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78章解説【3】

2012年04月19日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم
31.まことに、畏れ身を守る者たちには成就(救済の成功)がある。
32.(つまり)いくつもの庭とぶどう畑、
33.そして同年齢の胸の丸く膨れた乙女たち、
34.そして満たされた酒杯(があり)、
35.そこでは彼らは戯れ言も(互いが)嘘つき呼ばわりすることも聞くことはない。
36.おまえの主からの報いとして(つまり)十分な賜物として。
37.(つまり)諸天と地とその間のものの主、慈悲深い御方(からの報いとして)。彼らは彼に話しかける権限を持たない。
38.霊(ジブリール)と天使たちが整列して立つ日、彼らが語る(請願する)ことはない。但し、慈悲あまねき御方が許し給い、正語を述べた者は別である。
39.それが真実の日である。それゆえ、望む者は主の御許に帰り処を得る(が良い)。
40.まことにわれらはおまえたちに近い懲罰を警告した。人が己の手が以前になしたことを見、そして、不信仰者が「ああ、わが身が土くれであればよかったものを」と言う日における(懲罰を)。

「まことに、畏れ身を守る者たちには成就(救済の成功)がある。(つまり)いくつもの庭とぶどう畑、そして同年齢の胸の丸く膨れた乙女たち、そして満たされた酒杯(があり)、そこでは彼らは戯れ言も(互いが)嘘つき呼ばわりすることも聞くことはない。おまえの主からの報いとして(つまり)十分な賜物として。」

主に従い、自らに禁じられた諸事項を避けることで主を畏れた者たちには:「成就(救済の成功)」があります。つまり、成功、至福の楽園の獲得、地獄の罰からの解放です。また彼らには、「いくつもの庭とぶどう畑」つまり、実のなった木々やぶどうがふっさりとついた木々からなる庭園があります。「そして同年齢の胸の丸く膨れた乙女たち」完全に女性として成熟し、胸がはっきりと表れた、年齢が統一された女たちがあります。「そして満たされた酒杯」次々に満たされた、楽園の住民が飲むに純粋な酒杯があります。「そこでは彼らは戯れ言も(互いが)嘘つき呼ばわりすることも聞くことはない。」間違った言葉も罪も彼らはそこで聞くことはなく、お互いを嘘つき呼ばわりすることもなく、嘘を聞くこともありません。「おまえの主からの報いとして(つまり)十分な賜物として。」つまり、アッラーはそれら全てを彼らが行ってきた善行に対する褒美、報奨として、御自身の寛大さをもって楽園の住民に与え給うということです。

以上は、クルアーンが述べた視覚的な至福の描写です。代わって、その本当の甘美さや楽しさはというと、私たちの理解を超えるものです。来世の至福は現世の至福をその質や持続性において上越しており、現世の至福は過少かつ消えゆくものです。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は来世の至福の描写に関して、主に代わってハディースを伝えています:「わたしの善良なしもべたちのために、目が見たことも、耳が聞いたことも、人間の心が想像したことのないようなものをわたしは準備した。」

そしてクルアーンは、最後の日におけるアッラーの荘厳さと偉大さを解明していきます。その時、あらゆる裁定はアッラーおひとりのみに委ねられます:

「諸天と地とその間のものの主、慈悲深い御方。彼らは彼に話しかける権限を持たない。」

アッラーとは、諸天と大地とその間にあるすべての被造物の主です。かれは慈悲深い御方、つまり、最良の至福を与え給う御方です。罪人達の罪を軽減してもらうためや、無罪の人々の報奨の増加のためにかれに話しかける権限を持つ者などいません。

クルアーンは続けます:
「霊(ジブリール)と天使たちが整列して立つ日、彼らが語る(請願する)ことはない。但し、慈悲あまねき御方が許し給い、正語を述べた者は別である。」

つまり、ジブリールと天使たちがアッラーの荘厳さを前に整列して立つ日。至高なる主が許し給うた者か、正しいことを言った者以外に話す者はその日誰もいません。または、執り成されることをあらかじめアッラーによって許された者以外の人間は誰も執り成しについて話すことはないとも言われます。またその許された者とは、現世において正しい言葉を話し、ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーのほかに神はなし)と言っていた者を指します。

続いてクルアーンは、再生は疑いなく真実であり、それを迎えるために善行によって準備する機会は誰にも与えられていることを解明します:
「それが真実の日である。それゆえ、望む者は主の御許に帰り処を得る(が良い)」

最後の日は真実の日です。それゆえ、主の良き報奨に帰り処を求める者は、アッラーを信仰し、かれに服従することで求めなさい、ということです。

続いて、多すぎる罪に沈んでいる、再生を否定する者たちに対する警告の言葉をもってこの章は結ばれます:
「まことにわれらはおまえたちに近い懲罰を警告した。人が己の手が以前になしたことを見、そして、不信仰者が「ああ、わが身が土くれであればよかったものを」と言う日における(懲罰を)」

アッラーは人々に近づいた罰を警告し給います。その日すべての人間は行ってきた良い行為、悪い行為を目の当たりにします。それらは天使たちによって書簡にしっかりと記録されています。「そして、不信仰者が「ああ、わが身が土くれであればよかったものを」と言う」つまり、現世で私は土くれであれば、存在させられることも、責任能力を負わされることも、清算されることもなかったのに、という意味か、私はこの日土くれになることができれば、清算のために甦らされることもなかったのに、という意味になります。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP15~17)