グリーンズ・テイブル

ppのピアニッシモな戯言でござ~い☆

カレル橋から

2013-06-17 08:02:25 | 中欧

歴史トラムを降りた後はカレル橋で自由時間。
カレル4世の治世下15世紀初頭に完成。
ヴァルタヴァ川に架かった初めての橋であり、19世紀半ばまで唯一の橋。
長さ約500m、幅9、5mの石橋で、欄干両方には聖人偉人15体づつのバロック様式彫像が。


橋側から見たゴシック様式の橋塔。


橋の上は観光客でいっぱいの中、ちょっとしたお店やミュージシャンが所々に。
橋塔のすぐ側では、音源を伴奏に独奏。


ジャズ演奏。


この楽器は…

手回しオルゴール?


たゆとうヴァルタヴァ川。
チェコの人はドイツ語名モルダウ川とは決して言わないと何かで読んだことがある。
中欧はドイツ・フランス・オスマントルコ・帝政ロシアなど、他国の勢力に翻弄された長い歴史を持ちながらも、民族の誇りを失わなかった静かで確かな強さを内包する。


橋を少し進んだところで、ボロをまとって地面にひれ伏した人が居る。両手を揃えて地面に伸ばした先には空いたカップ麺の器が置いてある。
人生で初めて見る光景、何故どうしてウソでしょ、混乱して見た…
気を取り直して、また少し進むと、今度は向こうから歩いてきた、やはりボロをまとって覇気のない若い男性がごみ箱を漁るところに遭遇。
もう進めない、引き返す視界の隅に、棄てられた飲み物を口にするのが映った。
なんということ。
働く気が無いのか、働き口が無いのか、これもプラハの現実…
それでもお構いなしに観光客で賑わうカレル橋、このギャップ。
今だ思い出すたびに切ない。


歴史トラムに乗って

2013-06-16 07:48:01 | 中欧


プラハ城を後にして下った先にはトラム(電車)の停留所。
100年前のトラムを30分借り切って街を回る、ツアーならではの企画。
少し待っていると、やって来ました歴史トラム↑

因みに現在使われている車両。


運転手さん。


車掌さんも。(当時の服装のようです)


床もベンチも板張り、つり革は正に革製。


出発進行!


ドアは開けっ放しなので、停まると乗って来ちゃう人が居たり、乗り物好きのプラハっ子には憧れのトラムだそう。


手動なので、運転できる人が少ないそう。


足でペダルを踏むとチン!


街行く人がカメラを向けます。


遠くにプラハ城と聖ヴィート大聖堂の尖塔。


到着。カレル橋の橋塔前広場。


帰って行きます、綺麗ですね。

聖ヴィート大聖堂

2013-06-15 13:45:09 | 中欧

プラハ城内には美術館、博物館、おもちゃ博物館、聖イジー教会、旧王宮など、見所は沢山あるけれど、ツアーでは王宮通過後、直ぐ隣にある聖ヴィート大聖堂のみの見学に。

聖ヴィート大聖堂…チェコで最も大きく重要な教会、多くのボヘミア王が眠る。
930年創建時はロマネスク様式(円筒形)だったものの、幾度かの改築後14世紀ゴシック様式に。
その後、バロック様式に手が加えられた時代を経て19世紀には様式の調和を目指す。

19世紀に建てられたゴシック様式の2本の塔のは高さ約82メートル、カメラに収まり切れません。
トップ画像の下の部分。

入場は列を成しています。



綱が張ってあり、これ以上前に進めない位置から撮影。
   
パイプオルガンは側面の壁に設置、オルガンの響きよりもステンドグラスに重きが置かれたんですねぇ。

両サイドの壁にもステンドグラスが。

                              1921年アルフォンス・ミュシャ作
  

トップ画像の円形を内側から見ると↓

教会の中は人でぎっしり。実は撮影も大変で、この画像↑を撮るときは中欧の方と思われる年配女性達が邪魔にならないように気を使ってくださり、そしてシャッターを切った後の微笑みが嬉しかった。

大聖堂の横側。時計塔はバロック様式のまま、高さ約99メートル。

左側黄色い建物は王宮、手前の明るい円形模様の建物は観光者用トイレ、このセンスはどうなの?

