ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

美しすぎる仲人

2010-11-15 | つれづれなるままに
「美しすぎる市議」
なんてのが一昔前世を騒がせました。
ヨーロッパの国には「美しすぎる政治家」が結構いるようで、ときどきそういう画像が出回ったりします。

「美人すぎる海女」「美人すぎる歯科医」「美人すぎるバスガイド」
どの職業も別に美人すぎて困ることはなかろう、というものばかりです。
美人すぎる医者、なんてのも、女子医大に行ったら選り取り見取りで見ることが出来ますし。(いまどきの女医さんってレベル高いですよ。広尾病院の小児科とか)

美を売り物にする職業以外で美しすぎると何かとトラブルが起きる業界ってなんでしょうね。
たとえば・・・。

美容整形外科の受付。
ここに美女が座っていたとしましょう。
あなたはこの美女が職員割引あるいは新しい施術のお試し要員として
「工事」がされているのではないだろうか?
これは天然だろうか?
といらない思惑にかられないでしょうか。

新聞で「美人すぎる女看守」っていうのも見たことがあります。
男性囚人の看守さえしなければそう問題にはならないような気もしますが、女性囚人の看守だとひがまれたりしてトラブルを起こすかもですね。

美人すぎる予備校教師、美人すぎる家庭教師、美人すぎる男子校の教師、これもなんだか無駄なエネルギーを使わせてしまいそうで受験生には全く百害あって一利なし。
先生が有名校に在学していて
「おれ、先生の後輩になりたいっす」
と勉学に励む目標になる場合に限り、まあ、ありかな。

そして、何と言っても美人すぎると困るのが
「女性を引き立てる仕事」。
エンゲージリングを買いに行ったら指輪を出してくれる女性が絶世の美女で、
彼女の出してくれるリングをはめる自分の恋人と比べてしまい
「あー、こっちだったらいいのになあ」
といらない邪念が浮かんだりする不埒な男もいるかもしれません。

ブティックの店員もあまり美人すぎて、試着して外に出てみたらその美女が自分の横に立って一緒に鏡に映りながら
「お綺麗ですよ~」
といっても、何の説得力もない、とか。
だいたいお綺麗ですよ、って自分を見ながらいってんじゃねえ!
なんてよけいなヒガミを起こさせてしまい、ダメでしょう。

そして結婚式。
自分の選んだ女性が世界で一番美しく見えるはずのその日、
「おれの彼女ってそうでもないのかも・・・」
と思わされてしまうほど美人すぎるお付きがいたら、本当に困ります。

それが仲人夫人だった、というのが本日の画像です。

怖ろしいことにこれが実話だってんだから泣かせるぜい。


エリス中尉、若いころアルバイトで結婚式のピアノやエレクトーン演奏をしていました。
一流と言われるホテルで人の結婚式をたくさん見てきました。
余談ですが、まさに結婚式とは人生の縮図、一族のレベルが一目瞭然でわかる実に怖ろしいイベントです。

「客入れ」
で、列席者が入ってくる、もう最初の何人かで良家の「格」
が露わになります。
たいていは友人のグループにその特徴は顕著に表れています。
男性のテーブルが茶髪だらけの席の結婚式が上品だった試しはなく、
また女性友人がほとんど振袖で出席している式ほど厳かでお金がかかっています。
お開きが近づくにつれて親族が酔っぱらいだす式は必ず地方出身者同士ですし、
女性のテーブルがやたら派手だと、新婦は必ずフライトアテンダント。
新婦友人テーブルの派手さは新郎の職業の世間的ステータスの高さに比例します。

あれでずいぶん人を見る目を養わせていただいたありがたいアルバイトでしたが、
本日画像の怖ろしい結婚式は、とある(名前を言えばだれでも知っている)有名メーカー社員のものでした。
おそらく新郎はとても優秀で将来を嘱望されている選り抜きの幹部候補だったのでしょう。
なんと、仲人は社長夫妻が直々に務めたのです。

そして、その社長の奥様というのが・・・・
絶世の美女でした。

社長が社長ですからおそらく歳はどんなに若くても五十歳半ばを超えていたのでしょうが、
その美しいことといったら。
女優や歌手、タレントと呼ばれる人も何人か見たことがありますが、それらを含めていまだにあのときの仲人ほど人を感動させるレベルの美人にはお目にかかったことはありません。
美人などという言葉ではいいあらわせない、麗人、佳人の世界です。
彼女の周りだけまさに後光が差しているような、浮世離れした美人でした。

仲人夫人が新婦を伴って入場すると、世間的には並みよりちょっと上、くらいの新婦はたちまち彼女の後光にかすんでしまい、会場の列席者の眼は全て仲人の姿に注がれていました。
(そしてピアノの陰から小躍りせんばかりにわくわくしつつ、仲人ではなくみんなを観察していたのが・・・、
そう、若き日のエリス中尉です)。

人生最高の日に内側から輝くようになるのがこの日の花嫁。
どんな女性もそれなりに一世一代の晴れ姿で「普段の美人」など太刀打ちできないオーラを輝かせているものなのですが、「絶世の美女」の前にはその一世一代オーラもすっかり曇ってしまったというわけで、全くお気の毒としか言いようがありませんでした。

その日の司会者は、これも名前を言えば、ああ、あの、という有名な某氏でした。
某氏、会場を支配する何とも言えない空気を、普通なら無かったことにして式を進めるのでしょうが、そこが名司会者たるゆえんでしょうが、
「そこにいる全員が思っているけど口に出せないこと」
をこんな風に治めたのです。

「みなさん、今新婦が入場してまいりました。
晴れの日の新婦が輝くように美しいのはもちろんですが、それに負けずとも劣らず美しい仲人株式会社○○○社長令夫人について少しご紹介しましょう」

おお、そうきたか。
エリス中尉、思わず名司会者の大岡裁き(ちょっと違うか)に膝を打つ気持ちでした。
ここでみんなが思っていることを明らかにしてしまう方が、空気が和やかになる、なにかつっかえが取れるような状況になる、と判断されたのでしょう。

某氏の紹介によると、令夫人は社交界でも有名な美人だということで、映画女優だったわけでも何でもありません。
ただ上流社会で美人の名をほしいままにし、大会社の社長に見染められた、というだけの女性です。
美人もここまで来ると肩書など要らない、美人は美人というだけで生きていけるということの見本だなあ、と思いましたことですよ。


それにしても、やはり異常な事態です。
実に人騒がせ、というべきで、彼女には何の責任もないものの、若い時からもしかしたらこうやって周りに「異常事態」を巻き起こしてきたのかなあ、だとしたらもしかしたらご本人はあまり幸せではないかもしれない、などと余計なことを考えてしまいました。


そして、そのとき彼女のことを考えていて思いついたのが仲人以上に美人すぎるといやなもの。

美人すぎる姑

おそるべきことに、この社長夫妻、息子さんがいるということでした。

息子さんと結婚される方の御多幸と良家のいやさかをお祈りしてねぎらいの言葉に代えさせていただきます。









沈みゆく戦時徴用船

2010-11-14 | 海軍

月明かりの下、砲撃を受けて今にも沈みゆく艦船の舳先に立ち、最後の万歳をする男性。
逆巻く波はマストをへし折り、後数秒でこの男性は波に飲み込まれこの船と運命を共にするでしょう。
ここに表せなかったのは、全てを飲みこもうとしている怒涛の波と死にゆく船が上げる
雄たけびのような轟音だけに違いありません。


この画像の元になったのは大久保一郎画伯が描いた幻の戦争画
「本船と運命を共にした『ぶら志る丸』の大野船長」です。

この船はまさに敵の砲撃に撃沈されたのですが、万歳をし運命を船に殉じようとする男性は
軍人ではありません。

この船は戦時徴用船なのです。



戦時画と慰霊碑の写真を集めた画像集「海行かば」は、一人では持てないくらいの重量のものでした。
この絵は、それに掲載されていたものを「模写」したものです。
現物との細かいニュアンスの違いについては、それを到底描き切れなかったであろうことを
予め御了解ください。


我が国は太平洋戦争開戦時において世界第三位の海運国でした。


戦争の勃発により全ての船腹と船員は陸海軍および船舶運営会に徴用され、戦時徴傭船として
主に南方からの物質の輸送に従事することになります。

戦争が重大な局面を迎える頃、「国家総動員法」が制定されます。
戦争目的遂行のために多くの人的、物的資源を動員、統制することが定められたのに基づき
次は「船員徴用令」が公布、施行されました。
商船、輸送船が戦争突入の大きな原因となった南方物資と兵員兵器の輸送に携わることになったのです。

当然のことながら、敵からの攻撃対象になることを意味する使命です。
しかし、実際は船舶の護衛などには全くといいほど目が向けられないまま開戦を迎えるに至り、
そこに徴用船の悲劇の歴史が刻まれることになりました。

戦地のみならず日本近海においても多くの徴用船が撃沈されて多くの武器、船員が海底に沈みました。
しかしこのことは当初全く公表されていませんでした。
たとえされても問題にされないくらい国民は緒戦の勝利に酔っていたのです。


徴用船は大船団を組んで往路は軍事輸送、復路は重要物資の輸送に携わりました。

昭和19年には首脳部はようやく海上護衛の重要性に気付き、戦時徴用船護衛艇として
海防艦の大増強を図る航空母艦をはじめ、航空機による船団護衛の部隊を編成し、
輸送の安全確保を図るのですが、遅きに失しました。


敵軍は護衛艦をまず撃沈した後、ゆうゆうと船団を攻撃。
爆撃機、陸攻機は海上の船員、女性に対しても容赦なく銃撃を浴びせたそうです。
20年終戦の時には日本海運はすでに壊滅状態でした。

2400隻、800万総噸を超える船腹と6万余名のの人員が船と運命を共にしました。
因みにアメリカは喪失船腹98隻51万トンにすぎません。



次々と日本の船舶が海に消えていくある日。
大阪商船の社長岡田栄太郎氏が自社船最後の姿を大久保一郎画伯に描かせました。
大阪商船三井船舶(株)の社屋の一室で、大久保画伯は家族にも仕事内容を打ち明けず極秘裏に、
三十数枚の悲劇の徴用船の慟哭が聞こえてくるがごとき絵画の制作を続けます。

当時、戦争画を描く従軍画家には軍から製作にかかる高価な絵の具やキャンバスなどの費用が出されました。
しかし、この「敗戦的な」一連の絵画は、岡田氏の一念で内密に製作を進められ、
戦後もしばらくの間、社屋の倉庫の隅で埃を被っていたそうです。


