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預言者伝15

2011年01月04日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
44.各部族に宣教を試みる預言者ムハンマド(平安と祝福あれ):
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は巡礼シーズンになると、アラブの各部族に自ら赴いてイスラームの紹介をし始めました。「~~族のお方たち!私はあなた方に遣わされたアッラーの使徒です。アッラーは、かれのみを崇め、かれに何者も配さず、あなた方が崇めているアッラー以外に配したものを捨て、かれを信仰すること、アッラーに代わって、かれが私にもたらしたものを解明する私を守るよう、私たちに命じ給いました。」
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がこの言葉を言い終えると、アブーラハブが言うのでした。:「~~のお方たち!あいつはラート神、ウッザー神を捨てるよう、そしてあなたがたの同盟者たちがジンを捨て、あいつが持ってきた新しい考えや迷いを受け入れるようあなたたちを唆そうとしているだけだ。だからあいつに従っても話を聞いてもいけません!」

45.アンサールのイスラーム入信の始まり:
  巡礼シーズンに出て行った預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、ハズラジュ族からなる集団に出会い、早速彼らを至高偉大なるアッラーに導き、イスラームを紹介し、クルアーンを読誦しました。
  彼らはマディーナのユダヤ人たちの隣人で、長い間姿を現していない預言者について、ユダヤ人から聞いていたのでした。ハズラジュ族の人たちは、お互いに言い合いました。:「皆の集!ユダヤ人たちに先を越されないようにしようではないか。」このような背景もあって、人々は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に応じ、信仰に入りました。ハズラジュ族の人たちは、長年の抗争でバラバラになってしまったアラブ部族を、アッラーが預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を通して一つにし給うことを望んだのです。「私たちは民の許に戻り、あなたがお示しになった教えを彼らに知らせましょう。アッラーがあなたを通して、彼らを一致団結させてくださることになれば、あなた以上に尊いお方はありません。」
  信仰が心に刻み込まれた彼らは、マディーナに戻ると、町の民に預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の存在を知らせ、イスラームへと導きました。その知らせは彼らの間に浸透し、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の名前が述べられない家はないほどになりました。

46.第一次アカバ誓約:
  翌年の巡礼シーズンになると、12人の男性から成るアンサールの集団(ハズラジュ族10名、アウス族2名)がやって来ました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、彼らと「唯一神信仰、窃盗・婚外交渉・子殺しの断絶、善行における追従」に基づいて誓約を交わしました。
預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、帰ろうとする彼らと共に、ムスアブ・イブン・ウマイルを遣わし、アンサールにクルアーンを読み聞かせ、イスラームを教え、宗教の諸知識を教授するよう命じました。

47.アンサールがイスラームを受け入れた原因:
  当時、多くのアラブの部族がイスラームを拒み、その中でも際立っていたのがクライシュでした。しかしアッラーはマディーナ2大部族のハズラジュ族とアウス族に偉大な恩恵、それはイスラーム拡散のための舞台となるきっかけを与え給いました。まことにアッラーは御望みの者を導き給います。
  そこにはいくつかの要因があり、またそれはアッラーの創造の一つでもあります。まず、マディーナの民とマッカ住民、そしてクライシュの違いがあります。アッラーは、マディーナの民に柔らかさと繊細さ、高慢さの無さ、真実を否定することへの固執の無さを性分として授け給いました。これは、イエメンから使節が訪れた際に、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が指摘した遺伝的特徴に答えを見出すことができます。:「皆さんのところへ、最も繊細で柔らかな心の持ち主であるイエメンの方々が訪れましたよ」。ハズラジュとアウスはイエメンにルーツを持っており、おそらく彼らは古い祖先の特徴を受け継いだものと思われます。またクルアーンの中に、彼らを褒めた言葉を見ることができます。:
「そして以前から(アル・マディーナに)家を持っていて、信仰を受け入れた者たちは、(移住して)かれらのもとに来た者を愛護し、またかれら(移住者〔ムハージル〕)に与えられた(戦利品)に対しても心の中で欲しがることもなく、自分(援助者〔アンサール〕)自身に先んじて(かれらに)与える。仮令自分は窮乏していても。また、自分の貪欲をよく押えた者たち。」(集合章9節)


次に考えられる要因は、この2部族の間に起こっていた内戦です。彼らはこの戦いに疲れ果てていたので、一致団結し、争い事から放免されたいとの希望を持つようになっていました。これは前出の彼らの言葉から察することが出来ます。


次に考えられる要因は、クライシュを含めたアラブ人たち全員に預言者が現われない期間が長く過ぎてしまったことです。彼らは預言者の長期不在のため、預言の本当の意味を理解せず、文盲となり、多神信仰に染まってしまいました。また預言と関わりを持ち、啓典を保有する共同体と離れてもいました。「祖先がいまだ警告を受けず、それで気付かないでいる民に、あなたが警告するためのものである。」(ヤースィーン章6節)とある通りです。

また、ハズラジュとアウスはユダヤ人から預言や預言者についての話を聞き、トーラーの読誦やその解説を聞いていました。それどころかユダヤ人たちはそれらでハズラジュとアウスを脅していたのです。「終末に預言者が遣わされる。私たちは彼と共にあなた方をアードとイラムが滅ぼされたように殺そう。」と言いながら。
これについてのクルアーンの言葉は次のとおりです:「(今)アッラーの御許から啓典(クルアーン)が下されて、かれらが所持していたものを更に確認出来るようになったが、――以前から不信心の者に対し勝利を御授け下さいと願っていたにも拘らず――心に思っていたものが実際に下ると、かれらはその信仰を拒否する。アッラーの誕責は必ず不信心者の上に下るであろう。」(雌牛章89節)
そのためハズラジュ族とアウス族含むマディーナの民の間には無知から成る大きくて深い穴は存在しませんでした。彼らはマッカの民と違って、ユダヤ人を通じてアッラーの慣行や宗教的知識を知り慣れていたのです。そのため預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に巡礼の時期に出会うと、待っていたかのように彼の呼びかけに応じたのでした。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P151~156)

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