしょうか。
例えば葛飾区って個人的に最も縁がない区のような気がします。

というわけで小田嶋氏や内田氏のように山手線内を真っ二つに分けてこっちがホームであっちがアウェイという感じではないんですが、でもその感覚は解る気がします。
人間、特に必要性がなければ突然土地勘のないところにジャンプ移動しないものですよね。
自分の場合も練馬から杉並を経たからこそ世田谷に来れたのであって、練馬から一足飛びに世田谷というのはあり得なかった気がします。
人間の生活圏って面的に拡がっていくもんですね。
コメント
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