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映画「あゝ海軍」~「江田島健児の歌」

2014-04-13 | 映画

骨折騒ぎの文字通り骨休めとして、しばらくエントリの製作を
休んでいる間、その代わりに映画を観まくりました。

戦争映画が中心だったわけですが、その中でわたしが個人的に
特に良作だと思ったのが「南海の花束」とこの「あゝ海軍」です。


監督は「あゝ海軍兵学校」「あゝ陸軍隼戦闘隊」の村山三男
いずれもわたし基準でいうところの「ネタ映画」カテゴリなので、
実はそんなに期待していたわけではありません。
しかし経歴を具に見たところ、この人「氷雪の門」の監督でもあるんですね。

映画というのは演出、役者、配給元、スポンサー、それこそいろんな要素が
絡み合って一つの作品を形作っていくわけですから、同じ監督の作品でも
全部が全部同じ調子というわけではないとは思っていましたが、
この映画においてもっとも成功した理由と思われるのが主役の「平田一郎」に
二代目中村吉右衛門を登用したことだと思われます。

吉右衛門の演技についてはおいおいお話ししていくとして、さっそく
映画に入りましょう。



海軍旗が翻る映像と共に、いきなり行進曲「軍艦」。
1962年頃というのは、おそらく日本映画が堂々と「軍艦」を使うことができた
最後の時代だったのではないかと思われます。

この映画は戦争映画ですが、大東亜戦争の戦史でも海軍の歴史でもなく、
平田一郎という一人の青年の海軍軍人としての成長物語。
「あゝ江田島 海軍兵学校物語」がそうであったように、戦争を題材とした
青春映画(っていまどきありませんが)と言ってもいいかと思います。



ですから、特撮にはあまり力を入れていません。(笑)



晒すわけではありませんが、当映画特撮チーム。
人間形成がテーマのメインで、だから特撮は説明程度でいいや、
というわけでもないでしょうが、見るからにお金がかかってません。
こういうのは技術以前に予算の問題が大きいと思いますので、
彼らも与えられた範囲内で精一杯やってはいると思うのですが

・・・そんなに酷いのか、と言われそうなのでこれ以上言いませんけど。



一連のこの監督の海軍ものを見ていて思うのですが、この人は
海軍なり陸軍なり、軍隊組織の「様式美」というものにこだわります。
自身がそうだったのでしょうし、やはり世の中には軍隊を一定の角度からのみ見て、
そこに美を感じる感性を持つ層が今も昔も一定数いるということをよく知ったうえで、
そういう層に向けて映画を作っていたという気がします。

この海軍短刀や指揮刀を見てその造形美、機能美に感応するか、
それともただ人殺しの道具としてしか見ることができないか。

こういう議論は突き詰めるとそういうことだと思うんですが、
人殺しの道具としか見られない人と、そのものが持つ美のみを見る人とは、
そもそも同じものを見ても「視点が違う」のですから、分かり合えるわけがないのです。

そう思いません?



さて、舞台は岩手県のある旧制中学から始まります。
当時の公立学校は軍事教練といって、陸軍からの配属将校の指導下、

各個教練、部隊教練、射撃、指揮法、陣中勤務、
手旗信号、距離測量、測図学、軍事講話、戦史

などの教科を学ぶ勅令が出されていました。
履修すれば、陸軍では幹部候補生を命ぜられる資格が得られました。



「軍事教練より中学生は勉学すべし!」

みたいなビラを作ったとして配属将校に殴られる平田一郎。
主人公なのですが、わたしはこのシーンで思わず

「え?これが主人公?」

と画面を見なおしてしまいました。
顔の下半分が妙に間延びした馬面で御世辞にも男前とは言えず、
同級生の親友、本多勇(峰岸徹之介)と比べると花のないこと。

しかし、この最初の印象が最後には正反対になっていたことを
まずわたしは告白しなければなりません。
いやー、いいですよ。中村吉衛門。
わたしは歌舞伎を知らず、さらには吉衛門を吉左衛門と勘違いしていたくらい
この人のことはさらに何も知らなかったのですが。



家が母一人子一人で貧乏な彼は、成績優秀にもかかわらず
進学問題で悩んでいました。
彼が行きたいのは一高でしたが、病弱の母は

「お前を中学に上げるための借金もあるので、
中学を出たら役場にでも努めてほしい」

などというので、家では何も言いだせません。
村の金持ちのお嬢さんの家庭教師をして、
学費の足しにしているくらいなんですから。

平田、 お嬢さんの房代がわからないところを聴いても
家庭教師のくせに

「だめですよ、そうなんでも教わっちゃ」

とかいって、まともに教えず、自分の勉強をしたり本を読んだり。
夕飯を浮かすためにおにぎりを食いまくっております。


しかし、これまでのパターンだと、房代が平田を好きになるはずです。



かたや平田の親友、本多の彼女は色気たっぷりの人妻・・・・・

ではなく、家が貧しいので奉公に出される娘、延子。

本多が陸士を受けるのは、この婚約者のためでもありました。
陸士に入れば仕送りもできるから二年待ってくれ、というのを
延子は泣いて振り切り、行ってしまいます。



ある雪の日、平田の家に本多が陸士合格の知らせを持ってやってきます。
そしてなぜか

「俺だけじゃない、お前も海軍兵学校に受かったんだ!」

え?

