日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

70年代懐かし洋楽曲4~6

2011-07-16 | 洋楽
4.ゲット・ダウン/ギルバート・オサリバン
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=bECOCwMliCE


これもけっこう洋楽デビュー後早い段階で買ったシングルでした。深夜放送でさかんにオンエアされていました。「アローン・アゲイン」で有名なオサリバン氏、この曲はかなりロックっぽくて好きでした。この手の曲が少ない彼ですから、今でもライブのアンコール定番曲です(また秋にビルボードに来るようです)。アメリカではこの辺までしか売れなかったのですが、日本ではこの後、スティーヴィー・ワンダー風の「ウー・ベイビー」、モロにオサリバン節に戻った「ホワイ・オー・ホワイ」「ハピネス」とヒットを連発していました。原田真二クンがデビューした時に、「あっ、オサリバンだ!」って思いました。歌い方もよく似ています。


5.フリー・エレクトリック・バンド/アルバート・ハモンド
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=Lep0Fzq6omM


シンガー=ソングライターでもう一人、アルバート・ハモンド。「カリフォルニアの青い空」で大ブレイクした彼、その後が今一つで当時は“一発屋”ぽかったのですが、なんとか2発目をと先のオサリバン氏と同じくちょっとロックっぽい路線で出したのがこの曲でした。でも、残念ながら売れなかった。いい曲ですよね。大好きでしたけど。当時の新作アルバムの1曲目に入っていました。リアルタイムで郵便貯金ホールで見た来日ツアーの1曲目でもありました。カッコ良かったですよ。少し発音がラテン系ですよね。巻き舌っぽくて顔もエキゾチックで、エンゲルベルト・フンパーティングにも似ているような。この曲のイメチェンは失敗でしたが、この後同じアルバムから日本独自にシングルカットされた、例の「落ち葉のコンチェルト」が大ヒットする訳です。これで“一発屋”の汚名返上。80~90年代はスターシップやAOR路線シカゴの作者として活躍しました。シカゴの全米№1「ルック・アウェイ」は彼の作です。


6.僕はロックン・ローラー/ミッシェル・ポルナレフ
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=hZqiQr67Rus&feature=related


ついでにもう一人、シンガーソングライター系の人のアップテンポなヤツを。ミッシェル・ポルナレフって、超有名?フランス人でフレンチポップとか言われて、脱シャンソンの新路線の息吹をアジアに伝えてくれた人でした。派手なグラサンで顔を隠していたのですが、アイドル的にすごっい人気ありましたよね。日本の売れる洋楽は今も昔もほとんどが英語ですが、この人は当然フランス語。「シェリーに口づけ」とかしびれましたし、今聞いても名曲です。アメリカ志向の強い人でもあり、「愛の休日」とか「愛の願い」とか歌詞に英語を入れて歌ってもいました。これは、マスターコピーを日本に運ぶ飛行機がハイジャック&爆破され発売が延びたアルバム「ポルナレフ革命」からの第2弾シングル。明るく軽快で、英米モノとは違う上品さがあって好きでした。英語はなし、歌詞も少なくて「テュバ・テュバ・・・」言ってます。