アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

イエス・キリスト-4-超能力で木を枯らす

2024-01-02 03:57:40 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-16

◎青春期の垂直の道-16

◎いちじくの木を超能力で枯死させる

 

イエスは、超能力でまるで呪いのようなことをして、いちじくの木を枯死させた。これは、ユダヤ教の教団関係者でなくとも、理由を問う場面である。

 

『21:18朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。

21:19そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。

21:20弟子たちはこれを見て、驚いて言った、「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。

21:21イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。 21:22また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」。

 

21:23イエスが宮にはいられたとき、祭司長たちや民の長老たちが、その教えておられる所にきて言った、「何の権威によって、これらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【マタイによる福音書】から引用)

イエスは、超有力の動機の善悪については説明せず、疑いを入れず信じ切れば物事は超能力で即時に実現すると断言した。だが、動機の善悪についてどう考えているか聞きたいところである。

 

続き。

『21:24そこでイエスは彼らに言われた、「わたしも一つだけ尋ねよう。あなたがたがそれに答えてくれたなら、わたしも、何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。

21:25ヨハネのバプテスマはどこからきたのであったか。天からであったか、人からであったか」。すると、彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。

21:26しかし、もし人からだと言えば、群衆が恐ろしい。人々がみなヨハネを預言者と思っているのだから」。

21:27そこで彼らは、「わたしたちにはわかりません」と答えた。すると、イエスが言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい。

21:28あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。

21:29すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。

21:30また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。

21:31このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。

21:32というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【マタイによる福音書】から引用)

 

これは、中国の道家魏伯陽が弟子に毒薬を飲めというテストを行った故事と同じである。

また達磨は、『師の教えに頼らず、事上に法を見る人は、利根とよばれる。師の教えにしたがって答えを得るものは鈍根とよばれる』とした。

あるいは釈迦は、鞭の影を感じて走る馬は上根とし、鞭で叩かれないと走らない馬は下根とした。

イエスのこの説明の仕方は、今風の感性で言えば、やや不親切だが、実は求道者にとっては、とても親切であると思う。

 

続き。

『21:33もう一つの譬を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。

21:34収穫の季節がきたので、その分け前を受け取ろうとして、僕たちを農夫のところへ送った。

21:35すると、農夫たちは、その僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひとりを石で打ち殺した。 21:36また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼らをも同じようにあしらった。 21:37しかし、最後に、わたしの子は敬ってくれるだろうと思って、主人はその子を彼らの所につかわした。

21:38すると農夫たちは、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう』。 21:39そして彼をつかまえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。

21:40このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。

21:41彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。

21:42イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、

『家造りらの捨てた石が

隅のかしら石になった。

これは主がなされたことで、

わたしたちの目には不思議に見える』。

21:43それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【マタイによる福音書】から引用)

 

これは、権利の上にあぐらをかく者は云々ということではない。神の民は、昔は神の民だったが、いつまでも神の民であるわけでもないということ。

そこで、ユダヤ・キリスト教では、人に打ち捨てられた石が北東に置かれるのだが、それが長い年月の末に、滅びることのない神の神殿の基礎となるという伝承があるのだ。

これは、世界の北東の辺境だった日本が世界の中心になるという予言である。

 

なおイエスがいちじくの樹を枯らせたのは、ちょっとやり過ぎだったと思う。

のこぎりを用いず超能力でやるのが、垂直の道の修行者である。

コメント
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