日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

金融危機以前の銀行と同じ、危機感欠如の“親方日の丸”電力会社に喝を!

2011-07-08 | ニュース雑感
九州電力玄海原発を巡る「やらせメール」事件で、昨日までに同社上席執行役員の指示によるものであったとの報道がありましたが、今日になってさらに上席である同社副社長の指示によるものとの事実関係が明らかになったようです。これすなわち、明確なる“組織ぐるみ”というわけで、組織としての意思決定が常識を逸脱することに何の疑問も持たないという九州電力の組織風土が白日の下にさらされてしまった訳です。

問題はなぜこのような常識外の意思決定が、副社長、上席執行役員という経営幹部によって指示され、誰にもそれを止められなかったのかです。よくある不祥事の隠ぺいなどの事件でその原因究明をはかると、たいていはオーナー企業などのワンマン体質によるオール・イエスマンの組織構造で、誰も「ノー」を言えずに「間違っていると知りつつやってしまった」というケースが多くあります。しかし今回の九電の場合はちょっと違うように思えます。“親方日の丸企業”の危機感の欠如がそこにはあったと私は思っています。すなわち「どう転んでもうちはつぶれない」という気持ちが、会社運営に対する危機感を遠ざけ、常識では考えられない目先の保身による無謀な意志決定を生むのです。

今回の問題で私は90年代末期の金融危機時代の銀行を思い出しました。ちょうど私が全銀協に出向していた頃のお話です。当時大手銀行は東京三菱、第一勧業、さくら、住友、富士、三和、あさひ、興銀、長銀、日債銀の10行でした。国会では、住専問題に端を発した金融機関の不良債権問題と、それに起因する中小企業に対する貸し渋り問題が取り上げられ、経営健全化をしたいものの中小企業融資を伸ばせば伸ばすほどリスクが増大するというジレンマが銀行を窮地に陥れていたのでした。しかし金融界の受け止め方は、山一証券、北海道拓殖銀行の破たんが目の前であったもののそれらは放蕩経営による問題金融の破たんであり、いわゆる上記大手行10行においては「我々の破たんはあり得ない。なぜなら大手行は経済の血液供給機関であり、それをつぶすことは日本経済の死を意味する」という理解が業界内では一般的で、なんとか今のつらい時期をじっと我慢で乗り越えればまたいづれは春が来る、ぐらいに思っていたのです。それはまさしく今の電力各社と同じ“親方日の丸企業”の危機感の欠如だったのです。

国会に呼ばれた各行の頭取方は、自民党の梶山静六氏から「中小企業融資の貸し渋り実態とその対策」について質問をされました。そして各頭取は額に冷や汗をかきながら通り一遍の「中小企業融資の増強に鋭意努力を続けているところであります」といった内容の答弁を繰り返し、長銀の大野木頭取に至っては「当行は中小企業融資は本業ではなく、その問題にはかかわりがありません」といった趣旨の発言をしたのでした。梶山氏は自民党幹事長時代の住専問題がらみの献金拒否でメンツを潰され、銀行団に対する恨みつらみはかなり根深いものがありました。その前年にも公定歩合問題に意見した梶山氏を全銀協会長が定例会見で、「日銀の専管事項に政治家が口出しをするのはいかがなものか」との発言したことに烈火のごとく怒り、悶着を起こしたばかりでもありました。「“金融村”の当事者意識のない答弁は絶対に許せん!」。特に大野木頭取の無関係発言には完全に切れたと聞きます。

この先は、全銀協幹部が大蔵省職員から聞いたという伝聞話ではありますが、梶山氏は「“銀行村”は、自分たちがつぶれるかもしれないという意識がなく危機感が欠如している。どこかつぶし彼らに危機感を持たせないと、本気でこの局面を脱しようという気持ちにならない」と考え、中でも答弁で一番危機感の薄かった長銀を標的に。大蔵省から雑誌記者(東洋経済新報社)に情報リークをさせ、長銀の不良債権実態を大蔵省極秘データとしてすべて文字にさせたのでした。ただでさえ、金融機関の経営状況に不信感をかこっていた国民から長銀は完全に信用を失い、アッと言う間に破たんの憂き目に至ったのです。あまりにあっけない“見せしめ”でした。このやり方がよかったのか否かは分かりません。ただ一つ言えることは、長銀破たんを機に銀行団の危機感が本物になったことは確かでした。その後の債権の自己査定方式の導入、当局主導による相次ぐ大型合併は、すべて各行の「つぶされるかもしれない」という危機感があればこそ本気で生き残りを模索し、現在のような完全自己責任の下での金融体制の構築に至ったのです。

回想話が長くなりました。翻って九電問題。今回の九電の信じられない対応は企業体質であり、震災以降計画停電の大愚策強行や原発問題への問題対応の数々や中身のない株主総会などの東電の問題行動を見ればこれは業界共通の体質と言ってもいいと思います。すなわち“親方日の丸企業”の危機感欠如こそが、電力業界全体の“病巣”であるのです。電力会社1社を金融危機の時のように見せしめでつぶせと申し上げるつもりは毛頭ありませんが、電力は金融と同じく政府が責任を持って指導・管理をしていかなくてはいけないライフライン産業であり、東電だけではなく次々明らかになる業界的危機意識欠如の“病巣”をいかに取り除くのかが、電力・エネルギー問題の解決の大前提であると歴史も教えてくれているのです。電力業界が本当の危機感をもった取り組みに動き出さざるを得なくなるような“ショック療法”を、九電問題が噴出した今こそ政府は本気で考え取り組む必要があると思います。