最後に私が最も胸を突かれた絵の模写を掲載させていただきます。

「沈没寸前に日の丸を揚げる『瑞穂丸』」。

掲揚マストにはもうすでに船員の姿はなく、国旗を挙げきる前にその手を離した男をさらった
逆巻く波は傾いた甲板を洗っています。
途中まで下ろされた救命ボートには、当初誰かが乗っていたのでしょうか。
艦橋にはまだ灯りがともり、暗い部分には人影が見えます。
ぶら志る丸の大野船長のように、従容と死に就こうとする海の男たちの最後の姿なのでしょうか。











ブログを統べる神

2010-11-13 | つれづれなるままに

今日の画像は正真正銘内容とは無関係です。
関西の方ならおそらくご存知かもしれない大阪のスイーツ、
「堂島ロール」。
TОが大阪で買ってきたのですが、何でもすごい人気で並んでも買えない状態らしいですね。
TОは宿泊客なので買えたそうです。
なんと、このロール一つ買えば、まるで移植する臓器を運ぶようなたいそうなバッグに
本体の何倍もの保冷剤、さらに、どうしろというのか3枚の紙袋までセットされてきます。
以前からなんだか色々とネットでは良くない噂が飛び交っているいわくつきのお菓子、という認識でしたが、
虚心坦懐に味わってみれば、

美味しゅうございました。

ケーキ嫌いの息子が「もうひとつ切って!」と言ったくらいで、さすがに評判になるだけはあるなあと思ったものの、
値段を聞いてびっくり、1,200円。
これだけ材料費をかければ美味しいのは逆に当たり前では?
しかしこのお値段でも売れる、というのは、スイーツに対する費用対効果の全体量が
驚くほど広くなってるってことでしょうか。
金に糸目はつけないからうまいものが食べたい、ってグルメはいくらでもいるんでしょうね。



さて本題。
ブログ開設百日目のときは大々的に百日記念としてサマリーをまとめてみました。
しかし、今回二百日はいつの間にか過ぎており、その日のタイトルはよりによって
「食い物の恨み」
だったという・・・。



エリス中尉がそうであったように、ブログを運営しておられる方は、
目の前に実際の人が並んだらびっくりしてしまうような数の人が、
自分の書いたものに対してアクセスをしてくる、ということに
最初は不思議な思いを持たれたのではないでしょうか。

この、ごく限られた話題しか扱わないスキマブログにすら、目を通す方がおられるどころか、
なぜか日を追って立ち寄る方が増えてきているわけです。
ヘタに読者が増えて「荒らし」や悪戯書き込みをするような困った人を呼び寄せるのも本意ではないので、
ランキングが上がるのも善し悪しだと思っているのですが・・・。


最近、ブログというものについて、今まで知らなかった色々なことが見えてきました。

このブログが参加しているGOOブログだけのことですが、今朝現在でブログ総数は
なんと149万2千265。
しかも驚くべきことに、毎日何千ものブログが増えていっている。
つまり毎日これだけの人が世界のどこかでブログを新しく開設しているわけです。

因みにこのうちランキングが付くのは上位1万ブログのみです。


これだけ多くのの人間が(全ブログ合わせるとそれこそ膨大な数の人間が)世の中に向けて発信したい、
と思うブログとは何ぞや。
というような社会心理学の範疇に踏み込んでまで熱く語るつもりはないのですが、
最近ある検索をしていて、ある方面では有名と思われるブログにたどり着きました。
そこで感じたことで、少し見えてきたことをお話ししようと思います。


そのブログ主は自らを「ネトウヨ評論家」と称し、そのブログでどうやら天皇制反対の
共産党とほとんどリンクすると思われる思想以外をすべからく「右翼思想」と切り捨て、
さらにネットでそういった発信をするものを「ネット右翼」=「ネトウヨ」と罵倒しています。
どこからどこまでが彼の言う「ネトウヨ」なのかは深く読み込んでいないので知るべくもありませんが、
彼によると「靖国神社は潰すべき」なので、それをタイトルにしているこのブログ主であるエリス中尉も
ネトウヨ認定ということになりましょう。
その道の有名人であるらしく、彼について語る2ちゃんねるのスレッドすら立っています。

思想はこの世に人間がいる限り相反し対立するのが当たり前であり、健全さからいうと、全体主義こそ最も恐ろしいと私個人は思っているので、どんな思想であっても、その主義の全てを誤謬と決めつけることは危険だという考えに変わりはありません。

しかし、このブログ主は自分と違う思想をあらゆる言葉を使って罵倒し、軽蔑し、
ブログに書きこんできた反対意見を舌なめずりせんばかりの悪口雑言で侮辱するのを
どうやら喜びとしているようです。

そう、思想の対立について相手を論破するのではなく、人格を否定する。
「最近は怖れをなしてネトウヨが来なくなった。相手にしてやるから来い」
と言われても、相手のブログというフィールドで何をどう言っても
「ボキャ貧」
「馬鹿ウヨ」
(笑)
に最終的に落としこまれるのでは論戦にならず、怖れをなしたというより、
心ある人間ならわざわざ不愉快になるために近寄って来るわけはないと思います。

彼のブログについて語るスレッドで圧倒的に多いのは
「問題は思想ではなく彼の人間性」という説でした。
罵倒も誠心誠意するのと違う、何か「小馬鹿にしておちょくってる」感じを全面に出しており、読んでいるだけでなんだかどろどろした負のオーラがビンビンと。
気が次第に滅入ってくるのをがまんしてしばらく読んでみたのですが、
考えそのものには決して破綻したところは無く、きちんと論戦して冷静に自分の思想を披露するだけの
知力も説得力も十分ある方のようなので、実に残念な気がしました。

特に「自分と違う思想の奴みんな馬鹿」っていうのがどうもね。




ところで、時事ネタです。
今回中国漁船衝突ビデオを、限られた人数の国会議員が見た段階でコメントを発表したのですが、
全く同じ時間、同じビデオを見ているはずなのに

あーら不思議。

属する政党によって、全く目に映る事象が変わってきているんですね。
「これはどの程度中国船が悪質だったか」
というレベルが、もっとも低かった、それどころか海保が悪いと言いきったのは民主の議員。

「向こうが逃げまどって、当たっちゃったということだ。衝撃があるような当たり方じゃない。
ぶつかる瞬間はカメラの位置からして見えない」


あの映像を見た船舶関係者は一様に
「悪質だ」
という感想を持っており、何と中国国内でも勇気ある若者があの映像を国内のネットに流し中国政府の欺瞞を糾弾する騒ぎになっています。

当然野党代表は同じような感想に終始しています。
ここでご存知社民党福島党首。

「車が道路でちょっとコツンとぶつかるような、あてて逃げるという映像だ」

これ、板子一枚下は地獄で命を張っている船乗りさんは皆どう思ったでしょうね。

「みずぽ、お前を保安船の舳先にくくりつけてやるから
一度中国漁船に軽くコツンとしてもらえや!」


って思わなかったでしょうか。
とくに神戸海上保安庁のsengoku38さんは。


同じものを見ているのに、同じものに見えない。
思想って、フ・シ・ギ  
まるでクリスタルガラスみたい・・・・


我らが仙石官房長官、ほとんどの国民がsengoku38さんに喝さいを送っているという報道を
知っているのか知りたくないのか

「国民のうちの過半数がそう思っているとはまったく思っていない。
いろんな事件が起 これば、けじめのついたしかるべき措置をしてもらいたい、
という健全な国民が圧倒的な多数だと信じている」との見方を示した。




あら私、官房長官から見ると不健全な国民なのかしら。
「しかるべき措置をするべきいろんな事件」の中に中国漁船の話は含まなくていいのかしら。

非難覚悟で書いちゃうけど、どうして「左っぽい方々」
って、古今東西権力を握った途端極端に独裁というか、全体主義というか、排除にはしるんでしょうか。
穏やかで人格円満に見える共産党のCさんも、万が一第一党になったら粛清とかやっちゃうのかな。



さて、思想信条の前には、そのときに応じて見えているはずのものが見えなくなったり、
聞こえているはずのものが聞こえなくなったり。
人は、この世に形而上の絶対などというものは存在しないということをともすれば忘れがちな生き物です。


しかし、ここでむりやり話を戻しますが、ブログというものは(GOOブログだけで言っても)
140万の世界の創造主がその国を統べる、いわば絶対無謬の別天地であり、
不可侵のサンクチュアリなのかもしれません。



ある日、ある反戦映画の情報を検索していて一つの「主婦ブログ」にたどり着きました。
映画の感想としては、子を持つ母として当然の「戦争反対」を延々と、失礼、切々と訴えた、
至極まっとうなものでしたが、コメント欄で展開している持論の中で、明らかに過去の史実を
ご存じないで言いきっている部分があり、ふと気まぐれを起こして―いつもなら絶対しないのですが
―それを書きこんでしまいました。


しばらくそのまま忘れていたのですが、ふと同じ検索に行き当ったので先日コメント欄を見れば

「教えてくれてありがとうございます。知りませんでした」
に始まったのですが、

「しかし私はそんなことを調べるなんて、大変なことはしません」
「ただのババアですから」

おお、なんだかすごいぞ。
最後は

「そんなことを言うのはは自分のブログか講演会でやってください。
こちらのことは心配ご無用です!」

・・・・キレられてしまいました。

いや、全く、おっしゃる通り。
人の家にいきなり入っていって
「あなた、間違ってますよ」
っていうようなものだったのですかね。彼女にとっては。

いくらそこで無茶苦茶な(と思える)ことを言っていたとはいえ、
これはこちらが100パーセント悪かったなあと心から反省した次第です。
その世界では絶対神であるブログ主に、全く失礼でありました。
これがリアル触らぬ神に祟りなし。
二度としません。


因みに、先ほどの有名ブログの主は気に入らないコメントをする「ネトウヨ」は、IPアドレスをさらしものにしておられるとのこと。
これからもよっぽどもの好きなチャレンジャーしか来ないだろうなあ。


と、ここまで書いてはっとしたのですが、このブログの絶対神であるところのセイント・エリスはどんな意見も糧とし成長する上で受け入れる覚悟を持っておりますので、もし
「あんたそれおかしい」というようなことがございましたら遠慮なくコメントしてくださいね









1942年8月9日ラバウル B-17撃墜の図

2010-11-12 | 海軍

今日画像に挙げたのは、ラバウル上空に8月9日飛来したB-17と空戦をする台南航空隊を描いた絵です。
林唯一画伯のスケッチ集から見つけてきました。



この絵について語る前に、従軍画家としてラバウルに行った林唯一画伯(1885-1972)についてお話ししましょう。

挿絵画家として雑誌や新聞、小説などに流麗な挿絵を描き、家庭的なモダン風俗画や抒情画を得意とした林画伯が海軍附きの従軍画家としてラバウルに派遣されたのは昭和一七年の八月のことです。

何ヶ月かの滞在のうちに、画伯は戦地での日常を随筆文とともにしたため、
「爆下に描く」と題する本を戦時下の昭和一八年一二月、出版します。
この本は現在刊行されておらず、古本でしか求めることができません。
 出版に際しては当時の内閣情報局情報官である古橋才次郎海軍中佐の筆による序文が寄せられています。



