退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「アフォリズム」について

2010-12-21 02:53:37 | Weblog
晴れ。コートがいらないほど。

E・M・シオラン「生誕の災厄」を途中まで読む。

著者の名前を知ったのは
山本夏彦のコラムでだっただろうか。

日曜に図書館で偶然見つけたので借りてきた。
なるほど「死んだ人」と称された彼が気に入るはずだという内容。

多くがアフォリズム(簡潔にまとめられた警句)の形式で書かれている。
ルーマニア出身の著者は「体系」を嫌ったらしい。

今のところ気に入ったものをひとつだけ挙げておこう。

「無意識は祖国である。意識は流刑だ」

訳者によると「生誕の災厄」とは
「生まれたことの不都合について」というような意味らしい。

太宰治の有名な台詞に「生れてすみません」というのがあるけれど
自意識のあり方の違いが興味深いところ。

同じアフォリズムに芥川龍之介「侏儒(しゅじゅ)の言葉」がある。
興味のある向きは比較されたい。

たしかに欧米の書物について「長すぎる」と思うものは少なくない。
もっともこちらが「草食系」で「漢字の力」を知っているからかもしれないが。
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君たちがいてボクがいるという「基本」について

2010-12-20 03:22:29 | Weblog
晴れ。風が冷たい。

昨夜はボーッとしている間に寝てしまった。
佐藤直樹「社会は情報化の夢をみる」再読。

テクノロジーの「進化」のアナロジーとして「未来の夢」が観られるのは
人がそもそも「合理的」でない存在だからなのだろう。

「ないものねだり」はいずこも同じということで。

いつも通り図書館で借りた仲正昌樹「ポストモダンの正義論」を読む。

右翼左翼の「歴史」を振り返りつつ
「時代の振り子」はどう動くのかについてのあれこれ。

わかりやすい「西洋思想史」に
ちょいとわが国を付け加えて「議論の行方」を追いかけてくれている内容。

「閉塞感」というものの正体は実は「右肩上がりの経済」ではないのか。
過去にそれで楽しめた時期があったとしてそれを未来にそのままつなげるのはどう見ても無理。

「大きなパイ」の「分け前」はもうない。
そういう「事実」を本気で考えるべき時なのかも。

人は貧乏でも楽しく暮らせること。
ただしそのためには「楽しい環境」が必要。

それぞれが好きなことを突き詰めて
お互いに「へー、そうなんだ」と言い合えれば。

もちろんそれに対する自分の考えはあるということで。

人のわかることはたかが知れているということ。
そのことを謙虚に振り返れば「他人」が自分を「まとも」にしてくれるはず。

個人的にはずっと貧乏だけれど
それなりに「楽しく」暮らせている「事実」がありがたい。

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「同じ空」を見るように

2010-12-18 02:33:36 | Weblog
晴れ。夜になりきる前の空の透明な青がキレイ。

今日も本切れは変わらず
小林信彦「現代<死語>ノートⅡ 1977~1999」を再読。

始まりが「電線音頭」でおしまいが「カリスマ美容師・店員」。
リアルタイムでほぼ全部知っていることに気付く。

「流行語大賞」とやらが「時代」を映さなくなって久しい今だからこそ
本書の意味はあらためてあるはず。

人々が「島宇宙化」した現在では
かつてのように「流行歌」に「時代」をうかがうことはできない。

がしかし。
まだ「言葉」の中に「過去」という「時代」をうかがうことはできる。

おそらくマスメディアはかろうじて生き残るだろう。
もう少し「質」を上げていただけるともっといいのだけれど。

何のご縁もなかった人々が
「同じ時間を生きたこと」に「意味」を見出すことは悪くないはず。

さらにうまい酒を一緒に飲めればさらに楽しく
会話が盛り上がれば言うことなし。
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恐るべき「現実」の中でも