このあと、トラム(電車)乗り場まで歩いて下ります。

プラハ城

2013-06-14 19:43:58 | 中欧

プラハ城前の広場に到着すると、何やら凄い人だかり…衛兵交替式の真っ最中でした。


広場のこちら側ではそれに合わせるかのような賑やかな生演奏。

ヴァイオリン、コントラバス、アコーディオン、ファゴット。(組み合わせが面白い!)

交替直後。門の両方に立っています。


今度は右手から金管隊がやって来て、演奏しないで行っちゃった。


正面から撮るのは気が引けたので。虫が顔に留まっても動かないのかなぁ。

チェコは徴兵制度があって、衛兵は選ばれた人なんですって。

この入口を潜って中庭へ。


向こう屋根に旗が揚がっているので、この日はチェコ大統領が在駐。

王宮美術館も入ってます。

中庭には井戸も。


聖ヴィート教会の尖塔が直ぐそこ。


プラハ城から市街の眺め。


プラハにつぃて、サクッと。
プラハの街は、それほど大きな被災をしなかったので古い佇まいがそのまま残っている所が多い。
9世紀半ば城郭建造開始、14世紀カレル4世の時代に現在の姿に。
12世紀に王宮建造、歴代ボヘミア王の居城だったが、やがてハプスブルク家所有となる。
14~15世紀はヨーロッパ最大のしかも最も美しいゴシック様式の街となり、現在「百塔の街」と言われる所以がここに。
15世紀、ヴァルタヴァ川を挟んで城郭側のカトリックと旧市街側のプロテスタントが神聖ローマ帝国の宗教問題で対立しフス戦争へ。
15~16世紀はプロテスタントが認められた安定期。
17世紀「白山の戦い」でチェコプロテスタント貴族が全滅、ドイツ人カトリック貴族の支配下に。
1968年民主化「プラハの春」、ソ連軍侵攻。
1989年「ビロード革命」
1993年「ビロード離婚」

ストラホフ修道院

2013-06-13 11:54:25 | 中欧

今旅行参加の動機の一つは「プラハ城を見てみたい!」。
初日のプラハは宿泊しただけ、最終2連泊した二日目、つまり欧州を離れる日にようやく観光、楽しみを焦らしに焦らされた感じ。(フフ)

ホテルから歴史地区へバスで向かうと、まもなくヴァルタヴァ川そして向こうに小さくプラハ城と教会の尖塔が。

ずっと続いた良い天気が最終日に下り坂。

まずは小高い丘の上にあるストラホフ修道院。

チェコ最古の男性修道院(12世紀初頭には宗派が現存)で、知識や勉強を重んじたために修道院としては最大の図書館を抱える。
図書館。17~18世紀に建造。

神学ホールが6万冊、哲学ホールが4万冊、高い天上まで届きそうな棚にぎっしり詰まっていて、天上にはフレスコ画。部屋全体の美しいこと。撮影が有料だったのでパスしたことをちょっと後悔。見学や撮影は部屋の入口からのみで中には入れません。
また、廊下にはちょっとしたガラスケースの中にタコやごく普通の魚の干物を展示、内陸だから珍しかったんですね。


広場を後にして、いよいよプラハ城へ歩いて向かいます。

途中の風景。




招き猫!


プラハ城が抱える教会の尖塔が見えてきました。

マイセン焼きの工房へ

2013-06-11 00:38:03 | 中欧

ドレスデンでの昼食後はマイセンへ。バスで20分ほどで街に到着。


マイセンと言えば高級磁器、その工房にお邪魔。


トップ画像は入口に掲げられている、マイセンロゴマーク「二つの剣」の変遷。

いよいよ工房へ。何作ってるの?


蓋?


