今年もあっという間に最後の日になりました。
恒例の絵画ギャラリーをしようと思ってフォルダを確認したところ、
本当に今年は絵を描くことがあまりなく、いつものように「映画」「ネイビー」
など分けるほどもなく、1日でまとまってしまうことが判明しました。
見学したり自衛隊関係のイベントに参加することが多くなったので、
勢い絵を上げる回数も少なくなってしまうわけです。
冒頭画像は年明けすぐにアップした映画「勝利への潜航」挿絵です。
ちょうどナンシー・レーガンが亡くなり、その流れでこの映画で
二人が共演していたことを知って観てみました。
画像の二人は主人公の潜水艦艦長と副長。
映画は、艦長のミスによって部下の命が失われ、そのことに
副長が強く反発し、二人で対日本通商破壊作戦に参加するうち、
次第に互いに対する信頼が芽生えてくるという人間関係を横糸に、
当時多くの民間船と民間人が命を失った「オペレーション・バーニー」
に参加する潜水艦の戦闘を縦糸に進んでいきます。
潜水艦映画に駄作なし、という言葉を裏切る作品、とまで日本では
酷評されていたのは何故なのかを見極めてみようと思いました。
と言うか面白くないという映画にツッコミを入れたいという本能ですね。
「ヘルキャッツ・オブ・ザ・ネイビー」
これが原題です。
ヘルキャッツというと飛行機しか知らない我々にはピンとこないのですが、
「オペレーション・バーニー」という群狼作戦で、レーガンの潜水艦が
「ヘルキャッツ」という潜水艦部隊に加わっていたことから来たタイトルです。
また、冒頭に、当時バークレーに住んでいたニミッツが、自分のうちの
「フリートアドミラル」と書かれたポストと一緒に出演して、
その時この作戦が自分のの立案だったと誇らしげに言い切っております。
感想として一言余計なことをいっておくと、のちのレーガン夫人、
ナンシー・デイビスが、あまりにも良妻賢母タイプすぎて、映画の
「艦長と付き合っているのに自分の女としての実力を知りたいと言う理由で
別の男(しかも彼氏の部下)の膝に乗って気を引く魔性の女」
には到底見えなかったことですかね。
どうして死んだ乗組員の片思いということにしておかなかったのかと思います。
真珠湾の九軍神の一人、横山正治少佐をモデルにして、彼と海軍を描いた
岩田豊雄の小説「海軍」の映画化作品を取り上げました。
この「海軍」シリーズでは、わたしは
昭和18年版映画「海軍」
昭和38年版映画「海軍」
原作小説「海軍」
について全てを取り上げ、各方向からのアプローチを試みました。
戦前と戦後では当然同じ原作を元にしていても、違ってくるものがあるだろうという
わたしの予想は怖いくらいに当たりました(笑)
当たり前ですね。
海軍省の後援で戦時中に作られたものは「国策映画」であり軍神となった
特殊潜航艇の搭乗員たる横山少佐の死を讃え、顕彰するのが目的。
青春スター総出演となった戦後版は、尊い任務を帯びて死んでいく軍人と
彼を慕う女性のひたむきな気持ちに焦点を当てた悲劇として描かれたからです。
両作品とも、主人公が青雲の志を持ち海軍兵学校に入るまでを前半、
後半が真珠湾作戦に出撃するまで、と同じ分け方をしました。
したがって、どちらの作品の挿絵も前半は登場人物の紹介、
後半は特殊潜航艇の中の主人公谷正人の姿を選びました。
二つの映画を観たあと原作の小説を読み、あまりにも多くのことが
映画の表現から抜け落ちているのにちょっとした衝撃を受けたため、
最終企画として、二つの映画では描ききれなかった原作のエピソードを
本文を抜粋しながら紹介するということをやってみました。
ただし、もう新たに絵を描く余力が残っていなかったので、
この章はネガポジ反転させて加工した画像でお茶を濁しました。
ところで、ここまで来てハッと気がついたことがあります。
先日ご紹介したばかりの、本年最後に紹介した映画「ペチコート作戦」まで含め、
今年紹介した映画は全部潜水艦映画だったことです。
まあそれだけ「潜水艦映画に駄作なし」ってことなんだろうと思います。
この「人間魚雷回天」は、海軍予備士官だった松林宗恵監督作品。
回天特攻に行く予備士官たちを当時の第一線俳優たちが演じました。
こういうキャラ分けがされた映画の出演者たちの絵を描くのは好きです。
それにしても、これだけのトップ俳優を使いながら、
わたしには残念ながら全員演技力はあるとは思えませんでした。
あえて演技力だけをランク付けすると、
宇津井<木村<沼田<岡田
という感じかな。(あくまでも個人の感想です)
特にこの頃の宇津井健は、セリフ以前に顔の表情が全く動かせない能面演技で、
演技力未満という感じだったのが意外でした。
木村功演じる玉井少尉と津島恵子の幸子、この二人の恋人が
最後の時間を夜の海辺で過ごし、お姫様抱っこをして歩くシーン、
これを観たときにぜひこれをタイトルにしたいと思い描いてみました。
ここだけの話ですが、木村功の足の長さはかなりサービスしています(笑)
実は後から気づいたのですが、この二人、前年に公開された黒澤明の
