日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

現状の放射能リスクを測る過去の「生活環境リスクデータ」の検証を

2011-07-14 | その他あれこれ
原発問題に関しては思うところあり今まで言及を避けてきましたが、最近の流れをみて少しだけお話しします。

今感じているのは、原発の是非や現状の福島第二原発からの放射能の影響について、一部中身がごっちゃのままあれこれ議論がなされているのではないかということ。とりあえず原発の是非と、現状の放射能汚染については分けて考える必要はありそうです。原発の是非については、自然災害を含む事故による爆発というリスクについての可能性がゼロでない限りそれを十分認識をしたうえで、今後のエネルギー政策を国としてどう導いていくのかという議論を国民レベルでしていかないといけないと思っています。一方の現状の放射能汚染のお話。これについてはあれこれ想定見解で意見を述べるよりも、リスクを数値化した過去データ検証との比較が必要ではないのかと思うのです。

過去データとは具体的に、戦後昭和の高度成長の時代に子供時代を過ごした我々世代の過去の生活環境リスクを50年後の現時点で検証し数値化されたものを指します。すなわち、過去の高リスクの時代に育った我々の当時の健康リスクが50年後の現在に立って見た時にどれほどあったのか、過去に存在した考えうる健康リスクを数値化し50年間の発がんデータおよび生存率データ等を検証することで当時の健康リスクがどのような結果を及ぼしたか、を明確にするわけです。この過去の生活環境リスク検証結果を基準として、現状「リスク」とされる原発事故による放射線被ばくリスクの実態を過去との比較において数値化して見せることが必要なのではないかと思っています。現状は、以前から反原発一色で貫いてきた朝日新聞系列のメディアを中心として、ややもすると実証データなしにいたずらに子供を持つ親に対して不安を煽っているという嫌いもあるのではないかと思うからです。

思い起こしてみれば我々子供時代には随分なリスクが世に溢れていたように思います。放射能に関して言うなら、第五福竜丸が被爆被害を受けたビキニ環礁水爆実験をはじめ、東西冷戦時代を背景として、世界中で原爆の実験が行われていました。我々は小学校の頃、傘の準備なく突然の雨が降ってくると先生が「雨にぬれると禿げちゃうから、ちゃんとお帽子をかぶって帰りなさい」などと言われたものです。「プールのシャワーじゃ禿げないのに、雨にぬれるとなぜ禿げちゃうのか」って不思議に思ったものでしたが、先生の注意がまんざら嘘でなかったぐらいに、恐らく今では想像もできないほど高濃度の放射線を含んだ雨が我々の頭や体に降り注いでいたのではないかと思います(私の髪の毛が薄いことと放射能の関係は、十分に検証できていませんが・・・)。

放射能以外の発がんリスクも沢山ありました。例えばスモッグ。当時の自動車の排ガス規制なんてゼロに等しいものでした。その上、京浜工業地帯はスモッグまき散らし放題。川の汚染もひどかった。汚水垂れ流しは当たり前。有害物質で汚染された川がそそぐ海で取れた魚を沢山食べてもいました。四日市ぜんそく、水俣病をはじめとする公害病は日本各地の工業地帯を近隣に持つ地域なら、どこででも起こりうる状況にあったのです。子供たちの発がん、生存リスクはどれほどだったのでしょうか。人的なリスクも溢れていました。例えば人工甘味料のチクロは発がん性があると、その後使用を禁止されましたが、私なんぞの世代が駄菓子屋で買っていた菓子類なんてチクロ入り放題ですから。ホント恐ろしい。水にしたって、井戸水も使われていましたし浄水水準も今とは全然違うので、胃がんの原因とされるピロリ菌だって我々世代は皆胃の中に流し込まれて続けていたのです。