いつのまに兵学校を受けていたのか平田。
兵学校を受けるのに母親に内緒というのは無理だと思うがどうか。
第一、最終試験は江田島に行かないといけないのに、
どうやって全く親に知られずにそこまで事を運べたのか。



こういう詰めの甘さが村山作品の特徴ですが気にせず参ります。
素直に海兵合格を息子のために喜んでやる母ですが、
実は平田はまだ母に隠していることがあったのです。
それは。

受験したのは兵学校だけではなかったのです!

おいおい。
それはいくら村山作品
でも詰めが甘すぎないかい。

そのことは後に明らかになります。





昭和9年、平田は江田島の海軍兵学校に入校しました。
昭和9年入校というと、兵学校65期に当たります。

65期は大戦開始時大尉、戦地指揮官として多くが前線に行き、
終戦時は少佐、 艦長や航空隊指揮官として戦死も多かったクラスです。



65期あたりから兵学校の倍率は20倍になり、陸士と共に
「落ちたら一高、三高」というくらいの難関になりました。

しかし平田一郎のように成績優秀でも学校に行くお金のない家庭の子弟が 
陸士海兵を受けるという例は多かったのです。 

 

兵学校生徒になった平田一郎。
何かちょっとかっこよ
くなってる・・・?




分隊幹事の岡野大尉(宇津井健)
こういう、厳しいが物わかりのよさそうな父親のような教官、
という役をやらせたらこの人の右に出るものなし。

その宇津井健の訃報をこのエントリ制作中に知り、ショックを受けました。
いい俳優でしたよね。

合掌。



分隊ごとに生徒館の廊下で顔合わせをしています、
一連の兵学校の映像はすべて江田島の術科学校で撮影されています。
兵学校ものは、本当にロケに困りませんね。

この映画は、明らかに兵学校以外のシーンにも(航空本部とか)
この校舎が使われています。



はい、ここでおなじみ「恐怖の姓名申告」シーン。

「1号生徒は貴様らの兄貴であーる!」

分隊監事は父母で上級生は兄。
しかしこの兄が・・・・・。

「ただ今から出身校姓名申告をしてもらう。
貴様からだ!」

 

こわい。

「鬼の1号生徒」を絵に描いたようなこの伍長を演ずるのは
平泉征
やはり村山三男の「あゝ」シリーズ、「陸軍隼戦闘隊」で、
愛犬のシェパードと激しく顔をなめあっていた陸軍士官です。
あのときとは打って変わって顔が怖い。

あまりご興味はないかもしれませんが個人的にかなりウケたので
平泉征の歌を一応貼っておきます。
曲はともかく、間の手にはいる「ぎょええ~!」みたいなシャウトがいかしてます。

<!-- 【アイマス】 夜を抱きしめたい 【平泉征】 -->

さて、地獄の姓名申告、平田生徒の番になりました。



いつもの調子で「岩手県立岩手中学出身・・・」と言いかけると、
「聞こえん!」「やりなおーし!」の怒号の嵐。



しかし、平田、臆する様子もなくむしろ挑戦的。

「なんなんだこの馬鹿どもは・・・」

みたいな表情をありありとみせるふてぶてしさ。
この理由は後でわかります。



起床ラッパと共に兵学校の1日が始まります。
ここで流れる曲が「いかに狂風」



寝床上げに始まって体操にカッター。

 

