観光で訪れた場所に感激したり、落胆したりすることがあります。多くはそのどちらでもないのですが、期待が大きすぎるとがっかりし、期待以上であるととても嬉しいものです。チョコレート博物館は今回の旅の目的地の「ブリュッセル(Brussels、Brussel、Bruxelles)」の他に、同じく目的地の「ブルージュ(Bruges、Brugge、ブルッヘ)」にもあります。
Wijnzakstraat 2, Sint-Jansplein, Brugge に「チョコ・ストーリー‐チョコレート博物館(Choco Story, The Chocolate Museum)」はあります。その博物館に関しての「口コミ」によれば、“Don't waste your time and money!”(時間とお金を無駄にしないように。)とそのつまらなさを警告する人もいれば、“This is a good museum for chocolate lovers.”(ここはチョコレートの好きな人にはよい博物館である。)という人もいます。
しかし、高評価する人も子どもは飽きるから連れて行かない方がよいと言います。チョコレート製造の歴史と過程についての展示をひたすら読む必要があるからだと言います。ならば、英語の読めない人にとっても退屈なものとなるのかも知れません。さらに、以前に別のチョコレート博物館に行ったことがあるのならば、ここに来るのは無駄だとも言います。
3階にわたって展示があり、多くの部屋を巡り((you must) visit the rooms of the museum)、階段を何段も上り下りしなければならないのも不満を抱く理由になっています。8分間の映画がオランダ語と英語で上映されるのだそうですが、英語の聞き取れる人でもオランダ語での上映時間にあたれば、8分ほど待たねばなりません。さらに、チョコレート製造のデモが行なわれる部屋が狭く、混み合っていると何も見えないのだそうです。タイミングが悪いと次のデモが始まるまで30分ほど待たねばならないこともあるようです。
ショップもあるのだそうですが、ブルージュの有名店のものがほとんど置いていないという不満も書き込んであります。これに6ユーロ(6.5ユーロとする人もいます)も出すのであれば、チョコレートを買った方がずっとましとまで言います。
最大公約数で「口コミ」をまとめると、「チョコレート愛好家(chocoholic)」で、どのようにしてチョコレートが作られるのかを知りたい人((you can) talk about chocolate with experts)で、カカオ豆の歴史(a dull history of Cocoa beans)を退屈と思わず、大量にあるテキスト(too much text to read、(you can) consult a vast library containing works on cocoa and chocolate)を読み通すことができて、子どもが退屈するので子連れでなく、階段を何段も上り下りするので高齢でないのであれば、さらにチョコレートがなぜ身体にいいのかの証拠を知りたい人ならば特に、行く価値があるようです(Choco-Story, the Chocolate Museum is a source of data and historical, geographical and botanical information.)。チョコレートをつまむことができるだろうと軽く考えている人に対しては、とてもお勧めできないようです。
「チョコ・ストーリー‐チョコレート博物館」の入っている「メゾン・ドゥ・クルーン(Maison de Croon)」という建物は、1480年頃に建てられたもののようです。15世紀後半は、「レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci)」が活躍を始める時代でした。この建物はもともとはワインを飲ませる居酒屋として建てられたもので、やがてパン、ケーキ、タルトを製造・販売する店になります。20世紀に入ると、職業安定所の本部になったり、警察学校の訓練所になったり、 「ベルギー自治体金庫(Crédit Communal de Belgique、現「デクシア(Dexia)」)」が入ったりしました。
