ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

平成29年度阪神基地隊年末行事〜「しまかぜ」と「けんりゅう」

2017-12-12 | 自衛隊

平成29年度阪神基地隊の忘年会的イベント年末行事の開始は11時半。
しかし、開門は9時からとなっていました。

この年末行事に伴う重要なイベントとして、艦艇公開があります。
始まりまでの間、ゆっくりと艦艇を見学してもらうのが目的です。

わたしたちは掃海艇「なおしま」の見学を終わって、その後ろの護衛艦
「しまかぜ」に行ってみることにしました。

 「しまかぜ」は初代の「あまつかぜ」に始まり、「たちかぜ」型
(たちかぜ・あさかぜ・さわかぜ)の次級である「はたかぜ」型の2番艦です。

実生活で聞いたことはありませんが多分「かぜ型」と呼ばれているのだろうと思われます。

ちなみに艦番号でいうとこの次の173「こんごう」型からがイージス艦となります。

「はたかぜ」は「ミサイル護衛艦」という種別で、ここでいう「ミサイル」とはつまり
「ターター・システム」を搭載しているということなのですが、
面白いことに現在のミサイルは厳密な意味でのターターではありません。

どういうことかというと、初代「あまつかぜ」は最初にRIM-24ターターを備え、
文字通り「ターターミサイル」搭載でしたが、現在の「はたかぜ」を含む
ミサイル護衛艦が搭載しているのはスタンダードミサイルです。

それにもかかわらず、射撃指揮装置、発射機をセットとしたミサイルシステムは
未だに「ターターシステム」と呼ばれているのだということです。

リスペクトなのか、それとも単に書類上の種別に過ぎないのか・・。

岸壁を歩いていると、ちょうど甲板上でそのミサイルの動的展示が始まっていました。
あっちを向けたりこっちを向けたりだけですが、その異様な動きに人々がどよめいています。

そういえばわたしもミサイル護衛艦の展示は初めて見る気がします。
動かすだけとはいえ、実弾を装填してですから、迫力は満点。

展示はここで終わってしまいましたが、わたしたちも乗艦してみることにしました。

アスロック、ハープーン、短魚雷、シウスと標準的な武装は他と同じですが、
ミサイル護衛艦をその名たらしめているのがこのターターシステムなのです。

ラッタルは二箇所に設けられていたので中央のを登って乗艦。

わたしがラッタルを降りて自衛隊旗に礼をするため右を向いた途端、
そこにいた自衛官たちが「あっ」とばかりに一瞬制止しようとしました。

見学は艦首側からと誘導することになっていたのに、わたしがいきなり
後甲板に行こうとしたように見えたのに違いありません。

しかし艦尾に向かって軽く頭をさげると「なんだ」といった空気が漂いました。
きっとあの瞬間、彼らのなかでわたしは元自衛官認定されていたと思います。

元自衛官じゃなくて単なる自称中尉なんですけどね。

というわけで問題の?ミサイル発射機を見に行きました。
アメリカ海軍がよくやっているシャークペイントに、おそらく当艦の認識信号。

「あれ?さっきとミサイルが違う。下から見たときタコだったよ」

確かにタコですありがとうございます。

「裏側がタコなんじゃない?」

念のため反対側を見ましたが、そんなはずもなく、つまり先ほどの動的展示の後
引っ込んでしまったミサイルの代わりにこれが出てきたということのようです。

動きが終わったら自動的に次のが装填されることになっているんでしょうか。

こちらはアスロックの訓練用ミサイル。(部分です)
訓練用ってことは、打ち上げて海に落ちたら回収にいくんだろうか。

前甲板手前では「しまかぜ」グッズの販売もあり結構賑わっていました。
帽子、タオル、ピンズやパッチなど。

そして後甲板。

CIWSが両舷に一つずつあるというのもよく考えたら初めて見る気がします。

この配置はイージスシステム以前の防御の思想を表すものかもしれません。(知らんけど)
ちなみにイージス艦のファランクスは前後に1基ずつとなっています。

こちら側からは見にくいですが、マストに向こうを向いて薄型の
テレビモニターみたいに設置されているのがミサイルのレーダーと思われます。


ところで、「しまかぜ」の甲板に立って驚いたのはこの眺めでした。

 

 

潜水艦「けんりゅう」です。

こんな至近距離の、しかもこんな角度から潜水艦を見られる機会はそうありません。
「そうりゅう」型独特のX型舵もこんな手に取るように。

あまりに近くなので「けんりゅう」艦体に付着している苔まで確認できます。

 しかも、「けんりゅう」の前には受付のテントが設置されているではないですか。

「あ、普通の人が乗ってってる」

「いいなあ・・・中も見せてもらえるんだ」

もちろんわたしもその点素人ではありませんから、潜水艦の見学をするには
前もって申し込みをし、身元の確かな人の中から抽選で選ばれないと無理、と
よーくわかっております。

