徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

叔父の誕生日パーティ-ハイルスブロン観光編

2017-02-26 17:45:29 | Weblog
コーヒータイムの後の観光は、Heilsbronn(ハイルスブロン)。パーティ会場から車で10分程度離れた場所だったけれど、公共交通機関で行くより安いからと、

大型バスをチャーター

してあった。

ガイドさんにハイルスブロン修道院を案内してもらったけれど、ものすごく広い修道院だった。入ってみてびっくりしたけれど、修道院内は外よりもかなり寒かった。この修道院は12世紀くらいに建てられ、暖房設備もないし、新しく設置するのもお金がかかる、とのことで、

クリスマスからイースターの間のミサは食堂(別の建物)

で行われるそう。

この修道院は、シトー会(Zisterzienser、華美なものは禁止)の修道院だけれど、巡礼者が多く立ち寄ったり、貴族たちが埋葬されるときに多くのお金をもらったりして割と裕福だったらしく、そこそこ装飾や絵画などがあった。

ちなみに、多くのお金を出して埋葬されたけれど、その後の戦争で金属が必要になり、金属でできた棺は兵士に取られ、残された遺骨は誰の物か不明になったので、修道院の床にまかれ、その上に新しい床ができたらしい。

石でできた棺は残っていて、ホーエンツォレルン家のどなたかの立派な棺などが置かれていた。


15人くらいの男性と3人の女性が彫られている彫刻が展示されていた。男性はそれぞれ顔が異なるけれど、

3人の女性は全く同じ顔

で彫られていた。当時、「最も美しい顔」とされていた顔らしい。その彫刻には金箔が貼られていた。金箔は触ると粉々になってしまう。どうやって彫刻に貼られていたか、というと、筆で髪の毛を数回こすり、

静電気

を起こし、その静電気で金箔を持ち上げて彫刻に貼ったらしい。


さて。当時の彫刻や絵画で女性が複数(しかも同じ顔)いる場合、どうやって聖母マリアを見分けるのか、というと、

青い服

を着ている女性が聖母マリアらしい。言われてみれば、青い服を着ていることが多い気がする。

中世、ラピスラズリから青色の顔料を取っていて青色は非常に高価だったため、青色が聖母マリアに使われるようになったらしい。

他にもガイドさんにいろいろと説明してもらって(その後、ソクチくんに訳してもらったけれど)とても勉強になった。

コメント
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