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74章解説【1】

2013年02月14日 | ジュズ・タバーラカ解説

1. 身を包んだ者よ、
2. 立って警告せよ。
3. そしておまえの主の偉大さを称えよ。
4. そしておまえの衣服を清めよ。
5. そして不浄(偶像)を避けよ。
6. そして(施したもの)より多く(の見返り)を求めて施しをするな。
7. そしておまえの主のために耐えよ。
8. それで角笛が鳴らされた時、
9. そうなれば、それこそは、その日、苦難の日である。
10. 不信仰者たちにとっての(苦難の日)、容易ではない(日である)。

 この章は、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)に:
1)自分の民を警告すること、
2)彼から発せられるに相応しくない事柄の放棄、
3)アッラーからいただいた恩恵を否定する者の放棄
を勧めています。また、罪人たちの特徴や審判の日における彼らの結末についても言及します。

 この章はクルアーンの啓示の中でも初期のものです。「読め…」で始まる啓示を大天使ジブリールが預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)に伝えた際に、彼は大きな影響を受けました。大天使ジブリールは、ムハンマド(祝福と平安あれ)が落ち着き、啓示に愛情を寄せられるまでしばらくの時間を置きました。ジャービル・イブン・アブドゥッラーは啓示が途切れていたことといかにそれが再来したかに関してアッラーの使徒(祝福と平安あれ)から聞いたと伝えています:アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は言われました:私は歩いていると天より音がしたので頭を天に向けて上げるとヒラーで私の前に現れた天使が天と地の間で椅子に座っているのを見ました。私は驚き、彼に恐怖を覚え、帰りました。私は:私を覆ってくれ、覆ってくれと言ったので皆が私の身を包んでくれました。そしてアッラーが啓示し給いました:
「身を包んだ者よ、立って警告せよ。そしておまえの主の偉大さを称えよ。そしておまえの衣服を清めよ。そして不浄(偶像)を避けよ。」

 アル=ムッダッスィルとは、寝るためや温もりを得るために衣服を身にまとう人を指します。
 アッラーは彼の預言者を「身を包んだ者よ、立って警告せよ。」と呼びかけ給いました。つまり、衣服で身をくるんだ者と言う意味です。または:預言者性と神に関する知識の衣に包まった者よと言う意味とも言われます。「立って」おまえの寝床から起き上がりなさい。神意はまことにおまえを崇高な位と教えの伝搬のために指名したのだから。「警告せよ」おまえの民を脅しなさい。そして帰依しなければ罰があるだろうと警戒させなさい。ここには、
1)もし迷いに浸かりっぱなしの者たちが帰依しないままでいるならば近く起こるであろう危険があるとの警告と、
2)イスラームへの呼びかけに彼らが応えなければならない
との勧告があります。

 アッラーは続けてその使徒に語りかけ給います:「そしておまえの主の偉大さを称えよ」つまり彼おひとりだけに偉大さを限定させよ、強さ・称讃を彼のみに属させよという意味です。このような神の位に関する描写は預言者(祝福と平安あれ)の心を強くし、全ての陰謀とそれに反する全ての力を弱くします。そして預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)へは勝利を確信しながら、また困難を楽観視しながら教えを伝搬します。アッラーこそが人々を崇拝行為に導きます。彼こそが他のどんな大きなものよりも大きく、他のどんな力のあるものよりも力があります。ムスリムはアッラーフアクバル(アッラーは偉大だ)と唱えてその意味を思い起こすことで、あらゆる困難も容易となり、どんな危険も乗り越えるのです。

 続いてアッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に仰せになります:「そしておまえの衣服を清めよ」つまり、あなたの衣服についた汚れを水によって清めなさい、と言う意味です。かつて多神教徒は清潔ではありませんでしたので、至高なるアッラーはムハンマド(祝福と平安あれ)に清くあるよう、そしてその衣服も清めるよう命じ給うたのです。また:低俗な性格、間違った信仰、罪から魂を浄化せよとの命令である、とも言われます。アラブの習慣として、「あの人の衣服は清浄である」との言葉で、罪業や悪い性格のない清い魂を指していました。逆に行いの汚い人のことを、あの人は汚れた服を着ている、と表していました。ただムハンマド(祝福と平安あれ)は否定的な性格があるとか何か罪を犯したことがあると知られたことは全くないため、この聖句は彼の民に向けられた、罪と低俗な性格から清まりなさいとの指導であると理解出来ます。

 そしてアッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に仰せになります:「そして不浄(偶像)を避けよ」つまり、アッラーの罰に繋がるものを避けなさいとの意味です。「ルジュズ」はもともと罰ですが、やがて罪に繋がる全てを指すようになりました。多神崇拝、偶像崇拝、罪を犯すことなど。またこの聖句にある忠告は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が多神崇拝で穢れていたとか、恥ずべきことがあるとか、罪を犯していたことを指しているわけではありません。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は召命前に偶像に一度も跪拝したことがないこと、良くない性格を持っていなかったこと、どんな罪も犯したことがないことが確かな情報として伝わっています。アッラーが以上のように奨励したのは、ただ預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が今持っている崇高な性格を保ち続けるためだけであり、またこのことについて自分らで話し合い、また聖句の内容を実践してあらゆる罪を放棄するようにとの彼の共同体に対しての呼びかけでもあります。

 そしてアッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に仰せになります:「そして(施したもの)より多く(の見返り)を求めて施しをするな」アラビア語の動詞「منّマンナ 」には、他人のためにする善行を数え(てその徳をさげ)ることをいいます。聖句の意味:おまえは宣教のために多くのことをこれから行うが、おまえは宗教上の知識を人々に教えたことをわざわざ口にするな。つまり自分が皆に行っていること(ここでは教えの伝搬)が多いのだ、と言うことです。または:自分が行ってことを数え上げる者のように、主に捧げる崇拝行為を数え上げてはいけない、とも言われます。また「منّマンナ 」は与えるという意味もありますので、自分が施したものよりも多くのものを得ようと考えて何を施してはならない、と言う意味にもなります。

 また次のようにも仰せです:「そしておまえの主のために耐えよ」つまり、おまえの主の御満悦のためにおまえの民の迫害に耐えなさい、アッラーのために行う義務・服従行為の遂行に耐えなさい、そして人生におけるあらゆる困難に耐えなさいと言う意味です。忍耐は、アッラーがその使徒に託した遺言なのです。なぜならそれはアッラーへの誘いに必要な武器だからです。伝道者はその道において迫害され、嘲笑されますが、忍耐なしには伝道活動を続けることなど出来ず、また目標を達成することも出来ません。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP119~121)

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