新潮社
10人のクリエイターとの対話集
VS佐藤雅彦
佐藤…自分の中に、あるリズムや間があって、それを映像でどう再現するか。きちんと再現されないと、もう、気持ちわるくてしかたない。ぼくは大学時代と社会人になってからしばらくアイスホッケーをやってたんです。アイスホッケーって、とにかくリズム、テンポが早いスポーツなんです。3秒あれば、タン!タン!パン!って、点が入っちゃう。たとえば自分のポジションがライト・ウィングだったら、一瞬で味方のセンター、レフト、そして相手のディフェンスの位置や動きを読まなくちゃいけない。それをぱっ、ぱっ、ぱっ!と読んで、あるフォーメーションをセンターに伝える。伝え方も目と目を合わせて、それだけで伝えるんです。・・・
アイスホッケーってすごく音楽的だと思うんですよ。リズムで打ち合っていて、その状況に熱中している時間は本当に幸せなんです。ぼく、その幸せな状態を「
ステュディオス(studious)」っていう状態だと思うんです。
・・・悪意って、人に受けるんですよ。目立ちますし。ネット上でもそうだとおもうんですけど、ほくが以前いた広告の世界でもそう。コマーシャルにちょっと悪意を入れると話題になって目立つ。汚い言葉など、変わった言葉がちょっと入れば簡単に話題になる。でも、ぼくはそれがずっと嫌いで、そんなの、そのコマーシャルを作ったクリエイターの名前は有名になるかもしれないけど、商品や企業にはなんの特にもならないって思いがあったんです。だから、ぼくは悪意は一切なしで広告を作りたいと思って、その代表がサントリーの「
モルツ」や缶紅茶の「
ピコ」なんですよ。絶対に一片の悪意も入れまいと作った広告で、ものすごく明るい光のもと、軽快な歌と楽しい演出で、そういうポジティヴなものだけでちゃんと社会に認知してもらえるんだぞっていうことをアピールしたかった。広告界からクリエイターのエゴから生まれる変な表現をなくしたいって思って・・・
VS内藤礼
内藤…いちばん美しいものは人間の心に中にあると思うから、美術っていうのは、ではなんだろうということになるのかもしれない。・・・人の心の中にある美しいものは、見ることも触ることもできない。記録することも留めることもできない、つまり保存できない。すごく瞬間的なものだったり、心の中の美しいものをみつけたその人にしかわからない。そのひとが死んでしまえば、本当にあったのかどうかもわからないはかないものですよね。本当に美しいものとはそういうものだって言う気がする。
・・・ご飯を食べて眠るだけっていう生活が人間はできないんですね。
茂木…きっと人間って、いろんなことを考えていろんな悩みを持ちながら、でも自分と世界をつなぐ糸をみつけるためにいろいろとやっていた時間を生きる生物なんでしょうね。・・・自分にしか分からないモノや成果を作るための時間をどう一生懸命に、誠意を持って過ごしたかで、他人からの評価はわりとどうでもよくなる。自分が胸を張って過ごせた時間ならそれでいいじゃないですか。自分の生きる糧になる。他人を気にするんじゃなく、自分のやりたいように、
自分に誇れる時間を作っていくというのが、この地上に生まれてきた人間の゜すごく大切ななにか゛なのかもしれない。
VS松任谷由実
松任谷…そのあたりは計算しつつも感覚的なものではあるんですよ。自分自身が学生運動に身を投じてはいないけど、時代の空気と言葉の意味と、サウンドがうまく三位一体的にマッチすることで聴く人の心にヒットする。そんな世界をどうつくるかっていうのは、本当に感覚的な作業ですね。
茂木…私小説世界を
捏造するというか、さっきのギャップ理論で言うと、すごく都会的で洗練された世界を描く一方、とてもウェットな部分も見せて、そこにギャップがあると思ってたんです。でも、ユーミンの世界というのが、ある種のメタ的な私小説の世界だと捉えると、すごく納得できる気がする。あることに対して、自分の感じた感情が大本にはあるんだろうけど、それを直接に歌にするんじゃなくて、ワンクッション置いてクリエイティヴしてるからこそなんだ、と。
VSリトルブリテン
デヴィッド…思うに、