これらの昭和高度成長の時代に育った我々世代の子供時代の健康リスクと、その後50年の発がん率、生存率などを検証すれば数値化することはできるはずだと思うのです。そして震災発生前の生活環境における現在の子供の生活環境リスクを数値化し、想定される50年の発がん率や生存率を算定し、さらに現状で放射線が増加した段階でのそれらの数値の変化を比較すれば、もう少し感覚的でない実証データに基づく現状の客観的なリスク判断ができるのではないかと。何においても数値的な裏付けなく「危ない」とだけ喧伝するメディアの姿勢は無責任であり、現状は“書き得状態”とも言えるのです。少なくとも我々世代が生き抜いていきた時代との比較ができれば、我々世代が肌で感じているモノを基準にしてメディアの喧伝に流されないリスク判断ができるのではないかと思います。

今の状況を「過去に比べれば安全であり心配する必要はない」と言いきるつもりは毛頭ありませんが、あまりに根拠のない感覚的なメディアの脅し文句に踊らされ続けるのもいかがなものなのかと、震災以降ずっと疑問に思い続けてきたのです。警鐘を鳴らすことはメディアの役割ではありますが、いたずらに不安を煽るのは行きすぎであると思います。国民の不安を払しょくするのは政府の責務に他なりません。何につけても、政府が責任をもって国民が客観的判断ができるようなデータを提供しない限り、いつまでも不安を煽るメディアに右往左往させられる人たちが減ることはないのです。こういうところにこそ頭脳明晰な官僚の方々の知恵を総動員して、過去データの検証等による現状の正しい認識指標を提示いて欲しいものです。

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「青山カレー工房」だより ~ テレビに取り上げられました!

2011-07-12 | ビジネス
今日も熊谷は暑かった!と言う訳で、「青山カレー工房」と激辛の「熊谷かれーぱん」がテレビ朝日の「スーパーJチャンネル」の取材をいただき、本日番組で取り上げられました。

イケメン板倉アナが突撃レポートで「日本一暑い街」で「日本一HOTなカレーパン」を食してくれました。なかなかナイスガイの彼、汗をカキカキ「辛っ!・・・辛いけど、味わい深い!」と締めてくれました。しめて約1分20秒の紹介Vでした。

現在ネット通販でカレーパンをご購入いただけるホームページを制作中ですが、急遽全国からのお問合せ対応として「青山カレー工房」臨時HPを立ち上げました。あくまで簡易版としてご理解ください。

★「青山カレー工房」臨時ホームページ(当店メニューがご覧いただけます)
http://www.studio-02.net

★「青山カレー工房」
熊谷市銀座2-10-2
048-598-8091
メールでのお問い合わせは、
info@studio-02.net

よろしくお願いいたします。

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「ぴあ」休刊に思う~昭和の憧れ“起業”「ぴあ」と「リクルート」の今

2011-07-11 | 経営
雑誌「ぴあ」が21日発売号で“休刊”になるとか。ま、休刊と言う名の廃刊ですね。「ぴあ」は昭和に育った僕らにとってエポックメイキングな“情報誌”であり、同時に“起業実業家”への憧れを育ててくれた存在でもありました。

「ぴあ」の創刊は昭和47年。と言う事は私はちょうど中学1年生。映画とか親から離れて見始めた頃でもあり、けっこうショッキングな雑誌でありました。どこでどの映画をどんな上映スケジュールでやっているかとか、どこでどんなイベントをやっているかとかが一冊の雑誌になって売られた訳で。当時のマセ坊主たちの強力なデートのお供でもあったのです。映画の上映情報は新聞にも主要館については出ていた訳ですが、基本的には全映画館の情報と特に「どこで」の部分が地図付きだったってことが、マセ坊主にはかなり心強かったりしました。確か創刊時は1冊100円。小遣制で情報の価値をあまり理解できなかった中坊にとっては「けっこう高いかな」という感じもあったと記憶しています。

