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空母「ホーネット」見学記~ヒストリー・ミステリー

2014-04-10 | 軍艦

空母ホーネットの艦内見学記、続きです。

ここで12ドル(だったかな)払うともらえるパンフレットには、
ホーネットの歴史としてこう書いてあります。

「USSホーネット、CVA-12、CV-12、CVS-12は第二次世界大戦以降に作られた
24の伝説的エセックス型空母のうちのひとつです」

このCVについて少しだけ説明しておくと、航空母艦(aircraft carrier)を意味します。
まずVは何かというと、フランス語からきていて、飛ぶという動詞のvolerのVなのです。
なぜここだけフランス語なのかわかりませんが。

んじゃCはキャリアーのCだね、と思った方、残念でした。
わたしもたった今までそう思っていたのですが、これは単に「craft」のCです。

とういうわけで、ホーネットは

CVA(Attack) 攻撃空母
CVS(Submarine) 対潜水艦戦支援空母

となります。 
ついでに

CVT(Training) 訓練空母
CVL(Little) 小さな空母
CVB(Big) 大きな空母
CVN( Nuclear-powered) 原子力空母

などという区分分けがなされています。
たとえば小さな空母のひとつにCVL「サイパン」というのがあるのですが、
ほかにも「イオージマ」だの「バターン」、「フィリピンシー」などという
母艦の名前を見ると、どうもアメリカというのは「勝った場所」をこうやって
艦船の名前につけることを好む傾向にあるようで。

「パールハーバー」とか「マレー・シー」なんてのが無いのでなるほどねと思った次第です。
まあ、マレー沖はアメリカ関係ないですけど。



さて、艦内の案内に戻りましょう。
機械室の真横で寝なくてはいけないかわいそうな人もいます。



このセカンドデッキは、ほぼ全域が士官用の居住区ですが、
同じフロアに医務室もありました。
「シック・ベイ」という通称が付いていたようです。
たとえばハンガーデッキ(ここから1フロア上)は艦首から向かって三つに分けられ、
それぞれを「ハンガー・ベイ1」「2」「3」と名付けていました。
この「ベイ」というのはフネの中での「エリア」に相当する呼び方のようです。

この医務室にもいろいろな面白い話がありそうだったのですが、パンフには

「セカンドデッキと医務室について詳しいことは、
”灰色の幽霊:空母ホーネットの物語”を読んでください」

とさりげなく宣伝してありました。(多分パンフ製作者の著書)
日本からは買えないので確かめようがなかったのですが、
アマゾンの感想には

「わたしはホーネットに実際勤務していた者だが、
この本はホーネットの真実を全く伝えていない!」

と酷評している人がいました。
まあ・・・空母でたくさんの人がいたわけですし、就役も戦前戦後、
期間も長かったわけですから、すべての人が納得するような視点、
というのもなかなかないのではないかという気がします。

何かを語るときにすべてにおいて言えることですがね。


そしてここは「医務室」というより、手術室をはじめラボまで持っている、
完全な「病院」だったそうです。



医務室のドクター用デスク。
ここで問診もしたのかもしれません。

ちなみに、第二次世界大戦中、ホーネットの乗員(艦載機パイロット含む)は
250人以上が戦死しています。

ちなみに、先代は日本軍に沈められましたが、このホーネットは
神風特攻による攻撃、日本軍からの爆撃は受けたことがありません。


非常の際点灯する赤ランプが非常に低い位置にあります。

 

まるでウォークインクローゼットのような物入れが作りつけられた部屋。
全ての引き出しには鍵がかけられるようになっています。



このあたりは、一部だけ階段で上がったり下りたりできました。
艦首部分で投錨のための施設があるところです。
巨大なキャプスタンがずらりと並ぶさまは壮観です。



上の段の小さな通路は、この梯子段以外に登る階段があります。
一人しか通過できませんが、たまたまわたしがここに来たとき、
中国人の見学客がいたので下でしばらく待ちました。



何をするものか全く説明なし。





前方補助のための緊急発電機室、とあります。

 

配置についている人名と、カジュアリティステーション、つまり被害箇所を
書き込む大きなノートでした。





意外と手仕事もおおいようで、日曜大工のツールみたいなのが並べてあります。



机の上に床材を貼るセンスが何とも。





というわけで、一通り艦内の特別展示以外の部分を見てきました。
ところで、これをご覧ください。



誇らしげにハンガーデッキに飾られていたホーネットの戦歴。

何も言いますまい。
こういうのをいまだに堂々と飾っているあたりがアメリカ人です。



特に大和への魚雷と爆雷について大きく書いているところを見ると、
やはりアメリカ海軍にとっても大和と戦ったことは「名誉」だったのか・・・。



ところで、話はがらりと変わりますが、ホーネットでは最少10人から、
一人25ドルくらい出せばパーティ会場として借りることが(貸切じゃないと思うけど)でき、
子供の誕生会などで借りた場合は、クルーが艦載機のシートに登らせてくれたり、
また食べ物は持ち込まなくても別注でランチボックスやピザを注文したりできます。