生徒館内の階段は2段ずつ駆けあがらないと指導が入ります。
上級生が気に入らないと、何度でもやり直し。



そんな1秒たりとも気の休まることのない兵学校生活ですが、
養浩館でのひと時は雑談も可。

サイダーを飲みながら、片山生徒が平田にこんなことを。

「おい平田、貴様一高も受けと
ったのか」


ちなみにこの「片山」の名は、入校式の時に「片山伸以下何名」と
呼ばれており、彼は首位の成績で入学したという設定です。

「本当か!」

あわてて図書館の公報を見に走る平田。
・・・・ていうか、今まで確かめもしなかったのかいっ。

これで謎が解けました。
平田、一高と海兵を併願しとったのです。
上級生の叱咤もどこか薄ら笑いで眺めていられたのも、どこかで

「俺は一高に行きたいが仕方ないからここに来てるんだ」

という「所詮」意識があったものと思われます。
しかしねえ・・。



平田、分隊監事に

「わたくしは第一高等学校に合格しておりましたので
今日限り退学させていただきます」

と言いに行きます。

「は?」

呆れる岡野大尉。そりゃ呆れますわ。
一高の合格発表も兵学校と同じころあったはずだし、
そもそも入学手続しないまま4月過ぎたら、いかにのんきな時代でも
入学する意思なしと見做されて入れてもらえないよ?
しかし平田、しれっと



「(遅れても)事情を話せば大丈夫だと思います」

大丈夫かなあ。
だいたい事情ってなんですか。
先に兵学校に受かったので取りあえずそっちに行ってたって言うんですか。

「あ、それから、郷里に帰るまでこの軍服貸してください」

今どき(大正生まれ)の若者は、という明治世代の声が聞こえてきそうです。 
兵学校生徒は入校と同時に来ていた服を郷里に送ってしまいますから、
軍服以外の服を持っていないわけですが、さすがに退校後着て歩くわけにもいきますまい。

というより、平田さん、あなたが一高に行けない原因って何だったですか?
お金がないからじゃありませんでしたっけ。
いったい学費どうするつもりなんですか。



そんなわけにいくか!貴様は海軍軍人になるためにここに来て、
宣誓書に署名したのではなかったか?
と岡野大尉に一喝され、すごすごと引き下がる平田。
そりゃそうだわ、万が一やめさせてもらったとしても、学費以前に
着て帰る洋服もないような人間がどうやって東北までの運賃を捻出するのか。



「しかし・・」「くどい!」


しかし、これで済んだわけではありません。



鬼より怖い森下伍長に呼び出されます。

「分隊監事から話は聞いた!」



それに対して汚いものでも見るような眼の平田。
こういうしれっとした態度がまた殴られる原因になるんだな。
当然、何発も猛烈な修正を受けます。



切れてひりひりする唇を口惜しさと悲しさに噛みしめていたら、
なぜか見回りの森下伍長、そっと平田のベッドの布団をかけなおしてくれます。



しかも平田の寝顔をじっと見つめて、
「悪かった。しかしお前のことを思って」なオーラ全開。



寝たふりをしていた平田ですが、森下が去った後じっと宙を見据えて何事かを考え、
そして次の日から・・・



俄然やる気をだしたのでした(笑)

なんでやねん。

一高に受かった嬉しさについ我を忘れて舞い上がっていたけど、
よく考えたら俺帰るカネだってなかったっけ・・。
そもそも、一高にいく学費が出せないからここにいるんだったわ。
やべーやべー、ついうっかり忘れてたわ。

ということを今更思い出したのかもしれません。
ついでに、3年間頑張って、森下伍長のような1号になって、
4号生徒をビシビシ殴ったる!
ついでに今みたいに布団もかけて優しいとこ見せたる!
と決意したのかもしれません。



森下が呆れるほど張り切り出す平田。
なんて単純な野郎なんだ平田。

 

そして彼らの兵学校生活が語られます。
流れる音楽は「江田島健児の歌」



柔道、剣道、棒剣術、銃剣術、そして棒倒し。



そして「まわれ!まわれ!」という怒号の中行われる
「甲板清掃」
清掃するのが甲板でなくても甲板清掃というのが海軍流。

ちなみに現代の海上自衛隊でもこの慣習は受け継がれており、
たとえ掃除をするのが室内でも「甲板清掃」というそうです。



そして瞑想の時間。
このあいだに要領よく睡眠をとることのできる生徒もいたようですが、
とりあえず平田は真面目にやっているという設定。



「至誠に悖るなかりしか!言行に恥ずるなかりしか!」

おなじみ、「海軍五省」。
まるで「映画で観る海軍兵学校生活」です。

ところがこれに続いていきなり「日本青年の歌」が鳴り響きます。
このブログ的に最近すごく聞き覚えがあると思ったら、

 

平田が在学中、2・26事件が起こったのです。

 

この事件を扱ったのは、主人公の平田と本多が貧村の出身で、
いずれもそれゆえに軍隊に身を投じることになったことから、
彼らの中にも事件に対する深い関心が起こったということを表しています。