次に「ぴあ」に再注目をしたのは高校時代後半だったと思います。社長の矢内廣氏は、「就職してサラリーマンになるのが嫌で「ぴあ」をはじめた」という話を親父が買ってきた週刊誌か月刊誌で読んで、「へぇー、おもしれー。就職したり家業を継いだり、医者や弁護士の資格を取ったりしなくてもアイデアで食っていけるのか」って思わされたことでした。ちなみに、起業の年代は逆ですがその後に江副浩正氏の学生起業である日本リクルートセンター創業の逸話を本で読み、俄然「起業」に関心を持たされてしまう私であった訳ですから、今の自分のビジネスの出発点にあたる重要な部分を矢内氏や江副氏が担っていたと言っていいのかもしれません。

昭和って単に高度成長で大企業サラリーマンとして幸せに暮らしていくだけでなく、ちょっとしたアイデアマン的な発想のビジネスモデルが起業として成立し、サラリーマン生活で手に入れる幸せとは別物の幸せも選択肢としては十分に存在するんだという、ある意味「夢」を描かせてくれる時代でもあった訳です。2000年代前後以降にもIT起業ブームはありますが、ホリエモン氏をはじめどうも「カネ」目当てというのか一攫千金的というのか、あまりに現実的な印象ばかりが強くて、彼らに「夢」を感じないのは私がオヤジだからなのでしょうか。

さてさて話を戻して雑誌「ぴあ」。今回の“休刊”、イベント情報をウリに商売をしてきた訳ですから、昨今のネット情報の氾濫による部数激減の波には勝てなかったと言う事なんでしょうね。企業としての「ぴあ」は80年代には「チケットぴあ」で、いわゆる昭和のプレイガイドを一掃するような新たな流れを作ったりもした訳ですが、どうもその後守りに入った印象が強くビジネスにおける目新しさがないという感じがしています。片やリクルートは、創業の江副氏が早々に退いた後もそのDNAはかなり強力に生き続けているようで、いまだに次々と新しいものを生みだしたり有能な人材を世に輩出したりと、相変わらず成長を続けている印象が強いです。

「ぴあ」にも創業時の起業家スピリットに溢れた矢内氏のDNAが脈々と流れていたなら、活字媒体だってもっと早い段階で違う展開があったような気がするのです。まぁ今だに矢内氏が社長を続けていると言う事自体に、社長とともに会社も老齢化してしまったのではないかという印象があり、後継を育てられなかった経営者としての“弱さ”的なものを感じさせれたりもするのですが。起業したビジネスを継続し、立ち上げた企業を育て続けていくことは本当に大変なことであると実感させられます。

70年代懐かし洋楽曲1~3

2011-07-09 | 洋楽
個人的に思い入れのある洋楽アルバム企画「私の名盤コレクション」と並行して、アルバム紹介だけでは漏れてしまう個別の楽曲を70年代に絞って紹介していこうと思います。選曲ソースは、私のipodに登録されている「70年代」というプレイリストからです。毎回シャッフルで再生しながら2~3曲を取り上げてみます。いざ、スタート。(当時のシングルジャケットと、試聴できるようにYOUTUBEのURLも可能な限り貼っておきます。)

1.ブラザー・ルイ/ストーリーズ
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=Tv7SSoUVPQk

洋楽聞きはじめの頃、シングル盤で購入しました。「全米1ヒット」とかいう謳い文句で、夜9時以降の中波ラジオ洋楽放送帯や深夜放送とかで盛んにかかっていました。けっこう黒っぽい歌でボーカルもソウルフル。確か人種差別問題を扱った曲だったと記憶しています。後に同じ曲をホット・チョコレートがやっているのを聞いて、それがオリジナルだったと知り、黒い曲調に納得しました。近年、ストーリーズの安価なベスト盤CDを購入しましたが、この曲以外に聞くべきものなし。“一発屋”で終わった理由がよく分かりました。日本では確か、これもカバーの「マミー・ブルー」とかが次のシングルとして発売されていたような。ある意味スリー・ドッグ・ナイト的バンド?


