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84章解説

2011年09月27日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم
1. 天が割れた時。
2. ―その主に聞き従い、それが必然とされた―
3. そして大地が延べ広げられ、
4. そしてその中のものを投げ出して空になった時、
5. ―そしてそれはその主に聞き従い、それが必然とされた―
6. 人間よ、まことに、おまえはおまえの主に向かって労苦、努力する者、そしてそれ(アッラーもしくは努力の善果)に出会う者である。
7. それで己の書(行状簿)を右手に渡される者については、
8. いずれ彼はたやすい清算を受けるであろうし、
9. そして、喜んで、自分の家族の許に帰るであろう。
10. 一方、背後で己の書を渡された者については、
11. いずれ彼は死滅を呼び求めるであろうし、
12. そして、燃える炎で焼かれるだろう。
13. 本当に彼は家族の許で歓楽していた。
14. 本当に彼は(アッラーの許へ)帰ることはないと考えた。
15. いや、本当に彼の主は彼を見通しておられた。
16. それゆえ、夕映えに誓おうではないか。
17. そして夜とそれが包んだものに(かけて)、
18. そして満ちた時の月に(かけて)、
19. おまえたちは必ず一層から他層へと上り移るのである。
20. それでも信じないとは彼らはどうしたというのか。
21. また彼らにクルアーンが読誦されても、サジダ(跪拝)しない。
22. いや、信仰を拒んだ者たちは(クルアーンなどの真理を)嘘と否定する。
23. だが、アッラーは彼らが(胸に)保持することを熟知し給う。
24. それゆえ、彼らには痛烈な懲罰という吉報を伝えなさい。
25. ただし、信仰して善行をなした者は別である。彼らには尽きることのない報酬がある。

 この章は、人間の帰り処がアッラーであり、彼が生前に成した善と悪にアッラーが報い給うことを説明しながら、審判の日の兆候について述べます。

 まず、天地が降伏してアッラーの命令におとなしく従うことを始めとした、審判の日に起こる天変地異の光景の紹介で始まります。アッラーは次の御言葉で、これらが起こることを強調し給います:「それが必然とされた」つまり、それらがアッラーの命令に従うことは揺るぎない真実であるということです。アッラーは天地それぞれの主であり、天地はアッラーの御手中にあります。この始まり方は、天と地がその主に降伏することに照らし合わせて、心に畏敬とアッラーへの降伏の念を湧きおこします。

 アッラーは仰せになります:
 「天が割れた時。―その主に聞き従い、それが必然とされた― そして大地が延べ広げられ、そしてその中のものを投げ出して空になった時、―そしてそれはその主に聞き従い、それが必然とされた―」

 「天が割れた時」:つまり天に亀裂が入り、割れたということです。「その主に聞き従い、それが必然とされた」主に耳を傾け、ひび割れることにおいてのかれの命令に従うということです。そしてその服従は確実な真実でもあります。「そして大地が延べ広げられ」つまり拡張されたことでより広くなったということです。「そしてその中のものを投げ出して空になった時」大地はその中にある遺体を外側に生きた状態で投げ出し、人間を放棄します。「そしてそれはその主に聞き従い、それが必然とされた」つまり大地は主の御言葉に耳を傾け、内部にあるものを外に放り投げるようにとの御命令に従ったという意味です。

 その中でクルアーンは、地球における超自然的なアッラーの御力の素晴らしさを描きますが、大地における人間の存在の真実と、最後に行き着くのはアッラーとの謁見であることを人間に注意させるためです:

 「人間よ、まことに、おまえはおまえの主に向かって労苦、努力する者、そしてそれ(アッラーもしくは努力の善果)に出会う者である。」

 意味:人間よ、おまえはおまえの主に向かって努力し、現世でいろいろと行動する。善であっても悪であっても、アッラーによるそれらに対する報いをおまえはそのうち受ける。だからこそおまえの行為はアッラーの御満足をおまえに引きつける類でないといけないし、アッラーの怒りを招いて、結局あなたを滅ぼしてしまうようなものであってもいけない。

 続いて、アッラーに従って、かれの御満悦を得る人たちの喜ばしい光景が紹介されます:

 「それで己の書(行状簿)を右手に渡される者については、いずれ彼はたやすい清算を受けるであろうし、そして、喜んで、自分の家族の許に帰るであろう。」

 アッラーは仰せになります:右手に自分の行為(が記された)書を渡される者。これは吉報の証拠です。「いずれ彼はたやすい清算を受けるであろう」たやすい清算とは、審判の日に信仰者に生前の行為が晒される時、罪は赦され、善行に対する報いを受けることを指します。「そして、喜んで、自分の家族の許に帰るであろう」つまり、アッラーから頂戴した恩恵に対する喜びと陽気に包まれて、天国にいる家族のもとに戻ります。

 喜ばしい描写とは逆の、罰が確定した、罪を犯してきた人たちの描写が次に続きます:

