日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

“なでしこジャパン・フィーバー”に思う…スポーツ報道の姿勢という視点から

2011-07-20 | その他あれこれ
遅ればせながら、「なでしこジャパン」のワールドカップ優勝、素晴らしい快挙であったと思います。あきらめない力とか、チームワークとか、キャプテンのリーダーシップとか、監督の管理手法とか、いろいろメディアやネットでさんざん礼讃されていますので、そのあたりは他に譲ってちょっと違う視点でこの騒ぎを見てみたいと思います。

世間はなぜこんなに騒いでいるのか、日本の場合にはスポーツというものはたいていTVメディアがどう扱うか次第で決まると思います。今回は、大会前には空港見送り取材すらなかったTVメディアが突如大騒ぎをして盛り上げてくれました。なぜTVメディアはこんなに大騒ぎをしているのか、それは当然視聴率が稼げるネタと判断したからでしょう。少し前までは女子スポーツに対しては偏見があって、男子に劣るとか技がイマイチだとかで例えワールドカップでもまともに相手にされなかったように思います。もともとこの国の根底には男尊女卑が根強くあって、「どうあがいたって男子には勝てないんだし、女子スポーツは価値が低い」と見られていたのではないかと個人的には思っています。

ボクシングや柔道など階級分けがあるスポーツでは体重の重いほうが絶対的に強い訳ですが、だからと言って軽い体重の階級を軽んじて「見る価値ないよ」とは大抵の人は言わないものです。すなわち、スポーツ観戦における体重差別はもともと存在しないのですが、なぜか「所詮女子」という性差別は歴然と存在したのです。サッカーのような女子競技の歴史が男子に比べて圧倒的に浅いスポーツではなおさらでした。しかし今回はメディアがこぞって男子並みの盛り上げで扱ってくれました。「FIFAワールドカップ」という重みはもちろんあるにしろ、この点から日本のメディアにおけるスポーツ性差別がなくなりつつあるのかなと、国民的感覚が少し進歩したような安堵感は感じられました。

少しそれますが、関連で考えさせられるのはパラリンピックの扱い。パラリンピックは障害者のオリンピックであり、オリンピックと同じ年に同じ都市で開催される、ワールドカップに十分匹敵する国際パラリンピック委員会公認の世界最高峰の競技大会であります。しかしながら、メディアの扱いはどうでしょう。特にTVメディアの扱いの軽さと言ったらありません。理由はただひとつ、視聴率が稼げないから。「どうせ障害者の大会でしょ。健常者の競技にかなわないよ」という障害者に対する国民的差別感情が根底にあり、メディアの方針も男女差別の是正のようには進まず障害者差別を肯定する側にまわり、いつまでたっても国民の意識は変わることがないのです。パラリンピックは金メダルを取っても決して健常者と同じレベルではヒーローとして取り上げてもらえません。健常者と同じアスリートであり、健常者以上の努力と鍛練の成果であるのにです。何かおかしいとは思いませんか?

改めて今回の“なでしこジャパン・フィーバー”の根源を考えるに、国民の性差別がなくなったのが先か、メディアの性差別がなくなったことが先か、鶏と卵の世界かもしれませんが、視聴率至上主義のTVメディアの積極的な動きが盛り上がりを支えたことは間違いありません。他方パラリンピックは、同じように国民の意識の問題なのかそれともメディアの姿勢の問題なのか、スタートから半世紀が経とうとしているにもかかわらず、例えば金メダルを取ろうとも未だに我が国では盛り上がることはないのです。TVメディアは、今回の“なでしこジャパンフィーバー”を機に自分たち影響力の大きさを再認識いただき、視聴率至上主義を一度離れ、メディアの役割という本来依って立つべき観点から今一度この問題を考えて欲しいと思います。

それともうひとつ、北京オリンピックで金メダルを取って一躍ヒーローに祭り上げられた女子ソフトボール・チームと上野投手をご記憶ですよね。あのときの熱狂ぶりと今回の熱狂ぶりは非常に近しい気がしています。どちらも、大会前には注目度が高くなかったにもかかわらず、メディアの視聴率稼ぎの“焚き付け騒ぎ”から作りあげられていった“盛り上がり”という共通点が見て取れるのです。「視聴率が稼げる」と思えばあざとく大々的に取り上げて俄かヒーローに祭り上げ、ブームが去ればそのまま知らん顔で葬り去る。そんなスポーツを「視聴率稼ぎ」に利用するだけのメディアの姿勢も、今一度省みる必要がありそうです。“なでしこジャパン・フィーバー”を第二の「女子ソフトボール・フィーバー」にしないということを肝に銘じつつ、スポーツ振興を後押しするというメディアの役割から考え正しい報道姿勢はどうあるべきなのか、今一度自問ししかるべく継続的取組姿勢を貫いて欲しいと思うのです。

私にはTVメディアのその場限りのご都合主義ばかりが、チラチラと見え隠れする今回の“なでしこフィーバー”であるのです。