◎たまほこからみろくの世の光が始まる
(2017-01-10)
『切紙神示と共に甦る孝明天皇の遺勅(予言)/誰も知らなかった日本史/出口恒/ヒカルランド』は、内容的には、孝明天皇の話は『幕末戦慄の絆/加治将一』にも出ている話が多く、目新しさはあまりなかったが、出口王仁三郎に関する部分では、新月の光を相当に参照しており、このブログと似たような読み方をしていると思った。
孝明天皇の神社について、気になったのは、玉鉾神社の場所のこと。玉鉾神社のある武豊町は知多半島の根っこに近く例の『尾張半田の分断』の半田の分断ライン上である点である。孝明天皇は、封印を置かれたわけである。
本書では遺勅によると伊勢と熱田の中間などと述べているが、実はそんな悠長なことではなく、まさに玉鉾神社は地球ロゴスののど元、新時代の天の岩戸として置かれたという印象を持った。たまほこからみろくの世の光が始まるのである。
孝明天皇は尾張半田の分断まで霊眼で確認したのではないか。そうであれば、アメリカが21世紀になっても『末に日本を取る悪だくみ』についても見たことになる。それだからこそ、徹底攘夷だったのではないか。
切紙神示の
『一、大日本の三山はミセン山、ヨツヲ山、ホン九山、
一、ヨツヲ山は世をツグカミ山、寺山へコム、十里四方神のミヤコトナル』の
弥山山、四尾山、本宮山はいずれも綾部。大本の人なら誰でも知っているのだろう。この二文は綾部が世界の都となることを示す。(だが、まずは、いまここ)
この本は全体として出口王仁三郎フリークでないと興味もわきにくいのではないかと思った。
出口王仁三郎はあまりにも巨大すぎて一般人には捕まえづらく、大本教の教義の大要も、悲しいかな裁判記録での出口王仁三郎の発言に多くを依ったところがあるのではないか。霊界物語は古事記の復刻という位置づけではあるが、基本は古神道の修行者(クンダリーニ・ヨーギ)が修行のおりおりにヒントがないか参考とする本でもあり、あまり何年にどんな事件があったことがどう書かれているということにこだわってもどうかと思った。
出口王仁三郎はいまだに信者に対し、アストラルでもって白昼あるいは夢の中で出現しアドバイスを与え続けているというが、これはキリスト教におけるイエス出現のようでもあり、改めて出口王仁三郎は真正の宗教家であると確認した。