アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

切紙神示と共に甦る孝明天皇の遺勅(予言)

2024-01-26 06:50:04 | 古神道の手振りneo

◎たまほこからみろくの世の光が始まる

(2017-01-10)

 

『切紙神示と共に甦る孝明天皇の遺勅(予言)/誰も知らなかった日本史/出口恒/ヒカルランド』は、内容的には、孝明天皇の話は『幕末戦慄の絆/加治将一』にも出ている話が多く、目新しさはあまりなかったが、出口王仁三郎に関する部分では、新月の光を相当に参照しており、このブログと似たような読み方をしていると思った。

孝明天皇の神社について、気になったのは、玉鉾神社の場所のこと。玉鉾神社のある武豊町は知多半島の根っこに近く例の『尾張半田の分断』の半田の分断ライン上である点である。孝明天皇は、封印を置かれたわけである。

本書では遺勅によると伊勢と熱田の中間などと述べているが、実はそんな悠長なことではなく、まさに玉鉾神社は地球ロゴスののど元、新時代の天の岩戸として置かれたという印象を持った。たまほこからみろくの世の光が始まるのである。

孝明天皇は尾張半田の分断まで霊眼で確認したのではないか。そうであれば、アメリカが21世紀になっても『末に日本を取る悪だくみ』についても見たことになる。それだからこそ、徹底攘夷だったのではないか。

 

切紙神示の

『一、大日本の三山はミセン山、ヨツヲ山、ホン九山、

一、ヨツヲ山は世をツグカミ山、寺山へコム、十里四方神のミヤコトナル』の

弥山山、四尾山、本宮山はいずれも綾部。大本の人なら誰でも知っているのだろう。この二文は綾部が世界の都となることを示す。(だが、まずは、いまここ)

この本は全体として出口王仁三郎フリークでないと興味もわきにくいのではないかと思った。

出口王仁三郎はあまりにも巨大すぎて一般人には捕まえづらく、大本教の教義の大要も、悲しいかな裁判記録での出口王仁三郎の発言に多くを依ったところがあるのではないか。霊界物語は古事記の復刻という位置づけではあるが、基本は古神道の修行者(クンダリーニ・ヨーギ)が修行のおりおりにヒントがないか参考とする本でもあり、あまり何年にどんな事件があったことがどう書かれているということにこだわってもどうかと思った。

 

出口王仁三郎はいまだに信者に対し、アストラルでもって白昼あるいは夢の中で出現しアドバイスを与え続けているというが、これはキリスト教におけるイエス出現のようでもあり、改めて出口王仁三郎は真正の宗教家であると確認した。

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機心

2024-01-26 04:50:59 | 道教neo

◎便利は危険

(2016-08-12)

 

機心は、荘子外篇の天地第十二に出てくる。

機械を使うと必ず機械に頼る仕事が増える。そうすると機会の便利さに慣れ、人間は注意を常に外に向け、本質ではない利害得失、メリット・デメリットばかり追うようになる。これが機心。

こうしてエネルギーと時間は節約され、本来でいえば、冥想によりそれを人間の内側に向けるべきものだが、逆にもっとエネルギーと時間を使わずに努力をせずに効果を得ることばかり考えがちになるものである。

現代人の日常生活では、機械ばかり使っているから、機心なき人はまずいないが、そこで人為的に冥想タイムを作り、心の純白を感得せねばならない。荘子では、更に、機心あれば、精神が定まらず、道はないとする。

 

『機械有るものは必ず機事あり。機事有るものは必ず機心あり。機心胸中に生ずれば、則ち純白備わらず。純白備わらざれば、則ち神生定まらず。神生定まらざる者は、道の載せざるところなり。』

 

昨今世の中に狂人が多いのも、機心だらけのライフ・スタイルのせいか。

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OSHOバグワン-4-チベット密教高僧としての前世

2024-01-26 03:46:33 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-33

◎青春期の垂直の道-33

 

OSHOバグワンは、直前世ではチベットの高僧であって、山中で教団を率いていた。106歳の時、21日間の断食修行に入り、その修行が終われば入寂する予定になっていた。ところがその修行終了の三日前にその高僧は暗殺され、21日間の断食修行は、完成しなかった。

OSHOバグワンは、今生で誕生した直後の三日間は、乳を飲まなかったが、これは前世の断食修行を継続したもの。さらに21歳で大悟覚醒したのは、チベットでの前生の最後三日間の修行について、1日あたり7年かけて三日分で21年をかけて完成したのだという説明をしている。

さらにOSHOバグワンが、この話をした理由は、彼自身の過去世そのものに何か価値があるからではなく、弟子たちが自分自身の過去世を知れば、前世での冥想修行の到達点を確認してそこから今生で冥想修行を積み重ねて行けるからであるとしている。それがなければ、無限の生の中で迷子になって、どこにもたどり着くまいと言っている。

(参照:反逆のブッダ  ヴァサント・ジョシ  めるくまーる社P41-51)

 

カルマパ十六世もダライラマ14世も、OSHOバグワンの神性を評価しているが、世間は必ずしもそうではない。

その言説は高邁過ぎて側近でもちゃんとわかっている人は一握りだったのではないか。

 

またOSHOバグワンは、第三の目についても言及があるが、ロブサン・ランパ第三の目の外科手術の話の真偽とは全く別の話である。

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