2.レッツ・プリテンド/ラズベリーズ
★YOUTUBE → www.youtube.com/watch?v=vTELLAzVtxg

これも同じ頃。はじめてラジオで聞いた時、いい曲だなぁと思うと同時に絶対女性ボーカルだとばかり思っていました。解説を読んで男性と知ってビックリ。ハスキー・ボイスでかっこいいなと改めて感心。これがエリック・カルメン氏との出合いでもありました。イントロなしのいきなりの“歌はじまり”がけっこう斬新でしたね。でもあまり売れなかった。日本では発売元が東芝で強力にプッシュしていたようで、ラジオでのオンエア率は高かった。本国アメリカでは、アルバム「明日を生きよう」からの第二弾シングルってことで、確かギリギリTOP40入りぐらいが最高位だったような。その後にベイシティ・ローラーズでリバイバル・ヒットしましたが、本家ファンとしてはちょっと複雑な気分でしたね。


3.僕のコダクローム/ポール・サイモン
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=pLsDxvAErTU&feature=related

これまた同時期でしょうか?ポール・サイモンってサイモンとガーファンクルのサイモンなんだ、と知った曲。当時はS&Gは「明日に架ける橋」の印象が強く、ポールは“コンビのダメな方”って誤った認識だったのでけっこう驚きました。タイトルの「コダクローム」が何だか分からず、NHKのFMでアナ氏が「これはNHKでは放送できません」とか言っていたのを聞いて、余計に「何だ?」となった。調べまくってどうやら「コダクローム=コダック・クローム」、コダックの写真フィルムかと知って納得でした。NHKは、山口百恵に「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤なクルマ」と歌わせていた時代ですからね。心地よい音と流れるようなメロディラインが大のお気に入りで、S&Gよりソロの方がいいんじゃないと思った訳です。英語を習い始めた頃のつたないヒアリング力でよーく耳を傾けて聞くと、「♪アイ・ガラ・ナイコン・キャメラ・・・」とかが聞きとれて、「ウン?もしかしてニコンのカメラって言ってる?」とかがやたら嬉しかったり。「ニコンってすごいんだ」と思ったりもしました。

※当時はシングル盤は皆日本オリジナルジャケットでしたから、ものによっては時代を感じさせるダサさもあり(特に文字フォント)、これはこれで懐かしいですね。

金融危機以前の銀行と同じ、危機感欠如の“親方日の丸”電力会社に喝を!

2011-07-08 | ニュース雑感
九州電力玄海原発を巡る「やらせメール」事件で、昨日までに同社上席執行役員の指示によるものであったとの報道がありましたが、今日になってさらに上席である同社副社長の指示によるものとの事実関係が明らかになったようです。これすなわち、明確なる“組織ぐるみ”というわけで、組織としての意思決定が常識を逸脱することに何の疑問も持たないという九州電力の組織風土が白日の下にさらされてしまった訳です。

問題はなぜこのような常識外の意思決定が、副社長、上席執行役員という経営幹部によって指示され、誰にもそれを止められなかったのかです。よくある不祥事の隠ぺいなどの事件でその原因究明をはかると、たいていはオーナー企業などのワンマン体質によるオール・イエスマンの組織構造で、誰も「ノー」を言えずに「間違っていると知りつつやってしまった」というケースが多くあります。しかし今回の九電の場合はちょっと違うように思えます。“親方日の丸企業”の危機感の欠如がそこにはあったと私は思っています。すなわち「どう転んでもうちはつぶれない」という気持ちが、会社運営に対する危機感を遠ざけ、常識では考えられない目先の保身による無謀な意志決定を生むのです。

今回の問題で私は90年代末期の金融危機時代の銀行を思い出しました。ちょうど私が全銀協に出向していた頃のお話です。当時大手銀行は東京三菱、第一勧業、さくら、住友、富士、三和、あさひ、興銀、長銀、日債銀の10行でした。国会では、住専問題に端を発した金融機関の不良債権問題と、それに起因する中小企業に対する貸し渋り問題が取り上げられ、経営健全化をしたいものの中小企業融資を伸ばせば伸ばすほどリスクが増大するというジレンマが銀行を窮地に陥れていたのでした。しかし金融界の受け止め方は、山一証券、北海道拓殖銀行の破たんが目の前であったもののそれらは放蕩経営による問題金融の破たんであり、いわゆる上記大手行10行においては「我々の破たんはあり得ない。なぜなら大手行は経済の血液供給機関であり、それをつぶすことは日本経済の死を意味する」という理解が業界内では一般的で、なんとか今のつらい時期をじっと我慢で乗り越えればまたいづれは春が来る、ぐらいに思っていたのです。それはまさしく今の電力各社と同じ“親方日の丸企業”の危機感の欠如だったのです。

