退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「行き当たりばったりな経済学」について

2013-04-18 02:52:39 | Weblog
くもり。風呂上りに汗ばむ。

「大東亜戦争 こうすれば勝てた」読了。

それぞれが自分に「投資」した結果を十二分に活かすための「知恵」はタダ。
この「経済学」はいっそ痛快で是非お勧めしたいところ。

批判を受けてこそあらためて「豊か」になることを知るふたりの著者は
本当の意味での「相乗効果」を知っている。

レベルの違いは承知の上で
こういう「関係」を作ることのできる人間でありたいもの。

小林信彦「人生は五十一から にっちもさっちも」を古本屋で買って再読。

戦後のハイパーインフレの恐ろしさを身をもって知っている著者が
十年あまり前に「インフレターゲット」を警戒していることはすっかり忘れていた。

本書はそのことを思い出させてくれるだけでも「クロニクル」として役立つ。
もちろんその他の「情報」については言わずもがな。

ただしそれが現実のものとなった今何を思っているのだろう。
週刊文春のコラムをリアルタイムで読んでいないのでそのあたりは不明。

著者の「怯えのレーダー」が今回ばかりは狂っていることを願うのみだが
当たるんだよな、これが。

「ハイパーインフレ」が実際に起きれば
実家に戻って地道にしている「貯金」もすべてパーになるわけで。

とりあえずその時に笑う用意だけはしてある。
映画「黄金」(’48)のラストを思い出せばいい。

先人たちの「苦労」と「努力」を思えば自分などまだまだ恵まれている。
いざという時の覚悟だけは腹の底の隅に置いてあるつもり。

果たしてどうなることやら。
気分まかせの「ノーガード作戦」で当分は「下等遊民」を続ける。
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「過去と未来」について

2013-04-17 02:33:43 | Weblog
晴れ。今日も少し暑さを感じる。

小室直樹・日下公人「大東亜戦争 こうすれば勝てた」を途中まで読む。

「歴史にif(もしも)はない」というのはダメで
いたずらに実証にこだわるよりは想像力を働かせるべきだと。

わが国に「戦略」や「政略」はなくあるのは「武器評論」だけだとも。
「戦史」をきちんと読んでいないせいもあるらしい。

長い間戦争のなかった平安時代から徳川時代に至って「完成」されたのは
「戦争や軍備」について語らない「習慣」だというのが興味深い。

なるほどそれは敗戦とアメリカの占領によって
さらに強められたのだという見方もできる。

「戦争に勝つ」というのは単に敵を徹底的にやっつけることではなく
最初に立てた「目標」を達成することにあるというのもなかなか。

おそらく「戦争は政治の延長」だというクラウゼビッツの言葉の意味を
どうやらわれわれは正しく理解していない模様。

歴史を振り返れば世界のどこかで常に戦争は行われている。
ならば実際に戦争するかどうかは別にしてその元になる「考え」を知っておく必要はあるだろう。

でなければ他国が起こす戦争に対処の仕様もないことは明白。
もちろんそれは戦争そのものを避けるための知恵をつけることでもある。

とはいえ。

「統治能力」のないわが国でやたらに軍備を拡張すると
「空気」によって妙な使われ方をする危険性があることも確か。

そのことはたとえば「原発」のもたらしたものを省みてもわかるというもの。
その種の「危険」を避けつつ「政治力」を身に付ける方が得策とも思われるけれど。

果たしてそんなことが可能かどうかと考えるといささか暗くならざるをえないが
それでもまだ「未来」はある、ということにしておく。
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「超えられる時空と超えられない時空」について