あとで基地司令に伺ったところ、とにかく応募倍率がすごかったそうです。
そりゃ潜水艦の中、誰だって見てみたいでしょうさ。

岸壁には自衛官も含め人がいっぱいです。

「前まで行ってみようか」

前に立って眺めていると、「けんりゅう」の乗員が、

「あの小屋は見張りの隊員が入るところです」

と教えてくれました。
呉で「そうりゅう」型潜水艦を見学した時にはここで荷物を預かってもらいました。

この舷門の見張りは24時間休みなく行われます。

「そうりゅう」型の潜水艦の大きな特徴はセイルの付け根のカーブです。

バナーのかかったラッタルの向こうにはちょうどハッチがありますが、
何人かが佇んで、中に入る順番を待っています。

少しの間見ていたのですが、一人が中に姿を消してから次の人が入るまで
たっぷり5分くらいはかかっていたと思います。

それはなんといっても潜水艦の出入りが特殊な方法だからです。
「けんりゅう」の繋留してある岸壁の防波堤には、このように
「潜水艦入リ方」が見学者への説明のためにパネルにしてありました。

写真で見ると大したことはないように思われますが、
実際に降りていくと、外殻が二重構造になっているせいで、
足をかける段が見えないのに不安を感じるでしょう。

遊覧船や客船ではない軍仕様の装備は徹底的にアンタイ・バリアフリーです。

ちょうどハッチの部分には手の形に穴が空いていて、そこを掴みます。

潜水艦見学の前に重々言われることですが、ヒールのある靴などとんでもありません。
先日紹介した「ペチコート作戦」では看護士たちが全員パンプスで乗艦していましたが、
まず潜水艦にやってくるゴムボートにこれはありえませんし、
アメリカの当時の潜水艦のラッタルはそうりゅう型よりずっと作りが大きく、
パンプス以前にあの陸軍のタイトスカートで降りることができるとも思えません。

リアリティがあるようで、実はこの辺は全然ダメだったというお話。

たとえなんとか降りられても、区画を移動するだけでこうですから。

アメリカの潜水艦のハッチはどれもこれより大型だった記憶がありますが、
サンディエゴで見たソ連の潜水艦はこのくらいでした。

説明してくださった自衛官に

「けんりゅう、って特にかっこいい名前ですね」

と常々思っていることを言うと、

「はい、よく言われます!」

この名前の潜水艦の乗員であることの誇りが窺える様子で答えました。

「またこの漢字のロゴがかっこいいじゃないですか」

「これは、NHKのタイトルなんかを書いている書家に依頼したんです」

確かにこの字体は只者ではない。
マークもなかなかの出来ですが、なんとこちらは乗員の作品です。

この後の懇親会で、「けんりゅう」の海曹、先日進水式に立ち会った
「しょうりゅう」の
艤装員の方お二人とお話ししましたが、
この「けんりゅう」のロゴは凝りすぎていてメダルにできなくて困るとか(笑)
そして「しょうりゅう」、こちらはまだマークは鋭意考案中だそうです。

ちょっと笑ってしまうのですが、その理由というのが

「翔龍という名前は実は全く予想外だったので・・・」

どうも関係者の間では別の(あああなんだったか聞いたけど忘れてる〜〜!)
名前がかなり確信的に予想されていたらしいです。

防波堤の潜水艦紹介コーナーパネルより。

呉でもAIPシステムを見せてもらいましたが、AIPすなわち
非大気依存推進システムはこの「そうりゅう」型から搭載されました。

従来のスノーケル(外気を取り込む)航走と、酸素のないところでも
推進システムを稼動できるAIPの併用によって残存能力が向上しました。

スターリングエンジンというのは正式には

ディーゼル・スターリング・エレクトリック方式

といい、AIP、非大気依存で動かせるエンジンのことです。
4番艦の「けんりゅう」はもちろん、先日進水した10番艦
「しょうりゅう」までがこのエンジンを搭載します。

そのあとはどうなるのかといいますと、噂のリチウムイオン電池式。
リチウムイオン電池にすると、高速航行が可能な時間が増えます。

メリットはいくつもありますが、従来の鉛蓄電池と比べて、
水素ガス発生の危険がなく、充電時間が短くなるというのが特に大きな利点です。

すぐそこにX舵をまじまじと眺めることができます。
この舵も「そうりゅう」型から搭載が開始されたものです。

さて、そんなところで見学を終え、時間になったので体育館に向かいました。

本日のメインイベントである餅つきの臼(どうも毎年やるらしい)を後ろに、
阪神基地隊司令、深谷克郎一佐が挨拶をされました。

深谷一佐は昨年の9月から当基地隊司令を務めておられます。

歴代司令官の名前を見ていると、先日の海底に沈んだ潜水艦探査の学会報告会で、
後半の司会をなさった古庄幸一元海幕長、そして現海幕長の村川豊海将も
2009年から10年まで阪神基地隊の司令であったことがわかりました。