国会に呼ばれた各行の頭取方は、自民党の梶山静六氏から「中小企業融資の貸し渋り実態とその対策」について質問をされました。そして各頭取は額に冷や汗をかきながら通り一遍の「中小企業融資の増強に鋭意努力を続けているところであります」といった内容の答弁を繰り返し、長銀の大野木頭取に至っては「当行は中小企業融資は本業ではなく、その問題にはかかわりがありません」といった趣旨の発言をしたのでした。梶山氏は自民党幹事長時代の住専問題がらみの献金拒否でメンツを潰され、銀行団に対する恨みつらみはかなり根深いものがありました。その前年にも公定歩合問題に意見した梶山氏を全銀協会長が定例会見で、「日銀の専管事項に政治家が口出しをするのはいかがなものか」との発言したことに烈火のごとく怒り、悶着を起こしたばかりでもありました。「“金融村”の当事者意識のない答弁は絶対に許せん!」。特に大野木頭取の無関係発言には完全に切れたと聞きます。

この先は、全銀協幹部が大蔵省職員から聞いたという伝聞話ではありますが、梶山氏は「“銀行村”は、自分たちがつぶれるかもしれないという意識がなく危機感が欠如している。どこかつぶし彼らに危機感を持たせないと、本気でこの局面を脱しようという気持ちにならない」と考え、中でも答弁で一番危機感の薄かった長銀を標的に。大蔵省から雑誌記者(東洋経済新報社)に情報リークをさせ、長銀の不良債権実態を大蔵省極秘データとしてすべて文字にさせたのでした。ただでさえ、金融機関の経営状況に不信感をかこっていた国民から長銀は完全に信用を失い、アッと言う間に破たんの憂き目に至ったのです。あまりにあっけない“見せしめ”でした。このやり方がよかったのか否かは分かりません。ただ一つ言えることは、長銀破たんを機に銀行団の危機感が本物になったことは確かでした。その後の債権の自己査定方式の導入、当局主導による相次ぐ大型合併は、すべて各行の「つぶされるかもしれない」という危機感があればこそ本気で生き残りを模索し、現在のような完全自己責任の下での金融体制の構築に至ったのです。

回想話が長くなりました。翻って九電問題。今回の九電の信じられない対応は企業体質であり、震災以降計画停電の大愚策強行や原発問題への問題対応の数々や中身のない株主総会などの東電の問題行動を見ればこれは業界共通の体質と言ってもいいと思います。すなわち“親方日の丸企業”の危機感欠如こそが、電力業界全体の“病巣”であるのです。電力会社1社を金融危機の時のように見せしめでつぶせと申し上げるつもりは毛頭ありませんが、電力は金融と同じく政府が責任を持って指導・管理をしていかなくてはいけないライフライン産業であり、東電だけではなく次々明らかになる業界的危機意識欠如の“病巣”をいかに取り除くのかが、電力・エネルギー問題の解決の大前提であると歴史も教えてくれているのです。電力業界が本当の危機感をもった取り組みに動き出さざるを得なくなるような“ショック療法”を、九電問題が噴出した今こそ政府は本気で考え取り組む必要があると思います。

松本大臣発言事件は、政治・行政の“上から目線”を正す好機とせよ!

