日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

現状の放射能リスクを測る過去の「生活環境リスクデータ」の検証を

2011-07-14 | その他あれこれ
原発問題に関しては思うところあり今まで言及を避けてきましたが、最近の流れをみて少しだけお話しします。

今感じているのは、原発の是非や現状の福島第二原発からの放射能の影響について、一部中身がごっちゃのままあれこれ議論がなされているのではないかということ。とりあえず原発の是非と、現状の放射能汚染については分けて考える必要はありそうです。原発の是非については、自然災害を含む事故による爆発というリスクについての可能性がゼロでない限りそれを十分認識をしたうえで、今後のエネルギー政策を国としてどう導いていくのかという議論を国民レベルでしていかないといけないと思っています。一方の現状の放射能汚染のお話。これについてはあれこれ想定見解で意見を述べるよりも、リスクを数値化した過去データ検証との比較が必要ではないのかと思うのです。

過去データとは具体的に、戦後昭和の高度成長の時代に子供時代を過ごした我々世代の過去の生活環境リスクを50年後の現時点で検証し数値化されたものを指します。すなわち、過去の高リスクの時代に育った我々の当時の健康リスクが50年後の現在に立って見た時にどれほどあったのか、過去に存在した考えうる健康リスクを数値化し50年間の発がんデータおよび生存率データ等を検証することで当時の健康リスクがどのような結果を及ぼしたか、を明確にするわけです。この過去の生活環境リスク検証結果を基準として、現状「リスク」とされる原発事故による放射線被ばくリスクの実態を過去との比較において数値化して見せることが必要なのではないかと思っています。現状は、以前から反原発一色で貫いてきた朝日新聞系列のメディアを中心として、ややもすると実証データなしにいたずらに子供を持つ親に対して不安を煽っているという嫌いもあるのではないかと思うからです。

思い起こしてみれば我々子供時代には随分なリスクが世に溢れていたように思います。放射能に関して言うなら、第五福竜丸が被爆被害を受けたビキニ環礁水爆実験をはじめ、東西冷戦時代を背景として、世界中で原爆の実験が行われていました。我々は小学校の頃、傘の準備なく突然の雨が降ってくると先生が「雨にぬれると禿げちゃうから、ちゃんとお帽子をかぶって帰りなさい」などと言われたものです。「プールのシャワーじゃ禿げないのに、雨にぬれるとなぜ禿げちゃうのか」って不思議に思ったものでしたが、先生の注意がまんざら嘘でなかったぐらいに、恐らく今では想像もできないほど高濃度の放射線を含んだ雨が我々の頭や体に降り注いでいたのではないかと思います(私の髪の毛が薄いことと放射能の関係は、十分に検証できていませんが・・・)。

放射能以外の発がんリスクも沢山ありました。例えばスモッグ。当時の自動車の排ガス規制なんてゼロに等しいものでした。その上、京浜工業地帯はスモッグまき散らし放題。川の汚染もひどかった。汚水垂れ流しは当たり前。有害物質で汚染された川がそそぐ海で取れた魚を沢山食べてもいました。四日市ぜんそく、水俣病をはじめとする公害病は日本各地の工業地帯を近隣に持つ地域なら、どこででも起こりうる状況にあったのです。子供たちの発がん、生存リスクはどれほどだったのでしょうか。人的なリスクも溢れていました。例えば人工甘味料のチクロは発がん性があると、その後使用を禁止されましたが、私なんぞの世代が駄菓子屋で買っていた菓子類なんてチクロ入り放題ですから。ホント恐ろしい。水にしたって、井戸水も使われていましたし浄水水準も今とは全然違うので、胃がんの原因とされるピロリ菌だって我々世代は皆胃の中に流し込まれて続けていたのです。

これらの昭和高度成長の時代に育った我々世代の子供時代の健康リスクと、その後50年の発がん率、生存率などを検証すれば数値化することはできるはずだと思うのです。そして震災発生前の生活環境における現在の子供の生活環境リスクを数値化し、想定される50年の発がん率や生存率を算定し、さらに現状で放射線が増加した段階でのそれらの数値の変化を比較すれば、もう少し感覚的でない実証データに基づく現状の客観的なリスク判断ができるのではないかと。何においても数値的な裏付けなく「危ない」とだけ喧伝するメディアの姿勢は無責任であり、現状は“書き得状態”とも言えるのです。少なくとも我々世代が生き抜いていきた時代との比較ができれば、我々世代が肌で感じているモノを基準にしてメディアの喧伝に流されないリスク判断ができるのではないかと思います。

今の状況を「過去に比べれば安全であり心配する必要はない」と言いきるつもりは毛頭ありませんが、あまりに根拠のない感覚的なメディアの脅し文句に踊らされ続けるのもいかがなものなのかと、震災以降ずっと疑問に思い続けてきたのです。警鐘を鳴らすことはメディアの役割ではありますが、いたずらに不安を煽るのは行きすぎであると思います。国民の不安を払しょくするのは政府の責務に他なりません。何につけても、政府が責任をもって国民が客観的判断ができるようなデータを提供しない限り、いつまでも不安を煽るメディアに右往左往させられる人たちが減ることはないのです。こういうところにこそ頭脳明晰な官僚の方々の知恵を総動員して、過去データの検証等による現状の正しい認識指標を提示いて欲しいものです。

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