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67章解説【1】

2014年10月02日 | ハッジ関連
1.祝福あれ、その御手に王権がある御方に。そして彼はすべてのものに対して全能なる御方。
2.(つまり)死と生を創り給う御方。おまえたちのうち誰が行いにおいて最も優れているかを試み給うために。そして彼は威力比類なく、よく赦し給う御方。
3.重層に七つの天を創り給う御方。おまえは慈悲あまねき御方の創造になんの不調和も見出さない。それから(天に)視線を戻してみよ、おまえはなにか裂け目を見出すか。
4.それから視線を2度戻してみよ。疲れた視線は伏し目に、おまえの許に引き返す。
5.またまこにわれらは最下天を灯明(星々)で飾り、それ(灯明)を悪魔たちへの投石とし、彼らには烈火の懲罰を用意した。
6.また、己の主への信仰を拒んだ者たちには火獄の懲罰がある。またなんと悪い行き着く先であることよ。
7.彼らがそこ(火獄)に投げ込まれた時、彼らは、煮えたぎるその咆哮(ほうこう)を聞いた。
8.それは激怒から破裂せんばかりである。そこに一団が投げ込まれる度、門番たちが彼らに尋ねた。「おまえたちに警告者は来なかったのか」。
9.彼らは言った。「いや、その通り。確かにわれらには警告者が来たが、われらは嘘と否定し、そして言った、『アッラーはなにも下し給わない。おまえたちは大きな迷誤のうちにあるにほかならない』」。
10.また彼らは言った。「もしわれらが聞き、悟っていたなら、烈火の輩の中にはいなかったものを」。
11.そうして彼らは己の罪を認めた。それゆえ、烈火の輩は(アッラーの慈悲から)遠ざけられよ。

この章は、死と生の目的を説明します。また、アッラーと最終の日への信仰を確実にするための天地に存在する偉大なアッラーの御力の諸しるしにも視線を向けさせます。そしてアッラーに背く者たちには審判の日に火獄の罰があることを警告します。

まずアッラーの御力とアッラーの御力が地球全体に及んでいることの解説から始まります:
「祝福あれ、その御手に王権がある御方に。そして彼はすべてのものに対して全能なる御方」

「祝福あれ(タバーラカ)」は、至高なるアッラーに属する諸性質の一つです。その意味は、聖なる存在であられる、至高であられる、偉大であられる、です。または、タバーラカは、バラカ(善きことが多いこと)から来ているとか、彼の善が増大し、彼の恩恵が増加した、とも言われます。

「その御手に王権がある御方」は、この世界における完全な実行権と所有権を意味します。「全能なる御方」は、桁外れの能力を指します。アッラーおひとりのみが、彼の御望みに応じてすべてのことを行うことが可能です。

次に、アッラーの御力の諸外観が述べられます:
「(つまり)死と生を創り給う御方。おまえたちのうち誰が行いにおいて最も優れているかを試み給うために。そして彼は威力比類なく、よく赦し給う御方」

クルアーンはまず死を述べました。なぜなら存在する全ての生き物はかつて無の状態にあり、その次に命が入り込んできたからです。そしてまた死が訪れ、その次に来世の命が訪れます。至高なるアッラーは仰せです:「どうしておまえたちにアッラーを否定できようか。死んでいたおまえたちを生かし給うた御方であり、それからおまえたちを死なせ、それから生かし給い、それからおまえたちは彼の許に戻されるというのに。」 (雌牛章28節)

人間が地球上に創られた目的は、あらゆる種類の悪と善で人間を試みることで、誰が行いにおいてもっとも優れ、誠実であるかを判明させるためです。「おまえたちのうち誰が行いにおいて最も優れているかを試み給うために。」もし人々がこの意味を理解したなら、善行における競争に走るようになり、悪を引き起こす諸事を避けたことでしょう。

次にクルアーンは、天の創造におけるアッラーの御力の解明に移ります:
「重層に七つの天を創り給う御方。おまえは慈悲あまねき御方の創造になんの不調和も見出さない。それから(天に)視線を戻してみよ、おまえはなにか裂け目を見出すか」

至高なるアッラーは七つの天を「重層に」、つまり一つの天の上にさらに天を重ねることで創造し給いました。

この七つの天の真相は私たちには不可視のものですが、私たちはその存在を信じ、その真相における知識を至高なるアッラーにお任せすることが求められます。もしかすると、時間の経過とともに、宇宙の秘密を人間が発見しているように、天の秘密が発見されるかもしれません。また、クルアーンが諸天と大地について述べるのは、その存在に関する知識のためではなく、それらの創造について熟考することへ私たちを誘うためであると言っておかなければなりません。それは人間が創造主への信仰にたどり着くためです。以上はクルアーン中のほかの場所で述べられたとおりです。「まことに、諸天と地の中には信仰する者たちへの諸々の印がある。」(45章3節)

「おまえは慈悲あまねき御方の創造になんの不調和も見出さない」の意味:アッラーの創造の中に差異や混乱を見出さない。生物学者たちと物質学者たちの研究は、この聖句に同意するものをもたらしました。彼らは、世界のすべての最小の原子から、普通の視覚では見えないDNAという、そして天空の最大級の惑星まですべてがある規則にとても正確に従っており、そこには何の欠陥も見られない、と言います。また、「それから(天に)視線を戻してみよ、おまえはなにか裂け目を見出すか」:つまりお前の視線を天に戻して、そこに欠陥があるか考えなさい、という意味です。

クルアーンは続けて述べます:
「それから視線を2度戻してみよ。疲れた視線は伏し目に、おまえの許に引き返す」

二度、と述べられているのは、その動作を何度も行えとの指示か、または、二度だけを意味すると言われます。何とか欠陥を見つけ出そうとじっくり見ても、おまえの視線は「伏し目に」つまり卑しく何の欠陥も見つけられない。「疲れた」欠陥を見つけ出そうと必死に目を酷使するために疲労した、の意味。

クルアーンが示したアッラーの創造の完璧さは、現代の科学の進歩を介して現れたようには当時現れませんでした。人間は、90万倍に拡大する電子顕微鏡や遠くのものを近づけて見せる望遠鏡を開発し、学者たちはそれらを通して自分らを驚愕させるものを見、創造主に対する信仰心を篤くしました。つまり当時の人たちはどれだけ凝視しても何の欠陥も見つけられないどころか、疲労を増大させるだけだったのです。

続いてクルアーンは天の美しさや創造主への信仰を掻き立てるものたちについて述べます:
「またまこにわれらは最下天を灯明(星々)で飾り、それ(灯明)を悪魔たちへの投石とし、彼らには烈火の懲罰を用意した」

夜の暗い天上における星々の光景には、魅力と恐怖と美が混在します。その光景は郊外や砂漠の住民、船乗りたちには晴れているときにはさらに鮮明に見えます。アッラーはこの天を悪魔を石打つ星の場所となし給いました。かつてアラブの占い師たちは、悪魔を介して最天上とつながっていると主張していました。悪魔は占い師たちに最天上で記録されるさまざまな情報を運んでいたというのですが、クルアーンはそれを否定しつつ次のことを解明ます:悪魔は石を投げつけられることなく最天上にたどり着くことはできなかった。これが彼らに対する現世での罰であるなら、至高なるアッラーは来世ではか火獄の罰を彼らのために準備し給うている。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP10~13)
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