2011-07-05 | ニュース雑感
松本震災復興担当大臣の発言が物議をかもしています。問題視されている発言の要旨は以下の通り。

●知恵出したところは助けますけど、知恵出さないやつは助けない。
●漁港を3分の1~5分の1集約すると言っているけど、県でコンセンサス得ろよ。そうしないと我々何もしないぞ。
●お客さんが入ってくる時は、自分が入ってからお客さん呼べ。長幼の序がわかっている自衛隊なら常識。
●最後の言葉はオフレコ。書いたらその社は終わり。

被災地の方々の神経を「逆なで」する発言であると一言で言われていますが、なぜ「逆なで」なのかと言えば、態度がエラそうだからです。政府はそんなに偉いのか、国政を担う政治家はそんなに偉いのか、大臣はそんなに偉いのか・・・。これらの発言が問題視され物議をかもしている理由はその一点につきるのではないかと思われます。

問題視されるべきは今回の松本大臣の発言であるのは無論のことですが、私は問題はそこにとどまることなく国の政治や行政を預かる人たちの基本姿勢を問いただすべき好機であると思っています。今回のことは、通常の場面であるなら見過ごされていたような発言が、たまたま復興の現場を預かる知事との面談の中で交わされたがために問題視されるに至ったのではないでしょうか。私の経験から言えば恐らく程度の差こそあれ、松本大臣だけではなく他の政治家のセンセや官僚のおエラいさんなどが地方の人たちや監督下にある民間業者と相対す時にも、ごくごく当たり前の対応や姿勢として“エラそうな態度”は日常的に取られているモノではないのかと思うからです。

松本発言を擁護する同じ政治家の枝野官房長官の発言からもそれは明らかです。本来であるなら「どんな理由があろうとも、国政を国民から委託されている者、しかもその指導的立場にある大臣が、地方自治やメディアに対して上から目線の高圧的な態度で接することなどは到底許されないことであり、松本大臣本人には猛省を促したい」ぐらいの発言があってしかるべきなのではないでしょうか。「猪八戒、お前もか?」です。官房長官と言う政権の最重要ポストを担う者が、本件を民主党の国民に対する姿勢そのものを疑われる重大な問題であるとの認識が持てない事自体に、民主党の政権担当能力の欠如を今さらながらに感じさせられる訳です。

今回の件で目先で問うべきは松本大臣の進退でしょうが、問題の根本を問えば、政治や国家行政を担う多くの人たちが自分たちの日頃の国民や民間に対する姿勢にも松本大臣と同じ“上から目線”の思い上がった考えが「根っこ」にないか、という視点で襟を正す機会としてしっかりと受け止めるべき重大な問題であるのです。メディアにはその点も踏まえた報道をぜひお願いしたいと思っています。「問題発生を抜本改革の起点とする」は、組織改革の基本的考え方でもあります。本件を対処療法に終わらせない対応が望まれるところです。

最後に、あまりにひど過ぎて一言で言って「論外」でも済まされるのですが、一応松本大臣発言の吟味をしておきます。記載した4つの発言のうち最初の3つはどれも“上から目線”という共通の基本姿勢が問題視されるわけですが、最後の一つは“上から目線”にとどまらない「恫喝」であり問題は一層深刻です。メディアに対して「書くな」は都合の悪い事実に対する情報操作であり、国民の知る権利を政治家の立場で遮ることは決して許してはなりません。さらに「書いたら終わり」発言は、「圧力をかけてつぶしてやるぞ。お前のクビなんぞすぐ飛ばせるぞ」という、最大級の“上から目線”であり、これは「逆らったら殺す」という独裁者と同じ発想です。民主国家の政治家としては、この部分だけで完全に「失格」。永久追放相当です。即刻、議員辞職を求めるべきであると思われます。

春のGⅠシリーズ総括

2011-07-02 | 競馬
ちょうど今年も半分が終了し、先週の宝塚記念をもって春のGⅠシリーズも終了とあいなりました。秋のGⅠシリーズまで約3か月間の休養となりますが、秋のシーズンに活かす春の記憶を整理しておきたいと思います。