2013-04-16 03:15:43 | Weblog
晴れ。昼は汗ばむほど。

「敗者学のすすめ」読了。

このあたりの人脈は坪内祐三と中野翠にどうにかしていただきたい。
素敵なところを教えてほしいという「他力本願」。

これで本切れになってしまったので
明日はまた古本屋で何か見つけて買わねば。

もう少し何事かを深く追求すべきだと思いつつ
ついつい気分次第であれこれと。

それが「自分」なのだと半ば以上あきらめてはいる。
いずれにせよ「自分」とはずっと付き合っていくしかないわけで。

「死んだ人」との「交流」が多くなりがちだけれど
まだまだ健在の好ましい著者たちもいることは確か。

「時空を超える」のは当たり前のことだから
それでいいのだということにしておく。

さて。

アーリア人がカイバル峠を越えてインド方面にやってきた「歴史」は
「新参者」が「原住民」を蹴散らし「肌の色」による「カースト」を作ったことを教える。

仏教発祥の地で仏教が衰えヒンドゥー教に取って変わられたほどの影響力を残し。
なるほど世界各地におけるわれわれの「愚かさの刻印」は消しようがないのか。

新天地アメリカに逃れた清教徒たちはネイティブ・アメリカンを「虐殺」。
南米を植民地にしたスペイン・ポルトガルも同様。

イスラエルはパレスチナ人を「隔離」して建国したり
わが国においてはアイヌを「抑圧」した過去があることなど。

「いずこも同じ秋の夕暮れ」と、かく言う。
人は「わかりやすい差異」にこだわるものらしい。
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「めんどくさいこと」について

2013-04-15 02:19:35 | Weblog
晴れ。おだやか。

残念な叔母の近況に変化があり
あれこれとお付き合いすることになる。

とりあえず元気さには変わりがないので
当分そのまま行くことだろう。

今日はそんなわけでダラダラと過ごし読書もせず。
怠惰な一日。

珍しく昔の同級生の女子から携帯に着信がある。
要件は不明なまま返事のメールをしておく。

その後メールがないので「放置プレイ」に。
あれこれ考えるのもめんどくさいので。

飲み会の誘いなら受け付けるのに。
どなたとでも楽しく飲むことに関してはウェルカムだから。

さて。

長い間「自分中心」で暮らしてくると
ついつい「他人」に対して億劫になりがち。

相手を「受け入れること」の重要さを知りながら
「自分のペース」を乱されることについて「敏感」になってしまう。

「残念な叔母」は大きな声でよく喋るのだけれど彼女には「対話」ができない。
耳が悪いところは多少割り引いたとしても。

ある種の人々は「自分」をやたらに語りたがる。
それはたぶん「淋しい」せいだろう。

なんらかの「言明」に対してあれこれと「反応」がほしいということ。
なぜなら彼や彼女は普段「反応」してもらえないから。

気持ちはわからないでもないがいささか「浅ましい」。
少しだけ「覚悟」すればすむことだと思うのだけれど。

互いに「好ましくないところ」はそれぞれにあるのだから
ちょいと「我慢」すればどうにかなる人であってもらいたいもの。

肝心の自分はどうかと聞かれると
なんとか付き合っていただけるかもと思うくらいが関の山。

いやはや。

結局めんどくさいことになる。
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「敗者の美学」について

2013-04-14 02:28:57 | Weblog
晴れ。冷えはやや緩む。

山口昌男「敗者学のすすめ」を途中まで読む。

著者が先月亡くなったことを忘れたまま借りてきた作品。
とにかく他人がフォローしない「筋道の発見」が楽しい。

内田魯庵や淡島椿岳・寒月親子については辛うじて知っていたものの
たとえば山縣有朋の「複雑さ」をそのまま捉える視点はさすが。

「社史」にその「証拠」を見つけたりするあたり
いわゆる普通の学者には全く考えられないことだろう。

われわれが勇気づけられるのは
「道なき道」をいとも軽やかになおかつ朗らかに歩んでやまないその姿。

「学ぶことの楽しさ」はおそらくここにあり
気を付けるべきことはあらゆるものを「単純化」してしまうこと。

すでに定式化されたことを学ぶのは誰にでもでき
それゆえそこに「楽しさ」は生まれないから。

E・H・カーを引くまでもなくあらゆるものが「歴史」だとすれば
「勝者」のみにこだわる「歴史」のみが「歴史」ではない。

「敗者の美学」に焦点を当ててみるのはむしろ
日本人に「似合い」なのではないかと思うところもあり。

日清・日露に「勝ってしまい」
「列強」の仲間入りをしたのは「途方もない偶然」だと思えば。

そろそろ「見事に負けること」について考えてみてもいい。
少なくとも好ましい先人たちはその「姿」を残している。
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「いささかの不満と圧倒的な幸福」について

