goo blog サービス終了のお知らせ 

マイリビングダイアりぃ

趣味?興味?大好きな人(もの)達について、毎日は無理ですが、更新していきたいと思っています。見に来てくださいね。

旧中筋家住宅界隈・・

2012-10-04 | カルチャー 見聞

今日のpeko地方、朝は曇りがちでしたが、お昼前になってお日様が顔を出してくれました。でもちょっと蒸し暑い日になりそうです。


さて今回は、台風17号が近づいていた先週土曜日(9月29日)、予てから見学したいと思っていた、和歌山市禰宜にある「国指定重要文化財」の「旧中筋家住宅」へ行ってきました。この日は丁度、市の教育委員会から紹介を受けたという「楽落亭会」の「落語会」も開催されていて、それも楽しめるというので、雨が降りだしてきてたんですが、この機会を逃したら・・と急遽出かけてきました。


      「旧中筋家」表門へと向かいます。私が撮ってる位置の後ろ側(東側)が「熊野古道」です。江戸時代末期の「和佐組 大庄屋」にふさわしい屋敷構えです。平成12年から10年間にわたって市が保存修理事業を行い、平成22年から一般公開されています。1585年の秀吉による「根来攻め」を逃れ、この地に移って来た「文貞坊」に始まり、1687年4代「良政」が庄屋となったとされ、明治初年まで6代にわたって大庄屋を務めたということです。


   嘉永5年(1852年)建築の主屋は間口22・8m、奥行25mで、一部三階建ての取合い部を挟んで西側に土間と台所、北側に20畳の大広間、東側が座敷部です。


       主屋の東側の「厠」や、座敷部を少し撮らせていただきました。↑の「表座敷」左側は「木地の間」、当主の「居室」として使われていたようです。表座敷横の縁で、お庭から長屋門の東側を望みます。座敷三室が見えますが、「大庄屋」の役所として使われていたとか・・


    「掛軸」も年代物のようです。「嫁入り籠」も「小玄関」に置いてありました。「大玄関」は立ち入れなくて、主屋側から表門を望みます。


    土間には当初あった「カマド」が再現されてます。こちらは台所ですね。上の建築図の「トイレ」マークの辺りから主屋を撮ってます。


      建築図の屋敷西側にある南北約30mの細長い「長屋蔵」は文政13年(1830年)に建てられたもので、嘉永5年に規模が拡大されたそうです。米蔵、農具蔵で使われていました。


  屋敷北西角の「北蔵」も米蔵と使用されてたそうですが、今は「展示室」になっていて、この地区の歴史や、成り立ち、人々の暮らし等のパネルや、熊野古道関連が展示されています。「和佐城」なるものもあったようですね。右の写真の「和佐王子跡」へは駐車したところに近かったので私も立ち寄りました。


  近くには「貝塚」が多く点在しているようですね。左の写真の黄色い部分の左上端あたりがpeko地方です。中の写真には和歌山で有名な「なれずし」作りの道具等が、右の写真には「こたつ(左下2つ)」、右下「陶製あんか」が展示されてました。


     北側のお庭へ回って北端にある「御成門」です。「薬医門形式」の門を裏側から。そしてお庭手前の「茶室」です。


     帰り際に「熊野古道」から「主屋」の屋根と、新しい幹線道路北西側から「「御成門」を、西側の道路沿いの「長屋蔵」を撮ってます。


  近くに「歓喜寺」があるというので寄ってきました。「熊野古道」に近いというので「鎌倉時代」~「南北朝時代」にかけて、熊野詣の人々に便宜を図る目的で、「接待所」なるものを設けていたことで知られる寺です。熊野古道を歩きながら駐車場まで戻る時に撮った「曼珠沙華」は、ひっそりと雨に濡れていました。


この日、「落語会」にこられている方が思いのほか多くて、観光バスも停まる「中筋家」の駐車場は満車で、この駐車場からさらに南へ上がったところの「自治会館」へ停めてくださいと言われ、少し遅れたのが幸いして、この「旧中筋家」への「裏道」を歩くことになって、後でこの道が「熊野古道」だったというのが分かって、ラッキーだったんです。駐車場へ戻りながら・・・・・


