マイリビングダイアりぃ

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ヒーロー「聖徳太子」(歴史探偵より)

2023-07-28 | カルチャー 見聞
録り溜めてあったTV番組で、「そうだったんだ・・」とになったお札の顔でおなじみの「聖徳太子」の事、ピックアップでご紹介します。(ご存じの方もいらっしゃると思いますが・・)
わが故郷「奈良県」の、当時の都「飛鳥」から20㌔も離れた「斑鳩」になぜ「法隆寺」を建てたのか?を知ることができまして・・
「大和川」を利用して、都まで遡上して入っていける重要航路(外交ルート)を作るという構想からだったのです。
海(玄関口には四天王寺)と都(斑鳩)をつなぐ中継地点として「法隆寺」を建立「斑鳩を開発」して外国にアピールしたということでした。
  教科書で習った約100年ぶりの「遣隋使」を派遣されたが、その時は皇帝から「話にならない」と追い返されたそうで・・
蘇我馬子と共に「文明改革」をはじめ・「隋」にならった「仏教」による国づくりのために、あの有名な「憲法十七条」を作るんですね。
  1億5000万字(85巻分)の「インド、中国、日本の仏教文献データベース(SAT)」で意味を詳しく調べることができるそうです。
  仏教の思想で、自分自身を戒めるということでしょうか・・
  
時の皇帝に認められて文明開化を成し遂げるのです。
そして法隆寺(世界最古の木造建築)」がなぜ長持ちしているのか・・・
 中を見ることができないので「福井」の「模型法隆寺」があるところへ・・
  
  「心柱」は一番上だけでくっついています。各階層が孤立してるんですね。(蛇が踊ってるような動き・・ということでした)
  何度も地震が起きても大丈夫だった(耐震構造)仕組み凄いですよね。 
  こちらの「金堂」が逆にもろかったようで後から「補強材」で持たされたようです。
「金堂」内部も赤色表示されてる部分が 「補強梁」だそうです。
 この「菩薩様」は「太子様」として崇められるようにつくられて庶民の「太子信仰」となっていきます。
「光明皇后」と、お母様も「太子信仰」されました。
大阪の「四天王寺」では・・
  今もこの「絵」を観ながらの「絵説き会」が行われているそうです。(太子信仰が続いています)
 
 伝説は今も・・という感じです。
 昨年のリサーチで1位となった「ヒーロー」が「聖徳太子」だったんですって
 過去7度も「お札の顔」になられてるんですね。戦後「聖徳太子」のお札だけは「廃札」にならずにすんだそうです。
ボーナスなどでちょっと裕福になった時等、1万円札を持ってることを「聖徳太子何枚持ってる~」とか皆んな言ってたことを思い出しますね。
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