オヒケーナスッテ。


絵付け。ブルーオニオン(ザクロ)が特徴。


どこか和風。


販売コーナーは目の保養だけ。(高くて高くて)



マイセン近くのエルベ川、車窓から。プラハへ約3時間かけて戻ります。

ドレスデン旧市街

2013-06-10 00:10:29 | 中欧

旧市街歴史地区を一回りするのに通った道↓ずっと向こうの丸い屋根はフラウエン教会。

この通りの途中で歌っていたこのオジサン↓を撮ると、

「写真を撮ったんだからお金を入れて!」と言う。
「じゃ、削除するわ」とカメラの画面を見せながら削除しようとすると、
「いいよ、いいよ、しかたない…」
写真撮るだけで請求されたのは後にも先にもこの人だけ。
(あっ、言葉はお互い通じてない、でも通じてる。。。)
なので、3輪タクシーが珍しくてカメラを向けると、ポーズをとってくれたお兄ちゃん、嬉しくてトップ画像に持ってきました(フフ)

人物が出たところで、もう一人。ガイドのカッチャさん。
ガイドにはとても慣れたご様子で、見習いまで付いていて凄いんだけど、日本語の発音がイマイチで、よく聞かないと何も入ってこない。。。


おひる~!

ここのレストランで。









メインはソーセージ。

今旅行ではハム・ソーセージ・ベーコンがグーでした。
この付け合わせのザワークラウト、ただのキャベツの塩漬けなんだけど発酵している分、酸味があってなかなか美味しい。ウチでも近々挑戦してみたい。

ドレスデン ブリュールのテラス

2013-06-09 10:34:41 | 中欧

プラハの朝、ドイツのドレスデンへ向かう。
バスで約3時間、到着したのはエルベ川沿いの「ブリュールのテラス」と言われている歴史地区。
18世紀、ブリュール男爵がこの辺りを改造、約1㎞に渡る遊歩道や景観をゲーテは「ヨーロッパ随一のバルコニー」と称えたそう。
敗戦国なので爆撃による破壊が激しく、殆どが修復されたものだそうで、その最たるものがフラウエン教会。

戦争を戒めるため、街中にそのまま残しておいた瓦礫を東西統合後に十数年かかって組み合わせ再築。
中にはいると突然の荘厳さ、流れる空気の違い。

上の方にパイプオルガンがありますね。
丸い天上が高い。




ツヴィンガー宮殿。18世紀、フリードリヒ・アウグスト1世が自身のために建立。
それまでのレジデンツ(王宮)はすぐそば。


側面の外壁には歴代君主がタイル2千枚で描かれている。戦中400枚が破損、その後修復。




中にはいると、とてつもなく広い中庭。








こんな格好のガイドさんも。


屋上は凝ったバルコニーが2段造りで噴水もあり、彫像も沢山、君主家族が私的に過ごせる空間だったのではと想像。


劇場広場側からの外観。


劇場とはザクセン国立歌劇場。東ドイツ時代の名称はドレスデン国立歌劇場。

タンホイザーなど初演は多数。

宮廷教会の一部。トップ画像も。


西洋菩提樹に新芽。

プラハへ

2013-06-06 08:42:02 | 中欧

チェスキークルムロフを後にして、ボヘミア地方を北上しプラハへ向かう。
ボヘミアの自然は北海道と似ているな~。
ドヴォルザークも見ていたんだろうか、この風景。
頭の中を流れる曲はシンフォニーではなく、母の教えたまいし歌。
そして思い浮かんだのは、スロバキアのブラチスラバ城で暑い中、レース編みとコード刺繍のついたテーブルクロスを売っていた体格の良いお婆さんの手が、思いのほか冷たかったこと。。。

約3時間半後にプラハ市内へ到着。バスの中から。


ポリスマン。


カーブを凄い勢いでパトカー2台が駆け抜ける。


迷彩服のこの人は何?


