イスラーム勉強会ブログ

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預言者伝33

2012年04月12日 | 預言者伝関連

111.アン=ナディール家が追放される:
  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、殺害されたアーミル家出身の二名の血の代償の支払いを援助してもらおうとアン=ナディール家に出向きました。アン=ナディール家は大きなユダヤ系部族で、当初からマディーナでは、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)が血の代償を負う際は援助する、との約束をしていました。彼らは、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)には、「何とかしましょう。」と答えたものの、実は、裏切りと暗殺の企みを隠していたことは、まだ誰も知らずにいました。
  ある時、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)が彼らの住居の壁のそばに座っていると、アン=ナディール家の人々が次のようにささやき合いました:「この男(アッラーの使徒ﷺのこと)がこんな恰好でいるのは二度と見られないかもしれないぞ。誰かこの家の最上階に行って、岩をこいつの上に落して、俺たちを晴れ晴れさせてくれないだろうか!」その時アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、アブー・バクル、ウマル、アリーを含む教友達と共にいました。
  すると、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)に、ジブリールを介して天から知らせが入り、人々が暗殺計画を企んでいることを知らされました。彼(平安と祝福あれ)はすぐに立ち上がり、急いでマディーナに戻り、アン=ナディール家を襲うための準備をするよう信徒たちに命令しました。丁度、ヒジュラ暦4年のラビーウ・ル・アウワル月(西暦635年8月)のことでした。信徒らは敵を六夜の間包囲し、アッラーは彼らの心に恐怖を投げ入れ給うたので、彼らはアッラーの使徒(平安と祝福あれ)に、武器を除き、ラクダが積める分だけの荷物だけを持って立ち去るので、見逃してもらえるよう、殺さないでもらえるよう懇願するのでした。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は彼らの頼みを受け入れると、彼らはそのまま荷づくりを始めました。人々の中には、信徒らに住まわれないようにと自分の家を壊して、ラクダに載せて出発する者もいました。この戦いについてアッラーは次のように仰せです:「彼こそは、啓典の民のうち信仰を拒んだ者たちを、最初の追い集めの際に、彼らの住居から追い出し給うた御方。おまえたちは彼らが出ていくとは考えなかったし、また彼らも、自分たちの要塞が、アッラーから自分たちを防衛するものであると考えていた。だが、アッラー(の命、懲罰)は、彼らが予期しなかったところから彼らのもとにやって来て、彼は彼らの心に震恐(しんきょう)を投げ込み給い、彼らは自らの手と信仰者たちの手によって、自らの家を破壊するのである。それゆえ、心眼を備えた者たちよ、考慮せよ。」(クルアーン59章2節)

  彼らの中にはハイバルに移動した者もいれば、シャーム地方に移動した者もおり、信徒たちはやっと彼らの策略と陰謀と偽善と裏切りの巣窟からの解放が叶ったのでした。

  そしてアッラーの使徒(平安と祝福あれ)はアン=ナディール家が置いて行った富を初期にマディーナに移住してきた者たちに分け与えました。

112.ザート・アッ=リカーの戦:
  またアッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、ヒジュラ暦4年に、ナジド遠征のために6名で出発しました。原因は、ナジドの地の数部族がアッラーの使徒(平安と祝福あれ)との戦いの準備をしていると知らせが入ったためです。信徒らの足は傷付いて爪が剥がれてしまったため、布切れを足元にぐるぐると巻いたことが、この戦(いくさ)の名前の由来となっています。
  信徒らが敵の地に到着するとそこには女たちしかおらず、男らは、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)たちの出発の知らせを聞いた後に、山々に逃げてしまっていたのでした。その中の数名が集まって、戦いのために姿を現し、いざ対面すると、両者はお互いを恐れてしまいました。アスルの礼拝の時間には、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は敵たちが裏切り行為に出ることを心配したため、「恐怖時の礼拝(サラートゥル⁼ハウフ)」を指示しました。実はこの礼拝が初めて行われた恐怖時の礼拝でした。しかし、アッラーが敵の心に震恐(しんきょう)を投げ込み給うたため、戦いは起きずに済みました。

113.誰がおまえを私から制するのか?:
  こうしてアッラーの使徒(平安と祝福あれ)が仲間たちと帰途についている途中、眠気が彼らを襲いました。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)はご自身の剣を木に引っかけて木の下で眠り始めました。
  ジャービルが伝えています:私たちはひと眠りしたのです。そしてアッラーの使徒(平安と祝福あれ)が私たちを呼びました。そこには、ある男が座っていました。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は言われました:この男は私の剣を、私が寝ている間に取ってしまったらしい。目を覚ますと剣を手にしたこの男がおり、このように言いました:誰がおまえを私から制するのか?と。私は、アッラーだ、と答えました。すると男は座り込んでしまいました。かといって、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は彼を罰することもありませんでした。

  この男は後にイスラームに帰依し、自分の民に帰って、「私は最善の人間の許から参りました」と言いながら人々をイスラームに導いたとの伝承があります。

114.争いのなかった戦:
  ヒジュラ暦4年シャアバーン月に、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)はアブー・スフヤーンとの約束を果たすために、教友たちとバドルに向かいました。彼らはそこに8夜留まってアブー・スフヤーンが現われるのを待ちました。実際にアブー・スフヤーンもマッカを出発してバドルに向かったのですが、心は不安と恐怖で一杯でした。共にいた人たちに「肥沃(ひよく)な年でないと、君らには何もできないだろう。今年は不毛の年だ。私は引き返すから、君らも引き返しなさい」と言って、誰も強制されることなく、マッカに帰っていきました。アブー・スフヤーンの到着を待っている間に信徒たちは手元にあった売り物を売り、とても大きな儲けを手に入れることが出来ました。そしてマディーナに帰りました。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P244~246など)

コメント (1)
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