23代司令の袴田氏は某防衛団体で存じ上げていますし、それから
以前海軍の食について書いた時に参考にした本の著者で、主計士官だった
瀬間喬氏の名前を発見し、なかなか阪神基地隊司令には縁を感じました。
(こっちが勝手に名前を知っているだけなんですが)

深谷司令はまず阪神基地隊の歴史についてお話されたあと、特に
阪神淡路大震災における当基地の果たした役割について触れ、

「高い割合で何年か以内に確実に起こると言われている南海トラフ地震についても
いつ起こっても対応できるように備えをしたい」

というようなことを述べられました。

前回阪神基地隊の震災対応について書いた時に、少なくともあれ以降、
阪神基地隊の司令を拝命した自衛官はあの震災の時の基地の姿を念頭に、
並々ならぬ覚悟と使命感を持ってこの職に臨むのだろうと思ったものです。

司令は最後に

「本日は艦艇見学に潜水艦も見ていただけるようにしました。
空前絶後の!インスタ映え写真を撮って帰っていただきたいと思います!」

と強調して会場に笑いが起き、懇親会が始まりました。

空自と違うのが海自の宴会のテーブルには必ず海産物が並ぶことです。
手前は実はシーフードサラダなのですが、これが意外なおいしさ。
わたしはほとんどこれで食事を済ませたような感じです。

そして本日の目玉である餅つき大会が行われました。
てっきり基地司令が杵を奮うのだと思っていたのですが、そうではなく、
次々と紹介されて台上で餅つきをするのは全て議員の先生方。

司令は先生方に杵を渡し、餅つきを横で見守る役目です。

この基地のこういった催しに行っても、司令官は会の間中
ひっきりなしに挨拶にやってくる人々に夫人と並んで挨拶をし続けるのが仕事で、
飲み食いをしているのなど見たことがありません。

臼の横にいるのも確か自衛官だったと思います(笑)

舞台上で何人かが餅つきを終わったら、そのあと臼は下に移動し、
やってみたい人が順番に餅つき体験をしていました。

それこそインスタ映えのためにチャレンジした人もいたかもしれません。

TOがどこからともなくもらってきた「つきたてのきな粉餅」。

まだ暖かくて、お米の粒の感触が少し残っているのが
いかにも手でついたお餅という感触。

そういえば杵と臼でついたお餅を食べる経験は初めてだったかもしれません。
大変美味しいものだと感激しました。

 

会場では何人かの自衛官とも話をしましたが「しょうりゅう」の艤装員、
そして「けんりゅう」の乗組員の方との会話は特に面白かったです。

先日進水した「しょうりゅう」の艤装員の仕事は、書類仕事だったり、
先ほども言ったようにマークやロゴを決めることだったり、あるいは
これまでの「そうりゅう型」の実績から導き出した運用上の改善点などを
導入するためのいろいろだったりと、とにかく大変なんだそうです。

今この段階では乗員は集まっておらず、これから決めていくのだとか。

それから、ちょっと驚いたのは一人の方は水上艦出身だったことで、
潜水艦乗りは最初から最後まで潜水艦、という訳ではないということでした。

その方は「水上艦は教育も厳しい」とおっしゃっており、その文化の違いを
教育に生かすこともできるのでそれは決してデメリットではないようです。

教育といえば、その方たちがシーマンだった頃にはとにかく
「昭和の自衛隊」ならではの手が出る足が出るの「教育方針」で、
殴られながら

「ちくしょー、上官になったら部下におんなじことをしてやるう!」

とか思っていたら、時代が変わってしまい、体罰などとんでもない、
という健全な自衛隊になってしまった、とか(笑)

このことを帰りのご挨拶をしにいった時深谷司令に報告?すると、


「潜望鏡一つ取っても、昔は一人で覗き込んでいたのが、今は
皆で画像を見る時代。
運用方法だけでなく教育も全てが変わって当然です」

潜望鏡をを覗き込むという潜水艦にとって象徴的なスタイルが失くなる、
などと、昔の潜水艦乗りに果たして想像できたでしょうか。

たまたま大戦中の潜水艦映画について書いたばかりだったわたしは、
この日訪れた阪神基地隊で、潜水艦を通じて
70年余の時の流れを一気に飛び越えて見るような気がしました。


司令に二人でご挨拶したあと車で阪神基地隊を後にしたわたしは、
神戸を経由して懐かしい地元を運転しながら空港に向かったのです。


今回の出席をお取り計らいくださった皆様がたに心からお礼を申し上げます。
ありがとうございました。