2013-04-13 03:05:05 | Weblog
くもり。まだ夜に冷える。

「平成史」読了。

結局小熊英二の冒頭のまとめの見事さに尽きるよう。
これもある種の「メンバー紹介本」なのか。

難波功士「メディア論」を読む。

大学生への「参考文献リスト」。
マンガの「前置き」はむしろマニアックと思えばいい。

さて。

深夜に「ザ・ゴールデンカップス ワンモアタイム」を観る。

このバンドの凄さをあらためて確認する。
「長い髪の少女」は「残念なこと」だったのだということ。

今は亡き柳ジョージや鈴木ヒロミツ、たけしや清志郎、char、矢野顕子へのインタビューもあり。
デイブ平尾の「リーダーシップ」がそれぞれの「ハチャメチャぶり」をまとめた模様。

「フェンス越し」にアメリカがあった横浜は本牧。
カッコいい不良たちと音楽があった場所。

モヤモヤが一気に吹っ飛ぶすがすがしさよ。
味わい深いこの「伝統」は受け継がなければならないだろう。

エディ藩、ルイズルイス加部、ケネス伊東、マモル・マヌー、ミッキー吉野、
林恵文、アイ高野、柳ジョージ、ジョン山崎。

知っておくべき固有名詞を挙げておく。
「クリエイション」や「ゴダイゴ」、「柳ジョージ&レイニーウッド」もともに。

「ハイブリッド」の素晴らしさが極まる「時空」。
極東の小島にもこんな「幸福」があった。

プロコル・ハルムの「青い影」でエンドロールへ。
「ファンダンゴ」の後にはおだやかな「円熟」が待っているはず。
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「歴史意識」について

2013-04-12 02:25:27 | Weblog
晴れ。夜に冷える。

小熊英二編著「平成史」を途中まで読む。

平成もいつのまにか四半世紀を過ぎ
当然のことながら赤ん坊がいい若者になる年月。

若い頃は「歴史意識」のかけらもなかった自分が
いつのまにかその「流れ」を感じるようになってはいる。

先日若い同僚に「二十年三十年前が思い出せるようにならないとなぁ」などと。
ちなみに彼はそこまで戻ると赤ん坊か精子の時。

個人的にはほぼ「何も変わっていない」。
「三つ子の魂百まで」というより「雀百まで踊り忘れず」の類い。

いわゆる「世の中の常識」が百八十度変わることも知り
多少は「知恵」が身についたと思いたいものだけれど。

繰り返すが「義憤・ギャフン・ふふん」というのがお定まりの変遷。
ままならぬことが多い「灰色の領域」を生きるのみ。

「飲めば都」と嘯きつつ「下等遊民」としての生活を続け
「ご縁」まかせで毎日を「流れる」。

振り返れば「痛い過去」も水に流して
「アンテナ」の反応する方向にふらふらと。

明日も目覚めれば同じように。
関係各位には「仕方のないこと」とあきらめていただきたい。

さて。

「意識は存在を規定する」として
その「意識」とやらはどれほど「堅固」なものだろうか。
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「好き嫌い」について2