画伯は絵はもとよりなかなかの文才の持ち主で、
思わずはっとするような表現で基地生活の一こまを描写しています。

古橋中佐の序文の調子にもそれは表れていますが、特に戦時下の発刊らしいと思わされるのは、
部隊名、人名、航行距離や話題にする島の名前に至るまでがイニシャルあるいは○で伏せられていることです。
台南空の司令部や坂井さんとされる搭乗員も登場するのですが、全てイニシャル。
戦後の再刊にあたって、分かる人名は傍註という形で明らかになっています。

この林画伯についてはまた紹介したいことがあるので稿を改めますが、冒頭述べた絵についてです。
この元スケッチになったと思われる本日画像にはただ「ボーイングB十七撃墜」という題が付いています。




台南空笹井中隊がB-17を撃墜したという話は、例えば「大空のサムライ」にも何度か出てきます。
しかし、この絵はほぼ確実にこの日のものである、ということが行動調書から推測することができました。


坂井三郎が傷つき、また西澤廣義がマラリアで病床にある八月九日、基地にB-17が四機現れ、
邀撃に上がった台南空と二空の零戦が交戦しました。
この空戦を、林画伯はたまたま搭乗員をスケッチしていた飛行場で間近に目撃するのです。
この空戦は高度が低いところで行われ
「編隊はふてぶてしく翼を並べ、その胴っ腹や発動機の金属の凹凸が、はっきり見えるほど頭上に迫った」
というくらいだったようです。

画伯の描く空戦の様子です。

「墜ちるのではないかと思っていると、ツと水平に還って、ボーイングの腹の下を、かい潜ってははまた、後から追いすがって行く。一機が入り代わって一機に次ぐというように、仕留めるまでは放さない攻撃を続けている」

「ボーイングの大きさに比べて、戦闘機の割合があまりにかけ離れているので、
まるで、鳶に雀が挑んでいるようである」

「見ている者がワッと叫ぶ。次の墜落の瞬間を期待して一斉に拍手が起こったが(中略)
戦闘機は、もう見失う位に小さくなっているが、時々夕日に、キラリと翼を輝かせて反転し乍ら敵機を逃さずに食い下がっているのだ」


戦地に着任してすぐこのような空戦を目の当たりにした林画伯の興奮さめやらぬ様子が
ありありと表現されています。



この日一日の台南空の行動調書は五部に分かれています。
なんと、偵察を含め5回も出撃が行われたハードな一日だったようです。


1ツラギ港索敵、敵艦船偵察
2掩護 銃撃 (隊長 河合四郎)
3ツラギ敵船団第三次攻撃
4進撃哨戒(隊長 村田功中尉以下三機による)
5進撃 交戦

この最後の空戦は河合大尉以下14機による協同撃墜によりB-17×1、と記されています。

林画伯が目撃したのはこの5回目の交戦だと思われます。
この編成は非常に変わったもので、分隊別に


1 河合大尉以下三名
2 山下大尉以下三名
3 村田中尉以下二名
4 結城中尉以下一名
5 笹井中尉


という飛び方です。
分隊の後ろに行くほど人数が少なくなっていて、5分隊は笹井中尉一人だけ。
これは、編隊を組まず笹井中尉が単独行動したということなのでしょうか。

また、画伯は二機撃墜したらしい、と書いていますが、一機は不確実だったのでしょう。
行動調書には記録されていません。

林画伯は着任早々新聞記者の芦田報道員から台南航空隊についてこのような説明を受けています。

この戦闘機部隊には、K(河合)大尉、S(笹井)中尉、K中尉、S(坂井)兵曹長などという戦闘にかけては絶対の技量を持った荒鷲が揃っていた。
S中尉はすでに九十何機、S兵曹長は七十何機という撃墜記録を作っていることを、この部隊付きの芦田報道員が私に話してくれた。


K中尉という名があります。
傍注にもこの名についての記述はありませんが、
台南空行動調書昭和17年9月10日に指揮官として『木塚重命中尉』と言う名が見えます。
この人のことかもしれませんが、陸偵で、ガダル決戦前の集団写真では、
前から三列目、一番右の人物ではないかと言われています。
(わたしは士官がこの位置にいるのはありえないと思いますが)
木塚中尉は海軍兵学校六十七期、つまり笹井中尉と同期ですが、戦没したのは大尉昇任後の二五一空。
没地は浜名地方となっています。

大空のサムライで名前を見る搭乗員はごくごく一部ということですね。




その著書で「S(坂井)兵曹長の負傷」についてはかなりくわしく記述している画伯ですが、
その直後の笹井中尉の戦死については軍機密上記事にできなかったと見え、何も語っていません。
それどころか、このころの相次ぐ搭乗員の戦死については
まるで無かったことのように触れられていないのです。


林画伯は赴任中、搭乗員に肖像画を描いて進呈したり、美人画をプレゼントしたりしていたそうですが、また慰安所に飾るための空戦の絵を描いたりもしていたようです。

その絵は今日のデッサンをもとにしたものであるかもしれません。







「爆下に描く 戦果のラバウルスケッチ紀行」 林唯一著 中公文庫刊
台南航空隊行動調書 防衛庁資料室蔵








国威発揚映画「東京上空三十秒」

2010-11-11 | 映画
皆さん、この映画のタイトルなり評判なりをちらっとでも今まで聞いたことありました?
無いでしょう?
日本ではほとんど誰も知らないと言ってもよいこのアメリカ映画、
(そう思ってるのがエリス中尉だけだったらゴメンナサイ)
悪名高きドゥーリトル爆撃隊の東京大空襲を描いたものです。

3枚買うと3千円というコーナーで見つけなければ今後も知らないまま人生を終わっていたかもしれないのですが、買ってしまったのでご報告します。

何も知識のないまま観始めたのですが、なんだか次第に
「嫌な感じ」
に見舞われてしまいましてね。

日本と戦争していて日本を爆撃する映画なら当たり前じゃないのか、と思われた方。
その「嫌な感じ」というのが、日本人としての嫌な感じであるのは当然なのですが、少し不思議だったんですね。

およそ戦後の戦争映画は、かつての敵国といえど今は仲良しゆえ、ちょっとは相手の気持ちも考えて作られていて、相手が悪いとかではなく
「仕方なく戦っただけだから。戦争だったんだよ」
というところに着地しようとしている様子がどこかにあるものですが、
これにはそれが無いというのがその感じの原因です。

爆撃隊のブリーフィングで日本に駐在武官として長らくいたという佐官が写真を見ながら説明する。
「この工場は何とか言う兄弟がやっていた。嫌な奴らで嫌いだった」
・・・ここ笑うところですか?
搭乗員が
「不時着はどうやったらいいですか」
するとその佐官、顔を曇らせて
「日本に不時着だけはするな」

って、なんだよこれ。

爆撃後中国の沿岸に不時着して医者を頼むと中国人が
「このへんに医者はいない。日本人の意者ならいるが」
「日本人でも何でもいい」
「日本人は夜は絶対に来ない」

って、なんなんだよこれ。

で、異常に中国人を持ちあげてるんですね。
なんかみんな純粋で気持ちが優しく、天使のよう。
英語を話す中国人の医者もその父親も、もう当てつけのように?いい人ばかり。
中国を飛行機で発つとき何故か後ろにあの「中国国歌」。

なんなんだあこれは!

と、やおらウィキで調べだしたところ、なんと、この映画が製作されたのは

1944年

うぉっと、国威発揚映画でしたか。
そいつは失礼しましたね。
道理で日本人が観たらむかむかするはずだ。


さて、ご存知のように、日本では鬼悪魔と言われたドゥーリトル爆撃隊、隊員は家庭もあり愛する人もいる一人の人間、ってことで、主人公ローソン中尉の新婚の妻とのロマンスを中心にストーリーが進みます。
不時着で脚を切断するものの、生きて妻に会える、と機上でうるうるするローソン中尉。
意識がもうろうとする中で幸せな日のクリスマスを思い出したり、もうべったべたです。
また、この片足をなくしたローソンに天使のような中国人が
「みんなにプレゼントあるよ」
といって中国靴を渡すのですが、中尉の脚に気付きはっとするとか、
岩石のようなおばはんが何故か皆が去るとき滂沱の涙を流しているとか、

一体中国人をなんだと思いたいんだアメリカ人?

って言いたくなる甘ったるい感じが横溢しておりましてね。
そういえば小林よしのり氏が
「中国という大陸に対する根拠のないロマンシチズムと可哀そうな中国人を労わってる優しい俺たちに陶酔している」
と当時のアメリカ人が中国に対して持っている幻想を切って捨てていましたが、まさにそんな感じ。

あのおばはんはきっとみんなが出ていくのが哀しくて泣いてるんじゃないと思うぞ。
エリス中尉にはわかる。


(ちなみに、この攻撃は中華民国軍の支援を受けて行われました)

もちろん国威高揚の言い訳映画ですから、東京の空襲で罪もない子供まで死んだ、なんてことはこっから先も出てきやしません。

最高に気持ち悪いシーンが、中国人の天使のような子供たちがみんなでアメリカ国歌を歌うんです。
学校の校庭を逃げる日本人の子供に機銃掃射を浴びせたのはだあれ?
民家と知っていながら爆撃したのは誰かなあ?

