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映画「マスターアンドコマンダー」とHMS「サプライズ」号

2017-12-24 | 軍艦

サンディエゴ在住のジョアンナに案内してもらって
「ミッドウェイ」に続き、「スター・オブ・インディア」を観たあと、
その隣にある帆船も当然のように流れで見学することになりました。

ジョアンナと埠頭のレストランで食事をした時、シーサイドビューのテラスから
船の上に見学者がいるのが見えていました。

帆船の名前はHMS「サプライズ」。

HMSという限りはイギリスの帆船なんだろうなくらいの認識で
船の中に入っていったところ、いきなりこんなものが。

この鐘には「HMS ローズ」と刻印されているではないですか。
これは一体どういうことなの?

隣にあった看板にその事情が説明されていました。

つまり今わたしが乗っているのは、イギリス海軍のフリゲート艦で、
アメリカ独立戦争の時にサバンナ沖に沈んだHMS「ローズ」の設計図を元に
カナダのノーヴァ・スコーシアにある造船会社が作ったレプリカです。

建造されたのは1970年で、その後売買されてコネチカットに渡り、
練習船として稼働していたところ、2001年、20世紀フォックスが

「マスター・アンド・コマンダー」

というラッセル・クロウ主演の映画のために購入しました。
その後、フォックス社は「パイレーツ・オブ・カリビアン」の撮影で
この船を「HMSプロビデンス」として使っています。

船内にあった「マスターアンドコマンダー」のポスター。
船を見学し、そのことを知った時も特に観たいとは思わなかったのですが、
この項を制作するためにアマゾンで借りて観て観ました。

いやー、面白かったです。

よく考えたら帆船時代の海戦を描いたものは「パイレーツ」くらいしか
ちゃんと観たことはなかったんですよね。

ハリウッド制作で、ニュージーランド出身のクロウを主役に抜擢、
というものではありますが、脇を固める俳優に全てイギリス人を使い、
大航海時代の終わり頃、イギリス海軍と海戦をリアリティを持って描き、
特に海軍に関心のある向きにはその世界観にどっぷりハマれること請け合い。

映画に使われただけでなく、未だに定期的に航海を行う「生きた船」です。

「マスター・アンド・コマンダー」というタイトルは(日本でも原題と同じ)
「主人と司令官」ではなく、18世紀末まで存在したイギリス海軍士官の役職であり、

「海尉艦長」

と翻訳され、帝国海軍でいうと海軍中佐に相当する階級のことです。


「サプライズ」には少年たちが士官候補生として乗り込んでいます。
映画では彼らのうち一人が士官になり「ルテナント」になるわけですが、
「マスター・アンド」コマンダー」を海尉艦長と訳すことを踏まえ、
日本語字幕では
「少尉」ではなく「海尉」と翻訳してあります。

「マスター・アンド・コマンダー」は「マスター兼コマンダー」、
すなわち指揮官であり、自国の
歴史を知るイギリス人であれば、ズバリ

「指揮官」

というイメージで捉えているわけです。


映画は、イギリス海軍のHMS「サプライズ」が、国王の命を受け、
フランス海軍の私掠船(戦争中にある相手国の民間船を攻撃して荷を奪う船)
最新型の「アケロン」を拿捕するための航海に出るというストーリーです。

南米やガラパゴス周辺まで「アケロン」を追い回し、ついには捕鯨船に偽装して
おびき寄せて相手を叩くことになった時、ラッセル・クロウはこう言います。

「我々は今世界の裏側にいる。
The ship is England.(この船が祖国なのだ)」

このセリフは、HMSをタイトルに持つイギリスの船が
国王に任命された「国の代表」であると自負していたことを表します。


この時代より昔、近世ヨーロッパでは国王が所有する艦艇の艦長、
つまりキャプテンは、各国の
国王によって直々に任命されていました。

いまだに英国海軍の船が艦船接頭辞に

Her Majesty's Ship (女王陛下の船)/ His Majesty's Ship(国王陛下の船)

を付けているのは、この時代の名残です。
イギリスだけが王室を残しているので、この表記も昔のままなわけです。

帝国海軍では名前ではなく、当初特務艦や雑役船以外の軍艦の艦首に
天皇陛下の船を意味する菊の紋章をつけることでそれを表しました。

ただ、艦艇が増えてくると、天皇陛下の船であることが当たりまえ?の
海軍軍艦の全てに紋章をつけることに意味がなくなってきたので、
戦艦など「国家の威信」を特に象徴する艦艇に限られるようになります。

イギリスでは国家が艦隊を保有するようになり、艦艇の数が増えると
その全ての艦長をいちいち国王が任免することができなくなり、
HMSの接頭辞は残して、艦長任命は海軍組織が行なうようになったのです。

「艦長の地位は、陸軍の中佐或は少佐に相当する階級」

と決まっていったのはそれから後のことになります。


 

イギリス海軍では勅任艦長(Post Captain)が配属されない軍艦のことを

「ノン・ポスト・シップ」

と言いましたが、ノン・ポスト・シップではコマンダー(指揮官)が
艦長も兼ねており、その兼任ポストを

「マスター・アンド・コマンダー」

と称したのでした。


し か し (笑)

わたしはここで大変なことに気づいてしまったのだった。

「マスター・アンド・コマンダー」という役職名は、
マスター(つまり艦長)がノンポストシップにも配属されるようになると
“マスター兼”ではなくなったため、1794年にはなくなり、
代わりにただ「コマンダー」が使われるようになりました。

