日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

訃報 ~ 中村とうよう氏

2011-07-22 | その他あれこれ
俳優の原田芳雄さんが亡くなられ、その死を悼む声がそこここから聞こえています。名優でしたね。若い頃のワイルドなイメージも悪くなかったですが、歳をとられてからは味わい深さが増して、本当にいい演技をみせてくれていたと思います。ここ数年、癌で闘病中とのことでしたがごくごく最近まで普通に仕事をされていたので、突然の死には本当に驚かされましたし、周囲の悲しみも一層深いものがあるようです。ご冥福をお祈り申しあげます。

突然の死と言えば、今朝の朝刊にも驚きで声が出ない訃報がひとつ。音楽評論家の中村とうよう氏の突然の死。しかも自殺と思われると・・・。ご自宅のマンション8階から飛び降りとのことでした。なぜ、どうして・・・。79歳。中村氏は音楽評論界の重鎮で、日本の洋楽評論においてはアーティストやレコード会社に決して媚びない最古参の論客であり、特に我々洋楽ファンに与えた影響の大きさと言ったら、他の追随を許さぬものがあります。新聞の扱いも訃報欄ではなく、一般記事として社によっては写真入りで報じていたことからも、その功績の大きさが分かると思います。

ミーハー色を排除した読みモノとしての音楽雑誌「ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」を創刊し、長年編集長としてあらゆる音楽の是非を世に問うてきた人でありました。ボブ・ディランの初期のライナー・ノーツ解説はすべて氏のペンによるもので、音楽情報の少ない当時は紙に穴があくほど一生懸命読んで“勉強”したものです。我々世代のディランファンは、とうよう氏を通じて一層ディランに惹かれたのであり、“とうようファン”でもあったのです。長年続けた日本レコード大賞の選定委員を、「レコード会社と委員の駆け引きで決まるインチキレコ大、もう降りた!」とアッサリ辞退するなどのパフォーマンスにも、一“マガジンファン”“とうようファン”として溜飲が下がる思いでした。

それにしてもなぜ自殺だったのでしょう。音楽関係では昨年、トノバン(加藤和彦氏)、今野雄二氏と壮年性の躁鬱が原因ではないかと思われる自殺が相次ぎましたが、とうよう氏の79歳と言えばそんな年代もとうに過ぎた頃あいではなかったのでしょうか。「ミュージック・マガジン」を買う事は少なくなったものの、連載コラムの「とうようズ・トーク」は最近でもよく立ち読みをさせてもらっていました。音楽雑誌なのに、政治的なことに触れたり民族紛争の話や経済情勢先行きに至るまで、時に怒り時に嘆き、その熱さと幅広い知識や造詣の深さに感心しきりでありました(論旨への個人的な賛成、反対は都度違いましたが)。それだけに自殺の報には本当に驚き、ショックを受けました。

ライ・クーダー、ファニア・オールスターズ、ユッスンドゥール・・・等を身近な存在にしてくれたのは間違いなく氏であり、70年代には存在しなかった「ワールド・ミュージック」なる新しいジャンルを日本で確立させた功労者も、氏であったと認識しています。今野氏もそうでしたが、音楽を論ずる立場の人間が一体何に悩み何に苦しんでいたのでしょう。どんな時にも心にあかりを灯してくれる音楽の楽しさ、素晴らしさを我々に教えてくれた調本人であるだけに、なおさらその理由が分かりません。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。