7月4日の独立記念日は勿論のこと、12月31日には夕刻からダンスパーティが行われ、
例年、年越しのカウントダウンパーティなどを大々的に催しているようです。
会場は前回の写真でお見せした士官用の食堂が使われ、また、
子供・少年対象ですが、なんと「オーバーステイ体験」(お泊り)もできます。

ホーネットも商売?ですから、このように何かと理由をつけて人を集め、
施設を維持する資金を少しでも稼ぐために、イベントをしょっちゅうやるわけですが、
それにしても子供の誕生日に、軍艦でパーティをしてしまうあたりがアメリカ人・・・。

しかも、HPによると、なんと今年の4月19日には

Saturday, April 19, 2014 –
The Anniversary of the Doolittle Raid」

があるんですってさ。
ドゥーリトル空襲記念日を「お祝い」してしまうんですねえこいつら。
無神経もここまでくると、悪気も衒いもなさすぎてもはや馬鹿に見えるレベル。

まあ、これを「おかしい」と思うわたしたち日本人の方が、もしかしたら
世界的基準から言うと「おかしい」のかもしれませんが、
ことにわたしのように考える人間から見ると

「敗戦国にさんざん自虐史観を押し付けておいて自分はこれかよ」 

みたいな苦々しさを、この国の人々に感じる部分でもあります。

さて、このホーネット、そんな感じで「ビバ・あめりか!」なイベントが
施設維持のための小銭稼ぎにしょっちゅう企画されているのですが、
ちょっと毛色の変わったところでこんなツァーがあるのです。



「東京が空襲されて子供が死んだ日」のお祝いに行きたいとは日本人としては全く思いませんが
(アメリカ人に変装できるのならどんなことをするつもりなのか見てみたいけど)
これならちょっと体験してみたくなりません?

なんと、歴史的ミステリーツァー

夜のホーネットを、霊媒師みたいな「語り部」とともに探検し、ついでに怪談話も聴いて
ただでさえ夏でも寒いサンフランシスコでさらに寒くなってしまおうという企画です。



ホーネットの受付のところにはこのようなショップがあり、
ここに最初行った時には「ゴーストハンター」というアメリカの番組の
「ホーネット編」というDVDが売られていたのです。

二回目に来たとき買おうと思ったらそれが売れてしまっていて、
ネットで探し当てたテレビ版をダウンロードで観ようとしたら、クリックした途端、
コンジットというマルウェアに侵入されてしまい大変な目にあいました。
息子に退治してもらいながら叱られたのは懐かしい思い出。



要するにこのミステリーツァーは、そのテレビ番組ゴーストハンターみたいな調子で、
「昔ここではこんなことが」などと脅かされながら艦内を探検するのです。



幽霊はともかく、ここで一夜を過ごすというのはやってみたい気がしないでもありません。
ツァーパンフにはこんなことが書いてあります。 

こんな体験ができます!

★ 本物のクルーのベッドで寝ます
☆ クルーがかつて食事をしたところで朝ごはんを!
★ 申し込みグループ単位でツァーを行います
☆ 普段の見学では見られないところで特別なアクティビティをします
★ スリルのあるフライトシミュレーター体験付き!

料金 一人100ドル(メンバーは75ドル) 

こういうのを見ると、パンフの言うところの「パトリオティック・イベント」である
ドゥーリトル東京空襲記念日も、この幽霊ツァーも、同じノリ。
なーんも考えずに要は楽しければいいやね。って調子でやっていますね。

つい肩をすくめて両手を上に向ける、彼らがしょっちゅうやるポーズをしたくなります。

ところで、このツァーで本当に幽霊が観られるのかはわかりませんが、
わたしは広い広いこの空母の中をほとんど一人っきりで歩き回り、
暗がりやら、かつて血まみれの人が息を引き取ったかもしれない病室の寝台やら、
そこに寝て次の日、飛び立ったまま帰ってこなかったパイロットのだったかもしれない
キャンバスベッドやらを見て歩いたわけですが、取り立てて不穏な空気は感じませんでした。

どちらかというと、写真を少しでもたくさん撮ることに血道を上げていたので、
たとえ暗がりに何か潜んでいたとしてもそんなものにかまっている暇はない、
とばかりにせわしなく走り回っていたわけですが、一度だけ「え?」と思ったことがありました。



立ち入り禁止になっているこの階段を何気なく見ながら通り過ぎてすぐ、
わたしのすぐ後ろで「がちゃーん」と大変大きな音がしました。
それはここに張り巡らされている鎖が立てた音だとは思いましたが、
そのとき艦体が揺れたようにも思えず、どちらかというとその音は

わざわざ鎖を持ち上げて叩きつけたような音

だったので、はっとして二、三歩戻り、
写真を撮りました。

もちろん、これには何も写っているわけではありませんが(笑)、
この手前から階下に続く鎖がこのとき猛烈に揺れていました。

いや・・・ただ、それだけだったんですけどね。