なんとなく治安の悪さが伝わってくる。

街中を少し歩いてレストランに向かいます。


夕食はチェコ最古のビアホール「ウフレク」にて。(食後の撮影)

元々は修道院、壁に建造年1499と記されている。
複数の飲食店が入っていて、歩道に面した入口直ぐ左手の店は歌声喫茶のようで、アコーディオンに合わせて、年配男女の民族音楽のような、所々力強いアクセントの入った合唱が聞こえてきた。
私はこちらに入りたい、でもよそ者、流れる血の歴史が全然違う。。。

真っ直ぐ進んだ奥にビアホール、かなり趣があります。



我々が入店すると直ぐに日本の曲を何曲か演奏してくださった。
勿論、譜面無し。譜面がないと何も出来ない自分は尊敬の念。
ふる里、赤とんぼ、上を向いて歩こう、etc. みんなで歌った。
チップをあげた人の所へ来て、アコーディオンの人がスメタナのヴァルタヴァを超特急で弾いた。
あのメロディ、鍵盤ならサラサラだけど、フルートは大変、しかも2本の掛け合いなんだよね~。

さて、お食事。ビールの消費量が一番多いのはチェコ。(ドイツかと思っていた)
ホールマンがジョッキの10数杯乗ったお盆を片手に乗せて運びます。




デザートは丸ごと!アップルパイ。


食べきれず、ごめんなさいでした。


プラハの夕景、21時5分。バスの中から。


昨日は中欧が豪雨のニュースが流れ、このヴァルタヴァ川の増水、オーストリアの床上浸水を見入ってしまう。ドナウ川クルーズの中止や死者も出ているそう。ヴァルタバ川にぐるっと囲まれた小さな街チェスキークルムロフはどうなっているだろうか。

チェスキークルムロフ その2

2013-06-05 10:26:02 | 中欧


チェスキーはチェコ語でボヘミア、クルムロフは古ドイツ語で川の湾曲部の湿地帯。
旧市街地からお城へ向かう橋の上で。


あのお城を目指します。


赤門。               門の横に指!(この斬新さはエゴン・シーレ作?)
  

20世紀の芸術家エゴン・シーレはこの地に在住した。


中に入ると、壁のレンガは絵。



あの入口をくぐると…
次の広場も四方の壁のレンガは絵。


そして渡り廊下(バスを降りて最初に潜った大きな門の上方)を進むと…


遂にバルコニーへ。向こうの尖塔は15世紀に建造された聖ヴィトゥス教会、フレスコ画を抱えている。


左手が上がってきたお城。最初に渡ったのがこの橋。

ここはヴァルタヴァ川の上流に位置し、下流はエルベ川と合流しているそう。
何処を切り取っても絵になる眺め、おとぎの国のような可愛らしさ…
とは裏腹に、苦難の歴史を持つ。

サクッと拾います…
紀元前4000年には既に人が住んでいた痕跡。
13世紀以前に建造された城はゴシック様式。当時はチェコ人とドイツ人が混在。
16世紀、街はルネサンス様式に。
17世紀初頭、領地はハプスブルク家に売り渡された後、オーストリア軍→バイエルン軍→スエーデン軍と次々に占領され、街は財政難に。
18世紀初頭に統治していたヨハン・クリスティアーン(出たよ、ヒーロー)は芸術文化に造詣が深く、お城はバロック様式に改造され、宮廷劇場も建立、経済も発展。
後を継いだヨゼフ・アダムス(こっちもヒーローだ!)が有能な政治家でさらに輝かしい時代をもたらし、行政・経済・文化は南ボヘミアの中心地に。
この時、お城はロココ調に改造され現在に至っている。
19世紀に入って、神聖ローマ帝国時代から続いてきた支配階級のドイツ系住民と被支配階級のチェコ系住民の共存に幕。
20世紀、ナチス・ドイツはボヘミアをドイツ領とし、多くの建造物を破壊、虐殺。
戦後、圧倒的に多かったドイツ系住民は追放され荒廃状態に。
1989年の「ビロード革命」以降、建造物の修復が開始され、かつての美しさを取り戻す。
ドイツ系住民の追放後流入して来たロマ人(ジプシー)に対しての差別、民族浄化の為の強制断種政策が続いている。。。。

クリスティアーンが建造したバロック様式の宮廷劇場入口。


さよなら、チェスキークルムロフ。

楽しいこと、美味しいものは……新しい力にかわってくれる☆

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