◎小人をして天下を治めしむれば天禄永く絶えん、国家混乱すれば、天災地妖到る
日本人には、日本人としての固有の特性がある。それは、外国の文化、文明を取り入れても、包容力に富んだその国民性により、それを上手に取り入れ本来の清よ明けき国民精神に動揺を来さなかったということである。
ところが時の為政者、国民があまりにも外来文化の悪影響を受け、祖国の山河が黙視看過できないほどになった場合、天変地異が忽然として起こるものである。
その腐敗爛熟の程度がやや大きくなければ「人震」が起き、腐敗爛熟が巨大にして深刻であれば、「地震」が起きるものである。
出口王仁三郎によれば、人震の例としては、天草四郎や由比民部之介、大塩平八郎、西郷隆盛を挙げているが、第二次世界大戦の敗戦もその一例であろう。
また彼は地震の例として、元和、寛永、慶安、元禄、宝永、天明、安政、大正(関東大震災)に起った大地震を挙げているが、1944年 昭和東南海地震 M7.9、 1946年昭和南海地震M8.0、1995年阪神淡路大震災M7.3、2011年東日本大震災M9.0もその一例。
現下の日本の混乱迷蒙は、L〇〇〇政策による家族の崩壊促進、一生のライフプランを立てられないほどになった五公五民と言われる苛斂誅求による税社会保険料・再生エネルギー賦課金による生活苦、非正規雇用からほとんど這い上がれない蟻地獄雇用実態、加えて外国人移民の野放図な受け入れ政策が典型的である。中国、韓国、北朝鮮、米欧の言いなりの政党、教団、マスコミが、これらを推進バックアップしてきたと言える。
亀山上皇は、中国撃退を祈念し、日蓮も中国撃退を説いた。二度の元寇は撃退されたが、第二次世界大戦では、米軍には一敗地にまみれ、出口王仁三郎をして、外国の手による立替立直しと言わしめた。なお既にEEZに中国ミサイルは着弾済である。
奈良が滅び、京都が衰え、江戸は150年栄えたが、これからは・・・・。
『天変地異(わざわい)を指おりかぞえ
まつ虫の冬の霜先あわれなるかも
立替を世人(よびと)のことと勿(な)思いそ
立替するはおのが身魂(みたま)ぞ
手も足も動かさずして みろくの代(よ) はや来(こ)よかし と祈る曲神(まがかみ)』
以上三首 出口王仁三郎
今日からでも冥想を。
出口王仁三郎の随筆月鏡(昭和4年)から引用。
『我が日本神洲の国民は、古来、抱擁性に富んで居た。そして固有の民族性に少しの動揺を来さなかつた事は、世界の驚異とする所である。世界の文化を悉く吸収して、同化し、精錬して更により以上美しきものとして、更に之を世界に頒与する所に、日本人の生命があり、使命があるのである。然し横に世界文化を吸収して之を精錬すればする程、縦に民族性が深めらるべき筈だのに、現代の日本は外来文化の暴風に吹きつけられるほど、固有の民族性の特長を喪ひつつある状態は、恰も根の枯れたる樹木に均しいものである。
日本人は、日本人として決して何物によつても冒されない、天賦固有の文化的精神を持つて居る筈である。それが外来文化の浸蝕に由つて、失はれんとする事は、祖国の山河が黙視するに忍びざる所で無くてはならぬ。斯の如き時に際して、天災地変が忽焉として起り、国民に大なる警告と反省を促した事は、近代に始まつた事で無く、実に建国二千五百年の災変史の、黙示する所の大真理である。近くは元和、寛永、慶安、元禄、宝永、天明、安政、大正に起つた大地震と当時の世態人情との関係を回顧するも、蓋し思ひ半に過ぐるものがあるではないか。
扨て我国の記録に存するもののみにても、大小一千有余の震災を数へる事が出来る。其中でも最も大地震と称されて居るものが、百二十三回、鎌倉時代の如きは平均五年目毎に大震災があつたのである。覇府時代には大小三十六回の震災があつた。然も我国の発展が、何時も是等の地震に負ふ所が多いのも、不思議な現象である。奈良が滅び京都が衰へ、そして江戸が大に興隆発展した歴史の過程を辿つて見れば、その間の消息が能く能く窺はれる。
全体我国の文化その物は、全く地震から咲き出した花の様にも思はれる。天神天祖、国祖神の我国を見捨て玉はぬ限り、国民の生活が固定し、腐敗堕落の極に達した度毎に、地震の浄火が忽焉と見舞つて来て、一切の汚穢を洗滌するのは、神国の神国たる所以である。古語に曰ふ「小人をして天下を治めしむれば天禄永く絶えん、国家混乱すれば、天災地妖到る」とあるのは自然と人生の一体たる事を語つたものである。人間が堕落して奢侈淫逸に流れた時、自然なる母は、その覚醒を促す為に、諸種の災害を降し玉ふのであつて而も地震は其の極罰である。
我国に地震の多いのも神の寵児なるが故である。自然否天神地祇の恩寵を被る事の多いだけ、それだけにその恩寵に背いた時の懲罰は一層烈しい道理である。若し地震が起らなければ、人震が発りて其の忿怒を漏らすに至る。近くは天草四郎や由比民部之介、大塩平八郎乃至、西郷隆盛の如き皆この人震に属するものである。』