映画はナポレオンの世界征服に立ち向かうイギリス、つまり、
1805年という設定なので、すでにこの映画のタイトルとなった
「マスター・アンド・コマンダー」というタイトルは

この時代には存在せず、

この時代には存在せず、

この時代には存在せず、

ラッセル・クロウ演じる’ラッキー’・ジャック・オーブリーは

 

シンプルに「コマンダー」であるはずなのです。

映画ではそのことを言明していませんが、事情は踏まえていたようで、
それが証拠に、ポストシップであったこのHMS「サプライズ」には
司令官の他に「サプライズの艦長」という人が登場します。

あえて当時は存在しなくなったこの役職名をわざわざタイトルにしたことに、
作者(パトリック・オブライアン)の意図が表れていますね。

映画の最初のシーンはこの鶏小屋から始まります。
髭面の水兵が、まさにこのケージを開いて、たった一つだけ
卵を取りに来るのです。

船の上ではガーデニングもしていました、ってことで。

この映画には、こんな少年士官候補生が出てきます。
子供なのに士官候補生なので祖父のような水兵に命令を下していました。

当時のイギリス軍艦には士官候補生と“サーバント”及び“ボーイ”の
3種類の子供が乗り組んでいました。
規定としては13歳以上、但し海軍士官の子弟である士官候補生は11歳以上、
とされていましたが、結構適当だったそうです。

この映画でも乗組員一同の崇敬の的としてその名前が出てきた
三代提督のうちの一人ホレーショ・ネルソンは12歳で士官候補生として
船に乗り込んだのが海軍人生の第一歩だったと言われています。

ちなみに写真の彼、ブレイクニー士官候補生は、最初の「アケロン」との戦いで
右腕に銃弾を受け、軍医に切断の処置を受けることになります。

当時は抗生物質などがないため、負傷した手足は切り落とすしかなかったのです。

 

この映画で、艦長のオーブリーの友人でもあるマチュリン軍医は、
軍医でありながら自然博物学者でもあります。

船の中の数少ない?インテリの一人として、艦長のヴァイオリンと一緒に
チェロを奏でる素敵な軍医。
(ちなみに水兵たちは”またギーコギーコが始まった”などと陰口)

ちなみにこの時に二人が演奏するのは

モーツァルト ヴァイオリン協奏曲 第三番 ロンド

のトリオ部分からとなりますが、この選曲が個人的にはしびれました。

Master&Commander - Captain Quarters Melody 1


彼が博物学者であることはこの映画に大きな役割を果たしています。

フランスの「アケロン」号を拿捕するために南米まできた「サプライズ」、
ガラパゴス諸島に着岸することになり、マチュリン軍医、大はしゃぎ。

新種の生物の発見者として学会デビュー!を夢見ちゃったりするのですが、
そんなものに興味のない司令官オーブリーは、いざ敵艦見ゆの報を聞くや否や
軍医の望みも虚しく、
島を後にすることを非情にも命令するのでした。

そして、事件が起こります。

ガラパゴスを出航した直後、島からついてきたカモメを仕留めようとした
HMS「サプライズ」の船長
(ネイビーとは違う赤い制服を着て乗り込んでいる)
に、マチュリン軍医、過って腹部を撃たれてしまいます。

 

傷ついた軍医はちょうどこんなハンモックに寝かされました。

手術をしたこともない彼のアシスタントでは腹のなかの銃弾と服の切れ端
(残っていたら化膿する)
を取り出せないので、オーブリーは
「アケロン」の追跡を諦め、ガラパゴスに戻る決断を下します。

そして揺れない陸地で鏡を見ながら軍医が自分で自分を執刀し、
手術に成功し、自分で自分の命を取り留めます。

ちなみにこれが英国海軍士官と士官候補生の軍服です。

左側の士官候補生は、乗艦中に海尉に昇進するのですが、
「アケロン」との
最後の戦いで戦死する運命です(ネタバレ)

こちら船内に飾ってあった映画の一シーン。

この時代の帆船には、船尾に司令官の部屋がありました。
司令官、副長、士官になったばかりの海尉などがこの部屋でディナーをとります。

目を輝かせた少年海尉に、

「ネルソン提督にお会いになったそうですが、どんな方でしたか」

と聞かれ、二回とも”塩を取ってくれ”と言われたと皆を笑わせた後、
提督の国王と祖国への思いを表すエピソードを披露するオーブリー。

皆はその話に感動して提督に乾杯を捧げるのでした。

司令のオーブリーの居室となっていた船尾のキャビンは、
アクリルで仕切りをされていて中に立ち入ることはできませんでした。

映画での士官の食事シーンを見ると、テーブルは画面に向かって縦に置かれ、
わずかに左に傾いている照明器具が、全く同じ状態で映っています。

スタジオではなく、まさにこの部屋で同じ調度を使って撮られたようです。

 

また、画面右側に譜面台があり、ヴァイオリンが置いてありますね。
オーブリーが軍医と合奏したのはカーテンの向こう側であり、
チェロを弾く軍医は、窓際に設置された椅子に腰掛けていました。

チェロの音はこの軍医の「テーマソング」のように扱われており、
初めてガラパゴスに「サプライズ」が到着した時、

無伴奏チェロ組曲 第一番 前奏曲

がバックに流れるのですが、これがなぜかガラパゴスの風景と
軍医たちが新しい生物に出会い興奮するシーンにぴったりだと思いました。

J. S. Bach: Prelude & The Galápagos ('Master & Commander' scene)


 

続く。