「七人の侍」では「勝四郎」「志乃」として惹かれ合う役柄なんですよね。
この映画の二人も当時の観客にはそのイメージで捕らえられていたはず。
超蛇足ですがこの出演者たちはもう全員鬼籍に入っています。
木村功 1981年 58歳
岡田英次 1995年 75歳
沼田曜一 2006年 81歳
津島恵子 2012年 86歳
宇津井健 2014年 82歳
岡田英次は東大卒の予備士官役でしたが、実際は慶應義塾大卒、
沼田曜一は慶応卒の役で実際は日本大学卒、
木村功は文化学院卒、
宇津井は早稲田大学で役と同じです。(ただし中退ですが)
それにしても木村功の早逝が惜しまれます。
後せめて10年長生きしていたら、良い役柄をたくさん残せたのに・・。
回天を搭載した伊号潜水艦内での彼ら搭乗員の姿。
最後の攻撃シーンを正確に、そして誠実に描くことで、この映画は
「最高の回天映画」といえる作品になり得たのだと思います。
覚悟ができているはずの隊員たちの額ににじむ汗、
出撃が一旦中止となった時の動揺と苦悩、そして最後の瞬間目を瞑る姿。
彼らが出撃中止命令を受けた瞬間の、額に汗をにじませた
表情を描いてみたいと思いました。
潜水艦映画じゃないじゃないか!とおっしゃるあなた、お言葉を返すようですが、
この映画をアップしたのは2016年の暮れのことですのでセーフです。
という訳で、なぜか「戦争映画コレクション」で配信されたDVDに入っていた
陸自のレンジャー隊員を主人公にした映画。
調べるほどに、この頃の世間一般の自衛隊に対する見方やイメージが
限りなくマイナーなのがわかって愕然とさせられました。
この頃レンジャー課程の創成期(設立2年後)。
当時映画界に不信感を持ちまくっていた自衛隊がこの映画に協力したのは、
レンジャーを世間に広報したかったんだろうなという裏側が透けて見えます。
というわけで冒頭で「警察予備隊時代からの自衛隊とメディア(の対立)」
について多くを割いて語ってみました。
本作品出演俳優でその後名前の残っているのは三ツ矢歌子と沼田曜一だけ、
主人公の松原緑郎さんは松原光二と芸名を変えてしばらく活動していましたが、
70年代には表舞台から姿を消しました。
もう少しお金があれば、主人公には新人ではなく人気スターを使い、
演出も凝ることで映画の評価は少し変わっていたかもしれません。
陸自のレンジャー課程を広報するという主目的で作られた映画で、確かに
富士学校周辺で自衛隊の大々的な協力によって行われたロケ部分には
見るものがありましたが、それ以外があまりにもお粗末。
女性自衛官に一目惚れして入隊し、彼女の婚約者がレンジャー隊員だと
嘘をつかれてレンジャー課程に進む。
動機としては百歩譲ってありだとしても、陸曹になるのもレンジャー隊員も
いくらこの時代とはいえこんな簡単になれたら誰も苦労しませんわ。
・・・え・・・もしかしたら本当に簡単だったとか・・・?
「潜水艦のふるさと」(ホームタウン)とアメリカ人の言うところの、コネチカット州ロンドン、
川のほとりのグロトン潜水艦基地に、潜水艦博物館があります。
東海岸滞在中、コネチカットに行く用事があったので、見学しました。
そこでの見学は報告するのに何日もかかるほどのネタを提供してくれましたが、
潜水艦博物館で特に「ヒーロー」としてコーナーを設けて紹介されていた
サブマリナーたちに焦点を絞ってお話ししてみました。
左から時計回りに
ジョン・フィリップ・クロムウェル大佐
潜水艦隊司令官旗艦「スカルピン」とともに自沈
リチャード・ヘザリントン・オケイン少将
敵撃沈記録歴代一位の艦長 日本での捕虜経験あり
ジョージ・レヴィック・ストリート3世
「ティランティ」艦長
ヘンリー・ブロー水兵
仲間を救うために事故で沈没していく潜水艦に戻った 生還
ローソン・パターソン・ラメージ中将
「隻眼のサブマリナー”レッド”」と言うあだ名が全て
ユージーン・ベネット・フラッキー中将
撃沈船舶トン数歴代一位の艦長「雲鷹」も彼の手によって沈む
サミュエル・デイビッド・ディーレイ少佐
「サブマリナーズ・サブマリナー」「ハーダー」艦長として戦死
ポール・フレデリック・フォスター中将
史上初めて敵艦を攻撃した潜水艦艦長 ただし相手はメキシコ
本当は、アメリカ軍人でなく日本の潜水艦艦長について書いてみたいのですが、
いかんせん日本では潜水艦艦長の名前が歴史として残ることもなく、
(佐久間大尉除く)そもそもほとんどの潜水艦はどこでどんな最後を遂げたか
わからないままに海に沈んだので、資料などが全くないのです。
さらには生きて帰ってきた艦長は、ごく一部を除いて戦後ほとんどが
戦争について語らずひっそりと市井の人としてこの世を去ったからですね。
日米彼我の戦争と戦争にいった人たちに対する考え方の根本的な違いが
こういったことにも表れていると思いました。
こうしてアップした絵が少ないのを見ると、今年は実働で忙しかったんだなあ、
と実感しますね。
来年はどうなるかわかりませんが、よろしくおつきあいください。
それでは皆さま、良いお年を。