でも、ご安心ください。
パイロットが
「庭師が日本人で、いい人だった。
日本人のことは別に好きでもないが嫌いでもない。
なのに今こうして世界一の都会を爆撃しようとしている。
不思議なものだ」
と言ってみたり、
ドゥーリトル隊長に訓示で
「一般市民を巻き添えで殺すことはやむを得ない。道徳心に責められるな」
と言わせて、子供を殺したことを映画で正当化していますよ。



作戦成功し、准将に進級して意気揚々のドゥーリトル。

しかし、現実は日本軍に捕虜になったうち三名が「一般人への攻撃」を行ったということで処刑されており、これがまた反日プロパガンダに使われました。
大統領の演説では彼らが一般人の意図的な殺害を理由に処刑されたことは伏せられています。
さらに言えば、この件に対しアメリカは戦後、戦犯裁判で関係者に「報復」しています。

さて、映画的には特殊撮影が当時にしては秀逸、ということです。
爆撃されている街はどう見ても日本には見えませんでしたが(笑)

それから、空母ホ―ネットで出撃時に撮影された発艦シーンが実際に映画の中で使用されており、この年の10月、ホ―ネットは瑞鶴の村田重治少佐率いる雷爆撃隊(少佐含む二機自爆攻撃)をはじめとする日本機動部隊からの攻撃でずたずたになり、最終的には米軍側の処理弾を受けても沈ます、撃沈命令により現場に赴いた秋雲と巻雲の雷撃によって引導を渡されています。


だから、ホ―ネット実物の甲板を見てみたいかたには、この映画お薦め。
つか、ここしかお薦めする箇所が無い。

いや、個人と戦争のあり方などはね、一般的で、よくわかるんですよ。
戦争している相手だから決して遠慮していないって言うのもね。
でも、とにかく

むかつく。




日本の地図にTHE END って被せんじゃねえ!(怒)



駆逐艦「藤波」のこと

2010-11-10 | 海軍

「クリスマスの季節が来るたびに『藤波』の乗組員たちの記憶が甦って私の心に重くのしかかります。
そして私は彼らの魂の安らぎをひたすら祈るのです。

駆逐艦藤波の松崎辰治中佐は天晴な海軍軍人でありました。
もし『藤波』とその素晴らしい乗組員たちの振る舞いが日本の人々、
とりわけ『藤波』乗組員の遺族の眼に留まることがなければ、
私は死ぬに死ねない思いを抱いています。

この文章を読んでいただいた全ての方にお願いします。
どうか私のこの願いを叶えさせてください」



これは、昭和19年10月25日に行われた比島沖海戦中、
第一遊撃部隊、栗田艦隊のサマール沖海戦で沈没した
「ガンビア・ベイ」の乗員であり
生存者の一人、ポトクニアク氏が 旧海軍の第一期飛行専修予備生徒の会である

「関東海軍一生会」

あてに送ってきた手紙の一部です。




この海戦で米軍護衛空母「ガンビア・ベイ」は撃沈され、乗員約706名は海中に投げ出されていました。
そのとき米軍主力艦戴機は栗田中将率いる艦隊を追い、生存者には気付いていませんでした。


駆逐艦「藤波」は栗田艦隊の第二水雷戦隊の第32駆逐隊に属して
この海戦に参加していましたが、航行不能となった「鳥海」の乗組員を救助し、
魚雷で「鳥海」を処分しました。


「鳥海」の護衛にあたっているときから「藤波」は海中を漂う
「ガンビア・ベイ」の生存者の周囲を巡航していたようです。


「鳥海」処分後、「藤波」はガンビア・ベイの乗員の漂う海中を通り抜けます。
そのとき、


「あまたの漂流者の中から、まず同僚のルー・ライスが、
そして兵曹のバーン・カールセンと副長のバリンジャーが声をあげたのです。
我々に気付いた「藤波」の乗組員が舷側に立って手を振り、写真を撮り、
そして我々に一斉に敬礼しているのが見えました。
我々は「藤波」から機銃掃射を受けるものと覚悟していたのですが、
我々は何ら手荒なあつかいをうけなかったのです」



本日画像の「藤波」艦長、松崎辰治中佐は海軍兵学校52期卒。
同期生に源田実、淵田美津雄、猪口力平氏がおり、先日お話しした
「帝国海軍の武士道」の工藤俊作艦長は一期上。
やはり鈴木貫太郎校長の薫陶を受けた世代です。

戦った相手に敬意を表した「藤波」は、奇しくも「ガンビア・ベイ」の乗員たちが
救助されたころに艦載機に魚雷の攻撃を受け、撃沈され、

救出した「鳥海」の乗員とともに全員が戦死しました。


「ガンビア・ベイ」を撃沈したのは重巡洋艦「利根」ですが、
「利根」艦長の黛治夫大佐は、

「ガンビア・ベイ」の乗員が飛行甲板の後端に集まって

冷静に縄梯子を下りる順番を待っていた

のを双眼鏡で認めており、無用の殺傷を避けるために船体の中央を狙ったことを戦後語っています。

そしてこのような言葉を付け加えました。

「このような勇士と戦えたことは私の最も誇りとするところです」


この記述をある日ポトクニアク氏を始め「ガンビア・ベイ」の生存者が眼にしました。


このことから、彼らがあらためて自分たちが戦った日本帝国海軍の武士道精神を、
とりわけ誰ひとり語ることなく海の波間に消えてしまった「藤波」の乗員の崇高な行いを、
世界に知ってほしいとの強い思いを持ったものでしょう。



今現在、駆逐艦「藤波」のことをインターネットで調べても、このような話は全く検索にかかってきません。
この話も「ひっそりと海の底に眠っていた」ものの一つだったのです。

なぜなら、全員が海に沈んでいった「藤波」の乗組員がどのように振る舞ったかを知っていたのは
敵であった「ガンビア・ベイ」の乗員だけだったからです。


もし「鳥海」の仇打ちとして海の上の敵に対して機銃掃射をしたとしても
戦争という異常事態の中では咎められることでも、異常なことでもなかったのですが、
それでも「藤波」の松崎艦長は「海の武士道」を貫きました。


ポト二アク氏は次のように語っているそうです。

「私は世界の人々、とりわけ日本の人たちに駆逐艦「藤波」の乗組員のことを知ってもらいたいのです。
これら乗組員たちの、見事な行為を知ってほしいのです。

我々は無事に帰郷し、昭和19年のクリスマスをそれぞれの家族とともに過ごすことが出来たのです。
しかしながら、「藤波」の全乗組員は亡くなってしまいました」






この記事は、今月号の機関紙「靖國」に、アメリカ合衆国海軍協会会員である西村克也氏の名で掲載されています。

万が一、これを読まれた方の中で駆逐艦「藤波」の乗組員の御遺族、関係者がおられたら、
靖国神社内「靖国偕行文庫」までご一報をいただけないでしょうか。












取り締まられ

2010-11-09 | つれづれなるままに


エイペックが近づいてきたので、首都圏どこへいってもお巡りさんとパトカーだらけです。
高速道路はそれこそしょっちゅうパトカーやらお巡りさん輸送トラックと行きかい、
一台見つけたら周りに三十台は潜んでいると言っても過言ではありません。

先日走行車線をパトカーが走っているので誰も追い越しできないまま大名行列状態になっていたのですが、ふと車体を見ると「沖縄県警」の表示が。
県外からAPECのために招集がかかって集結しているようでした。
当然のことながら交通取締に関しては県外のパトカーは関知するところではないので、安心して追い越しをしましたが、そのときふと本日画像のような想像をしてしまいました。

パトカーに採用されるのはクラウンやスカイライン、RX7なんかでしょうか。
なにしろ「魔改造」がほどこされているので、エンジンが半端なく物凄いそうですね。

覆面パトは前にもちらっと書きましたが、クラウンが多いです。
しかし、湘南方面では一時「ピンクのスポーツカーに警官と婦警のカップル」というとんでもない覆面がいたという噂を聞いたことがあります。

都市伝説のたぐいだったんでしょうか。

しかし、覆面の佇まいというのは分かる人にはわかってしまうもので、追い越し車線をゆるゆる走っているのに、後ろに車が着くと
「さあどうぞ」
と不自然に道を譲る。
追い越して数秒後後ろで派手なランプがくるくる回りだす、というパターンが多いようです。

一度エリス中尉、抜かし際に乗員チェックしたところたちどころにヘルメットのおまわりさんを認め、すぐに彼らの前に車線変更。
やり過ごして今後の参考にと後ろから観察していると、同じ方法で「粉をかけ」つまり追い越し車線をふさいでしばしいらいらさせ、抜かさせた後、狙いをつけた車にそろそろ近付いていって獲物のスピードを確認できるまで死角を追尾しているんですねえ。
ああいいなあ、高速道路の取り締まり、それも覆面。ハンター気分で
さぞかし楽しいだろうなあ。


というわけで、世が世なら戦闘機を志望していたかもしれない両眼視力2・0のエリス中尉のように「見張り十分」のドライバーは決して覆面にはつかまらないのです。
高速上ではね。

しかし、敵もさるもの、路上で網を張るときにはちゃんと死角で網を張っているのですな。

先週、丸の内でつかまってしまいました。
用事のあったビル出口の道が行きたい方向と逆だったので、次の信号でUターンしたら
回りきったところに婦警さんが。

こういうとき、あなたどうします?

1 思いっきりふてくされて免許を投げるように渡し必要以上に口をきかずいらいらしてみせる
2 「ああ~気がつかなかったんですよ~」とお愛想笑いをし処理が終わったら「ご苦労様です」と警官をねぎらう。
3 淡々とポーカーフェイスで接し、粛々と指示に従う。
4 「俺たちの税金で養われてんのに余計なことするな」と捨て台詞を言い車を発進させる。
5 議員バッジを見せながら方面本部のナニガシは元気かね?んん?と威嚇する。

大抵の善良な市民なら1から3までの間を程度の差こそあれうろうろしているものと思います。
エリス中尉もワン・オブ・善良な市民として、どんな急いでいて不愉快でも
「これは彼らの仕事」
とお経のように唱えることで自分の気持ちを抑えるようにしています。

このときは婦警さんが新人なのか、年かさの警官に指導を受けながら処理をするのでやたら時間がかかり、思わず「早くしてください~」と言いたくなりました。
禁止区域でのUターン違反は6000円ですよん、皆さん。

そして、二日後。
息子が何故か「医龍」という番組のDVDを借りたいというので、レンタルショップに行くため、道反対側にUターンしたのです。
エンジンを切っていると窓ガラスをコンコン叩く人影。

なんだかつい最近同じようなことがあったなあ。デジャブかしら。
「ここUターン禁止ですよ~」

      ( ゜艸゜)・;'.、ブッ

無駄に男前のお巡りさん、
「どうしました」
「いや・・・おととい丸の内でUターン禁止でつかまって」

     ;:゛;`ゞ(≧ε≦ )ブッ

「気をつけて下さいよ~。
今からどうされるんです?○○(レンタルビデオ店)ですか?」
「えー・・・と」(駐車禁止だよねえここ)
お巡りさん、夜目にもさわやかにニッコリと笑って
「ああ、ビデオ借りるんなら車このままで行ってきてください。その間に通告書書いときますんで」

はあああ?