2013-04-11 02:08:55 | Weblog
くもりときどき晴れ。まだ冷える。

「テレビ・トラベラー 昭和・平成テレビドラマ批評大全」読了。

この本がなぜか「国書刊行会」から出ているのが不思議。
それにしても著者の「ドラマ好きぶり」はあきれるほど。

久方ぶりに「好きこそものの上手なれ」という「実例」を見た思い。
何事もこうありたいものではある。

さて。

仕事場の若い女子の「生理的嫌悪感」のどうしようもなさに笑う。
ある男子と一緒にいることを考えるだけで「お腹が痛くなる」らしい。

個人的にはそこまでの相手に出会ったこともないのだけれど
実際にそうなったらどうするのかと思うと案外大変かも。

昔喫茶店でウエイターをしていた時に
どうにも「いやな感じ」がする常連の女子に会ったことはある。

その時は結局無意識のなせる業なのか
コーヒーに入れるミルクを相手にぶっかけてしまった。

ミルクをテーブルに置こうとした手をテーブルの端に引っかけた結果のこと。
何ともわかりやすいと言えば言えるのだが。

いやはやかくも「好き嫌い」というものは影響の大きいもの。
自分の手の内で制御できないあたりがややこしい。
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「楽しみ」について3

2013-04-10 02:12:25 | Weblog
晴れ。夜はまだちょいと冷える。

昨日はついつい寝てしまい
「嘘の瞬間 Lie to me」シーズン2の最終回を見逃す。

鈴木伸元「加害者家族」を読む。

被害者家族の望みがようやく少し叶えられるようになった現在だけれど
加害者家族の方も悲惨な実情があることを知る。

いずれもどうにかしなければならないものだと思いつつ
「嫌がらせ」のどうしようもなさにわが国の「土人ぶり」を痛感するのみ。

電話や家への落書き、手紙などによる暴挙の数々たるや。
あらためて「正義」を気取ることのあやうさを思う。

そうでもしないと晴れない心があることは何とかわかったとして
せめて「違う種類の楽しさ」で自らのマイナスを打ち消すことはできないものか。

無理を承知で敢えて言っておきたい。

樋口尚文「テレビ・トラベラー 昭和・平成テレビドラマ批評大全」を途中まで読む。

テレビドラマについてもこうした批評があったのか。
ただし残念ながらこちらはそれほど観ていないのでふむふむと思うくらい。

シナリオライターの個人名が当然のようにあれこれ出てくるので
なるほどこの人は当時こんな作品を書いていたのかというのは興味深いところ。

とりあえず2000年は越えたので
現在に至るテレビドラマの変遷が楽しみではある。

著者が新書を出しているのは知っていたものの
こうした息の長い仕事をしているのは知らなかった。

おそらく他の作品も読むことになるだろうと思われるので
またひとつ「楽しみ」が増えてありがたい。
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「好ましいモデルふたつ」について

2013-04-08 02:38:05 | Weblog
晴れのちくもり。雨もパラつく。

久方ぶりにのんびり寝る。
グダグダした後で図書館へ行く。

三浦友和「相性」を読む。

実にまっとうなことが書かれていて
なるほどこういう人だったのねと再確認した次第。

昔ラジオ番組で「糸車」という曲を聴いたことがあり
ずいぶん高くて甘い声を出すんだなと思った記憶がよみがえったり。

川谷拓三の誘いでパチンコをやり始めてずいぶんハマったりもした模様。
一方で仕事がない時期に子育てに関われたのがよかったとも。

両親が不和だった頃に家を出た「歴史」もあり。
忌野清志郎の友人であったことは言うまでもなく。

いわゆる「タレント本」とは全く違う中身のある作品。
ここには「大人の人生」がある。

本書を読む気になったのはどこかで彼の殺陣が素晴らしいというのを知ったせい。
「情報」はそういう形で存在する。

深夜GETSPORTSでフットサル選手小暮賢一郎を観る。

フットサルがそもそも認知されていなかった時代から
世界へ出て活躍してきた選手の「引き際」。

最後になって故障と戦術面の都合から試合に出られなくなっても
「プロとしての日常」を貫く「当たり前の凄さ」よ。

「容赦ない現実」をそのまま受け止めることがどれほど難しいことか。
とりわけ文句を垂れるだけの若者たちには知っておいていただきたいもの。

その気になりさえすれば「いいモデル」はあちこちにある。
ただしそれを知り得るかどうかは「自分次第」なのでよろしく。
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