2010-12-17 02:48:02 | Weblog
くもり。冷える。

昨夜はなんとなく早く寝てしまった。
早くと言っても「カタギ」の方々とは違うのだけれど。

本が切れたので橋本治「大不況には本を読む」を再読。

人間には自分の思い通りにならないものなど数限りなくあって
たとえばそれは「自然」だったりするけれど。

そのことを忘れて「思い通り」を貫いたりしたのがたとえば「金融工学」。
もの作りをやめた人間は「金が金を生む」という「錬金術」を見出したらしい。

もっとも「いらないもの」をやたらに作っても仕方がない。
さらには「人の必要」には限りがある。

誰かのために必要なものを作り与え
誰かが作ってくれたのもをありがたくいただく。

そして毎日そこそこ働いて食べて寝る。
そうした「当然」がいつのまにか見失われつつ。

「自分探し」は実は「他人」によって完成するのが「自明」なはず。
その「シンプルさ」がわからないと「ちっぽけな自分」が出来上がるだけ。

繰り返すが「他人のために生きる喜び」を知ろう。
誰かの笑顔は案外自分のエネルギーになるもの。

わが国では相変わらず
毎年3万人の人々が自ら命を断っているのだから。

そこでちょいと前に流行った曲を。

笹川美和「笑」

アフリカにも通じるこの歌声。
「え」を「へぇ」という発音の楽しさを知るのも楽しからずや。
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素敵なおばあさんについて

2010-12-15 03:19:19 | Weblog
晴れ。コートを着ると暑い。

田辺聖子「おせいカモカの対談集」を読む。

オリジナルは昭和五十六年(1981)に出ていて文庫化は平成四年。
会話といえばこういう形が理想。

著者は本来鋭い人なのだけれど
笑いをまぶすことが多く表現が洗練されているので気付かれにくいのか。

関西人というのは今時の吉本の芸人に代表されるように
とかく「前に出たがる」のが基本だけれど。

こういう「引き芸」の人もときどきいて
そういう彼ら彼女らは好ましい存在。

おだやかに微笑みたい向きにはピッタリな内容。
こたつでみかんを食べる気分が味わえること請け合い。

昭和三年(1928)生まれの著者は奇しくも亡き父親と同年齢だったりする。
いまだに現役で作品の映画化やドラマ化も少なくないのがスゴイところ。

少女の魂を持ちつつ現実も重々承知しているあたり
ある種おなごの理想的な「モデル」なはず。

毎晩飲むところだけはマネしているけれど
「ひとり飲み」なのがちょっと違って残念。

そういうご縁には恵まれない「星の下」だということにしておこう。
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汽笛な日

2010-12-14 03:29:41 | Weblog
雨。しとしと降り続ける。

いつもより早く仕事に出かけることになる。
たまにはと思ってドトールで煙草を吹かしながらボーッとする。

頭の中でいろんな音楽が繰り返し鳴りつつ
視線はほぼ虚ろ。

その様子は他人の意見を参考にすると「ターミネーター」のようらしい。
動きが硬いのではなく表情に変化がないということ。

短い足を組み変えることはあり
組むのに飽きるとそのまま投げ出すことも。

もちろんまばたきもするし呼吸もしてはいるのだけれど。
カフェ・ラテも飲むことではあるし。

要は仕事にでかけるまでのひまつぶし。
周囲に魅力的な人がいればその「背景」を考えたりもする(年齢・性別は問わない)。

今宵はなぜか酔いが薄い。
普段より食べたというのがおそらく物理的な結果なのだろう。

たぶんyoutubeを適当に巡って眠るはず。
目が覚めたらまた一日が始まる。
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絶えず「更新」するしかない情報と判断のややこしさ

2010-12-13 03:06:47 | Weblog
晴れ。なぜか日差しが強い。

午前中に起きて実家へ行く。
法事を適当にこなして帰宅。

広瀬立成「物理学者、ゴミと闘う」を読む。

自分の専門である「タコ壷」にいた著者が
ゴミ処理問題を相談されたのをきっかけに外へ出るお話。

ただし「環境ホルモン」とか「ダイオキシン」だとかについて
いかにも素朴に受け止めている。

レイチェル・カーソンやシーア・コルボーン、広瀬隆は
確かにインパクトを与えたけれども。

「原発の危険性」についても同様。

もちろん処理方法も確定していない「ゴミ」を生み出す原発について
「危険視」するのは当然のこと。

電力会社が余分に「CO2」を出さない発電だというのは明らかにおかしいのも事実。
「半減期」の長い放射性元素についてはおそらく人の想像力が追いつかないのだろう。

「現在」のみを見る者は「調整」をするしかなく
「未来」を考える者はそれとは異なる「解決」を目指すのが基本。

ひとつだけハッキリしているのは
自分が見ている「現在」がいつのまにか移り変わっていくということ。

「将来にわたる危険」を重視しすぎることと
「現在の調整」をなんとか早く解決しようとすることの間のあれこれ。

どちらにも軍配は上げられない。
そのあたりに「保守の本流」はあるはずなのに。
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「事件」と「歴史」