帰ってきて
「お待たせしました」
「あ、これ通告書です。左手の人差し指で捺印お願いします。インクはすぐ消えますよー。(マジで?)それからこれ振り込み書です。御存じとは思いますが六千円払い込んでください。気をつけてくださいね」(ニコッ)

「・・・・・・ご苦労様です」

まあなんというか、しょっぱなで吹いてしまったのが幸いして、和気あいあいと、というか、お互いちょっとだけ楽しく取り締まり取り締まられしたという連帯感。
車を出してからも決して不愉快な感じはしませんでした。
因みにお巡りさんが男前だったことは何の関係もない、と断言しておきます。

それにしても不思議なのは―車を運転される方なら同意してくださる方が多いのではないかと思うのですが―
こういうことって、必ず続きますよね。
何故なんでしょう。

因みに
「エイペックの検問かなんかやってたんですか」
と聞くと
「エイペックじゃありません。我々の車の目の前でUターンされたんです」


見張り不十分。















      

高貴なる不良バロン西の血中海軍度

2010-11-08 | 陸軍


陸軍戦車部隊隊長として硫黄島で戦死した西竹一中佐(死後大佐)です。

海軍ファンであるところのエリス中尉が海軍に目覚めるずっと昔、
さかのぼれば少女時代から西中佐、バロン西は憧れの軍人でした。

今日の画像を見ていただけると何となくお分かりかと思いますが、
西中尉(当時)の軍服は特別仕立てです。
腰を極端に絞り、ジョッパーズという乗馬ズボンの腿部分は大きく広がった独特のデザイン。
襟はハイカラー。
軍帽も自分好みにデザインしています。
横に大きく張り出したトップ(他の将校と写っている写真ではバロンだけ軍帽が大きい)、
短く垂直なひさし。
これを世に「西式軍帽」と言ったそうです。
もちろん軍服の仕立てもヨーロッパでの特別誂えでした。
ブーツ、鞭、馬具は全てフランスはエルメス製。

 戦後何十年を経ていまだにぴかぴか光るキーパー入りのエルメスのブーツを見て、
その美しさにため息をついたのが、何を隠そう、
エリス中尉がエルメスファンになるきっかけであったともいえます。
死地となった硫黄島でも西中佐はエルメスのブーツ、手には乗馬鞭を離さなかったそうです。

大金持ちの男爵家に生まれた西中佐はもともと車やバイクを乗り回すスピード狂でした。
陸軍幼年学校のとき乗馬に関心を抱いたバロンは、帝国陸軍の花形、騎兵士官に任官。
伝説の馬術家、バロン西が誕生します。

当時の男性としては長身の175センチ、そして何より腰高の足長体型を生かした
「首に乗る」独特の騎馬法で、バロン西はあっという間に才能を開花させます。

そして、1932年のロスアンジェルスオリンピック。

プリデナシオン(優勝国賞典競技)といい、オリンピックで最終日に行われる乗馬競技、
大賞典障害飛越(この競技の勝者で真のオリンピック優勝国が決まるという意味合いを持ち、
特に敬意が払われている競技)で、日本の陸軍中尉が信じがたい飛び越しを繰り返し、
人馬一体、端麗優美の妙技を披露して優勝を成し遂げました。
場内のアナウンスは優勝者の名前を高らかに告げます。

「ファースト・ルテーナント・バロン・タケイチ・ニシ」

バロンは優勝後のインタビューに
We won」、われわれ(=私と愛馬ウラヌス)は勝った、と答え、
その答えは世界の人々を熱狂させます。

天才バロン西は、また高貴なる不良少年でもありました。
十歳のとき男爵位とともに巨万の財産を引き継いだバロンは、まずカメラに没頭。
邸内に暗室まで作って現像焼き付けをする凝りようでした。(子供ですよ)
バイオリン、空気銃、そしてバイクはハーレーダビッドソン。
クルマも少尉候補生の分際でアメ車をとっかえひっかえ。
銀座、築地川には高速ボートをつないで、ホステスを乗せて酔っぱらい運転。

あり余るお金を惜しげもなく遊びにつぎ込み、酔うとケンカもする酒豪でした。
アメリカやヨーロッパでも臆することなくハリウッドのスターと「マブダチ」になり、
船の甲板で真っ裸の追っかけっこ。
美人女優との一夜を賭けて一気飲みの末ぶっ倒れる。

リベラルで遊び人の多い海軍にもこれだけの人物はそういません。
そう、タイトルにある「血中海軍度」が異常に高いバロンでした。
バロンのためにかれが海軍軍人でなかったことを心から惜しむエリス中尉ですが、
海軍に騎兵隊は・・ないですよね。


もちろんのことそれをこちこち石アタマの陸軍が快く思う筈がありません。
大尉になり、少佐になって東京オリンピックを控えた頃満州の荒野に転勤させられてしまいます。

昭和16年には、騎兵科は歩兵科の流れを汲む戦車兵と統合されて機甲兵となり、
兵種としての騎兵は消滅することになりました。
騎兵の多くは、西中佐に代表されるように戦車部隊の要員となるのです。
西中佐が最後に激戦の硫黄島に赴任させられらたのは、
陸軍上層部が派手すぎるこの士官を嫌い、あえて死地に追いやったためだいう説があります。

また、ロスアンジェルスの四年後のベルリンオリンピックで落馬し棄権したという
「失態」に対するものだという説もあります。

日本の切羽詰まった戦況を鑑みて、
特に西中佐だけが懲罰的人事を命じられたというわけでもない、と当初私は思っていましたが
「竹槍事件」を調べて以降、どちらの説も当時の陸軍なら、
あっても不思議ではないと思うようになりました。

しかし、ベルリンで同盟国ドイツの競技者を勝たせるためにわざとバロンが落馬したのだという
とんでもない説に対しては、スポーツ競技者であり、軍人であり、何よりも日本人であるバロンを
徒に貶めようとする悪意のある噂で、全く愚にもつかないとだけ言っておきましょう。


クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」では、
西大佐を伊原剛志が演じていますが、エリス中尉的にはこの配役、全く不満です。
長身の男前なら誰でもいいってもんじゃなかろうと思います。

当時西中佐は43歳。
とても伊原剛志のあの年齢ではその風格もなければ余裕もありません。
何と言っても、伊原剛志からはバロンのゴージャスでエピキュリアン的な貴族らしさが
全くと言っていいほど感じられません。

さて、ここで有名な「降伏勧告」です。

この勧告が本当にあったのかどうかについては諸説あるようです。
硫黄島にいたが全く聞いたこともないという説や、
アメリカに実在するフィルムで、稚拙な日本語で呼びかけている音声が入っているものが
それではないかという説もあり、事実は永遠に謎のままです。

「バロン西、あなたの名誉はすでに十分保たれた。降伏してください。
我々はオリンピックの英雄であるあなたを殺すに忍びない」


バロンはまたロスアンジェルスの名誉市民に名を連ねています。
こういう放送があった、というのは、あくまでも日米合作による伝説で、
実際は単なる一般的な勧告であったのかもしれません。

しかし、バロンの旧知の映画人で、米軍の情報将校として
グアムの第315爆撃航空団に赴任していたサイ・バートレット陸軍大佐
アメリカ軍制圧後の硫黄島に降り立った際に拡声器を用いて西に投降を呼びかけた、
という証言もあるにはあります。
大佐は、戦後、靖国神社でのバロンの慰霊祭に訪れ、涙で追悼の辞を述べています。


これが作られた美談であったかどうかはともかく、この伝説が生まれることそのものが、
この高貴な不良、一代の痛快児に、日本は勿論、
敵国のアメリカ人ですら憧憬を寄せていたということの証明ではないでしょうか。



最後に少し切なく不思議な話をしましょう。

バロン西が硫黄島で戦死した一週間後、遠く離れた東京の厩舎で、
静かに老後の余生を送っていた愛馬ウラヌスが息を引き取ったそうです。
バロンは最後のときもウラヌスのたて髪を胸ポケットに入れていました。

かれは愛馬を迎えに来たのでしょうか。
そして、かつてのように共に空を駆けていったのでしょうか。




参考:「20世紀号ただいま出発」 久保田二郎 マガジンハウス刊
   『オリンポスの使徒 「バロン西伝説はなぜ生れたか」』 大野芳 文藝春秋刊
    ウィキペディア フリー辞書 





38って何ですか?

2010-11-07 | 日本のこと
                   

時事ネタなのでこの事件がどうなっていくか注視しつつ、石破茂自民政調会長の
「法悦の笑顔」をお絵かきしてみました。
オリジナルの大きさだと実に画面が暑苦しいので(いや、石破さんの顔がというわけではなく、あくまでも絵が、ね)サムネサイズです。

ご存知かと思いますが、ユーチューブに流出してしまった尖閣諸島の中国船流衝突ビデオ。
アップ主の名前が「sengoku 38」だったことの感想を会見で記者に聞かれたときの満面の笑顔です。
小さいので分かりにくいですが、瞳にはキラキラのお星様を入れてみました。

お顔はつやつやと輝き、瞳孔は開かんばかりで、近来こんな嬉しそうな人間の顔を見たことがないって気がします。(写真はね)
それにしても少し印象操作し過ぎましたかね。バックの色とか。

民主は流出したことの徹底捜査をするつもりですね。
「政府転覆をはかっている」
と発言した官僚もいたそうです。


まず問いたい。

国民のほとんどが、そして野党が求めているにもかかわらずどうしてこうなる前に公開しなかったのか?
内容は政府見解に合致しており、これを公開しないということに対して国民を敵に回してまで守りたかったものとは何なのか?
やはり細野が密使として中国に行き、ビデオの非公開を約束してきたということを裏付けているだけではないですか?

何にしてもグダグダ、どんどん泥沼化しているていのこの事件ですが、政府はどうやら本質を避けて流出のみを追及する構えですね。


そしてこのsengoku38です。

自民の小野寺五典議員は

「仙谷さん、パー」

と質疑しました。
そして、この石破茂議員は、

「仙谷、左派」

と記者の解釈を聞いて会心の微笑みを浮かべたところをこんな風に描かれてしまいました。

ところが、台湾では3月8日が婦人解放でーであることからウーマンリブをやる女性を罵る言葉として使われている、という説があるというのですね。
これが香港に伝わりそして大陸に。今は男に対しても使われているらしいです。
柳腰の仙谷おねえを罵るためにわざわざ女性に対する罵詈を使ったという説も。

華人社会ではすぐ仙谷馬鹿の意味だと認識するだろう、投稿したのは中国語の分かる人ではないだろうか、という説がテレビからでてきました。

うーん、なぜ中国語で罵るのかなあ?わけわかめ。


「嘘のサンパチ」であろうという説、
38=サンパー=中国南部・福建省沿岸で、人をののしる際につかわれる蔑称であろうという説。


この状況は何かに似ている。
そう、あの神戸児童殺傷事件、通称「酒鬼薔薇事件」。
あの事件の「挑戦状」が新聞社から公になった後、いろんな「知識人」
が、それを読み解くことによって事件の犯人を推理していたのですが。

あの興奮状態のどさくさでかなり恥をかいた有名人も多かったように思います。
ちょっとボキャブラリー豊富なファンタジー脳のコドモがひねくって書いた文章を
「すごい知性の持ち主」
と持ち上げていた某文化人の名前、エリス中尉はしっかり覚えていますことよ。


いやこれねえ。

ユーチューブのハンドルネームを獲得するとき、
sengokuというのを申請すると

「もうそのネームは使われています」
っていわれて、「あなたの使えるネームは以下の通りです」
って、提案されるんですよね。

sengoku38 sengoku39 senngoku40(中略)sengoku100

それでsengoku38だったのではないですか?