     携帯(解像度悪くてすいません)で撮った「登録有形文化財」「中筋家住宅」です。「大庄屋 旧中筋家」より安政年間に分家された家です。「長屋門」前の手入れされた綺麗な緑が印象的でした。熊野古道から畑の「曼珠沙華」越しに立派なお家を望みながら、「和佐王子跡」へ・・・古道を歩いてきて、ここで一人でいるとなんだかタイムスリップしたような感覚でしたね~~


では、見学前に楽しんだ「落語会」の様子を少し・・


    遅れたので、一席目がもう終盤でして、二席目の女性の方のお話と、4席目の職業は先生だという方のお話を聴かせていただきました。時々「クスッ」と笑いが起こったり、「うんうん」と「あるある」の頷きもあったり、まだ何回目かの落語でしたが、なかなかいいものだな~~って思いましたね。(床の間が見えていますが「旧中筋家」の主屋「北側」の「大広間」です。)


3席目の「杵屋さん」はお囃子を頼まれた方で、長唄を披露されました。「長唄」なんて直に聴くの初めてです。日本情緒満喫です。観客の中にも「お着物」の方もいらっしゃって、いい雰囲気でしたね~~。


長唄の前に二曲「浜千鳥」と「港」を皆で歌いましょうということで「三味線」で伴奏してくださいました。



ブレててすいません。皆さん童心に帰って歌ってらっしゃいましたね~。


午後からの数時間でしたが、「落語、長唄、見聞、散策」と充実の時間を過ごせました。


 


 


 


              


 

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「rojika」~「野の里 布土... | トップ | ススキの「生石高原」にて・・・ »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (mizocyan)
2012-10-04 21:15:49
 ( ^-^)ノ(* ^-^)ノこんばんわぁ♪
 そうだね~お昼はニュースでも言っていたけど10月に
したら気温が高く蒸し暑い1日だったね・・・

 凄い構えの屋敷だね~熊野古道沿いに有るんだ
室内も昔のままの姿で保存されて居るんですね~~
 掛け軸の墨絵が出来れば大写しのを見たかったニャァ
 かまども懐かしい=こんなに立派ジャァ無いけど、昔は
蒔きでご飯を釜で炊いて居たのを思い出します・・
 やはり貝塚も有って掘り出されたんですね・・

 周りにビルも無く綺麗な山並みが有るだけで
この様な落ち着く景色は何時までも残して欲しいですよね~~

 昔は漫才とかお芝居は亡き母に連れて行ってもらったものですが、最近は寄席には神戸ではちょとと見るのは
難しいですね~~聞いて見たいですね~ 
返信する
広くて大きな建築にびっくりです (greentea&kei)
2012-10-05 09:52:46
pekoさん、こんにちは。
さすがに国指定重要文化財だけあって
建物も立派で広さにもびっくり・・
古い時代を次世代に伝える貴重な資料を
備えてありますね。
広い土間にカマドが沢山あって
使用人も沢山だったのですね。
座敷も立派で、美術品も貴重な感じで
庭も風流な眺めで素敵ですね。
次の和佐城跡も建物といい
茶室も同じように貴重な歴史資料物ですね。
このような歴史資料には興味があるので
有り難く拝見出来ました。
「落語会」の様子・・こちらも楽しいひと時で良かったですね。
動画の合唱にはpekoさんももちろん仲間で
歌ってらっしゃったと思って
繰り返し聴き入りました。
楽しい気持ちになる動画でした
返信する
mizocyanさん (peko)
2012-10-05 21:09:59
こんばんわ~~
そうなんですよ~
熊野古道を400mほど歩いたってことになりますが、細い道で、昔はここを歩かれたんだな~~と思うと感慨深いものがありました。

すいません掛け軸もっとアップで撮ればよかったですね。

寄席もなかなかだと・・・時々は行ってみたくなりましたね~~
返信する
greenteaさんkeiさん (peko)
2012-10-05 21:17:21
こんばんわ~~
ちょっと残念だったのが、三階の部分を見せていただきたかったな・・と。この時期公開されるとか書かれてたんですが・・・

私の声も入ってましたね~変な声でお聞き苦しかったことでしょう。音階はあってたとおもいますが・・
暖かいコメントありがとうございます


返信する

コメントを投稿

カルチャー 見聞」カテゴリの最新記事