今の世を憂う気持ちは一緒ですが、秀才の片山は平田を諌めていわく、

「気持ちはわかるが海軍軍人は陸軍のような直接行動には出ん!」

おっと。

これは脚本家のミスですね。
2・26に先立つ5・15で犬養毅らの政治家を襲撃したのは海軍将校たちだったことを
当時の兵学校生徒が覚えていないわけがありません。

このときに彼らが厳しく罰せられなかったことから、2・26の青年将校たちには
どこか処分に対する甘い展望もあり、それが実行を速めた面もある、
という説もあるくらいなのですが・・。

いずれにしても逸る平田を片山は「冷静になれ」ととどめます。
それはいいとして、片山生徒、脚が短いのになぜ無理矢理こんなポーズを取っているのか。

 

相和12年、満州事変勃発。
いよいよ戦時突入です。



「これからの戦闘の決め手は航空だ」

と講義する岡野大尉。

戦艦主義との兼ね合いはどうなるのでありますか」

という質問には、

「戦艦主義、つまり大砲屋は日本海海戦の大勝利の夢を追いすぎている」

おおお、当時の兵学校教官がここまで言いますか。



ここでも平田、

「満州事変を早く解決して内政に目を向けるべきでは」

などと発言して、岡野大尉から「現在の立場をわきまえて云々」
とやんわりたしなめられております。

そんなある日のこと、平田は、母が危篤であるという知らせを受けます。



すぐ帰る支度をするように言われて電報を見せられ、
ショックを受ける平田。



しかし、彼はなぜか「帰りたくありません!」と決然と言い放ちます。
同室の士官たちが顔を上げて一斉に彼を見ています。

「なぜだ」



「逢えば私情に溺れます!
わたくしは今母の子である前に海軍軍人であろうと・・!」

そんな平田を

「変わったな・・・」

と涙ぐんで見つめる岡野大尉。
もし現代の映画なら、その平田を岡野大尉が叱り飛ばし、
無理やり帰郷させて、涙のシーンを入れ込んできたと思われます。

「今から八方園に行って、故郷に向かって手を合わせてくるんだ」



実は、このせつない走り方を見て、わたしは平田が大好きになってしまいました。

歌舞伎役者が映画的演技にも才能を見せるのは、
彼らが生まれたときから「演じる」ことを宿命としてきたことを考えても
全く不思議なことでも意外でもありませんが、彼の演技というのは
セリフ回しより以前にちょっとした手の使い方とか、こういった
健気な息子の母を思う気持ちが溢れださんばかりの走り方などに、
役になりきった俳優にしかできない計算の無さがあると思います。



それからの平田は、一層兵学校での鍛錬に邁進します。

 

さすがは歌舞伎俳優、真剣の太刀裁きは見事の一言。



そして、65期生徒の卒業式がやってきました。



平田一郎、堂々のクラスヘッドとして、短剣を拝受されます。



この授与式の一連のシーケンスを見ても、彼は所作が美しく、
おそらく映画のスタッフはこの撮影に関して、吉衛門に向かって
何の演技指導も要らなかったのではないかと思われました。



ヘンデルの「見よ、勇者は帰る」の流れる中、
恩賜の短剣を受ける平田を感慨深げに見守る岡野大尉。



「立派になったなあ。
一高に行きたいと駄々をこねた男とは思えないぞ」



再び「軍艦」の流れる中、卒業生行進。
どうでもいいですが、この軍楽隊の指揮が無茶苦茶で、全然リズムが合ってません。
音は後付けだったようです。

  

見送る岡野教官。巣立っていく平田候補生。

 

そして、兵学校の「正門」から「ロングサイン」の流れる中、
卒業生、いや新候補生たちはランチに乗って艦隊勤務につきます。
この後、彼らは遠洋航海で世界を回ることになるのです。

それまでの遠洋航海は、地中海コース、アメリカコース、豪コース、
ときには世界一周コースなどもあり、期によって違いましたが、
そういった豪華な航海ができたのはせいぜい63期までで、
彼ら65期は満州事変の影響を受けて内地航海半月のあと
遠洋航海は三か月に短縮となり、中国、台湾、タイに行っただけでした。

せっかく岡野大尉が「世界を見ることだ」といったにもかかわらず、
近場になってしまって、65期の平田はさぞがっかりしたことでしょう。

もっとも、70期にもなると、遠洋航海どころかランチから直接各艦に配乗し、
中には洋上で乗り組み艦に移った候補生もいたということです。

 

ここまで見て、この平田一郎という青年の顔つきが、最初から
がらりと変わってきているのに気づきます。
岡野大尉の言う

「いい顔つきになったな」

は、映画を観ている者にとっても全く同感です。

 

しかし、中村吉衛門演じる平田一郎の変化は、これにとどまらず、
最初「馬面の間が抜けた顔の青年」と見えた平田が、
海軍精神を体現するような士官に真に変身するのは、実は映画後半なのです。


(続く)