つまり深い意味などない38だったという予想に100中国円。
ああ、ちなみにネットで拾ったsengoku37さん(実在)はこんな方。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115280866

38さんが(もしかしたら)社会生命を賭けて義憤の告発をした(かもしれない)というのに、
37さん、あなたは・・・・・。

さて、けっして悪意は持っていませんが、つい印象操作してしまった石破政調会長。
会見ではもちろんこんなお花畑の住人顔ですべてを語っていたわけではありません。
このときとても面白いことを言っていましたよ。
自民の会合で中から出た意見だが、と前置きをして

「もう今更政府として全面公開というのは今までいってきたこととのつじつまが合わないよなあ、でも国民はみんな見たいと言っているし中国が明らかに悪いということを世界に知らしめねばならないよなあ、というようなことを考えて

今おっしゃった名前の方かどうかは知りませんが、政府部内で故意にこういうこと(流出)をやったのではないかと・・・
いや、私はそうは思いませんが」



おおおお。
だとすれば、sengoku38は38人目sengokuにハンドルネームを獲得した仙谷官房長官その人であると。


そりゃ面白すぎる。
いや、それはありえん、と思った方、ゲル閣下(石破氏)は続けて


「しかし今の政権は何が起こるかもう予測不能の政権でもありますので」

と言っていますよ。


エリス中尉的には、この件を政府が恣意に解釈して、ネットの言論規制を含む人権擁護法案に繋げていくのではないかとっても心配。
深読みに深読みを重ねたうえで言論統制をするための
一種の「盧溝橋事件」
でなければいいなあと思っています。
理由は違いますがもしそうなら政府の自演もあるかなと。

皆さん、注視していきましょうね。

この流出させた人物に対して、ほとんどの声は

「義憤に駆られたんだろう」
「GJ(グッドジョブ)」
「I♥海保」
「よくやった」
「よっぽど腹にすえかねてたんだな」
「みんな応援しているぞ」
「海猿4制作決定」

さて、今後もし、この流出した人間が明らかになり、逮捕されたとしましょう。

国民感情を考慮して、また初犯であることから、
処分保留のまま釈放しないと、内閣転覆しちゃうかもよ。

まさか、中国人船長より罪が重いってことはありませんよねえ?




追記:今朝のニュースで民主の藤井元財相が
  「今回の流出について、重大な国家機密の漏えいで許されることではない」と指摘したうえで、
「インターネットへの対応を考え直さないといけない」
と述べ、早急に政府の情報管理のあり方を見直す必要があると強調したそうです。

つっこんでもいいですか?
この場合「国家機密」ではなく「隠蔽」ではないですか?
問題をはぐらかしていませんか?

そして、一応部外者的な立場のものに言わせていよいよ「始める」おつもりですか?














食い物の恨み

2010-11-06 | 海軍
画像と題名が全く一致していませんが、と思われた方、あなたは正しい。
が、間接的には関係あります。

画像は観たことのない人も知っているエイゼンシュテイン監督作品「戦艦ポチョムキン」の一シーンです。
1925年の映画ですし、エイゼンシュテインが死んでもう50年以上経っているので安心して画像を載せました。
ポチョムキンという名前、どこから取ってきたのかというと、エカチェリーナ二世時代の側近であり事実上の夫であったポチョムキン公からではないかと思っているのですが、思っているだけですすみません。

さて、この話、船上の下士官の反乱がおおごとになりこの画像の「オデッサ階段の殺戮」に発展し乳母車が転がるに至るわけですが、きっかけは
「食い物の恨み」
でした。

下士官のスープに蛆が入っていたのがきっかけです。
日頃から士官の横暴に業を煮やしていたのが、これを契機に爆発したというものです。

反乱のきっかけが食べ物であるという例は古今東西どこにでもあるもので、米騒動は言うに及ばず、フランス革命も「パンがないならお菓子をお食べ」と言われてブチキレた民衆の反乱ですし、二・二六事件も背景には農村を始め国民の窮乏があります。

しかし、この神戸事件と言われる「食い物の恨み」は、流血騒ぎになったわけでも誰かが処分になったわけでもなかったようで、まあ微笑ましいっちゃ微笑ましいのですが、何しろ当人たちは真剣だったようです。

してその理由は。
簡単に言うと「米の飯食わせろ」ということだったようです。

この事件に遡ること一年、時は明治一五年のこと。
帝国海軍のもっとも頭の痛い問題は「艦における長期航海中の兵の脚気」でした。
脚気はビタミンB1不足で発病します。
つまり、日本人の食生活では「精白しない玄米や分搗き米」さえ摂っていればなることは無いのですが、当時はまだビタミンの存在すら発見されていませんでした。

海軍兵学校10期生27名を乗せ遠洋航海に出た軍艦龍驤(乗組員370名)では長期航海中何人もが脚気に倒れ、死亡者も出て、ついには士官や艦長がボイラー焚きをすることになってしまいました。
脚気にならなかったときに何を食べていたのか、という帰納法的な方法で対処法を模索したのですが「アメリカに寄港して肉を食べていたときには皆元気だった」ということからその後そのフネはたんぱく質を重視した食事にシフトし、脚気は撲滅されたのです。
野菜を積む冷蔵庫がなかった頃の悲劇です。


今の常識でいえばテレビの健康番組でしょっちゅう啓蒙しているので脚気といえば「豚肉、野菜、無精白米」とたちどころに正解が出るのですが、当時はその演繹法的結論で「艦上では西洋式食事がいいらしい」ということになってしまいました。
ただでさえ鹿鳴館の影響を受け、兵食が西洋化されたばかりのころです。

そんなころにこの神戸事件は起こりました。

主食はパン、ビスケット、おかずはシチューやスープ。
最初は困惑していた兵たち、しまいには怒りだしました。

「こんなオヤツばっかりで腹がふくれるか!」
というわけです。

兵学校でも「パンに砂糖に味噌汁」という珍妙なメニューの朝ごはんを食べていたわけですが、現代の我々には首をかしげるくらい、当時の、(そして戦後も)「パンは米より栄養がある」という説はその筋から盲信されていました。

エリス中尉、朝はコップ一杯のスープともち麦のトーストに蜂蜜バターのカテージチーズのせ一枚。
豆乳ミルクティーと決めています。
今気づいたけど、なかなか兵学校風ですね。真似したわけではありませんよ。
しかし、彼らとエリス中尉のカロリー消費量は優に3倍は違いそうだなあ。

さらに余談ですが、戦後アメリカからの小麦を輸入させるため、あらゆる御用学者が「白米を食べると馬鹿になる」という説をもっともらしく流布し、国民は簡単に信じてしまいました。質の悪い廃棄処分相当の小麦や脱脂粉乳を敗戦国の子供は給食という形で食べさせられたというわけです、

去年たまたま「サザエさん」を読んでいて、パンをありがたがるシーンがあまり多いのに驚きました。
サザエ「今日はパンよ」ワカメ、カツオ「ほんと?」
みたいな。

確かに白米にはビタミンはほとんどありません。
しかし、精白してあればパンでも栄養価は同じこと、決してどちらが優れているというものではないことは皆さんももうご存知ですね。
むしろ日本人の体質には同じ炭水化物なら米の方がずっと合っているそうです。


さて、神戸事件に戻りましょう。
彼らは実力行使に出ました。
首謀者の命令で下士官、兵は「総員起こし」のラッパが鳴っても起きてきません。
労働ストライキ発生。
甲板士官が怒鳴ってまわるも、全員頭から毛布を被って反応なし。
軍刀を抜いて彼らを甲板に追い立てる騒ぎになりました。

スト首謀者が言うには
「わしらは白い米の飯が食えるという理由で海軍に入ったのに・・・」

だから、白いご飯は脚気が、と言っても当時の人々に通じる話ではありません。
取りあえず白米を食べさせ事態は収束に向かいました。
しかし、杓子定規の艦長はこのときに白米を兵に与えることを決断した大尉を左遷してしまったそうです。

件の「脚気艦」では、白米の日本食からたんぱく質の多い洋食に変えて脚気の兵はいなくなったかに見えたのですが、実は約10人ほどの主計兵、こっそり白米を炊いて食べていて与えられたものを食べず、この者たちだけが脚気に罹ってしまったそうです。

以前山本長官が「大事にされ過ぎて体の不調を」と書きましたが、これは脚気です。
かなり重症だったそうです。
脚気の症状は倦怠感、吐き気、関節痛、しびれ、浮腫、歩行困難など。
山本長官、かなりこの症状に耐えていたようです。

貧乏人は麦を食えと言ってやめさせられた大臣もいましたが、山本長官に白米以外のビタミンたっぷりの玄米や麦飯を食べさせようとするコックはまずいなかったのでしょう。
不幸なことです。

「日頃温厚で怒らない日本人がブチ切れるとき。それは食い物が絡んだときだ」
という説を聴いたことがあります。
そういえば腰砕けの外交の中で中国製毒ギョーザや狂牛病肉の検査問題では、びっくりするくらい政府は強い態度にでましたね。

特に糠に含まれるビタミンに対する知識がなかった頃の日本人の銀シャリに対する執念にはものすごいものがありました。
戦地で白米を出さなかったといって殴られた主計士官もいたといいます。

この騒ぎがポチョムキンほどの悲惨なものにならなかっただけ良かったとすべしでしょう。


参考:帝国海軍料理物語 高森直史著 光人社NF文庫
   日本海軍のこころ 吉田俊雄著 文春文庫
   家庭医学大全科 法研
   写真 ウィキペディア フリー辞書「戦艦ポチョムキン」より






セントレジス大阪再び

2010-11-05 | つれづれなるままに
          

大阪滞在記の続きです。
今回大阪には三泊、先日試泊したセントレジス大阪に泊りました。
冒頭写真は別にエリス中尉の美脚自慢でも何でもなく、泊まった部屋のクローゼットです。
奥の壁全面が鏡張りでそれに向かってシャッターを押しています。
ここの客室の特徴なんですが、全体面積の割にクローゼットルームの占めるそれが広く、だからこそ部屋がきれいに使えるんですよね。

ついでに言えば、写真で着用のパーカと、皮スカートはシャネルです。
でも、下に着ているシャツは無印良品です(藁)
衣服の提供は受けておらず、ギャラも受け取ってはいません。
「議員活動の報告」とは申告しておりません。
事務方との証言の整合性は取れております。

と、さりげなくれん4の悪口を無理やりはさみつつ、セントレジスステイについて今日は少しご報告。
今回、実家の母が遊びに来たのですが、ホテルの周りでよそのおばさんがうろうろしていたので入り口を教えてあげたのですって。
「娘が泊ってるんです」と言ったら
「えええっ!ここ一泊7万円するって話ですよ!」
母、
「ええ!ほんとですか?知らなかったわー」

関西のおばちゃん二人路上で大盛り上がり。
関西のおばちゃんは通りすがりの人ともこうやって即座に盛り上がれる生き物です。
でもすみませんねえ、そんなに高くないんですよ。
もっとも、正攻法で取れば、それくらいする部屋もあるのかもしれませんが。
ホテルというのは、値段があってないようなものですから、まあ、いろいろあるんですよと言葉を濁す秋の夕暮れ。