「一方、背後で己の書を渡された者については、いずれ彼は死滅を呼び求めるであろうし、そして、燃える炎で焼かれるだろう。」

 つまり、人々よ。おまえたちの中で、行為の書を背後で受け取った者よ。「背後」には、その人を軽蔑し、辱める意味があります。「いずれ彼は死滅を呼び求めるであろう」自分が滅びて無くなってしまうことを求めて助けてくれと叫びます。「そして、燃える炎で焼かれるだろう」つまり、火の中に入って、その熱さと罰に苦しむことになります。

 クルアーンはこの不幸者の描写を、彼の生前がどのようであったかを言及しながら続けます。また、不幸な結末を招いた本当の理由を解説します:「本当に彼は家族の許で歓楽していた。本当に彼は(アッラーの許へ)帰ることはないと考えた。いや、本当に彼の主は彼を見通しておられた。」

 彼はかつて恩恵に浴し、家族の中で楽しくして、自分が不信であることと罪を犯している状態に満足していました。「本当に彼は帰ることはないと考えた」アッラーに帰されることはなく、清算のために死後に生き返されることはないと確信していたので、自分が犯した罪など気にしなかったということです。なぜなら報奨を求めず、また罰をも恐れていなかったためです。「いや」事実は彼が考えているのとは違っており、そのうち主に帰される、という意味が含まれています。「本当に彼の主は彼を見通しておられた」まことにアッラーは彼がかつて行っていた悪事を御見通しであるということです。

 クルアーンは続いて、訓戒と説教を目的に、アッラーの御力の機能のいくつかに関心を向けさせます。

 「それゆえ、夕映えに誓おうではないか。そして夜とそれが包んだものに(かけて)、そして満ちた時の月に(かけて)、おまえたちは必ず一層から他層へと上り移るのである。」

 これらで誓う目的は、創造主の偉大さと、世界に影響しているかれの御力の解明です。

 夕映えとは、太陽が沈んだ後に見られる、地平線に現れる赤みです。それは昼間の終わりを感じさせ、夜の到来は、印象的な自然のしるしや、その背後にはそれらを創造したアッラーの力があることについて深く考えさせます。

 大地と天が泳ぐ空間は、元来から暗く、それは、「夜とそれが包んだもの」です。アッラーは、夜とその暗さが集め、包んだ天体やさまざまな被造物にかけて誓い給いました。まるで、全被造物にかけて誓われたかのようです。続けて、月にかけて誓い給います:「そして満ちた時の月に(かけて)」つまり、満月を指し、目と心に安堵感を与え、創造主の偉大さを感じさせます。

 続くのは、誓いの返答です:「おまえたちは必ず一層から他層へと上り移るのである」つまり、瞬間を追うごとに、おまえたちは苦難を受ける、つまり死とその後の審判の日の恐怖、です。また、この苦しみは、現世にあるとも言われます:つまり、苦難後の安楽、安楽後の苦難、病気後の健康、健康後の病気を指すとも言われます。

 これらの、アッラーの存在とその唯一性を証言する宇宙のしるしと、彼らに読まれるクルアーンの諸節を前に、アッラーは仰せ続けます:

 「それでも信じないとは彼らはどうしたというのか。また彼らにクルアーンが読誦されても、サジダ(跪拝)しない。いや、信仰を拒んだ者たちは(クルアーンなどの真理を)嘘と否定する。だが、アッラーは彼らが(胸に)保持することを熟知し給う。」

 疑問形の文章には、非難・咎めの意味があります。不信仰者たちはなぜアッラーとアッラーの唯一性を信じないのだろう!!と。なぜ死後の生き返りを認めないのだろう!!と。なぜクルアーンが読まれる時、謙遜し、静かにしないのだろう!!そこにはクルアーンがアッラーの啓示である証拠が多々あるのに!!と。「いや、信仰を拒んだ者たちは(クルアーンなどの真理を)嘘と否定する」彼らは頑固に、そして高慢に、ムハンマドがアッラーの使徒であることを嘘だと言い、クルアーンがアッラーの書であることを嘘だと言います。「だが、アッラーは彼らが(胸に)保持することを熟知し給う」アッラーは彼らの胸に秘められた嘘呼ばわりしている事柄について最もよく御存知です。

 そして、不信仰者と信者の帰り処の解明で、章は終わります。

 「それゆえ、彼らには痛烈な懲罰という吉報を伝えなさい。ただし、信仰して善行をなした者は別である。彼らには尽きることのない報酬がある。」

 ムハンマドよ、痛ましい罰を不信仰者たちに吉報として伝えなさい、という意味ですが、吉報は元々、至福に使われ、罰には使われません。ここでの吉報は、不信仰者に対する軽蔑と嘲笑です。代わって、信仰し善行を積んだ者たちには、「尽きることのない」つまり、減ることも見返りを求められることもない報酬があります。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP66~72)

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