順を追って
○三歳牝馬
桜花賞は2番人気マルセリーナ、オークスは伏兵7番人気エリンコートが勝ちました。両レースを通じて1番の安定感があったのは、桜花賞2着、オークス3着のホエールキャプチャ。共に勝ち馬から1馬身以内の好走でした。忘れてならないのは、本来無事なら主役を務めたであろう2歳女王レーヴディソールの存在です。もしこの馬が春の牝馬クラシックに出走していたなら、結果どうなっていたのか。そんなことを考えながら、この馬の復帰を前提として秋のGⅠシリーズを待つ必要があるだろうと思います。春の上位馬対2歳女王の力比べが秋のテーマでしょう。毎年のことですが、夏の北海道等古馬重賞戦線への出走馬は秋に要注意なので、注目しておきたいと思います。

○三歳牡馬
オルフェーヴルというGⅠシリーズ開幕前には思いもよらぬ馬の二冠達成で、圧倒的な主役馬の登場とあいなりました。2着馬に影を踏ませなかったその強さから、当然秋もこの馬が中心であることは間違いなく、道悪をものともせず血統から見ても菊花賞の距離延長も問題なさそうで、秋の興味は三冠馬誕生の相手探しといった感じかもしれません。既存の勢力でこの馬に勝てそうな馬は見当たらず、“夏の上がり馬”の登場に期待します。余談ですが、ダービー2着馬はれっきとしたG1レベル馬であり、秋や翌春G1の惑星馬になることが多いので、記憶しておいて損のない穴のポイントです。特に今年のような人気薄の2着馬は、盲点になりがちなので要注意です。

○古馬短距離路線
スプリントGⅠ高松宮杯は、キンシャサノキセキが連覇しめでたく引退。2カ月後のマイルGⅠ安田記念では、3歳馬のリアルインパクトが勝って世代交代を強く印象付けました。このリアルにNHKマイルカップで圧勝しているのが2歳チャンプのグランプリボス。秋の短距離路線は、3歳世代を主役として回っていきそうな予感です。迎え撃つ古馬陣ですが、スプリント戦では昨年秋のスプリンターズステークス、今年春の高松宮記念ともに、好走しながら降着処分となっているダッシャゴーゴー。春終盤のCBC賞でのハンデを背負っての圧勝を見る限り、GⅠレベルの力は歴然で、この馬対3歳馬の戦いとなる予感です。マイル戦における古馬は、ヴィクトリアマイルを勝った牝馬アパパネも含めてGⅠレベルとしてはやや低調なひと固まりの状況といってよさそうです。3歳を中心として秋の調子の善し悪しがGⅠ戦線の順位を決めかねない、大荒れもありうる混戦状況であると記憶しておきたいと思います。

○古馬中長距離路線
昨年秋以来、現4歳世代を最強世代とする向きが強く、この世代を中心に春のGⅠはまわっていくと当初は予想されました。主役と目された、トゥザグローリー、ペルーサ、ルーラーシップなどは結局掲示板がやっとといった状況で、GⅡレベルの上位ではあるもののGⅠレベルにはやや足りないといった水準であることが判明しました。一方で天皇賞は伏兵ヒルノダムールが勝ち、昨年の皐月賞でヴィクトワールピサの2着し後のダービー馬に先着した実力は間違いなくGⅠレベルであったことが証明されました。GⅠレベルの面目を保ったのはダービー馬エイシンフラッシュ。この春は天皇笑2着、宝塚記念3着で秋の巻き返しを狙うに十分な成績であったと思います。その他では、女王ブエナビスタ。2着続きではありながら、力の衰えは全くなく秋も引き続き主役をつとめるであろう一頭です。春は振るわなかったものの、秋こそ自身の季節であるローズキングダムも人気が落ちるなら秋は面白い存在になりそうです。ドバイワールドカップを勝ったヴィクトワールピサ、宝塚記念馬アーネストリーは、秋はフランス凱旋門賞を大目標にするとの報道がありますが、国内GⅠに出走するなら当然主役としての注目が必要です。

以上、春のGⅠ戦線結果覚え書きでした。秋シーズン開幕時にまた読み返したいと思います。