TОは週末の一泊だけで、息子と二人の滞在です。
着いたらすぐ、ルームサービスを取りながら大きな画面で先日遊蹴館で買ったDVD、
「海上自衛隊幹部候補生 江田島の青春」
を観ました。
またこれに付いては色々書きますが、厳しい訓練の様子に、息子
「こんなとこ絶対無理!」
「行きたくねえ!」の連発。
うーむ、啓蒙と刷り込みを図ったが逆効果だったか・・・・。

次の日は、雨。
なんだかUSJって感じじゃないねー、と、一日ホテルの部屋で過ごしました。
先日パークハイアットで
「何もしない休日、リフレッシュしましたよ」
とあたかも真人間のようなことを言っていたような気がするが、リフレッシュというのは
単に自堕落な日頃の生活をホテルに移すということか
と思われた方、たまたまですよ、たまたま続いただけ。



この日一日のベッドの上の惨状。
ここで寝ころび、本を読み、ネットをし、テレビで映画を観て、息子は時々上で飛び跳ねる、でんぐり返しをする、ゲームをする・・・
という自堕落な一日を送ったらこんなになってしまいました。

そして、嬉しいことに、今回の滞在には毎朝朝食が付いているのです。
ここの朝ごはん、美味しいんですよ。
先日のパークハイアットと比べても、かなり上だと思います。
ちゃんと注文したスタイルで卵料理も付いてくるのです。
(パークハイアットは別注文)

白い物体は何か?と思われた方、これはホワイトオムレツです。
エリス中尉、黄身を使わないホワイトオムレツが大好物で、世界中どこへ行ってもこれをオーダーするのですが、日本ではこれをオーダーして「は?」と聞き返されないホテルほど「都会度が高い」と判断する基準となっています。
宮崎の某有名ホテルではウェイターはもちろんシェフも生まれてこの方聞いたこともなさそうでした。
ここのホワイトオムレツはふわふわですごく上手です。
もちろんウェイターも「はあ?」なんて言いません。
そして、クロワッサン。
前回試泊のときはあまりおいしいと思われなかったのですが、今回は何がどう変わったのか分かりませんが、やたら美味しく感じました。
バターの量も風味もサクサク度も合格。
八五点。
(褒めてるわりには厳しいっすね)

この朝食を食べるレストランは頼んでおけば和食も用意してくれます。
最後の日いただいてみました。(写真は撮り忘れ)
決してダダ辛くない焼き鮭、ダダ甘くない鰻巻き、上品な関西風味の野菜の炊いたの、和食もすごくお値打ちです。
和食を食べても、バッフェでフルーツやサラダも取れるところが嬉しいじゃないですか。
甘いパンが好きじゃないので、日頃デニッシュに決して手を出さないエリス中尉ですが、
TОの食べているリンゴのデニッシュを勧められて一口、
「おいしーい」
と感激。
おなかいっぱいで入らないので小さなタルトを手のひらに一つ隠し持って部屋に持って帰り後で食べました。  


それから前回はいませんでしたが、今回はバーに黒人弾き語りが入っていて、これがなかなかプロの目で見てもお上手でいらっしゃるんですね。
大阪もいろんな意味で洗練された大都会になってきたなあ、とセントレジスのコンセプトやテイストを味わってそう思いました。

ホテル評論家もできるほどホテルにうるさい我が家ですが、このホテルは今後方向性を間違えなければ独自路線を行くいいホテルになりそう、という感想。
なまじ大きなホテルでない方が、これからはホスピタリティの充実という観点からは有利な気がします。
頑張ってください。

帰りの新幹線では怪しい天気だったのですが、「ここから晴れ」の境界がはっきりわかる場所があったので写真を撮りました。
山に見えるけど、雲なんですよ。









ディープ・オオサカ

2010-11-03 | つれづれなるままに
大阪に滞在していても、なかなか行かないのが冒頭写真の道頓堀。
何度かブログで言っていますが、神戸出身であるエリス中尉も、ここに来たことは数えるほどしかありません。

一口で関西と言っても、地域ヒエラルキーの厳に存在するのがまた関西の特徴、神戸人はたいてい大阪が嫌い。
用事で仕方なく行くけど、買い物はできればキタですませる、という傾向にあります。
ついでに言うと、京都人は「陰険で何考えてるか分からない」ということになり、京都という場所には敬意を払うものの、京都人の悪口を言うことも忘れません。

お互い悪口を言い合っている様子は、まるで東アジア三国の様子のようです。
まずい例えかな。


ミナミですら行かないのですから、ましてや通天閣の辺りなど言わば人外魔境の地、
(今、じんがいまきょうと打ったら出てきたのが「人が今今日」ですと・・・orz)
用事がなければ天王寺動物園と美術館以外に行ったことは無い、という神戸人が大方だと思います。


というミナミや天王寺区の人には失礼な書き出しをしてしまいましたが、このエネルギッシュで猥雑なディープ・オオサカ、遠くにありて眺めると、実に異国情緒があってエキゾチック。
関西住みのときは近親憎悪とでもいうべき嫌悪感すら持っていたものですが、今となってはバリや上海、香港を観るような「良くも悪くも一つの魅力的な街」という、暖かいまなざしになってしまうのです。

今回、道頓堀にお好み焼きを食べに行きました。
  

いいねいいねーと、おのぼりさんのごとく写真を撮りまくってしまいました。
「中国人観光客と間違えられるからヤメロ」
とTО。
はっ。そうか。

実は、この日「お好み焼きが食べたい!」
ということになったのも、おされでお高いセントレジスのお食事に飽きてしまったから。
ホテルのコンシェルジュに
「大阪一美味しいお好み焼き屋さんを教えるヨロシ」
と、尋ねたところ、道頓堀は千日前にあるお好み焼き屋さんを紹介してくれました。


 

左がネギ焼き、右が焼きそば。

色々楽しめるセットで、最初に出てきたのがここのお奨め山芋のお好み焼きだったのですが、あまりに美味しくて、はっと写真を撮ることを思い出したときには無くなっていました。


隣の席に座っていたのは、どうやら関西のテレビ関係者と、東京から来たプロダクションのグループ。
エリス中尉、こういう言葉の端々から職業を当てるのが異様に得意。

で、奈良出身のそのうち一人の知っているお店らしかったのですが、東京組がこのお好み焼きのおいしさにこれも異様に感動していました。
そう、確かに関東住みにはこの粉モノの美味しさを味わう場所も機会もない。
彼らの興奮は十分理解できました。
だって、美味しかったんだもん。おまけに安くて。

でも、お店の主人と思しき人が
「わいはこの道一筋や。うちのお好みは大阪一やで。文句は言わさへん」
みたいな硬派のオーラを出しまくっていて、少なくともアイソというものがつまみにしたくとも無く
「食べさせていただきます」「おう、食べてええで」
といった厳しい雰囲気を醸し出していたのは何故なんでしょうか。
TOはマヨネーズもソースもお店の人が最初にかけるだけで後はいちいち言わないといけないので
「美味しかったけど、ソースまで支配すんな。好みの分だけかけさせろ」
と少しおかんむりでした。

さて、この道頓堀、通称「ひっかけ橋」と言われています。
客引きとキャッチとナンパのメッカなんです。
我々があまりにお上り臭ふんぷんだったのか、3メートルごとにメニューを持った飲食店の客引きが寄ってくるのには少しうんざり。


くいだおれは閉店したのですが、かのくいだおれ人形は復活していました。第二第三のくいだおれやカニやフグを狙ってか、どぎついキャラクター(たいてい聞いたことも見たこともない)人形が氾濫していて、ちょっといや~な感じがしました。
「狙った」感じが見えすぎるのもいかがなものか。
「二度付け禁止おやじ」なんぞ、わたしゃ認めん。



狙ったといえば今回思わず買いそうになったのは「白い恋人」のパロディで、「面白い恋人」というお笑いの街大阪名物のお菓子です。
買わなかったので画像はありません。
ディープ大阪は、またヘンな表示の宝庫です。
え?何が可笑しいねん、て?
うーん、かなりヘンだと思うんだけど。
列車風、って言葉に何の説明もないのに何故か納得させられてしまう強引さ。

電車のドアに昔「指つめ注意」って書いてあって、関西以外の人から
「指つめって・・・ヤクザのあれ?」
と長らくいぶかられていた大阪市営地下鉄ですが、今回、英語表記がすごいことにになってました。

Please mind your fingers

Mind your step
という言い方はあるでしょうが(イギリス英語)
指は・・・
どう考えても
「あなたの指を気にしなさい」
「あなたの指を気に病みなさい」
って感じではないですか?
watch your step
で「足許注意」の一つのフレーズですが、
watch your fingers
って、絶対言いませんよね。

バイリンガルのうちの息子も「ヘン」って言ってました。
これ、もしかしたら「指つめ」級のヘンな表示じゃないのかなあ。
でも、あまりに堂々としていたので、もしかしたら私の知らない世界ではこういう言い方もあるのかしら、私の認識間違ってるかしら、という気がしてます。

そもそも、指に気をつけろってことをどうしても標語にしてドアに書かないと駄目なんでしょうか。


でも、こういう不思議な感覚がまかり通ってる大阪、関東に住んで慣れた身には非常に「おもろいとこ」に思えます。

あ!きっと「おもろい恋人」って読むんだろうなあ、あのお菓子。









笹井中尉がMMだった話

2010-11-02 | 海軍

笹井醇一中尉がモテモテだった・・・・。
また、何を妄想していることやら、と思われたでしょうか。




先日、「坂井三郎空戦記録」の復刻版を古書で手に入れました。

これは、1953年、(昭和28年)出版協同社より刊行され、1966年に絶版となった
「前大空のサムライ」です。
先日、ニコン研究会のAKIYANさんにいただいた「フィルム現像」の記事にもありましたが、
坂井さんが出版協同社の福林正之氏と三年がかりで作り上げた、最初の本です。


坂井さんがこの本を書きだしたころ、GHQはまだ執拗に戦犯の追跡調査を行っている最中でした。
終戦を知ってすぐ、第二士官次室公室で資料の整理をしていた坂井中尉に同僚がこう声をかけます。

「坂井中尉はもう駄目だよ、あれだけ敵機をやっつけたんだから。戦犯間違いなし!」

反発を覚えた坂井中尉は「毒を食らわば皿まで」と、勤務録、手記、写真を焼却せず、
それが最初の「空戦記録」を刊行する上での貴重な資料となったそうです。


さて、エリス中尉がこの「空戦記録」を読んでみたくなったのは、英語版であるマーティン・ケイデン著
「SAMURAI!」を翻訳したことがきっかけです。
史実どころか、この抱腹絶倒の(ごめんねマーティン)戦記小説と「大空のサムライ」との乖離を知り、
それでは原型であるはずの「空戦記録」ではどのように表現されているかという興味を抱きました。



