◎ジェイド・タブレット-外典-11-12
◎世界樹-10
◎ヘルメス、猿田彦命
霊界探訪記を見ると、霊界のどこにいても霊界太陽が見えるとあるものだ。人は霊界において神たる霊界太陽に常にリンクしている。この世においては逆に極めて稀な人しか神仏を目撃、あるいはコンタクトできない。しかしこの点は、この世でもあの世でも神仏にコンタクトできるという可能性を保証していると見るべきだろうと思う。
世界樹は、世界全体のシンボルだが、七つの次元のどこからでも神仏・ニルヴァーナに接することができるための親切なガイドさんがいる。そのガイドが、古代ギリシアではヘルメスと現れ、古事記では猿田彦命として現れる。
ピュタゴラスの冥界めぐりのエピソードにヘルメスが登場する。
『魂を一つにつなぎとめている紐帯は、血管や動脈や腱である。しかし魂の力が強くて、自分だけで静かに落ち着いているときには、魂(内部)の比(均衡)と活動がこれを一つにつなぎとめているのである。
しかし、(肉体との結合が解けて、)魂が地上へ放り出されると、魂は空中を肉体と同様にさ迷うことになる。そしてそのときには、ヘルメス(神)が魂たちの監視者になるのである。それゆえに、(地下の世界まで死者たちの魂に)「付き添うヘルメス」とか、「門の前に立つヘルメス」とか、「地下の世界のヘルメス」というような言い方がなされているわけである。
このヘルメスが、肉体から(分離した)魂たちを、陸からも海からも(定められた場所へと)送り届けるからである。
そして清浄な魂たちは、最も高い場所へ連れて行かれるが、不浄な魂たちは、清浄な魂たちにも、あるいはお互いにも近づくことが許されないで、エリュニス(復讐鬼)たちによって破ることのできない束縛のなかにつながれるのである。』
(ギリシア哲学者列伝(下)/ディオゲネス・ラエルティオス/岩波文庫P34-35から引用)
このようにヘルメスは至るところに登場する。地獄でも、中有の入り口でも、死んだばかりの取り込み中のところにも、ヘルメスが同伴している。
これは、人が七つの次元にあり、人が肉体レベル、エーテル体レベルなどのどの次元にいたとしてもヘルメスを目撃できることを言うのであって、それを「ヘルメスが魂に付き添う」かのように見えるせいではあるまいか。
よく真正なグルを真摯に求めればかならず出会えるというが、それもこの伝なのだろうと思う。
また日本の神話なら別れ道に立つ猿田彦命である。皇孫二々岐命が豊葦原瑞穂中国の主として降臨あらせられた時に、猿田彦命は、天の八衢(やちまた)に出迎え奉り、日向の奇振るの峯に天孫を導きたまい、また伊勢の大神の先導に立ちたまいし忠勇無比の神様である。
天の八衢とは、中有のこと。中有から先も自分で進まねばならないが、猿田彦命はそこでガイドを務め、正しい道を指し示してくれる。これぞヘルメスと同様のさまよえる魂を善悪立て分けて、相応の場所に送り届けるという役割である。
これを世界全体で俯瞰すると、無数の人が猿田彦命にエスコートされて、世界樹の幹や枝を上昇し或いは下降している様となる。
こうして「世界樹はエスカレーターとも見える」という見方があることがわかる。