「チョコ・ストーリー‐チョコレート博物館」1階のA室では、樹高が4m~8mのカカオ豆の木(theobroma cacao、テオブロマ・カカオ、学名)を栽培作物とした人類の歴史が展示されています。カカオ豆の原産地については諸説があり、その1つは、アマゾン川の流域に繁茂していた常緑樹の「カカオノキ」は、人の手によって、「メソアメリカ(Mesoamerica)」へと広がっていったというものです。
「メソアメリカ」は、メキシコから中央アメリカ北西部にかけての地域で、さまざまな高度文明(マヤ文明、アステカ文明など)が栄えた地域です。メキシコでは最古の文明である(異説あり)「オルメカ文明」の担い手であった「オルメカ族(Olmeca)」が、初めてカカオ豆を栽培した、といわれています。カカオ豆はすりつぶされ、トウモロコシの粉や香辛料などを加えて、水で溶いて、苦い水「ショコラトル」に加工されて、疲労回復に役立つとして、支配階級に供されていたそうです。
乾燥したカカオ豆を炒って挽いて水で溶かして、唐辛子を入れ、アチョテ(achote、ベニノキの実)という着色料で赤く色をつけ、飲んでいたようです(今のように砂糖やクリームが加えられて、甘くてクリーミーなものになったのはヨーロッパに伝わってから)。
メキシコは、カカオ豆の生産量では世界第9位の32万5千トン(2008年度)で、第1位の「コートジボアール」の122万3千トンの4分の1ほどです。カカオ豆の原産地はアメリカ大陸なのですが、いまではアフリカが主産地となり、全世界の生産量(359万2千トン)の70%ほど(252万トン)をアフリカが生産しています。
1階ではさらにチョコレートポット(ココアポット)とチョコレートカップ(ココアカップ)について学ぶことができます。チョコレートポットは、ティーポットやコーヒーポットと同じような形をしていますが、蓋に穴があいています。チョコレートは、泡立てたものを飲んでいたらしく、チョコレートポットの蓋の穴に撹拌棒(Molinillo、モリニーリョ)を通して、それを両手で回し、泡立つまでかきまぜたようです。
画像は、Pillivuyt(ピリビィ、1818年創業のフランスの業務用食器メーカー)社製のchocolatiere(ショコラティエール、ショコラを作る道具)です。18世紀に銀、銅、錫などの金属製や陶器製のショコラティエールが流行しました。ヨーロッパでチョコレート飲用の習慣が大衆化していく中で、上流階級の道具から、一般庶民の道具へと広がっていったといいます。
このショコラティエールを使って、本格的な「ショコラ・ショー(Chocolat Chaud、hot chocolate、ホット・チョコレート、ココア)」を作ってみます。まず、ショコラ・ショーの基本的な作り方です。「ヴァローナ(Varlhona))」社の製菓用スイートチョコレート「ピュア・カライブ」150g を細かく刻み、琺瑯鍋に入れておきます。別の鍋で牛乳 300g を沸騰直前まで温め、それを刻んだチョコレートに少しずつ注いではかき混ぜ、チョコレートを滑らかに溶かしていきます。生クリーム 300g を牛乳にチョコレートを溶かし込んだものに加えて、混ぜ合わせ、鍋を中火にかけて、60℃~65℃に温めます。これを好みに合わせて、変化させていきます。分量比を変える、砂糖を加える、バニラエッセンスを加える、シナモンを加えるなどが考えられるでしょう。
このまま飲んでもかまわないのですが、これを湯煎するなどして温めておいたショコラティエールに移し、先端がぎざぎざになっている攪拌棒のモリニーリョ(moussoir(ムーソワー)、moulinet(ムーリネ)、froth-maker(泡立て器))を両の手のひらで回転させて泡立てます。これをいただくのは、中世の貴族階級の気分かな。電動の泡立て器で泡立てると、現代人の気分?
このモリニーリョは、1700年頃にメキシコで、スペイン人の手によって作り出されたようです。それまでは、カップからカップへと高い位置から幾度も注ぎ込むことで、泡立てていたといいます。
妻「チョコレート博物館に行くの? 口コミにはお勧めでないと書かれているんでしょ。」
私「チョコレートについて調べれば調べるほど、興味が沸いてきてね。」
妻「私に行くのを諦めさせるために調べていたんでしょ。わかっているわよ。でも、ミイラ取りがミイラね。」
私「・・・」
この話、マクラが長かった分、長くなってしまったので、次回に続きます。
(この項 「仕事が忙しいのに何やってんだか」と言われている健人のパパ)
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