日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「ぴあ」休刊に思う~昭和の憧れ“起業”「ぴあ」と「リクルート」の今

2011-07-11 | 経営
雑誌「ぴあ」が21日発売号で“休刊”になるとか。ま、休刊と言う名の廃刊ですね。「ぴあ」は昭和に育った僕らにとってエポックメイキングな“情報誌”であり、同時に“起業実業家”への憧れを育ててくれた存在でもありました。

「ぴあ」の創刊は昭和47年。と言う事は私はちょうど中学1年生。映画とか親から離れて見始めた頃でもあり、けっこうショッキングな雑誌でありました。どこでどの映画をどんな上映スケジュールでやっているかとか、どこでどんなイベントをやっているかとかが一冊の雑誌になって売られた訳で。当時のマセ坊主たちの強力なデートのお供でもあったのです。映画の上映情報は新聞にも主要館については出ていた訳ですが、基本的には全映画館の情報と特に「どこで」の部分が地図付きだったってことが、マセ坊主にはかなり心強かったりしました。確か創刊時は1冊100円。小遣制で情報の価値をあまり理解できなかった中坊にとっては「けっこう高いかな」という感じもあったと記憶しています。

次に「ぴあ」に再注目をしたのは高校時代後半だったと思います。社長の矢内廣氏は、「就職してサラリーマンになるのが嫌で「ぴあ」をはじめた」という話を親父が買ってきた週刊誌か月刊誌で読んで、「へぇー、おもしれー。就職したり家業を継いだり、医者や弁護士の資格を取ったりしなくてもアイデアで食っていけるのか」って思わされたことでした。ちなみに、起業の年代は逆ですがその後に江副浩正氏の学生起業である日本リクルートセンター創業の逸話を本で読み、俄然「起業」に関心を持たされてしまう私であった訳ですから、今の自分のビジネスの出発点にあたる重要な部分を矢内氏や江副氏が担っていたと言っていいのかもしれません。

昭和って単に高度成長で大企業サラリーマンとして幸せに暮らしていくだけでなく、ちょっとしたアイデアマン的な発想のビジネスモデルが起業として成立し、サラリーマン生活で手に入れる幸せとは別物の幸せも選択肢としては十分に存在するんだという、ある意味「夢」を描かせてくれる時代でもあった訳です。2000年代前後以降にもIT起業ブームはありますが、ホリエモン氏をはじめどうも「カネ」目当てというのか一攫千金的というのか、あまりに現実的な印象ばかりが強くて、彼らに「夢」を感じないのは私がオヤジだからなのでしょうか。

さてさて話を戻して雑誌「ぴあ」。今回の“休刊”、イベント情報をウリに商売をしてきた訳ですから、昨今のネット情報の氾濫による部数激減の波には勝てなかったと言う事なんでしょうね。企業としての「ぴあ」は80年代には「チケットぴあ」で、いわゆる昭和のプレイガイドを一掃するような新たな流れを作ったりもした訳ですが、どうもその後守りに入った印象が強くビジネスにおける目新しさがないという感じがしています。片やリクルートは、創業の江副氏が早々に退いた後もそのDNAはかなり強力に生き続けているようで、いまだに次々と新しいものを生みだしたり有能な人材を世に輩出したりと、相変わらず成長を続けている印象が強いです。

「ぴあ」にも創業時の起業家スピリットに溢れた矢内氏のDNAが脈々と流れていたなら、活字媒体だってもっと早い段階で違う展開があったような気がするのです。まぁ今だに矢内氏が社長を続けていると言う事自体に、社長とともに会社も老齢化してしまったのではないかという印象があり、後継を育てられなかった経営者としての“弱さ”的なものを感じさせれたりもするのですが。起業したビジネスを継続し、立ち上げた企業を育て続けていくことは本当に大変なことであると実感させられます。