2010-12-12 01:33:34 | Weblog
晴れ。だったか。

珍しく仕事が早く終わったのでソウルバーへ行く。
マスターから「ガン疑惑事件」を聞いて大いに笑う。

半藤一利「昭和史残日録 戦後篇」を読む。

昭和21年から50年までのあれこれ。
西暦だと1946年から1975年までのこと。

イスラエル建国(1948)を中華人民共和国成立(1949)と同年だと記憶違いしていた。
「ゴジラ」と「七人の侍」がいずれも昭和29年(1954)だとあらためて確認する。

一円アルミ貨の登場はトランジスタ・ラジオ発売と同じく昭和30年(1955)だとか。
ジェームス・ディーンが亡くなったのもこの年だったり。

日劇ウエスタン・カーニバルが昭和33年(1958)。
当時から若いおなごはアイドルに騒いでいたわけ。

それぞれに楽しめる仕組み。
リアルタイムで当時を知っていればなお楽し。

若い頃は自分の「歴史意識」の無さを不思議に思ったりしたけれど
要はある程度の年月を生きないと生まれないものらしい。


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それでも「恵まれている現状」と物騒な提案について

2010-12-11 02:48:59 | Weblog
晴れ。夕暮れの青に残るひこうき雲。

アマルティア・セン「グローバリゼーションと人間の安全保障」を読む。

グローバリゼーションは新しい現象ではないということ。
千年前には中国の科学技術やインド・アラビアの数学をヨーロッパが取り入れていた「事実」がある。

グローバリゼーションは基本的に「世界を豊かにしてきた」ということ。
鎖国を強引に解かれたわが国を好例にして。

グローバリゼーションに対していたずらにイエス・ノーを言うのは不毛で
「人間の安全保障」をどう築き上げるのかが課題だという見立て。

しばらく前に「文明の衝突」を書いたサミュエル・ハンチントンの図式はいかにもズサンで
人の「アイデンティティー」はもっと複雑なものだというのはもっともな話。

「自由と寛容の擁護者」であったというアショカ王、アクバル王の話がなかなか。
多文化主義擁護論の最も重要な点は「論理性」であると。

「所得水準が高くても、犯罪率が高く、栄養不良状態で早死する人が多い地域」は
「所得水準が低くても、犯罪率が低く、栄養状態も良好で、平均寿命が長い地域」より福祉水準が低いとも。

そうしてみるとわが国はまだまだ恵まれていると言わねばならないが、しかし。
あまり未来を楽観できないのはなぜだろう。

たとえば「少子化」を憂うのは国内の常識だけれど
ある時期までは「人口爆発」による「世界の危機」が叫ばれていたはず。

そもそも国土も限られていることだし
「少数精鋭」というのが本来のあるべき姿ではないのか。

ここでちょいと「ガリバー旅行記」を書いたスウィフトにならって提案をしてみると。

全国のジャニーズ・ファンをジャニーズのタレントたちと一緒にある島へ移住させる。
まさにファンにとっては「極楽」だしジャニーズにとっても「夢の島」だろう。

「ジャニーズ国」として独立してもらえれば日本の人口は相当減るはず。

そこで日本はぐっと「大人な国」になるという設定。
それでもダメならばそこで「日本人テスト」を行う。

日本語が一定以上できない人々は強制的に国外退去処分にする。
さすがにそこまでやれば人口も適正になるはず。

国破れずとも山河あり。
ただし「言語難民」を大量発生させるので「世界」には迷惑か。
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東も西も

2010-12-10 03:55:52 | Weblog
さてyoutube。

欧陽菲々がオリジナルの「恋の追跡」。ここでは敢えて大西ユカリにしたはずが消されましたw

作詞橋本淳、作曲はここでも筒美京平。
この「濃さ」が味付けと違っていかにも関西風。

さて一方。

大貫妙子から「横顔」。
いかにもソーダな味付け。

いずれあやめかかきつばた。
どっちも好ましいのでいたずらな二者択一はしない。

仮に男性であるあなたの前に
こうしたふたりの女性が現れたとしたらどうする。

そんな「うはは」な世界はなかなかないけれど。

そこからさらに「南も北も」というのがおしゃれかも。
それぞれの魅力は捨てがたく。

ただしそれは女性たちに
あなたがどんな光を投げかけるかによる。

たとえばケーリー・グラント。
彼の「優雅と軽妙」の見事さにはいずれ届くまい。

そこを「えげつなく」迫ると金子光晴になったりして。
要は「むかうむきになっている おっとせい」。

「ボインが西向きゃ ヒップは東」。
そして太陽はいつも東から西へ。
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