幸せで天真爛漫な子供時代を過ごすよりも、ちょっとだけ影のある子供時代を体験したほうが、絶対にクリエイティヴになれますね。たとえば私が、社交的でいつも友だちと外で遊んでいるような子だったら、これほどコメディアンとして成功することはなかったでしょう。それが人生の不思議さであり、おもしろいところなんですね。だから、いま辛い目にあっている子供や若者がいても、決して悲観的にならないでほしい。今の辛い体験が、いつかあなたのクリエイティヴィティを開花させるための肥料になるからって、私たちは訴えたいんです。
VS菊地成孔
茂木…オーケストラとか、振られる
タクトによって外部から駆動されて演奏するという場合と、内側から発生する時間によって演奏されて、指揮者はそれをコーディネイトするっていう、強制か自発かっていうのは、脳を研究しているぼくからすると、とてもおもしろい問題なんですよ。基本的には脳って、外部から強制できない器官なはずなんです。脳の中にある経路があって、そこに外部からトリガーを入れても影響されない。オーケストラでもコーラスでも、一見、外部のタクトによって強制されてるように見えても、実は自発的な回路を通して内部から発生しているはずだっていう……。
即興も、だから、自発的な時間の生成っていうのが顕になってくるだけで、実はすでに記譜されたものを演奏するのと同じなんじゃないのかっていう疑問もあるんですね。
菊地…まあ、反転しているだけで同じですよね、それは。即興だと指揮者がいないから、一見、外部的なタクトはないように見えるんですけど、でも実はブラインドされた指揮者が即興している演奏者たちの社会にしっかりと存在するんですね。
ドラムがハイハットをちんちんって鳴らしたら、それは
メトロノームと同じで演奏者全員で外部を規定して共有してクロノス時間を作っているんですよ。そういう意味ではクラシックの演奏とかわりないし、クラシックも、指揮者が厳然と存在はしていても、個々の演奏者の主観として、
指揮者に従ってはいても内側から発生している時間とせめぎあっているんです。これまで、デカルト的な外側の時間(客観時間)とちがう、自発的な主観の時間は、クラシックの演奏にはなくて、即興演奏にはあるとされていたんですが、そういう二元論的な分け方はちがうと思うんです。
・・・クリエイターにとっては、いかに文脈や様式から逸脱するかというのが永遠のテーマで、いかに、どれくらい逸脱するのかって、一種の綱渡り的なスリルを感じながらクリエイティヴを行ってますよね。いかに
致死量に至らないギリギリまで毒を盛るか、みたいな。
VS天野祐吉
天野…「おれもバカだけど、あんたもバカだなあ」っていうのが、ユーモアの基本だし、
人間のコミュニケーションの基本だと思うんですね。「おれは利口だけど、あんたはバカだな」じゃ見下ろしてるし、「おれはバカだけど、あんたは利口だな」じゃお世辞です(笑)。・・・で、そういう視点を持った広告を作るのを得意としているのは、やっぱり大阪ですね。大阪~関西には、どうも人間の本性のリアリティを見抜いて「カッコつけてもダメやねん」ってクリエイティヴが生まれる下地がある。これはよく例に挙げているんですけど、関西のお墓、墓石の広告。これがが東京だったら「永遠のメモリアル・アート」なんてカッコつけたコピーになるんだけど、関西だといきなり「墓のない人生はハカないなぁ」なんてなる(笑)。バカでしょ(笑)。でも、バカだなぁって笑った瞬間に、実は笑った自分の口の中にのどちんこが見えて「あれ、おれもバカかも」って気づくわけ。そういう感覚を大阪の広告マンは本当に上手く表現しますよ。・・・そもそも政治家の人でユーモアのセンスを持ってる人はなかなかいない。みんなヘンにまじめくさって、逆にガキっぽい。ユーモアっていうのは大人の持つ資質ですから。
VSリリー・フランキー
茂木…リリーさんにとって、先送りとか、いまいろんなことに悩んでいるとかって、すごく大事な状態なんだと思いますよ。
ネガティヴな状態にあるときが持つ力っていうものを感じる。最近、ある看護師の人と話をしたんです。普通、病院に行くとみんな気が滅入っちゃうんですけど、実は病気という状態は生命の究極の姿であると。生命が死に対して、それこそ必死に戦っている状態でしょ。看護師の自分は、患者のそうした戦う姿勢に限りなくエネルギーをもらっていると言うんです。これは、なるほどと思いましたね。どん底にいる感じとか、現実を先送りにして落ち込んでいる状態っていうのも、ある意味、エネルギーを放出して戦っている状態なんですよ。
この他に、VS小野塚秋良、VSいとうせいこう、VSヒロ杉山