この「空戦記録」と「大空のサムライ」には、内容そのものにも取り上げているエピソードにも、
そして表現法にも大きな違いがあります。

大空のサムライが、より表現を「文学的に」し、心情に踏み込むような部分が多いのに対し、
この空戦記録は、坂井氏の感想や心情描写などはごくあっさりとしています。
そのかわり、空戦における細かい描写は「大空」におけるそれはもう、微に入り細に入りで、
まるで零戦に乗っていた人にしか書けないような真に迫り方です。

ラバウルに行く船の中で笹井中尉に看病を受けたことなどは

「新分隊長笹井中尉の親切な介抱によって」

と、一言触れられているだけです。
笹井中尉が分隊長になった日に桟橋で誓いをし手を握り合った、などとはここから先も出てきません。


そのかわり、「どうしてこんな話を削ってしまったんだろう」
というような逸話がここにはあるのです。


その一つが今日タイトルの
「笹井中尉がモテモテだった話」

台南航空隊がバリに進出したある日、基地に飛行機がだんだん不足してきたので、
笹井中尉、坂井氏、本田兵曹の三人で台南基地に戻り、新しい飛行機を取りに行きました。
そして、台南基地に残っていた若い搭乗員も加え、九機編隊でバリに戻ったときです。

途中、ダバオ、メナド、ケンダリで給油を行ったのですが、当時ケンダリでは、
「夜白い服の金髪の女の幽霊が寝ている者の足を引っ張る」という話題で騒ぎになっていました。

この幽霊話は「ケンダリの幽霊」という本にもなったそうで、
「引っ張られないように石油缶に足を突っ込んで寝た者まで引っ張られた。これは確実にいる!」
などと騒いでいたところにこの台南空搭乗員御一行様が立ち寄って盛り上がったのですが、
この騒ぎに我らが笹井中尉は参加していませんでした。


というのは、その前の給油地であるメナドで笹井機が故障を起こして不時着し、
中尉だけが一日遅れでケンダリに合流することになったためです。

笹井中尉、次の日ケンダリに着陸して幽霊騒ぎで不安な一夜を過ごした一同を前に開口一番、

「いや、もてたの何のって、大したもて方だった」

と大変なご機嫌。

笹井中尉がイケメンだったから?
それは違います(きっぱり)。

笹井中尉が不時着したメナドの住民は、オランダ人の圧政に長らく苦しめられていました。
しかし大戦開始後、海軍の落下傘部隊が降下し、その後日本軍が占領以来、善政を施して
住民から感謝されていたのです。
 そもそも、メナドにはこういう言い伝えがあったといいます。

「今はオランダ人に苦しめられているが、必ずそのうちに
天から白いものを被った天使が降りてきてわれわれを救ってくれる」


白いもの=落下傘。


ほんとうか?
後から作った話ではないのか?
というくらい良くできた話です。

私事ですが、エリス中尉の知り合いには少し先の未来を映像で見ることのできる霊能者がいて、
何度もどうでもいいことを(←)予言されて当たっています。
またこの人については日を改めて書きますが、本当にいるんですよそういう人。
ですからこの地にもそういう予言をする能力のある人がいたとしても全く不思議に思いません。


そして「白いものを被った天使」の仲間、かつ空から降りてくる飛行機乗りであるところの笹井中尉。
ここの住民に神様扱いのモテモテだった、と。

「もてた」といっても、レスでエスにММ、というたぐいの「もてた」ではなかったようですが。
 そうですよね中尉?

おそらく長老が出てきて丁重な挨拶、山海の珍味に美女のお酌、タイやヒラメの舞い踊りな一夜
だったのではと想像されます。

笹井中尉が得意になってもてた話をするので、みんなは
「俺らも飛行機を不時着させればよかった」と笑ったそうです。
同じ白いものでもみんなが白い幽霊に怯えていた夜、笹井中尉、白い天使待遇でモテまくり、
「台南空で一人勝ちな俺」状態だったわけですね。




ところで、このエピソードが幽霊話ともども「大空」では削除されてしまったわけは、
なぜだったのかと思われませんか?


エリス中尉お得意の独断ですが、最初の「空戦記録」に載せる段階で、これが問題となるとは
坂井さんには予想できなかった「部分」があったのだと思うのです。

「日本軍がオランダを追い出した後、住民に善政を施していた」

この部分です。

現在インドネシアを訪れると、彼らが実に日本人に対して好意的に接してくれるのに驚きます。
 彼らの中で日本はオランダを追いだして独立へ導いてくれた恩人として捕えられているからで、
東南アジアの国々はフィリピン、インドもそうですが、一般的に日本に対しそういう観点から
非常に好意的です。

しかし、日本人でありながら「旧日本軍がしたのは支配と暴虐だけ」ということにしたい一派
(今の政府にもいますね)に対して最初から配慮したのか、
あるいは実際にこの部分に猛烈な抗議をしてきた連中もいたのではないかと私は思っています。
 事実「戦記というだけで目の色を変えて『戦争を懐古するものだ』と抗議してくるある層があった」
と復刻版の前書きで坂井さんも書いています。


この予想が正しければ、大空のサムライは戦後の自虐史観に妥協した結果、
この微笑ましいエピソードを葬ってしまったということになるのでしょうか。


いろんな意味で残念です。











USJのピンヒール

2010-11-01 | つれづれなるままに
息子の秋休みに大阪に行ってきました。
「秋休みなどという休みは聞いたことがない」
とおっしゃるあなた、そうでしょう?

息子の学校は、秋休みどころか

「真冬休み」

なんてものもあるんですよ。
こちらは週末を入れて4日くらいですが、秋休みは一週間なので、週末を加えて9日。
高い学費を払っているのにこれは休みすぎではないか?
と毎回思わないでもないのですが、ともあれ子供の休みは親にとっても(基本的には)楽しいもの。

うちはよく実家のある関西に行ったりします。

最近はそのたびに息子にせがまれてユニバーサルスタジオジャパンに行きます。
(あんまり好きじゃないんですが)

この日金曜、週末にもかかわらずたいした人出ではなく、どのアトラクションもせいぜい20分待てばいい状態。
ハロウィーンで盛り上がっているかと思ったのですが、
賑やかなのは飾りだけ。

それらしい仮装をした人もいましたが、去年ディズニーシーで観た仮装組に比べると、気合の入り方も洗練度も失礼ながら大人と子供、って感じ。

やっぱり日本では腐ってもディズニー、なんでしょうかね。
詳しいことは知りませんが、この日の新聞によるとなんだかもめているみたいだし、入りも良くないらしいし。

さて、御存じかとは思いますが、「ファストパス」というチケットを取ることでアトラクションに並ばず優先的に入れる、というディズニーの仕組みとは違い、ここでは
「お金さえ払えば並ばなくてもよい」
という、時間はお金で買う、を日頃モットーとしているエリス中尉にはある意味ありがたい仕組みを採用しています。
これが4アトラクション用チケット。
一冊3500円。
子供用はありませんから、2冊で7,000円、これを高いと考えるか、安いと考えるかは意見の分かれるところです。

去年来た時は息子の乗りたい後ろ向きジェットコースターに乗るには7アトラクションチケットを買わなくてはいけない、という阿漕な商売をしていました。

仕方がないのでそれを買って、半ばやけくそ状態、まるでノルマのように粛々とアトラクションを消化していったわけですよ。
寒い日だったし、疲れていたし、もう気力も限界に。
そして、最後に「ジュラシックパーク」が残ったと。

「ジュラシックパーク、乗りたくない」(息子は知っていたんでしょうね)
「ええっ!このチケット買ったんだからもったいないでしょ!我儘言わないで乗ってちょうだい!」

と語気も荒く息子を叱り飛ばし、ジュラシックパークに行こうとしたとき、 

これがジュラシックパークであるということをそのとき初めて知りました。

「・・・・・・・やめよう

もったいないとか、わがままとかいう以前に、何でこんな寒い日にこんな目に会わなくてはならないのか、という問題でしたね。

この日は昼過ぎから出かけて、ターミネーター(寝てた)スペースファンタジー(だっけ)スパイダーマン、そしてバックドラフトとジョーズで終了。

バックドラフト、見るたびに
「火事って怖いなあ」
って思います。
火の用心のすごい啓蒙になっていると思うんですが、そういう目的なんでしょうか。

ところでね。
エリス中尉、こういうテーマパークにはもちろんのことスニーカーで出かけます。
広い場内をあっちへ行ったりこっちへ行ったり、待っている間も立ちっぱなし、歩きやすい靴で行かなくては楽しむどころではないからです。

しかし、いつも不思議に思うのですが、ディズニーでも、ここでも、必ずいるんですな。

ピンヒール女が。



そのヒールで、なぜこの広いパークを一日歩けるの?
帰りまで、持つの?

と、日頃徹底的にヒール愛用者であるエリス中尉にとっても、このテーマパークピンヒール女は、全く理解できません。
いや、ヒール派だからこそ理解できないのかも。



この無謀ともいえるヒールの高い靴でこういうところに来るのはデートらしいカップルに多いのも特徴ですが、一日死んだ気で頑張る心意気なのか、それとも靴がそれしかないのでしょうか。
ぺたんこ靴やUGGのブーツなど、お洒落でカワイイ、歩きやすい靴が世の中にはいくらでもあるのに、なぜ?
と、彼女たちを見るたび不思議で仕方ないのです。

一度アメリカ人男性と

「彼女らはピンヒールで来て夕方には足を引きずって(ドラッグ)るのよ」
「あはあ、アメリカの女の子はビーチサンダルで来て男を引きずって(ドラッグ)るよ」

という、会話をしたことがありますが、本当に、日本だけなんですよね、この現象は。

今、若い子の間ではショートパンツやミニスカートで脚を見せるファッションが流行っているので、自分の「お洒落な姿」はピンヒールのブーツでないと完成しない、という思いなのかもしれませんが、その場その場で自然な、フットワークのあるお洒落をした方が男の子には受けると思うんだけどなあ。

因みにこの日見た一番の無謀ちゃんは、細い紐ストラップのピンヒールサンダルを生足で履いて、ゲートルのようなレッグウォーマーをつけブーツにみせていたコで、
「これは道を横切るのが限界」
と、人ごとながらハラハラしてしまいました。

お洒落は気合だ、とは以前いいましたが、思い込みによるお洒落優先であまりなTPOの無さは、
「気の利かなさ」「アタマの悪さ」「勝手さ」にも通じると思うのですが。
息子には
「将来デートでディズニーにピンヒールを履いてくるような女の子はふってよい」
と言ってあります。




台風が来るというのに(だからかな)異常に美しかったこの日の夕焼け。
みんな立ち止まって見ていました。