アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

空海-2-十住心論

2024-01-10 03:25:03 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-24

◎青春期の垂直の道-24

◎意識レベルと存在レベル

 

空海は、人間の意識の発展段階として、十住心論を掲げている。

 

住心とは、心のあり場所や精神のおきどころの思想・哲学ではなく、人間の意識レベルと存在レベルの発展体系のこと。冥想の縦軸、横軸という議論からは、十住心論は歴史的な社会の発展段階説でもあるので、縦軸のステップであるという見方も否定できない。

ここでは仏教十界説と並べて、人間の意識レベルと存在レベルの発展体系の特徴と狙いを考えてみたい。空海の十住心論は密教の世界観の伝統に従ったものであり、その中にアートマンも顕れる。

十住心論の10ステップは、十界説と1段階ずつパラレルの一対一の対応になっているのではなく、第一住心に、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の下位4界がまとめられていたり、更に菩薩段階から上が細かく分類されている、ちょっとデフォルメの効いた十ステップになっているところが特徴と言える。

デフォルメした狙いは、この論が、830年淳和天皇に命じられて編纂されたものであり、また真言密教が国家的にオーソライズされるために、真言密教が諸宗の冠たることを強調できるものに仕上げたということが考えられる。

しかし現代人にとっての課題を見るとすれば、第六住心以降の菩薩に相当する部分が最も必要性が高いので、その意味で十住心論の10ステップはとてもモダンな分類だと思う。菩薩とは、見仏、見神、見性を経た人物であって、禅の十牛図で言えば、第三図見牛以上のことをいう。

 

第一住心 

異生羝羊住心

 

牡羊のように性と食のみにとらわれ、本能の赴くままに生きているレベル

修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界に相当。いきなり、下位の4レベルがまとめられていて、十住心論は、上位に力点があることがわかる。

 

第二住心

愚童持斎住心

 

愚かな子供ではあるが、生活の規則に目覚め、人への施しに目覚めるレベル。

人間界に相当

 

第三住心

嬰童無畏住心

 

いまだ輪廻の世界にいるが、来世の生があることを知って幼子のように一時的に安らいでいるレベル。

天界に相当。

 

第四住心

唯蘊無我住心

 

ただ物のみが実在することを知って、実体として個人が存在することを否定する。声聞の教えは自分一人のための小乗のレベル。

声聞界に相当。

 

第五住心

抜業因種住心

 

一切のことは因縁によってなることを自覚して、無知の元を取り除いて、ただ一人悟りを得る。縁覚のレベルに相当。

 

第六住心から第九住心までは、十界説で言えば、ほとんど菩薩のレベルだと思う。菩薩のレベルというのは、最低でも見仏しているレベルである。ところが、空海は、第八住心までは迷い(無明)であるとする。

 

つまり見仏見性しているからとりあえず良しとするわけではなく、まずは第十住心の秘密荘厳住心でないと、問題があると指摘している。

 

第十住心の秘密荘厳住心がニルヴァーナであるのは問題ないと思う。一方第九住心の極無自性住心が、唯一の世界(法界)であるとして、華厳経の毘盧舎那佛のことであるとしているから、アートマンのことと見れる。よってこの十住心論の10ステップのトップ2も、やはりニルヴァーナとアートマンを置いていると思う。

 

第六住心

他縁大乗住心

 

心の海は静まり、波立っていないが、迷いの風が吹くために、波風は立つ。天国も地獄も自分の心が作り出したのだということを知らないレベル。

 

悪を行わず、あらゆる種類の善を長年にわたり行い、菩薩の52段階の修行を積み重ねても、本来の悟りは、自分の心の中にあることを知らない人のことである。心とそれが認識する対象物が別の物だと思っているが、菩薩としての修行がかなりできている人のレベルである。

 

第七住心

覚心不生住心

 

概念的な認識(五辺)は、本質的なものでない。原因により生起した心は、それ自体の性質(本性)を持たず、空であり、仮の存在であり、中道であり、アプリオリに存在している。

 

しかし本来の悟りは、遥かな過去から存在しており、自然や、清浄という表現も不適当で、言葉の表現を離れている。

 

ここで心の本性が不変で、自由自在であることを知り、無益な議論をすることはなくなったが、まだ本来の悟りの入口に初めて立っただけだ。

 

第八住心

一通無為住心

 

空性は、感覚と対象を離れて、形もなく境界もない。こうした認識主体である心と認識される対象との対立をなくしたところに常寂光土(浄土)がある。しかしその対立をなくし、常寂光土へ至る手だてはない。依然として無明のままである。

 

第六住心の課題は、認識主体である心と認識される対象との対立があることだったが、ここでは、その課題を克服する認識はできたが、実践方法が見つからないレベル。

 

第九住心

極無自性住心

 

ここまで積み上げてきた認識や哲学を総合すると、現象(迷い)と実在(さとり)は、唯一の宇宙法界(法界=世界)におけるものであることになるが、これは、単なる客観的な世界観に過ぎず、哲学にすぎない。これでは依然として真の悟りではない。

 

第十住心

秘密荘厳住心

 

大日如来は、あらゆる仏と一つであって、迅速な力という三昧(トランス)に入り、自ら証した心理の世界の本体という精神統一を説くレベル。仏界に相当。

 

仏の位に入るとは、即身成仏のことで、大日如来と一体化することである。

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