◎ジェイド・タブレット-06-23
◎青春期の垂直の道-23
◎悟りのプロセスと活躍
空海の悟りの道程を見ると、渡唐以前に土佐の室戸崎の洞窟で、明星が口の中に飛び込んできた。これが見仏に該当するのだろうと思う。
渡唐以前には、大日経を読んでもわからないところがあったということなので、大悟はまだだった。
唐に至り、師の恵果の指導によって、大悟覚醒すなわち即身成仏という中心太陽への突入を達成したと考えるのが素直な読み方だろう。
以後、超能力を使いまくって、日本の宗教、文化、皇室に大きな影響を与えた。逝去時に遺体を虚空に消滅させる尸解を行わなかったのは、日本人向けには必要ないという判断があったのだろうと思う。
空海の一般的な年譜のようなものは、外典の“科挙不合格組、不登校組-3-空海”に挙げたので、そちらも参照されたい。
スピリチュアル面での業績と考えられるのは次のようなものである。
- 真言密教という仏教の新風、それも奥義を持ち込んだ。これにより日本の垂直の道は、古神道、真言密教となった。
- 世界の存在レベルを、十住心論の十段階で表明した。悟った者は世界全体を語りたがるもの。
- 即身成仏について、大日如来と合体などという刺激的で誤解を招く表現はとらなかった。だが、人間が人間のままで仏に成れるようなイメージ誘導を行っている。
- 真言密教は死の世界をクリアすることである。『死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し。』(秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく)の序)とは、実際に何度も死ぬことにより(出口王仁三郎は六度死んだ)死の世界をどんどん極めて行って、その究極は神秘そのものである(冥し)というニュアンスではないかと思う。
- 声字実相義では、言霊の存在を指摘し、ア字本義を唱えた。いろは48文字で言霊を体系化。
- 後七日御修法とは、もともと弘法大師空海が開始せられた真言宗による国家鎮護の御修法である。承和元年(834年)から正月8日~14日、宮中中務省で、この修法をとり行った。以後何回かの中断をはさみながら現在も毎年修法されている。これにより天皇家は、古神道と仏教顕教、仏教密教の神事あるいは修法を行うことになった。
空海は、超能力を使いまくる一方で、天皇家の祭式を大きく変えさせるという大きなインパクトを与えた。これにより、日本人の精神性の中に密教を根づかせることに成功したが、朝廷と結びつくということは、現世利益が前面に出がちになるという弊害もある。
また、高野山も一時衰亡に瀕したが今は復活し、さらに世界的に知られる四国88ヶ所霊場のお遍路というイベントも盛んである。
空海は、数百年に一度のスーパー宗教者であったが、時代の制約のせいか、その悟りや即身成仏のより具体的な説明はなされなかった。